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心の治癒と魂の覚醒

        

私の考え方は今の世間からは受け入れられない

 まずはご報告とお知らせから。
 今月6月20日/21日、イデア ライフ アカデミー瞑想教室「戒律と瞑想」の授業を行いました。地味なテーマですが、霊性向上をめざすためには、戒律を自分で定めて守ることはきわめて重要です。今回、私は正直に言いました。「イデア ライフ アカデミーで学ぶと、不運と苦しみが訪れる!」と。
 巷によくある、自己啓発だとかスピリチュアル系のセミナーなどでは、「幸運が引き寄せられる」とか「仕事がうまくいったりお金が手に入る」といった「おかげ話」を売り物にして人を集めていますが、イデア ライフ アカデミーでは、人集めも金儲けも目的にしていませんので、本当の霊的真理を伝えています。過去の聖人たちの伝記を調べればわかるように、彼らは霊的な道に進むことで、さまざまな不運や災難が訪れるようになっています。しかし、それでいいのです。それこそが、真の幸福に至るための、もっとも最短の近道を歩んでいることになるからです。そのへんの理由を知りたい方は、ぜひダイジェスト版をご覧下さい。安易な手段で幸運を手に入れようとする人々の多い昨今の風潮とは真逆なことを言っていますので、これでますますイデア ライフ アカデミーに参加する人が少なくなってしまうと思いますが(涙)、私は嘘が言えない性格なので、仕方がないとあきらめています(笑)。
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 それでは本題に入ります。
 出版社というものは、基本的にビジネスであり商売ではありますが、本というものは国民の教養を高め、品格を高め、生活を豊かにするものですから、出版社は国の文化の担い手という使命もあるはずです。
 しかし、空前の出版不況ということもあってか、「とにかく売れればいい」という感じで、軽薄でくだらない本ばかりが溢れかえっているように感じます。しかしそういう本が売れるのですから仕方ありません。軽薄な本ばかり読んでいたら、国民は軽薄になります。あるいは軽薄な本が売れるということは、すでに軽薄になっているとも言えますが、いずれにしろ、このままでは、わが国の文化水準は低下してしまうでしょう。

 とはいえ、私も偉そうに言える立場ではないのです。私の体験をお話してみたいと思います。30歳くらいのとき、『神秘の前世占い』という本を出しました。実はこの本は、もともと前世の本ではありませんでした。私が書いた原稿は、『転生の占星術』というタイトルで、内容は、占星術における7つの天体は、人間が地上で身につける徳(調和・忍耐・意思・統合・分析・共感・情熱)を示しており、人間は転生しながらこの徳を養っていく存在であり、その徳を養うためのヒントとしての占星術の活用法でした。

 ところが、当時は、いわゆる『前世ブーム』の真っ最中で、編集者が「これは前世の本にしましょう」と提案してきました。私はその提案に不満でした。前世などに興味はないからです。
 出版の世界は、よほどの大作家でない限り、編集者の方が立場が上です。基本的に著者は編集者の指示に従わなければなりません。もちろん、どうしても著者がゆずれない場合は互いに相談したり、それが決裂したら最悪、出版されない、ということになるのですが、私はもちろん大作家ではないし、正直、出版してお金を稼ぎたいという欲もあったので、編集者の提案をしぶしぶ受け入れるしかありませんでした。
 確かに、「転生」に関する説明のところで、前世について少し書いてはいたのですが、「あなたの前世はこんな感じですよ」といったことを占う本ではなかったのです。しかし、結局、そのような本に書き直さざるを得なくなり、題名も出版社が『神秘の前世占い』と勝手に決めてしまいました。文体も書き直されたりして、これは私のひとりよがりかもしれませんが、最初の原稿がもっていた、格調高い内容が、陳腐で軽薄な内容になってしまいました。なので、この本は私にとっては非常に不本意で、残念な作品なのです。何回か増刷して、ある程度売れたことは売れたのですが、編集者が期待していたほどではありませんでした。

 その後も本を出版してきましたが、『神秘の前世占い』ほどではないにしても、編集者の指示に対して、「これくらいはまあ、いいか」といった感じで、妥協できるところは妥協してきました。
 しかし、しだいにこのように妥協するのが、イヤになってきました。もちろん、編集者と相談して、その結果「確かに編集者の提案の方がいい」と思えば喜んで書き直しをしますが、すぐれた編集者ばかりとは限りません。あきらかに悪い内容に書き直させられてしまうこともあります。とにかく世の中の流れを見て、内容をすばらしくするよりも「いかにしたら売れるか」ということしか頭にない編集者が大半です。

 もちろん、編集者の立場もわかります。編集者は売れる本をどれだけ企画して出したかによって社内の評価が決まります。「どれほどすばらしい本を出したか」ではなく「どれほど売れる本を出したか」で、給料やボーナスの額、出世するかしないかが決まってしまうのです。だから、編集者を責めるつもりはありません。
 ただ、こんなことをしていたら、確実に日本人の知的レベル、日本の文化レベルは劣化してしまうでしょう。

 昨今の、いわゆる「売れる本」、とりわけスピリチュアル系の「売れる本」というのは、何か楽をして運がよくなるとか、あるいは不思議な能力や現象を扱ったようなものばかりです。
 そうした本は、私が書きたい本とはおよそ正反対のものです。つまり、私は今の時代には合わない、求められていない著者だということを悟りました。しかも、売るために内容を書き直すなどということは、もう嫌悪感を覚えるほどイヤになりました。

 このような私の姿勢は、私が運営している哲学&瞑想教室「イデア ライフ アカデミー」でも同じです。もともと屋根裏部屋の小さな部屋を使った教室なので、14人しか入れない少人数の塾のようなものですから、最初からお金を儲けようなどと思ってもいないし、だからこそ、人を集めるために、世の中で人気があるようなことを教えるといった、不本意なことをせずにすんでいるのですが、もし「苦労せず誰でもラクに簡単に幸運が引き寄せられる、幸せになれる!」などと宣伝すれば、そこそこ人は集まるでしょうし、受講費を高額にすれば、金儲けもできるかもしれません。
 しかし、私はもう、心にもない妥協をするのに疲れてしまいました。だから、自分が真実と信じることしか話したり書いたりしないことにしました。そうした姿勢は、この世的には、自らの首を絞めるようなものなのですが、性格的にできないのですから仕方ありません。

 こうした理由から、「イデア ライフ アカデミーで学べば不運や苦しみが訪れる」と言ったのです。そんなことを言わなければ参加者も増えてくるかと思いますが、「苦労もせずに幸せになれる」などということはありません。そんなことがあるなら、とっくに釈迦もキリストも、その他多くの聖人も発見していたでしょうし、あんなに苦労なんかしていなかったはずです。

 誰もが、いつかは受け入れなければならない苦しみというものを抱えているのです。それを抱え続けていると、苦しみがもっと重くなってしまう傾向があるのです。だから、受けなければならない不運や苦しみなら、早く経験した方が、ずっと軽くてすむのです。しかもその経験によって品性(霊性)を高めることができます。「イデア ライフ アカデミーで学ぶと不運や苦しみが訪れる」と言ったのは、そういう意味なのです。イデア ライフ アカデミーでは、魂の浄化作用を促進させることをめざしているからです。

 それでも、たいていの人は怖れて来なくなるだろう、ということは覚悟しています。
 「苦労なく幸せになれる」などと、魔法のようなものを求めて、セミナーなどをあちこちまわり、その種の本を買いあさっても、結局、たいそうな金額を巻き上げられて終わりです。そのうえ、本来なら早く経験すれば軽くてすんだ苦しみを、みすみす重くしてしまうのです。霊性向上にも役立ちません。
 いずれにしろ、たとえイデア ライフ アカデミーに人が来なくなったとしても、私は誰もいない教室で、正直なことを述べる授業をしていくでしょう。
 なぜなら、『神秘の前世占い』のときのような後悔は二度としたくないからです。

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食べなくても生きていられると主張する人々


 昨日、インターネットのニュースサイトを見ていたら、90歳で亡くなったインドのヨガ行者のことが紹介されていました。何と80年もの間、何も飲まず食べないで生きてきたというのです。
 何も食べなくても生きられると主張する人は、他にもたくさんいるようです。日本にもけっこういます。私もそう主張する人と会ったことがあり、一緒にディナーのフルコースを食べました。彼が言うには「自分は食べなくても生きられるのだが、それでは人との付き合いができないから、人と付き合うときとか、子供の誕生日といった祝い事などがあるときは、こうして食べるんです」ということでした。ちなみにそのフルコースは、私には量が多すぎて、最後のデザートは残してしまったのですが、彼は「もったいない」といって、私の分まで食べてしまいました。
 それを見て、実は彼はけっこう食べているなと思いました。というのも、長期に渡ってもし何も食べていなければ、胃腸機能は低下して、大量に食べることはできないはずだし、もし無理に食べたら、最悪、死んでしまうこともあるからです。とうてい、あれだけの量のフルコース料理をケロリと食べられるとは思えません。それとも、こういう人は、胃腸さえも、人間離れした機能を持っているのでしょうか?

 いわゆる「不食の人」として有名で、いわば「不食」の教祖的な存在として知られている人に、ジャスムヒーンという女性がいます。
 この女性が、本当に食べなくても生きていられるかどうか、実験したことがありました。部屋に隔離して、食べたり飲んだりしていないかどうか、24時間監視をしたのです。もちろん、すべての条件は彼女が納得した上で行われました。その結果、日がたつごとに体重が減り、ついには生理的に危機的な状態になったためにドクターストップがかかり、実験は終了してしまいました。つまり、食べないで生きられるというのは、嘘だったのです。もし食べないで生きられるのであれば、体重は減ったりしないし、生理状態は一定のままであるはずです。
 とはいえ、彼女が意図的に嘘をついていたのではないでしょう。なぜなら、もし自分は食べないで生きることはできないことがわかっていたら、その事実があきらかにされてしまう実験には参加したりしないはずだからです。つまり、彼女は本当に、自分は食べないでも生きられると信じていたのだと思います。
 これは要するに、そういう妄想をいだいていた、ということになります。

 精神医学の分野で、パラノイア(偏執病)と呼ばれる、ある種の妄想症状を伴う精神病があります。
 妄想というと、頭に浮かぶのは統合失調症ですが、統合失調症の場合は、程度にもよりますが、その妄想はあまりにも支離滅裂であり、人格の中枢がかなり破綻していますから、誰もがすぐに「おかしい」とわかります(しかし本人は自分がおかしいとは思っていない場合が多い)。そして、まともに職業に従事したり、重症の場合は普通の社会生活さえもできません。
 ところが、パラノイアの場合、一見したところ、おかしいとは感じられないのです。常識があり、論理的に考え、知性も問題ありません。問題ないどころか、医者や弁護士や大学教授といった、高度な専門性が要求される職業についていることもあります。社会生活もちゃんと営んでいます。
 ところが、ある分野に関してのみ、おかしな妄想をいだき、それを信じて疑わないのです。これがパラノイアという病気の特徴です。
 たとえば、心理学のテキストでよく紹介されているのが、「自分は天皇家の子孫だ」といったものです。あるいは「宇宙創世の謎を解明した」などと、膨大な量の論文を書いたりします。その論文を読むと、とりあえず文体はしっかりしており、一見すると論理的に書かれてあるように見えるのですが、読み進めていくとしだいに突拍子もないほど論理が飛躍していき、結局は妄想の領域へとつながっているのががわかります。それでも一見する限りでは、高度な専門知識を土台にしたすごい論文のように感じられたりするので、だまされてしまう人もいるのではないかと思います。
 実際に私がカウンセリングをした、ある若い女性のケースですが、彼女は憧れていた歌手のコンサートに行ったのですが、その歌手が舞台の上から自分のことを見て、眼が合い、その瞬間に自分に好意を寄せているのだとわかったというのです。「こんなことを言うと頭がおかしいと思われるでしょうね。でも、本当なんです。私にははっきりとわかるんです」と彼女は言いました。その他の点では、常識的で礼儀正しい、ごく普通の人だったのですが、この妄想に関してだけは、断固として信じて疑わないのです。私はそれは妄想だと説明しましたが、がんとしてききません。そこで私は「ならば、楽屋に行って、その歌手に私のこと好きですかと尋ねてみたらどうですか? そうすればはっきりしますよ」と言いました。しかし彼女はそれはできないと言いました。なぜできないのでしょうか? それは、「私はあの歌手から愛されている」という願望が否定されてしまうのが怖いからです。言いかえれば、無意識的に自分の妄想が破られるのを拒絶しようとしたのです。

 私は、こうしたパラノイアの、格好の温床になっているのが、スピリチュアルであると思っています。なぜなら、スピリチュアルの世界は実証が難しく、いくらでもごまかしというか、妄想が入ん込んでもその妄想が明らかに否定されるという可能性が少ないからです。たとえば、「自分はブッダの生まれ変わりだ」と言っても、誰もそれを証明できません。言いかえれば、否定もできないわけです。
 むしろ、パラノイアの人は心の底から妄想を真実だと信じ込んでいるために、奇妙な自信に満ちていたりします。その自信に圧倒されて、妄想を真実だと信じ込んでしまう人が、世の中には一定数、存在するのです。そうして、パラノイアという精神病の人がカルト教祖になって、それなりの人気を集めているようなところが、私には少なくないように思われます。

 人がパラノイアを病んでしまう原因は、いろいろ考えられるでしょうが、その根底には、自己承認欲求、つまり「認められたい」という欲求があるように思われます。「自分はブッダの生まれ変わりだ」とか「自分は覚者である」などと言えば、中にはそれを信じて、その人を認め、崇拝する人たちがいるわけです。
 そして同じように、「自分は食べなくても生きられる」と言えば、人々から注目され、何か偉大な人のように認められたりするでしょう。そのような、「認められたい」という強い欲求が根底にあり、その強い欲求が理性を麻痺させて妄想に陥らせているのではないかと思うわけです。
 ですから、スピリチュアルの道を歩むときには、よほど注意しないと、簡単に妄想に陥ってしまいます。いちど妄想に陥ると、そこから抜け出すのは容易ではありません。スピリチュアルの道を歩むときは、常に地に足を着けて、現実をありのままに見つめる必要があります。

 では、冒頭で紹介した、80年間、飲まず食べずに生きていたヨガ行者も、パラノイアだったのでしょうか?
 記事によると、二週間、隔離して監視したそうです。その間、うがいをしたり入浴はしたそうなのですが、このときひそかに水を飲んでいた可能性は否定できません。ヨガを続けると、基礎代謝量が非常に低く抑えられるために、きわめて少ない量の食事で生きることは可能になります。ですから、二週間くらい食べなくても、それほど変化はないでしょう。しかし、何年もの間、まったく水も食べ物もとらずに生きられるというのは、私にはかなり疑問です。
 ただ、世の中には科学では解明できない謎があることも確かですから、もしかしたら、そういう仙人のような人も存在するのかもしれませんが、存在したとしてもきわめて稀だと思います。なので、ちまたによくいるような「自分は何も食べないで生きていられる」と主張する人は、ほとんどすべてパラノイアか、その傾向がある人ではないかと思います。そもそもジャスムヒーンという不食の教祖が、あのように正体を暴露されたのですから、彼女を信奉して不食になったという人はほとんどは妄想にすぎないのではないでしょうか。「自分は食べなくても生きていける」と、勝手に思い込んでいるだけなのです。
 もしそうではないというのなら、科学者のもと、厳密な実験をしていただきたいと思います。本当に不食で生きられるとするなら、これは医学、いえ、科学の理論を根底から覆す大発見になります。新たな科学の可能性が開かれるでしょう。そのような偉大な可能性をもっていることになりますから、ぜひ実験をしていただきたいと思っています。ただ、そのような実験をしてくれる科学者がいるかどうかが問題ですが。

 そもそも、何も食べないことに、どれほどの意義があるというのでしょうか? 確かに食費は浮くでしょうし、食べるという束縛から解放されるということもあるでしょうが、霊的な道というものは、そんなことよりも、もっと大切なことがあります。ある人が不食だからといって、社会や他の人には何の恩恵もありません。そんなことに関心を持つよりも、たとえば、人のために役立つようなことにエネルギーを向けた方が、ずっと意義があるのではないでしょうか? それが本当のスピリチュアルではないかと思うわけです。
 そのためには、「認められたい」というエゴをなくすことです。「認められたい」という下心があって人のために尽くしても、それは不純であり、スピリチュアルでも何でもありません。
 宗教やスピリチュアルをめざしている皆さん、パラノイアという精神病について、よく知っておいてください。そうすれば、あやしい人物や情報にだまされることも、少なくなるはずです。私の感じるところでは、スピリチュアルの世界はパラノイアだらけです。

 私が主催するイデア ライフ アカデミーは、パラノイアが入り込まないように、細心の注意を払っています。あくまでも地に足の着いた霊的探求をめざしています。パラノイアの傾向がある人が来ると、暗にそれが妄想であるといったことを説明するのですが、そうすると、その人はもう二度と参加しません。
 そうした光景を見るたびに、多くの人は、程度の差はあれ、自分(エゴ)が気持ちよくなる妄想をいだき、それを破壊する人や情報から避けようとするのだなと感じます。妄想を打破するには、痛みを伴います。その意味で真のスピリチュアルの道というのは、痛みを伴う険しい道なのです。しかし、人は痛みを避けようとします。そのため、いつまでたっても自己変革というものは為されず、結局は、甘美な妄想に浸って人生を夢心地のうちに終えてしまうのではないでしょうか。
盲信からの解脱 | コメント:4 | トラックバック:0 |

明日を思い煩うことなかれ


 まずはご報告とお知らせから。
 今月のイデア ライフ アカデミーは、哲学教室「原始仏教2 真の仏教とは」の授業を行う予定でしたが、新型コロナウイルスの外出自粛要請のため、今月も休講となりました。そのかわり、私ひとりで動画配信用として講義を収録しました。釈迦が本当に説いた教えとはどのようなものであったのか、興味のある方はダイジェスト版をご覧下さい。
動画視聴

釈迦は、この地上人生は本質的に苦しみであり、そこからの脱出を説きました。つまり、二度と地上に生まれ変わらないことを説いたのです。これが釈迦のいう「救済」です。地上世界を住み心地のよいものにして、地上世界を幸せなものにするという考えは、少なくとも直接の目的ではありませんでした。
 しかし、地上を脱出するには、精神性を高め、高潔な人間となることが求められました。そうした高潔な人が増えることによって、結果的に、この地上世界はよりよいものに変わっていくはずです。現在のように危機的な状況にあるなかでは、高潔な人々、とりわけ、高潔な政治家が求められているように思えてなりません。その意味でも釈迦の教えは、現代において非常に重要な意義をもっていると考えています。
 なお、イデア ライフ アカデミーの授業は、新型コロナウイルスの状態がよほどひどいものにならない限り、感染防止を徹底したうえで、来月からは予定通り授業を行っていくつもりです。今のような状況こそ、私たちの精神性を磨き、高め、深めるべきときではないかと思うのです。
 参加ご希望の方は「斉藤啓一のホームページ」まで

 さて、本題にうつります。
 コロナ禍が終わったら、世の中は変わると、たくさんの人が言っています。たとえば、密を避けた人との接し方が日常あたりまえになるとか、テレワークなども増えていくといった感じです。国際政治の状況も大きく変わるとも言われています。アメリカと中国、ロシア、アジアなどといった国々の力関係も変わってくる可能性が指摘されています。中国は共産党の世界覇権がますます強大になるとか、あるいは逆に縮小して民主化が促進されるとか、さまざまな意見があります。私個人的には中国共産党の野望は挫かれていくのではないかと考えていますが、どうなるかはわかりません。
 確実に言えるのは、失業者が増えることで、まだしばらくはコロナの影響が続くでしょうから、失業者の増加が大きな問題になることは間違いないでしょう。失業率が1%増えると自殺者が二千人増えるらしいので、ある意味では、コロナよりも深刻になるかもしれません。オリンピックも、私個人的には、開催は無理だと思っていますので、その面でも経済的なダメージはさらに深刻になるのではないかと危惧しています。
 他にも、第三次世界大戦が起こるとか、大地震が起こるという人もいます。戦争はともかく、地震についてはかなり現実味がありますので、こちらも心配です。
 このように、心配の種は尽きることがありません。これから世界はよくない方向に進んでいくといった情報ばかりが蔓延していますので、心配してしまうのも無理はないと思います。
 
 しかし、考えたら心配だらけなのが、そもそも人生なのではないでしょうか。
 たとえコロナ禍がなかったとしても、人生、いつ何があるかわかりません。会社がとつぜん倒産することだってありますし、解雇されることだってあります。いつ悪い病気にかかってしまうかもわかりません。皆さんよく知る歌手の人が声帯に癌ができて歌えなくなるといったことも現実には起きているわけです。家が火事になって、幼い子供を含む一家全員が死んでしまったというニュースが流れていました。交通事故にあって半身不随になってしまった人もたくさんいます。こういうことは稀ではあるでしょうが、絶対に起きないという保証はありません。独身の人には孤独死が待ち受けている可能性が高いです。結婚していても子供がいなくて配偶者が先に死んでしまえば孤独死の可能性大です。老人になればからだの自由がきかなくなってきます。ついには寝たきりとなって下(しも)の世話をしてもらいながら死を待つことになるか、あるいはそれ以前に何らかの病気で死にます。これは百%確実に起こることです。
 他にも、人生で生じる不幸災難を数え上げたらきりがありません。

 つまり、何が言いたいのかというと、コロナ禍が生じようと生じまいと、人生というものは、いつ不幸災難に遭遇するかわからないという点で、それを考えたらどこまでも心配や不安に悩まされなければならない、ということです。
 悩んで、何かいいことがあるでしょうか? 悩めば不幸災難から免れることができるでしょうか? そういうことはありません。
 もちろん、備えをしておくことはできます。たとえば地震に備えて水や食料などを備蓄しておくとか、保険に入っておくとか、不幸災難が起きても被害を最小限にとどめることは、ある程度は可能です。しかし、不幸災難から完全に免れることは不可能です。むしろ、悩めばそれだけストレスとなって病気にかかりやすくなったり、能力がうまく発揮できなくなって状況が悪くなる可能性が高くなります。

 繰り返しますが、想像力を働かせて、あらかじめどのような不幸災難に見舞われる可能性があるかを推測し、それが起きても最小限の被害で留められるように、前もってできるだけの準備をしておくことは大切です。
 しかし、そうしたらあとは、「なるようにしかならない」と、覚悟を決めて、心の中からいっさいの心配や不安を捨て去って生きていくしかないのです。それが人生というものなのです。
 アフターコロナの時代、これから非常な苦難が訪れるかもしれません。あるいは「心配していたほどではなかった」となるかもしれません。あるいは、案外、「以前よりも世の中がよくなった」という可能性だってないとはいえません(私個人的には、長期的にはそうなると思っています)。
 いずれにしろ、将来のことはどうなるかわからないので、心配や不安などを抱いて、今という大切なときを台無しにしてしまうのは、愚かなことです。最悪の事態に備えての準備は大切ですが、あとはイエス・キリストの「明日を思い煩うことなかれ」という教訓を胸に刻んでいきたいと思うわけです。

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コロナ危機を乗り越えるために

 今月のイデア ライフ アカデミーの授業は、コロナウイルス拡散防止の自粛要請のため、臨時休講になりました。
 そこで、動画配信用に、「コロナ危機を乗り越えるために」というテーマで、特別講義を収録し、公開いたしました(完全版ですが無料でご視聴できます)。
 コロナ危機を乗り越えるためのヒントを見つけるために、私は過去の感染症で人類を悩ませた「結核」に注目してみました。そして、死亡者数の統計データをもとにグラフを作成しました。その結果、死亡者数が激減しているときが二カ所あることに気づきました。いったいそのとき、何があったのか、それを知れば、コロナ危機を終息させるヒントがあるのではないかと推測しました。意外なことに、それはワクチンや薬ではありません。別のものが、結核の死亡者数を激減させたのです。いったいそれは何だったのでしょうか? 多くの人がそれを知れば、コロナウイルスも撃退できるのではないかと期待しています。
 ぜひ、動画をご覧ください。ひとりでも多くの人がこの動画を観て、「偉大な力」の存在に気づいていただければと願っています。
→動画視聴

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覚悟力を鍛える

 まずはご報告とお知らせから。
 今月、3月21日/22日にイデア ライフ アカデミーの瞑想教室が開催されました。テーマは「人格障害と瞑想」です。私たちは、誰もが多少は、人格障害の傾向を持っています。ただ程度によって「精神疾患」に分類されるか、健常レベルで許容されるかの違いだけです。人格障害というのは、つまりはエゴのことです。したがって、エゴという汚れを落とすために、人格障害について理解することが大切になってきます。授業では、人格障害について説明する前に、「何のために瞑想するのか」というテーマで話をしています。瞑想には2つの目的があります。ひとつは「地上的な欲望を満たすための瞑想」であり、もうひとつは「地上世界を脱出するための瞑想」です。世に出回っている瞑想の多くは前者のようですが、イデア ライフ アカデミーでは後者の瞑想を目的にしています。というのも、私たちが地上に生まれてきた目的は、人格を高めて地上を卒業するためだと考えられるからです。ぜひダイジェスト版動画をご覧ください。
 動画視聴
 次回は哲学教室(4月18日/20日)で、「原始仏教2 真の仏教とは」です。釈迦の教えの核心である八正道について解説します。
 参加ご希望の方は「斉藤啓一のホームページ」まで
 なお、ホームページ内のイデア ライフ アカデミーの紹介ページを充実させました。イデア ライフ アカデミーは何をめざしているのか、明確にしています。こちらもぜひご覧いただければ幸いです。

 それでは本題に入ります。
 世界は、新型コロナウイルス一色になりました。つい、2、3ヶ月前までは、私たちは比較的平穏に暮らしていました。その頃から見れば、世界があれよあれよという間にこんな状態になってしまうとは、誰が想像したでしょうか。とりわけイタリアなどは、悪夢ともいうべきものです。こうしたことは、おそらく百年に一度あるかないかくらいの人類の試練かと思われますが、いずれにしろ、この地上世界は「一寸先は闇」だということを、あらためて実感させられました。
 イタリアは悪夢と申し上げましたが、新型コロナウイルスとの闘いは始まったばかりです。日本もイタリアのように医療崩壊が起きて大量の死者が出てくる可能性は少なくありません。しかし、日本の国民の多くは、まだまだ危機感が少ないように思われます。人間というものは、あまりにも非日常的な出来事が現実に起こり得るということに関して、現実感が湧かないのです。あるいは、そういう可能性から目を背けたいために、あえて否定的な態度をとったりします。「自分だけは大丈夫だ」という、根拠のない自信を懐く人もいます。

 最初、アジアで新型コロナウイルスが蔓延した時、欧米諸国は「対岸の火事」のように思っていたふしがあります。しかし、あっという間に、自分たちが炎に巻き込まれてしまいました。現在、同じように、イタリアで生じている悲惨な状況に対して、私たち日本人は、なんとなく「対岸の火事」のように思っているのではないでしょうか。しかし、イタリアで生じている状況は、明日の日本であると思っておいた方がいいと思います。「明日は我が身」、このような姿勢で臨まないと、大変なことになると思います。さらに、イタリアの悲惨さが、今度はアメリカに飛び火する可能性があります。そうなると、大量の死者の上に、強奪や犯罪や暴動が起き、イタリア以上の阿鼻叫喚の地獄となるかもしれません。
 さらに、新型コロナウイルスのやっかいなところは、経済的な打撃が深刻だということです。不景気になると自殺者の数が増えますが、これから待っている経済的な打撃は、「不景気」どころではないでしょう。それこそ大量の自殺者が生じる可能性があります。
 世界が新型コロナウイルス、および、それがもたらした経済的な打撃から立ち直るには、相当の時間がかかるでしょう。したがって、これから、何が起こってもおかしくないという覚悟をしておいた方がいいと思います。今日のような危機的な状況において大切なことは、「どんなことが起こっても受け入れる」という覚悟です。
  
 覚悟を決めた人間は、強くなります。取り乱したりパニックになったり、右往左往してしまうのは、覚悟をしていないからです。最悪の事態を覚悟してしまえばいいのです。たとえば、死ぬ覚悟ができれば、死を前にしても冷静でいられます。冷静でいられれば、最善の行動がとりやすくなります。結果的に、今回の災厄から脱出する道筋が早く開かれていくでしょう。
 もちろん、そのような覚悟は、急にできるものではないでしょう。したがって、今のうちから、少しずつ覚悟を決めておくようにすることです。いたずらに不安を煽るつもりはありませんが、新型コロナウイルスには未知なるものが多く、また、こういうタイプの経済的な打撃を人類は経験していません。つまり、今後、どうなるのか、誰にもわからないのです。わからない敵を相手にするときは、最悪の事態を想定して闘うのが原則です。
 今回の災厄をきっかけとして、「最悪の事態を覚悟する」ことができるようになる、いわば「覚悟力」を、鍛えることができるようになれば、強い人間になれます。たとえ今回の災厄が去ったとしても、人生にはさまざまな障害や困難がつきものです。そのとき、今回の災厄で鍛えた覚悟力が、おおいに役立つときがくるでしょう。

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