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心の治癒と魂の覚醒

        

霊的な道の途上に待ち受ける罠について

 私はこれまで、古今東西の宗教や思想・哲学などを幅広くかじってきましたが、こうした霊的探求の道の途上には、さまざまな「罠」が待ち受けているということを痛感しています。多くの人がその罠にはまってしまい、真実を探求するつもりが幻想に埋没してしまい、たとえば悟りをめざしている人は、「悟った夢」に埋没してしまうのです。こうなると、進歩はそこでとぎれてしまいます。
 余談になりますが、学生時代、私はめったに遅刻したことがないのですが、あるとき遅刻したことがありました。一度目覚まし時計で起き、「あと5分だけ寝よう」と思って眠ったら夢を見たのです。どんな夢かというと、「起きて学校へ行くために身支度をしている」という夢でした。つまり、自分はもう眠っていない、起きているのだと思い込んでいるわけですから、起きなければならないという気持ちは消え去り、そのままずっと眠り続け、遅刻してしまったのです。
 同じように、夢に埋没して、その夢が「現実」であると思い込んでいる限り、その夢から覚めるのは非常に難しくなってくるのです。

 さて、霊的探求の道の途上に待ち受けている罠ですが、典型的なものは、霊的指導者を神格化し、崇拝の対象にして盲信することです。人間である限り、間違いは必ずおかしますし、欠点もあります。しかし、「間違いは絶対にない、欠点は何もない」と信じ込んで、自主性を失い、奴隷のように服従してしまうのです。真の指導者であれば、弟子をそのような奴隷状態にはさせないはずです。

 確かに、人はエゴを暴走させやすいので、そのエゴを矯正するために、指導者の教えに従うことは大切ですが、それが盲目的に行われると、「自分の意志と思考で自らの道を選択し歩んでいく」という大切な資質が育たない、そればかりか、萎縮してしまう危険性があるのです。

 そこで大切なことは、どんな教えを受けても、まずはそれを慎重に吟味して理解するということが必要になってきます。エゴの主張ではなく、自分自身の魂の基盤から、慎重に考えてみる必要があるのです。その結果、自分自身の魂の方向性に反していると思ったら、その教えを拒否する勇気が必要です。

 とはいえ、エゴの主張と魂の意志とを、どう区別したらいいのでしょうか? 魂の意志であると自分では思っていても、実はエゴの主張である、といったことも、ないとはいえません。
 そこで、その違いを判断する基準となるのは、まず、しっかりした論理的な理由があるかどうかです。エゴは、さまざまな屁理屈や言い訳を見つけてくるのが上手です。しかし、それらはしっかりした論理的なものではありません。いい加減な根拠や論理的思考によって構築されています。まずは、そこをしっかりと自覚する必要があります。
 それでも、しっかりとした論理的な理由があると思えたなら、それはエゴではなく、魂から出た判断である可能性が高いと言えるでしょう。

 次に、利己的な欲望が関与していないかどうか、ということです。「指導者にさからったら、破門されるのではないか、弟子達の間で不利な立場におかれるのではないか」といった、ある種の損得勘定があるかどうかです。不安や恐怖心と言ってもいいかもしれません。そのような気持ちがあれば、エゴの主張である可能性が高いのです。魂から出た判断には、そういう利己的欲望も不安も恐怖もなく、澄んだ清流のようなすがすがしい気持ちが伴います。
 以上のような基準を自覚しながら、指導者の教えを受けるべきです。そして、魂から出た判断によって、その教えに従うべきではない、と思ったならば、従うべきではありません。

 指導者となる人たちは、最初は純粋な動機で弟子を集めたり組織を運営したりしていたかもしれませんが、「認められたい」という称賛欲と、「人を支配したい」という支配欲は、人間の心に深く根を張っているエゴの欲望で、完全にそれを無くすことは難しいのです。そのため、自分に従う弟子が集まってくると、その根からしだいに芽が出て、自分でも気づかないうちに称賛欲と支配欲にとらわれ、「私の言うことに間違いはない、私は偉大なる指導者なのだ。私の言うことに従わないと道は成就できないぞ」といったように、ある種の脅しをかけて、弟子たちからの称賛と服従を要求するようになったりします。
 こういった指導者は、霊的探求の道に待ち受けている罠にはまってしまったのです。
 残念ながら、こうしたケースは少なくないように思います。とくにカルトなどはその傾向が強い傾向があるようです。
 
 今回のテーマについて、深く考えさせられる人物がいます。ロシアの神秘家グルジエフです。彼は非常に不可解な人物でしたが、その教えは、霊的な道を探求する人であれば、(それを受け入れるかどうかはともかく)必ず知っておくべきものです。
 次回(6月1日、2日)のイデア ライフ アカデミーでは、このグルジエフについて取り上げます。興味のある方は、ぜひご参加ください。
 参加希望の方はホームページをご覧下さい。↓
http://www.interq.or.jp/sun/rev-1/
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盲信からの解脱 | コメント:0 | トラックバック:0 |

自分を浄めること

 まずは例によってご報告とお知らせから。
 先日4月20日と21日のイデア ライフ アカデミー瞑想教室は「インナーチャイルドを癒す」というテーマで行いました。
 誰もが、程度の差はあれ、親からネガティブな影響を受けているもので、それがインナーチャイルド(内なる子供)を生みだし、人生に暗い影を落としていることが少なからずあります。それは霊的覚醒の道を歩むうえでの大きな障害にもなります。そこで授業では、インナーチャイルドが形成された仕組み、およびインナーチャイルドを癒す仕組みを解説し、セルフケアとして私が制作した「インナーチャイルド・ヒーリングCD」を参加者にさしあげました。重度のインナーチャイルドは専門のセラピストにかかる必要がありますが、軽度から中度くらいであれば、根気よくこのCDを聴き、そこに指示された通りのイメージ作業を行っていくことで、しだいにインナーチャイルドが癒されていくのではないかと期待しています。詳しい内容についてはダイジェスト版で解説していますので、ぜひご覧になってください。
https://www.youtube.com/watch?v=t5lvOhMh_20&feature=youtu.be
 さて、5月のイデア ライフ アカデミーは特別授業ということで、5月18日(土)だけとなります。私の他に3人の講師が、さまざまな分野からの興味深い授業を行います。お時間のある方はぜひ参加なさってみてください。
 詳細↓
http://www.interq.or.jp/sun/rev-1/

では、本文にうつります。
 世の中には多くの宗教やスピリチュアルの教えがあり、多くの人々が熱心に教えを学んでいます。
 しかし、私はいつも思うのです。
 「これほど熱心に教えを学んでいるのに、なぜ人はなかなか変わらないのだろうか?」と。
 長い間、教えを説いてまわったインドの思想家クリシュナムルティは、晩年、側近の人に「私の教えを聴いて覚醒した人は誰もいない」と語ったことを、私はその側近の人から直接ききました。
 もちろん、なかには自分を変え人生を変えた人もいるでしょう。しかし、大部分は変わっていないのです。せいぜい「自分は変わった」と自己満足的な錯覚をしているだけで、はたから見れば、まるで変わっていないのです。
 実際、釈迦やイエス、その他、数えきれないほどの聖人がこれまで誕生してきましたが、人類はどれほど変わったでしょうか。
 多少はよい方向に変わった気もいたしますが、まだまだ人類は悲惨な状態にあります。あまりにも進歩が遅すぎます。
 いったいなぜ、人間はこうも変わることができないのでしょうか?

 その理由はいろいろあげられるでしょうが、私がもっとも大きな理由として考えていることがあります。
 それは、本気になって「自分自身を浄めようとしない」ことです。
 釈迦は次のように言っています(法句経183)。
 「すべて悪しきことをなさず、善いことを行い、自己の心を浄めること、------これが諸々の仏の教えである」
 「諸々の仏」とは、釈迦を含めた過去の仏陀(覚者)の教えであるということですから、釈迦のこの言葉は、いわば「仏教の定義」であるとも言えるわけです。
 ここで重要なことは、「自己の心を浄めること」です。これが非常に重要なのです。というのも、釈迦はこうも語っているからです(法句経271)
 「わたくし(釈迦)は、出離(出家)の楽しみを得た。それは凡夫の味わい得ないものである。それは、戒律や誓いだけによっても、また博学によっても、また瞑想を体現しても、またひとり離れて臥(が)することによっても、得られないものである。修行僧よ、汚れが消え失せない限りは、油断するな」
 すなわち、悟り(解脱)をするには、戒律や誓い、博学、瞑想、孤独の行だけではダメで、心の汚れを消して自分を浄めない限り無理である、と言っているのです。
 ところが、世の宗教と呼ばれるものは、戒律や誓いを重視し、学んで博学になることをめざし、瞑想のテクニックばかり追い求めています。いくらそういうことをしても、自分を浄めることをしないと、救いは得られないということになります。
 むしろ、戒律や誓い、博学、瞑想、孤独の行といったものは、すべて自分を浄めるためにあるのだと言ってもいいのではないかと思います。

 繰り返しますが、仏教の目的は「自分を浄めること」なのです。これは、およそ他のいかなる宗教の目的でもあると思います。
 自分を浄めるとは、人の不幸を願うような悪意、憎悪、嫉妬、妬み、怒り、貪欲、虚栄、自慢、吝嗇、欲張り、利己主義、肉欲への耽溺、軽薄さ、下劣、あさましさ……といった、いわゆる「心の汚れ」と呼ばれるようなものを、消し去ることです。ひらたくいえば、心の掃除をすることです。

 ところが、この心の掃除が、難しいのです。自分のからだや自分の部屋が少しでも汚れていると、すぐに掃除をしてきれいにする人でも、自分の心にゴミがたまり汚れていても、無頓着なことが多いのです。それはまず、心の汚れは物質的な汚れのように目に見えるものではないため、自分の心が汚れていることに気づきにくい、という点があげられます。
 次に、心の汚れというものは、非常に頑固です。なかなか落ちません。忍耐とがんばりが必要になります。
 しかも、そこまで苦労してきれいにしても、何か報酬が与えられるわけでもありません。お金が入るわけでもないし、幸運がやってきたり、成功するということもありません(もちろん、心がきれいになれば、そうしたよいことも訪れやすくなるでしょう。ただ絶対にそうとはいいきれません)。ですから、自分を浄めることに対する情熱というか、モチベーションが不足しがちなのです。

 このような理由から、私たちは本気になって自分を浄めようとはしません。
 ですから、私たちは、いくら宗教的な戒律や儀式を行っても、苦行を行っても、瞑想を行っても、なかなか変わることができないのです。
 とにかく、自分を浄めること、このことに、全身全霊をもって情熱を燃やし、倦まずたゆまず忍耐強く取り組んでいく、言ってみれば、これが仏教の奥義であり、あらゆる宗教の奥義なのです。
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令和という時代

 まず例によって報告とお知らせから。
 先日、イデア ライフ アカデミー哲学教室第6回(4/6、4/7)が開催されました。テーマは「ピタゴラスに学ぶ魂の覚醒法」。ピタゴラスというと、「ピタゴラスの定理」の発見者として有名ですが、他にも「哲学者」という言葉の発案者であり、「コスモス(宇宙)」という言葉の発案者、また音階を発見し、音楽療法の創始者でもあり、さらには数秘術の創始者でもあったのですが、その正体は、人々を解脱(魂の覚醒)に導いた、カルト教団の教祖だったのです。ピタゴラス教団では、数理学・幾何学・音楽・天文学をカリキュラムにして、解脱をめざしていました。そんなピタゴラスの教えをまとめてみましたので、ぜひご覧になってください。
https://www.youtube.com/watch?v=0CUs_5ZoPAs&feature=youtu.be
 なお、次回は瞑想教室(4/20、4/21)ですが、「インナーチャイルドを癒す」というテーマで行います。親との間でトラウマを抱え悩んでいる人は、参考になると思いますので、ぜひ参加なさってみてください。
参加お申し込み↓
http://www.interq.or.jp/sun/rev-1/

 さて、本題に入りますが、今回は、令和という時代について、私の思いを書いてみたいと思います。新元号が「令和」に決まり、世間は浮かれたムードになっているような雰囲気がします。しかし、日本はますます厳しい時代になっていくことは必至です。その理由は二つです。
①少子高齢化
②精神性の劣化
あえて今さら私が述べることでもないのですが、①の少子高齢化により、内需が縮小していきます。つまり、働く人も、ものを買う人もいなくなり、経済活動が衰退します。それだけでも大打撃なのですが、高齢者を支えるための社会福祉費や医療費が増大し、さらに経済を圧迫します。実際、すでに人手不足による企業の倒産件数が過去最高になりました。外国人を連れてきても限界がありますし、そのための体制も不備だらけで、第一、経済が衰えている国に外国人は来なくなるでしょう。このままでは、大部分の人は貧しく、医療も福祉も満足に受けられないほど悲惨な状態になり、後進国になってしまう可能性があります。仮に今から子供を増やす政策を実施できたとしても(それはまず無理でしょうが)、その効果が出るには最低でも20年はかかるでしょう。
日本がこのような状態になることは、ずっと前から統計的にわかっていたことです。しかし、政治家も官僚も、目の先のことしか考えず、その対策を怠ってきました。国民もそのような危機感に目を向けてきませんでした。

そうなってしまったのは、②の「精神性の劣化」が大きな原因であると思います。
個人差はもちろんありますが、国民全体を見渡すと、まず自分のことしか考えない人が増えてきたような気がします。自分の保身が第一で、他者のことだとか、国のことだといったことを考えなくなりました。
むかしは、私財をなげうってまで、国のために尽くす高潔な政治家もいました。しかし今は、国や国民のことなどより、自分の懐を肥やすことだけにしか興味がない政治家ばかりです。しかも、政治家の資質があるとは思えないようなレベルの低さです。実業家にしても、国を豊かにするという、高い志を持った人たちもたくさんいました。しかし今、そのような実業家はどれくらいいるでしょうか。社員を奴隷のように扱って、自分が豊かになることしか頭にないようなブラックな人たちばかりが目立ちます。

国民の知性もあきらかに劣化しています。試験の問題を解く以前に、その問題文の内容さえ読解できない人が増えたのです。出版界を見ても、内容がスカスカの本ばかり売れています。国も、すぐにお金になる研究には助成金を出していますが、すぐにはお金にならない(が偉大な発明・発見に結びつく)研究にはお金を出しません。これでは日本の知性や技術力は衰えるばかりです。

そして、「楽してうまいことやろう」という、安易でさもしい気持ちを持った人が増えたように思います。我慢強さ、忍耐強さがありません。努力や苦労なくして結果が出るわけないのですが、魔法みたいなことばかり追い求めているのです。いまだに「引きよせの法則」系のセミナーが大繁盛しているのがその端的な例と言えるでしょう。あさましいというか、あまりにも幼稚です。
他にもいろいろありますが、きりがないのでやめておきます。

国にとって、少子高齢化と精神性の劣化というのは、致命的な問題なのです。どちらかだけでも大変なのに、その両方の問題を抱えている日本は、これからしだいに没落に向かっていくことは避けられません。たとえるなら、船底に穴があいてゆっくりと沈んでいく船に乗っているようなものです。そんなときに「令和の時代はよい時代になるといいな」とか、「来年のオリンピックが楽しみです」といった感想を述べている人がニュースでたくさん見られました。そんなことを言っている場合ではないのです。危機感をもって、船底に空いた穴を埋めて沈没をくい止めるために、国民が一致協力して取り組まなければならないときなのです。

では、いったいどうしたらいいのでしょうか?
まずは、精神性の劣化から解決しなければなりません。精神性こそがもっとも根本であり基盤だからです。自分のことだけ考えるのではなく、他者や国のことを考える高潔な人材を育成するところから始める必要があります。
そのためには、「哲学」を学ぶことが大切になってきます。個人も企業も国家も、根底にしっかりとした哲学を持っていなければ、うまくいきません。しっかりした哲学をもつには、そのための素材となるような、古今東西のすぐれた哲学や思想を学ぶ必要があります。そうして、生き方のモデル、手本となる考え方を学ぶ必要があるわけです。何事もそうですが、まったくの無から何かを生み出すことは困難です。モデルや手本となるものを学び、それをもとに、自分なりのものを築いていくのです。

そのために、私は「イデア ライフ アカデミー」という哲学&瞑想の教室を立ち上げたわけです。それが、この沈みゆく船に乗っている者のひとりとして、哲学を学んできた私のやるべき役割だと考えたからです。
ところが、「哲学」というと、世のほとんどの人は「一部のインテリや変わり者が学ぶ、難しくてよくわからない、現実生活に役に立たない単なる暇つぶしや教養のひとつ」くらいにしか思っていません。そうして、小手先の金儲けだとか、幸運を呼び寄せる方法みたいなものを追い求めています。
これは間違いです。哲学は、あらゆる成功や幸福の「土壌」のようなもので、土壌が貧しければ、実りを得ることはできません。せいぜい一時的なもので終わります。

以上のような理由から、日本を没落から救うには、私たちは哲学を学び、そうして精神性を向上させるところから始めなければならないと、私は訴えたいのです。
しかし、いくら私が声高に訴えたとしても、その声に耳を傾けてくれる人は、残念ながらほんのわずかしかおらず、無視されるだけだということもわかっています。あと30年とか、半世紀くらいたって、そのときにまだこの文章が残っていたら、私の訴えが正しいものであったと認められるかもしれませんが、それまでは負け犬の遠吠えのごとく、イデア ライフ アカデミーだとか執筆などを通して、私は叫び続けていくことになるだろうと思います。
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神性を自覚する

 今月はいろいろと忙しく、更新が一回になってしまいそうです。楽しみにしてくださる読者の皆様にはお詫び申し上げます。
 例によって、まずはご報告とお知らせから。
 3月2日と3日に、イデア ライフ アカデミー哲学教室第5回を開きました。テーマは「禅問答とは」。禅問答とは、禅に伝わる理論では解決できない、ある種の「なぞなぞ」です。このなぞなぞを必死に考えることによって悟りに至ろうとするのです。授業では、まず禅問答(公案とも言う)についての概略を説明し、禅問答の目的は左脳を抑制して右脳を活性化させて悟りの意識に近づくこと、そしてそのユニークな例として、左脳が出血して麻痺した脳科学者の「悟り体験」などを説明しました。そして参加者みんなで禅問答を考えました。授業のダイジェスト版をぜひご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=jzE_SVVsPQA

今回は哲学教室で禅問答の概論を紹介しましたが、次回からは、瞑想教室で、毎回一問、一緒に禅問答を考えていく予定です。ひとつ禅問答の例をあげてみましょう。授業でも取り上げたのですが、次のようなものです。

 風になびく旗を見ながら、二人の僧が言い争っていた。
「これは旗が動いているのだ」
「いや違う。風が動いているのだ」

 さて、皆さんはどちらだと思いますか? 旗あるいは風が解答ではないのです。なぜなら、それは論理的な解答だからです。
 そこに、慧能という、中国で禅を確立した高僧が通りかかって次のように答えました。
「旗が動くのでも、風が動くのでもない。あなたたちの心が動いているのだ」
 これが、禅問答の解答なのです。
 皆さんも、ぜひ禅問答に挑戦してみてください。かなり脳が疲れますが、意識を変容させるには非常に効果の高い修行法です。

 3月16日と17日、イデア ライフ アカデミー瞑想教室第5回を開きました。テーマは「アジナーチャクラの活性」です。アジナーチャクラは人体に7つあるとされる霊的中枢のなかでも最も大切なチャクラとされ、ここが活性化されることで、いわゆる霊的世界へと参入する道が開かれていきます。今回は、そのアジナーチャクラの活性化の方法をいくつかの視点から紹介しました。私が独自の開発した「アジナーチャクラ刺激サウンド」も公開しました。この音を耳にすると、アジナーチャクラが位置していると思われる脳の周辺が、くすぐられるような感覚を覚えるはずです。ダイジェスト版で聴くことができるので、皆さん、ご覧になってください。
https://www.youtube.com/watch?v=k76Cm8u-0_8

 次回の瞑想教室(4月20日/21日)は、「インナーチャイルドを癒す」というテーマで行う予定です。インナーチャイルド、すなわち、幼い頃に親から受けた虐待などで受けたトラウマを癒すための、いくつかの方法を紹介します。やはりインナーチャイルドの問題は大きく、これを抱えていると霊的修行の障害にもなります。インナーチャイルドを抱えていると思われる方は、きっと参考にしていただけると思いますので、ぜひご参加ください。
 参加ご希望の方↓
http://www.interq.or.jp/sun/rev-1/

 さて、では本題に入りたいと思います。
 悟りだとか覚醒、霊的進化といったことをめざす際に、非常に重要になってくるのが、「自分の本質は神性(仏教流に言えば仏性)である」という自覚です。この自覚を深めれば深めるほど、霊的覚醒は促進されていきます。私たちは単なる肉のかたまりではなく、私たちの本質は神に由来する魂なのであり、肉体は、いってみれば魂がこの地上で生活するための「潜水服」のようなものにすぎません。神は高貴であり崇高で、偉大な創造力を持ち、純粋な愛を持っています。そうした神の属性、すなわち「神性」こそが、私たちの本質なのです。
 もちろん、神と人間とは違います。神が巨大な火であるとすれば、人間は小さな火です。しかし、大きさは違っても、火という性質はどちらも同じです。ですから、神性という点では、「人間は神である」と言っても間違いではないのです。大きな火も小さな火も「同じ火である」と言うようなものです。私たちの本質は神性であり、私たちは神なのです。
 ですから、悟りや覚醒といっても、肉のかたまりが神へと「変身」するということではないわけです。ここが重要なのです。私たちはすでに神であり、それを思い出して自覚すること、これが悟りや覚醒ということです。
 仏教では、悟りを開くことを「成仏」と言います(死ぬことではありません)。仏に成ることを成仏というのです。しかし、この成仏という言葉は、あまり正確ではありません。なぜなら、私たちの本質は仏だからです。すでに仏なのです。だから、仏に「成る」必要はないわけです。仏に成ろうとする修行の方向性は間違っているわけです。
 「成る」のではなく、「思い出す」のです。自分は仏であることを思い出し、自覚すること、これが成仏ということです。

 繰り返しますが、私たちの本質は神であり仏なのです。修行とは、そのことを思い出して自覚することにすぎません。ですから、そのためには、「私の本質は神性であり、私は神である」と、常に心の中で唱えて、想起と自覚を促し続ける必要があるのです。その自覚が深まれば深まるほど、神の偉大な創造力と愛が発揮されてくるのです。

修行の基本的な姿勢 | コメント:2 | トラックバック:0 |

情報過多から身を守る方法

 例によって報告とお知らせから。
 イデア ライフ アカデミー瞑想教室第4回が2月16日と17日に行われました。テーマは「心(潜在意識)の浄化」で、心を浄化することがいかに重要であるか、そして、そのためにはどうすればいいかを紹介しました。そのさわりの部分をダイジェスト版として動画にアップしましたので、ぜひご覧になってください。
https://www.youtube.com/watch?v=dxTZZVt1w74
 瞑想というものは、すぐに効果が出るというわけではありませんが、自分を変え、人生を変える上でもっとも重要なものなのです。というのは、瞑想は潜在意識を変容させていく作業だからです。潜在意識こそが、自分のあり方を規定し、運命を定めているわけですから、自分を変え人生を変えるためには、瞑想は避けて通れません。いくら頭で知識を詰め込んだだけでは、人間は本質的には変わらないのです。ですから皆さん、どうぞ、瞑想をする習慣をもってください。そして、よろしければ、ぜひイデア ライフ アカデミーにいらしてください。あるいは、動画(完全版)をご覧になってください。
 なお、次回のイデア ライフ アカデミーは、3月2日と3日に哲学教室を開きます。「禅問答(公案)」について、脳科学の方面からアプローチしていきます。禅問答もまたひとつの瞑想であり、非常に強力に脳に刺激を与え、短期間で変革をもたらす力を持っています。
参加ご希望の方はこちら↓
http://www.interq.or.jp/sun/rev-1/
 それともうひとつ、51コラボレーション主催による「2020年 数秘術が教える未来」セミナーが3月10日(日)に行われますので、こちらもどうぞよろしくお願い致します。お申し込み
 来年2020年は2が二つ出てきます。しかも日本の場合、新たな年号が今年から始まりますので、その年号もまた来年には「2」となります。つまり、結果的に2が3つ重なることになります。2が3つ重なるというのは、めったにないことで、ある種の「異常事態」であり、数秘術的にはとんでもない状況になる可能性があるのです。ではどうなるのでしょうか? 興味のある方はぜひご参加ください。

 では、本題に移ります。
今日、インターネットの普及で、私たちはさまざまな情報を瞬時に入手することができます。これは非常に便利である反面、情報過多といってもいいくらいです。当然ですが、そのすべての情報が正しいわけではありません。なかには意図的に間違った情報が流されていることもあります。そうなると、私たちは、どの情報が正しくどの情報が正しくないか、どの情報を受け入れ、どの情報を受け入れないか、いわば、情報選択の能力を持たなければならなくなります。さもないと、あまりにも多くの情報を前に、かえって混乱してしまうでしょう。情報に振り回されることになります。実際、すでにそのような状態にあるのではないでしょうか。
 たとえば、「肉食はからだに悪い」という情報もあれば、「肉食はからだによい」という情報もあります。私たちは、いったいどちらが本当なのか迷ってしまいます。どちらもそれなりの根拠があり、説得力があるからです。いったいどうすればいいでしょうか?
 それには、実際に自分で試してみるしかありません。しばらく肉食をしない生活を送って体調を確かめ、今度はしばらく肉食をする生活を送って体調を確かめ、どちらがからだによいか調べてみることです。そうすれば、自分にとってどちらがよいのか、だいたいわかるでしょう。
 しかし、このように、すべての情報を自分で確かめてみることは、実際には不可能です。そのような時間はありません。かといって、いわゆる専門家だとか権威者とか学者と呼ばれる人たちの情報なら大丈夫かというと、必ずしもそうではないことは、あえて言うまでもありません。また、大多数の意見が正しいかというと、そうとも限りません。
 では、いったいどうしたらいいでしょうか?

 そのために、おそらくもっとも有効と思われるのは、生活をシンプルにして、なるべく情報を必要としない生き方をすることです。生活が複雑であれば、それだけ多くの情報が必要となり、情報の洪水に見舞われて身動きができなくなります。自分にとって本当に重要なことだけに焦点を当てた生活をしていれば、それとは関係のない情報を入手する必要はなくなります。言い換えれば、私たちは情報の氾濫によって、自分の人生にとってもっとも大切なことを見失っているようにも思われます。
 そのためには、自分にとって何がもっとも大切なことなのか、これをまずしっかりと定める必要があるでしょう。「これも大切、あれも大切」などと欲張ると、情報に飲み込まれてしまいます。可能な限り、最小限にとどめるべきです。タレントが結婚したとか離婚したとか、どんな生活をしているかといったことなど、重要でしょうか? 自分には関係のない情報はいっさい遮断するべきです。
 それから、情報に飲み込まれない方法としては、情報が正しいかどうかを見抜く、ある種の直観力を養うことです。そのためには、欲望と恐怖心を心から追い出して心を浄化することです。なぜなら、人の判断力や直観力を鈍らせる最大の要因は、欲と恐怖だからです。欲と恐怖がなく、心が澄んでいると、正確な判断力と直観力が得られます。
 そのために有効な手段が、瞑想です。瞑想とは、ある意味で、一時的にいっさいの情報を遮断して内面に意識を向ける行為です。「情報の断食」と表現してもいいでしょう。情報の断食をすることで、誰もが持っている、物事の真偽を見極める直観力がよみがえってくるのです。
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