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心の治癒と魂の覚醒

        

7月23日 東京オリンピックについて

 
 まずはご報告とお知らせから。 
 今月7月17日/18日のイデア ライフ アカデミー瞑想教室は「自己放棄と瞑想」というテーマで行いました。自己放棄、すなわち、エゴの放棄こそが、仏教でもキリスト教でも、救いのための絶対条件であり、究極の目的です。しかし、文字通り「究極」ですから、容易なことではありません。ならば、いかにすれば自己放棄をすることができるでしょうか。ぜひダイジェスト版をご覧になってください。
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 来月(8月21日/22日)は、哲学教室で、前回の続きである「ギリシアの仏陀 プロティノス2」というテーマで行います。
 参加ご希望の方は「斉藤啓一のホームページ」まで

 それでは本題にうつります。
 本日、いよいよオリンピックが開催されます。この記事を、いま私は午前中に書いています。夜には開会式が行われます。
 私自身は、オリンピックにはまったく関心がありません。今まで実況中継などは見たことがありませんし、日本人が金メダルをいくつ取ったとか、そんなことも、まるで関心がありません。もともとスポーツだとか、お祭りのようなものには関心がないからです。
 しかし今回は、別の意味でとても関心があり、これまでのさまざまな経過を注視してきました。それは、今回のオリンピックほど、人間のエゴや醜悪さを露呈したことはなかったと思われるからです。地上世界や人間の実相を垣間見るには絶好の機会ではないかと思います。そして、そのことを知ることはとても重要だと思うのです。

 皆さんもお気づきのように、「平和の祭典」などときれいな名目を掲げていながら、実際は一部の関係者の利権のための祭典であることが、白日のもとにさらされました。しかも、このコロナ禍のなかで、実施すればあきらかに感染者が増え、感染者が増えれば、いくらワクチンの普及によって死亡者が減ってきたとはいえ、ある一定以上の死者が出てくるのは避けられないでしょう。にもかかわらず、政府はオリンピックを強行しました。それも、「安心・安全になるから大丈夫」などという、まったく根拠のない言葉で国民をごまかしながらです。実際、海外から来た選手や関係者から大勢の感染者が出て、街中に出たりしています。つまり政府は、国民の命より、自分たちも含めた利権を重視したのです。

 また開催組織委員からは、過去に行った障害者に対するイジメ(実際はイジメというよりも極めて悪質な虐待や犯罪のレベル)を得意げに雑誌に語ったミュージシャンが辞任したり、ホロコーストを揶揄したコントを行ったアーティストが解任されたりしました。前者の場合、音楽ファンの間ではよく知られたことだったようで、組織委員会はそうした身辺調査をせず、安易に依頼していたようです。
 オリンピックに関係する業務の多くが、ある大手の広告会社に丸投げですが、この広告会社はその業務の多くを他の会社に丸投げしています。つまり、自分は何もしないのに相当なお金が入ってくるという仕組みです。その多くに税金が使われています。

一方、これは英国から送られてきた情報らしいのですが、ドーピング問題で参加できないロシアが、開会式を妨害するために、大規模なサイバー攻撃をしかけるというのです。実際、昨夜から早朝にかけて、一時的に、開催組織委員会や大手企業のホームページなどにアクセス不能となりました。これはインターネット環境を管理しているアメリカの会社の単純な人為ミスだったらしく、サイバー攻撃ではないということですが、開会式当日にこうしたトラブルが生じたというのは、偶然とは考えにくいものがあります。今夜の開会式がはたして無事に終わるかどうか、不穏なものを感じます。
 それにしても、ロシアは、自分たちがドーピングというずるいことをしていながら、他国のオリンピックを露骨に妨害するとしたら、まったく醜悪であるとしかいえません。

 他にも、今回のオリンピックで明らかにされた、さまざまな方面での、ずるさ、偽善、醜悪さ、ずさんさなど、いろいろありましたが、きりがないのでこれ以上語るのはやめておきます。
 もちろん、スポーツには人を感動させ勇気を与えるといったメリットもありますが、それは必ずしもオリンピックでなくてもいいし、少なくとも、これまでのような薄汚いオリンピックではなく、一度すべてをリセットして、本来の高潔な理念を反映したオリンピックにするべきだと思います。コロナで職を失い生活に困っている人が数多くいるなかで、お金のかかる仰々しい開会式のショーなどは必要ありません。もっと質素なものにするべきだと、私個人的には思います。

 このように、オリンピックにからむ偽善性や醜悪さを人々に知らせたという点で、私はある意味、今回の東京オリンピックはとても意義あるものになるだろうと思っています。
 こうした問題が生じる根本にあるのは、結局のところ、私たち人間ひとりひとりの「エゴ」によるものなのです。たとえ、ひとりひとりは善い人であっても、集団になると、集団独自のエゴというものが形成されたりします。
 ですから、この地上を少しでもよいものにしていくには、何よりも私たちひとりひとりが自分のエゴを抹消する努力をしていく必要があるのです。
 しかし、それは容易なことではありません。よほど真剣かつ忍耐強く努力を続けなければ、達成できるものではありません。ですから、仮に今回のオリンピックがそこそこうまくいき、人々が浮かれ騒いで楽しんで終わったら、「喉もと過ぎれば熱さを忘る」ように、今回のさまざまな問題も忘れられ、相変わらず醜悪なオリンピックは続けられることになるでしょう。つまり、教訓を学ばないということです。特にこの傾向は、忘れっぽい日本人に顕著だと思います。これでは、いつまでたっても世の中はよくならないでしょう。

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私の眼のトラブル

 まずはご報告とお知らせから。 
 今月6月19日/20日のイデア ライフ アカデミー哲学教室は「ギリシアの仏陀 プロティノス 1」というテーマで行いました。仏陀(覚醒者)というと釈迦を思い浮かべますが、プロティノスも仏陀と呼ぶべき偉大な哲学者です。その思想も仏教と似たところがありますが、けっこう難解です。でもとても面白いです。ぜひダイジェスト版をご覧になってください。
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 来月(7月17日/18日)は、瞑想教室で、「自己放棄と瞑想」というテーマで行います。
参加ご希望の方は「斉藤啓一のホームページ」まで
 
 では、本題に入りたいと思います。
 今回は、私の個人的な健康に関する記事で、このブログのテーマとはあまり関係のないことなので、お忙しい方は時間の無駄になるかもしれませんので、あえて読む必要はないかもしれないことを、あらかじめお断りさせていただきます(笑)。
 私は若い時から強度の近視でコンタクトをつけているのですが、三ヶ月ほど前から、左目だけですが、コンタクトをつけるとひりひりして充血し、すりガラスのように視野が曇って見えるようになりました。右目は問題ないのですが、左目だけです。
 最初は白内障かと思いましたが、目薬をつけると、その瞬間だけくもりがなくなり鮮明に見えるので、白内障ではないと思いました(白内障は角膜内部が白く混濁するので目薬をつけてもくもりはなくならないでしょう)。インターネットでいろいろ調べたところ、角膜表面がひどく傷ついているのだと思いました。
 角膜の傷ならほうっておいても治るだろうと思い、「角膜修復」をうたっている目薬を3種類くらい買ってずっと試してみましたが、ほとんど効果がありません。
 仕方がないので、昨日、眼科医のもとに行きました。そうしたら、やはり角膜がひどく傷ついているとのことで、角膜の傷を治し、目の乾燥を防ぐ作用があるとされる「ヒアルロン酸NA点眼液」と、目の炎症をやわらげる作用があるとされる「フルオロメトロン点眼液」の2つの目薬をもらってさすように言われ、一週間後にまた診察に来てくださいと言われました。早ければ二週間くらいでよくなるが、場合によっては数ヶ月かかると言われました。
 こうなった原因について医師からの説明はありませんでしたが、私が思うに、これは加齢に伴って涙の量が減ったり、また涙の質が劣化することにより、コンタクトと擦れて、角膜に傷がついたものであることに、まず間違いないでしょう。
 しかも恥ずかしいことに、私はコンタクトの使用期限を守らずに使っていました。2週間で交換するコンタクトレンズを使っていたのですが、もったいないので2ヶ月使っていました(笑)。しかし、それで今まで何年も問題がなかったので、大丈夫だと思っていたし、このままずっとこれで大丈夫だと思っていました。
 しかし、年齢による劣化ということを見逃していました。私は先日61歳になったのですが、悲しいことに、からだや知能のあらゆる面で、あきらかに劣化を感じます。まさか眼がこういう形で劣化するということは予想できませんでした。せいぜい老眼になるとか白内障になるといったことしか想像していませんでした。
 幸い、私はほとんど家で仕事をしているので、今は家にいるときはめがねをかけています。医師は、コンタクトを使うなら一日使いきりのコンタクトがいいと言っていました。確かに、どうしても外出しなければならないときは、いまテレビで宣伝している「生感覚レンズ」の一日使いきりコンタクトレンズを使っています。確かに、これをつけると、目がひりひりしたり充血したりすることなく、かなり楽です。
 ただ、一日使いきりコンタクトは、お金がかかります。30枚入って3千円くらいします。もし両目に毎日つけるとすると、一ヶ月6千円、年間7万2千円かかってしまいます。
 かといって、めがねをずっとつけているのも、けっこう鬱陶しいです。特に私は老眼もあるので、近視用のめがねの上に老眼用のめがねを重ねないと、近くが見えません(めがねをはずせば近くは見えるのですが、私は強度の近視のため、本を読むときなど、鼻が本につくくらい近づけないと見えないので、それでは首を痛めてしまうので、近視用のめがねの上に老眼用のめがねをかけざるを得ないのです)。
 まったく、年齢を重ねると、しだいに生きることが不便になってくるのは、本当にいやなものです。しかし、これは自然の摂理ですから、受け入れるしかありません。

 ただ、まだ若い皆さんには、忠告させていただきたいと思います。
 まず、コンタクトの使用期限は守りましょう。そして、少しでも違和感を感じたら、しばらくコンタクトをやめてめがねを使うか、もし一日使いきりコンタクトを使っていなければ、それを使うなどした方がよいです。一週間しても改善しなければ、ためらわずに眼科医に行った方がよいです。ひどくなればなるほど治りもおそくなるし、場合によってはもとに戻らない可能性もあります。からだのどの部分でも自由が奪われるのはいやなものですが、やはり視力が奪われるというのは、かなり苦痛で不便であり、精神的にも落ち込んでしまいます。なので、くれぐれも眼は大切にしてください。
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人格を測定できれば……

 まずはご報告とお知らせから。 
 今月4月17日/18日のイデア ライフ アカデミー哲学教室は「イエスの教え」というテーマで行いました。「キリスト教の教え」ではなく、「イエスの教え」を探求しました。イエスは結局、私たちに何を言おうとしたのか、いわば、イエスの教えのエッセンスを、私なりの解釈によって紹介しました。ぜひダイジェスト版をご覧になってください。
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 来月は瞑想教室(5月15日/16日)で、「エゴがしかける罠」というテーマで行います。私たちは、「偽りの自己」であるエゴに操られているのです。エゴの束縛から解放されて真の自由を獲得するために、ぜひエゴがしかけるずる賢い罠についての知識を心得ておいていただければと思っております。

 では、本題にうつります。
 ここ最近、イデア ライフ アカデミーの授業に加え、別の会社から依頼されて行っている「カバラ数秘術講座」などもあり、毎日、書斎に閉じこもる生活を送っていて、以前はほとんど毎朝、サイクリングやジョギングをしていたのですが、それがあまりできなくなりました。
 しかし、肉体というのは、ちょっと運動不足になると、みるみるうちに弱くなります。久しぶりに少し長く歩いただけで筋肉痛になったり、ちょっとした肉体作業をしただけで、その後はぐったりとしてしまうのです。ご老人がころんで骨折などをして一度ベッドに横になると、もうそのまま寝たきりになるという話をよく聞きますが、それが実感として感じられるようになりました。
 そこで、どんなに忙しくても運動をしなければならないと決意し、そのためにモチベーションを高め、運動の指針を得るために、テレビ・ショッピングで、TANITA製の「体組成計」を買いました。
 この機械は、体重だけでなく、BMI(身長と体重のバランス)、体脂肪率、筋肉量、内臓脂肪、基礎代謝量、推定骨量、体内年齢、足腰年齢、体型判定などを測定することができます。私の年齢(60歳)と身長(172)をインプットして体組成計に乗って出てきた結果ですが、体内年齢が45歳、足腰年齢が55歳でした。しかし内臓脂肪(おなかまわりの脂肪)が「やや過剰」で、その他は正常値でした。
 そこで、私の運動の指針としては、内臓脂肪を減らし、あとできればもう少し足腰年齢を若くすることであると理解できました。
 そして、これから運動をして、それにつれて数値が向上していくのを見ることで「もっとがんばろう!」という気持ちにもなれますし、どういう運動をしたらいいかというヒントも得られるようになりました。

 さて、そこで私は思いました。「体組成計」ならぬ「人格組成計」なるものがあるといいな、と。そうすれば、修行の励みや指針になるに違いありません。この「人格組成計」を使うと、思いやり度、謙虚度、忍耐度、節制度、誠実度、勇気度、といったものが、数値として表示されるといった、そんな機械です。
 こうした要素は、私たちはなかなか自覚できません。また、あえて自覚しないように目を背けているようなところもあるでしょう。というのも、もし客観的な数値を知ったら、ひどく失望してプライドが傷つくことになりかねないからです。(逆によい数値を見て自惚れる人もいるかもしれませんが、そうすると「謙虚度」の数値は下がるでしょう)。
 人格レベルが、客観的な数値で表されることになったら、ある意味では恐ろしいことになるのかもしれません。人間の価値が数値で決定されてしまう結果、人格レベルの高さによって、ある種の差別が拡大してしまう可能性もあります。とはいえ、努力によって数値をあげる努力をすればいいわけですから、もしかしたら、社会がよいものにな可能性も考えられます。
 いずれにしろ、人格を客観的な数値で表示するような機械ができることはないでしょうから、こうした話をこれ以上しても意味がないのでやめますが、もし本当にそんな機械が発売されていたら、私はぜひとも欲しいです。いかに傷つくような結果が出たとしても、やはり自分の本当の姿、本当のレベルを知りたいからです。

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時間の大掃除


 まずはご報告とお知らせから。 
 今月12月19日/20日のイデア ライフ アカデミー瞑想教室は「病気の心理的原因」というテーマで行いました。特定の精神のありかたが特定の病気を引きおこすという説がいろいろと言われていますが、そのような説が書かれている5冊の本を紹介し、その内容を比較・検討しています。それによって、改めるべき精神的欠点を知るヒントにしていただければと思っています。また、病気を癒したい人、癒しを仕事にしているセラピストの参考にもなるかもしれません。ぜひダイジェスト版をご覧ください。
 →動画視聴

 来年の授業ですが、1月は休講となります。2月は「カバラ思想の本質」というテーマで行います。魔術や占いの一種であるかのように誤解されがちなユダヤの神秘主義カバラとは、どのような教えなのか。その本質に迫っていきたいと思います。
 参加ご希望の方は「斉藤啓一のホームページ」まで

 それでは本題にうつります。
 早いもので、今年ももうすぐ終わりです。年齢を重ねるごとに、一年間がだんだん短くなりました。20歳までは、一年間はけっこう長く感じましたが、それ以後、加速度的に時間が短くなっていき、今では、一年間は3、4ヶ月くらいの感覚になってしまいました。
 しかし問題は、時間が短く感じられるようになったことよりも、その間に、どれだけのことができたか、ということです。私は主催するイデア ライフ アカデミーの授業をしながら、今年は本を一冊書き上げる予定でいました。しかし、授業の準備だけで精一杯で、結局、本など、手をつける暇さえありませんでした。
 このままいけば、人生で多くのやり残したことを抱えながら、後悔しながら死んでいくことは、もう明らかです。すでに還暦を迎えた私くらいの年齢になると、学生時代から知っていた友人が何人か、すでにこの地上を去ったという話を聞いたりします。私もいつその日が来るかわかりません。
 そういうわけで、いま私が一番大切に思うことは、「時間」です。お金も大切ですが、寿命はお金では買えません。今までも時間を無駄にしないように気をつけてきたつもりですが、これからはますますそうしようと思うようになりました。
 そこで、考えたのが、「時間の大掃除」です。世の中は、年末になると大掃除をします。ちなみに私は、大掃除は春のゴールデンウィークのときにしています。出かけてもどこも混んでいるし、気候は暖かいし、それなら家にいて掃除をする方が適しているからです。
 それはともかく、年末は、「時間の掃除」をしようと思いました。具体的に何かというと、「無駄な時間を削減する」ことです。
 そこで、まず始めたのが、読まなくなったメールマガジンの解除です。今までは、毎日、たくさんのメルマガが届いていました。解約するのが面倒なのでほうっておきましたが、いちいちチェックして削除する時間というのも、馬鹿になりません。そこで今、メルマガの解除の作業をしています。
 それと年賀状も、今年から、基本的には返事だけにしようと思っています。しかも、その返事にも「来年からは年賀状は出さないことに決めましたので、おゆるしください」と書こうと思っています。そうして段階的に、年賀状はいっさい出さないようにしようと思っています。
 確かに、めったに会わない人から年賀状が来て読んだりするのは楽しいですし、人間関係を良好に維持するには、それなりの効果もあるかもしれませんが、しかしこれまでの経験から言うと、年賀状を出しても、人間関係が良好に維持できるかどうか、その効果はおおいに疑問に感じています。それに対して、年賀状を作成する作業、投函する作業、つまり、そのために要する時間、さらには、そのための費用などを考えると、それに見合うだけのメリットがあるかどうか、おおいに疑問を感じているのです。
 また、意味のない飲み会みたいなこともしません。これは今に限ったことではなく、かなり前から、飲み会だとかパーティといったことには、よほど何らかのメリットがあれば別ですが、参加しないようにしています。時間が無駄だし、それほど楽しくもないからです。とりわけ今はコロナ感染のリスクもありますから、その点では、一石二鳥だと思っています。
 また、楽しいかもしれないが、何の益にもならないテレビ番組だとかDVDといったものも、なるべく見ないようにしたり、インターネットのニュースといったことも、自分とはあまり関係のないようなニュースについては、読まないように決めました。
 他にも、時間の無駄はないかどうか、いろいろ探して、もしあれば、片っ端からつぶしていこうと思っています。

 ただ、こう書くと、「何でもメリットがあるかどうかで決めるのは味気ないのではないか」と感じる人もいるかもしれません。もちろん、何か人の助けになるようなことであれば、時間を惜しんだりするつもりはありませんが、ほとんど意味のない無駄な時間については、たとえそれが楽しいことであっても、時間が残り少なくなった今は、どうしても優先順位を決めなければならないのです。
 そうして、限られた時間を有効に使って、最期は「やるべきことはすべてやった」という満たされた思いを抱いて死んでいきたいからです。
 

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「経済的困難による自殺」の本当の理由


 政府の統計によると、10月の自殺者数は、2153人。昨年度の同時期と比較して39パーセント増加したそうです。この増加の原因は、コロナ禍による、倒産や失職、すなわち経済的な困難が原因ではないかと言われています。
 自殺の原因は、単純ではなく、複数の要因が絡んでいることがほとんどだと思いますが、仮に今回の増加の原因が、単純にコロナ禍による経済的な困難であるとして話を進めてみます。
 確かに、これまで、たとえ、そこそこでも順調に仕事をして生活を続けてきたのに、自分に非がないにもかかわらず、あれよあれよという間に職を失い、生活に困ってしまうというのは、まったくショックであり、絶望的な気持ちになって死にたくなってしまうのも、無理はないと思います。

 ただ、ここで慎重に考えなければならないのは、もし経済的な困難が自殺の直接的な原因だとすると、もともと生活に困っている人、たとえばカツカツの節約生活をしなければ生活できない人や、生活保護を受けている人は、とっくに自殺していることになりますが、そうではありません。
 経済的な困難といっても、日本では、食べ物がなくて飢えて死んでしまうことは、ほぼありません。衣食住にも困るほどの極貧の人たちは、世界人口の約一割とされています。現在の世界人口がだいたい77億人~78億人ですから、8億人近い人が極貧の生活をしていることになります。そのほとんどは発展途上国かと思いますが、そうした国々で自殺率が高いかというとそうではなく、自殺率が高いのは、実は先進国と言われている国々なのです。
 ですから、経済的な困難がそのまま自殺の原因の引き金になっているのではなく、経済的困難と自殺の間に、ある要因がはさまっていると考えられるのです。

 それは何か、一言でいうと、「物質至上主義」ではないかと思います。あからさまに言えば「お金」です。すなわち、お金のあるなしが、人間としての価値を決めている社会、これが自殺の原因ではないかと思うのです。
 巷では「お金がすべてではない」などと言われたりしますが、実際には、お金を持っている人ほど尊敬される世の中です(それが本当の尊敬かどうかはともかく、少なくとも尊敬される人として扱われます)。そうした人が、いわゆる勝ち組などと言われ、お金がない人は「負け組」などとされます。ほんの少数の人だけが、貧しくても人格が立派な人を尊敬するでしょうが、ほとんどの人はお金のあるなしで、その人に対する態度を決めます。金持ちなら価値ある人と見なして丁重に扱い、貧乏人なら、価値のない人と見なしてぞんざいに扱うのです。
 つまり、日本社会(日本だけではないでしょうが)では、お金を持っている人は人間として価値があるが、お金がない人は人間として価値がない、という価値観に支配されているのです。

 ですから、経済的な困難に見舞われるということは、人間としての価値が失われたということを意味してしまい、それが非常な精神的苦しみをもたらし、その結果として、自殺してしまうのではないかと思われるのです。
 もし、お金があってもなくても、人間としての価値は変わらず、平等に扱われるような社会であれば、これほど多くの自殺者が出ることはないと思います。
 ですから、もし自殺者を減らそうとするならば、まずはそうした物質(カネ)至上主義のような価値観をなくし、どんな人も人間として尊厳を認め合うようにしなければなりません。
 とはいえ、それはなかなか難しいような気がします。少なくともすぐにそのような社会が実現できるとは思えません。

 したがって、せめて個人としては、「お金イコール人間の価値」という価値観は捨てて生きるべきではないかと思います。
 そのような価値観を持って生きていると、お金というものは、いつ失われるかわかりませんので、自殺してしまう危険が高くなるでしょう。
 たとえば、事業がうまくいっていて、金持ちとして崇められ、社員を奴隷のごとく扱って有頂天になっていた人が、事業がうまくいかなくなって倒産し、豪邸もブランド品もすべて手放して狭いアパートに引越しでもしたら、とたんに周囲から、手のひらを返したように蔑まれてしまうわけです。そのショックは大きく、プライドが傷つけられて自殺してしまうかもしれません。
 もちろん、自殺してしまった人が、すべてこうした価値観を持っていた、ということではありません。冒頭で述べたように、自殺の原因は単純ではありませんから。
 しかし、物質至上主義で生きていると、もし物質が失われてしまったときには、自殺してしまう可能性は高いと思うわけです。

 自殺ということは別にしても、「お金イコール人間の価値」という価値観を抱き、自分より金持ちには媚びて、自分より貧しい人には威張るといったことは、非常に醜い行為だと思います。そういう醜い行為が横行しているこの社会は、ある種の美意識が欠如しているのではないかと、私は感じてしまいます。
 お金のあるなしは、人間の価値とはまったく無関係です。ですから、お金のあるなしで態度を変えたりすることは間違いであり、醜悪な行為なのです。
 こうした考え方を持った人が、この社会に少しずつ増えていけば、経済的な困難を理由に自殺してしまう人も、減っていくのではないかと思うのです。
 
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