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心の治癒と魂の覚醒

        

明日を思い煩うことなかれ


 まずはご報告とお知らせから。
 今月のイデア ライフ アカデミーは、哲学教室「原始仏教2 真の仏教とは」の授業を行う予定でしたが、新型コロナウイルスの外出自粛要請のため、今月も休講となりました。そのかわり、私ひとりで動画配信用として講義を収録しました。釈迦が本当に説いた教えとはどのようなものであったのか、興味のある方はダイジェスト版をご覧下さい。
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釈迦は、この地上人生は本質的に苦しみであり、そこからの脱出を説きました。つまり、二度と地上に生まれ変わらないことを説いたのです。これが釈迦のいう「救済」です。地上世界を住み心地のよいものにして、地上世界を幸せなものにするという考えは、少なくとも直接の目的ではありませんでした。
 しかし、地上を脱出するには、精神性を高め、高潔な人間となることが求められました。そうした高潔な人が増えることによって、結果的に、この地上世界はよりよいものに変わっていくはずです。現在のように危機的な状況にあるなかでは、高潔な人々、とりわけ、高潔な政治家が求められているように思えてなりません。その意味でも釈迦の教えは、現代において非常に重要な意義をもっていると考えています。
 なお、イデア ライフ アカデミーの授業は、新型コロナウイルスの状態がよほどひどいものにならない限り、感染防止を徹底したうえで、来月からは予定通り授業を行っていくつもりです。今のような状況こそ、私たちの精神性を磨き、高め、深めるべきときではないかと思うのです。
 参加ご希望の方は「斉藤啓一のホームページ」まで

 さて、本題にうつります。
 コロナ禍が終わったら、世の中は変わると、たくさんの人が言っています。たとえば、密を避けた人との接し方が日常あたりまえになるとか、テレワークなども増えていくといった感じです。国際政治の状況も大きく変わるとも言われています。アメリカと中国、ロシア、アジアなどといった国々の力関係も変わってくる可能性が指摘されています。中国は共産党の世界覇権がますます強大になるとか、あるいは逆に縮小して民主化が促進されるとか、さまざまな意見があります。私個人的には中国共産党の野望は挫かれていくのではないかと考えていますが、どうなるかはわかりません。
 確実に言えるのは、失業者が増えることで、まだしばらくはコロナの影響が続くでしょうから、失業者の増加が大きな問題になることは間違いないでしょう。失業率が1%増えると自殺者が二千人増えるらしいので、ある意味では、コロナよりも深刻になるかもしれません。オリンピックも、私個人的には、開催は無理だと思っていますので、その面でも経済的なダメージはさらに深刻になるのではないかと危惧しています。
 他にも、第三次世界大戦が起こるとか、大地震が起こるという人もいます。戦争はともかく、地震についてはかなり現実味がありますので、こちらも心配です。
 このように、心配の種は尽きることがありません。これから世界はよくない方向に進んでいくといった情報ばかりが蔓延していますので、心配してしまうのも無理はないと思います。
 
 しかし、考えたら心配だらけなのが、そもそも人生なのではないでしょうか。
 たとえコロナ禍がなかったとしても、人生、いつ何があるかわかりません。会社がとつぜん倒産することだってありますし、解雇されることだってあります。いつ悪い病気にかかってしまうかもわかりません。皆さんよく知る歌手の人が声帯に癌ができて歌えなくなるといったことも現実には起きているわけです。家が火事になって、幼い子供を含む一家全員が死んでしまったというニュースが流れていました。交通事故にあって半身不随になってしまった人もたくさんいます。こういうことは稀ではあるでしょうが、絶対に起きないという保証はありません。独身の人には孤独死が待ち受けている可能性が高いです。結婚していても子供がいなくて配偶者が先に死んでしまえば孤独死の可能性大です。老人になればからだの自由がきかなくなってきます。ついには寝たきりとなって下(しも)の世話をしてもらいながら死を待つことになるか、あるいはそれ以前に何らかの病気で死にます。これは百%確実に起こることです。
 他にも、人生で生じる不幸災難を数え上げたらきりがありません。

 つまり、何が言いたいのかというと、コロナ禍が生じようと生じまいと、人生というものは、いつ不幸災難に遭遇するかわからないという点で、それを考えたらどこまでも心配や不安に悩まされなければならない、ということです。
 悩んで、何かいいことがあるでしょうか? 悩めば不幸災難から免れることができるでしょうか? そういうことはありません。
 もちろん、備えをしておくことはできます。たとえば地震に備えて水や食料などを備蓄しておくとか、保険に入っておくとか、不幸災難が起きても被害を最小限にとどめることは、ある程度は可能です。しかし、不幸災難から完全に免れることは不可能です。むしろ、悩めばそれだけストレスとなって病気にかかりやすくなったり、能力がうまく発揮できなくなって状況が悪くなる可能性が高くなります。

 繰り返しますが、想像力を働かせて、あらかじめどのような不幸災難に見舞われる可能性があるかを推測し、それが起きても最小限の被害で留められるように、前もってできるだけの準備をしておくことは大切です。
 しかし、そうしたらあとは、「なるようにしかならない」と、覚悟を決めて、心の中からいっさいの心配や不安を捨て去って生きていくしかないのです。それが人生というものなのです。
 アフターコロナの時代、これから非常な苦難が訪れるかもしれません。あるいは「心配していたほどではなかった」となるかもしれません。あるいは、案外、「以前よりも世の中がよくなった」という可能性だってないとはいえません(私個人的には、長期的にはそうなると思っています)。
 いずれにしろ、将来のことはどうなるかわからないので、心配や不安などを抱いて、今という大切なときを台無しにしてしまうのは、愚かなことです。最悪の事態に備えての準備は大切ですが、あとはイエス・キリストの「明日を思い煩うことなかれ」という教訓を胸に刻んでいきたいと思うわけです。

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覚悟力を鍛える

 まずはご報告とお知らせから。
 今月、3月21日/22日にイデア ライフ アカデミーの瞑想教室が開催されました。テーマは「人格障害と瞑想」です。私たちは、誰もが多少は、人格障害の傾向を持っています。ただ程度によって「精神疾患」に分類されるか、健常レベルで許容されるかの違いだけです。人格障害というのは、つまりはエゴのことです。したがって、エゴという汚れを落とすために、人格障害について理解することが大切になってきます。授業では、人格障害について説明する前に、「何のために瞑想するのか」というテーマで話をしています。瞑想には2つの目的があります。ひとつは「地上的な欲望を満たすための瞑想」であり、もうひとつは「地上世界を脱出するための瞑想」です。世に出回っている瞑想の多くは前者のようですが、イデア ライフ アカデミーでは後者の瞑想を目的にしています。というのも、私たちが地上に生まれてきた目的は、人格を高めて地上を卒業するためだと考えられるからです。ぜひダイジェスト版動画をご覧ください。
 動画視聴
 次回は哲学教室(4月18日/20日)で、「原始仏教2 真の仏教とは」です。釈迦の教えの核心である八正道について解説します。
 参加ご希望の方は「斉藤啓一のホームページ」まで
 なお、ホームページ内のイデア ライフ アカデミーの紹介ページを充実させました。イデア ライフ アカデミーは何をめざしているのか、明確にしています。こちらもぜひご覧いただければ幸いです。

 それでは本題に入ります。
 世界は、新型コロナウイルス一色になりました。つい、2、3ヶ月前までは、私たちは比較的平穏に暮らしていました。その頃から見れば、世界があれよあれよという間にこんな状態になってしまうとは、誰が想像したでしょうか。とりわけイタリアなどは、悪夢ともいうべきものです。こうしたことは、おそらく百年に一度あるかないかくらいの人類の試練かと思われますが、いずれにしろ、この地上世界は「一寸先は闇」だということを、あらためて実感させられました。
 イタリアは悪夢と申し上げましたが、新型コロナウイルスとの闘いは始まったばかりです。日本もイタリアのように医療崩壊が起きて大量の死者が出てくる可能性は少なくありません。しかし、日本の国民の多くは、まだまだ危機感が少ないように思われます。人間というものは、あまりにも非日常的な出来事が現実に起こり得るということに関して、現実感が湧かないのです。あるいは、そういう可能性から目を背けたいために、あえて否定的な態度をとったりします。「自分だけは大丈夫だ」という、根拠のない自信を懐く人もいます。

 最初、アジアで新型コロナウイルスが蔓延した時、欧米諸国は「対岸の火事」のように思っていたふしがあります。しかし、あっという間に、自分たちが炎に巻き込まれてしまいました。現在、同じように、イタリアで生じている悲惨な状況に対して、私たち日本人は、なんとなく「対岸の火事」のように思っているのではないでしょうか。しかし、イタリアで生じている状況は、明日の日本であると思っておいた方がいいと思います。「明日は我が身」、このような姿勢で臨まないと、大変なことになると思います。さらに、イタリアの悲惨さが、今度はアメリカに飛び火する可能性があります。そうなると、大量の死者の上に、強奪や犯罪や暴動が起き、イタリア以上の阿鼻叫喚の地獄となるかもしれません。
 さらに、新型コロナウイルスのやっかいなところは、経済的な打撃が深刻だということです。不景気になると自殺者の数が増えますが、これから待っている経済的な打撃は、「不景気」どころではないでしょう。それこそ大量の自殺者が生じる可能性があります。
 世界が新型コロナウイルス、および、それがもたらした経済的な打撃から立ち直るには、相当の時間がかかるでしょう。したがって、これから、何が起こってもおかしくないという覚悟をしておいた方がいいと思います。今日のような危機的な状況において大切なことは、「どんなことが起こっても受け入れる」という覚悟です。
  
 覚悟を決めた人間は、強くなります。取り乱したりパニックになったり、右往左往してしまうのは、覚悟をしていないからです。最悪の事態を覚悟してしまえばいいのです。たとえば、死ぬ覚悟ができれば、死を前にしても冷静でいられます。冷静でいられれば、最善の行動がとりやすくなります。結果的に、今回の災厄から脱出する道筋が早く開かれていくでしょう。
 もちろん、そのような覚悟は、急にできるものではないでしょう。したがって、今のうちから、少しずつ覚悟を決めておくようにすることです。いたずらに不安を煽るつもりはありませんが、新型コロナウイルスには未知なるものが多く、また、こういうタイプの経済的な打撃を人類は経験していません。つまり、今後、どうなるのか、誰にもわからないのです。わからない敵を相手にするときは、最悪の事態を想定して闘うのが原則です。
 今回の災厄をきっかけとして、「最悪の事態を覚悟する」ことができるようになる、いわば「覚悟力」を、鍛えることができるようになれば、強い人間になれます。たとえ今回の災厄が去ったとしても、人生にはさまざまな障害や困難がつきものです。そのとき、今回の災厄で鍛えた覚悟力が、おおいに役立つときがくるでしょう。

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私のこれからの目標

 新年あけましておめでとうございます。
 皆様は、今年はどのような年にしたいと思っておられるでしょうか?
 私は今年、60歳になります。ついこの間まで40歳になったと思っていたのに、いつのまにか60歳、老年の域に突入する歳になってしまいました。20歳までは人生、長く感じましたが、だんだん時がたつスピードが早くなり、40歳から今までの20年は、あれよあれよという間でした。ということは、これからの20年はさらに早く、あっという間に80歳になってしまうのだろうと思います(80まで生きられれば、の話ですが)。
 この文章を読んでくださっている方の多くは、私より若いのではないかと思いますが、40歳を過ぎていたら、(脅かすわけではありませんが)60歳なんてあっというまに来てしまいますよ(笑)。だから、しっかりとやるべきことはやって後悔のないように生きるようにした方がよいです。
 歳を取るにつれ、容色は衰えからだの機能は低下していきます。これは受け入れなければなりません。しかし、脳(精神)の機能は、適切な管理をすれば、肉体ほど低下しません。実際、70歳を過ぎても抜群の記憶力や判断力、思考力を持っている人に、少なからずお会いしてきました。
 肉体は老けてしまっても、精神だけは死ぬまで若々しくありたいと思います。
 では、どうしたら、若々しい精神を保つことができるだろうかと、最近よく考えます。肉体年齢は若いのに精神的にはずいぶん老けていると感じる人もいて、この差はどこから来るのでしょうか?
 その理由はいろいろ考えられるでしょうが、「目標をもって挑戦し続ける」ということが、大きな要因としてあげられるのではないかと思います。脳というものは、何か目標を懐き、挑戦しようとするとき、自動的にその目標を達成すべくフル回転します。しかし、目標も挑戦もなければ、脳はみるみる萎縮していきます。

 私の60歳からの目標は、「真善美に生きる」です。
 今まで、古今東西の哲学や宗教をいろいろ研究してきてわかったことは、およそ哲学や宗教の目的というものは、一言で集約するならば、「真善美に生きる」ということなのです。真善美について、頭で理解しただけでは真に理解したことにはなりません。実際に真善美に生きることができて初めて、真善美という、およそあらゆる哲学・宗教のエッセンスを理解したことになるのです。それこそが真の哲学者であり真の宗教者です。
 しかし、このことだけが動機なのではなく、他に2つの動機があります。
 ひとつは、過去の偉人の名前を汚さないためです。というのは、私はこれまで、フランクルやブーバー、その他、過去の偉人について書いた本を執筆してきたのですが、もし私が真善美に反するような生き方をしたら、そんな私のことを知った人は、私が本に書いた偉人のことも、あまりよく思わないでしょう。「斉藤はフランクルやブーバーについて本を書いていたけれど、斉藤があんなひどい人間であるなら、フランクルやブーバーなんていうのも、ろくなものではないんだろうな」と思う人がいるのではないでしょうか。少なくとも印象を悪くしてしまうことは間違いありません。私ひとりが不名誉になるなら自業自得ですが、私のせいで、偉大なフランクルやブーバーが不名誉に思われてしまうということは、決してゆるされることではありません。つまり、私は彼らについての本を書いたことで、ある意味、彼らの看板を背負っていることになるのです。ですから、彼らの名前を汚さないために、私は立派な生き方をしなければならない義務があると思っているのです。

 もうひとつの動機は、「恩返し」です。これが一番大きな動機です。
 私は、本当に多くの人から助けられ、多大な恩を受けてきました。私が今日あるのは、私を助けてくれた、たくさんの人たちの善意と親切のおかげです。恥ずかしながら、助けられてばかりの60年でした。
 私は、残りの人生をかけて、その方々に恩返しをしなければなりません。
 しかし、どうやって恩返しをしたらいいでしょうか? お金が裕福にあったらお金で恩返しができますが、残念ながら私にそれだけのお金はありません。お金以外に恩返しといっても、何をしたらいいのか思いつきません。しかも、私を助けてくれた人の中には、見ず知らずの人もいるのです。匿名で、本当に大きな助けを与えてくださった人もいるのです。どこの誰だかわからないその人に、いったいどうやって恩返しをすればいいのでしょうか?
 私は考えました。そして、苦肉の策として、これしかないと思いました。
 それが「真善美に生きる」なのです。どういうことかというと、仮に私が悪いことをする人間になったとします。すると、私を助けてくれた人は、悪人を助けたことになり、間接的に悪事の加担をしたことになるでしょう。ということは、仮にカルマの法則というものが存在するとしたら、私を助けてくれた人は悪しきカルマを積んだことになり、その悪しき報いを受けなければなりません。つまりこれは「恩を仇で返す」ことになるわけで、人間としてもっともやってはいけないことです。
 しかし、もし私が善いことをする人間になったら、私を助けてくれた人は間接的に善事をしたことになり、つまりは善いカルマを積んだことになって、そのよい報いを受けることになるはずです。
 ですから、私はこれからあらゆる機会を見つけて、善いことをどんどんする人間になろうという目標をたてたのです。それを一言で表現したのが「真善美に生きる」です。
 今日から毎日、夜寝る前に一日の反省をし、必ず悪事よりも善事の方が多くなるようにして、「私の善き行いに対する報いはすべて、私を助けてくれた人々のもとにいきますように」という祈りを捧げることにしました。
 私は死ぬまでこのように生きるという決意をしました。

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武士道精神

 まずはご報告とお知らせから。
 今月21日と22日、イデア ライフ アカデミー瞑想教室第12回が行われました。テーマは、「直観力を鍛える」。直観力には3種類あると考えられます。ひとつは潜在意識の働きによるもの。ふたつめは超感覚的能力が働いたもの。そして三つ目は、自己の実相(仏性・神性)を自覚したことによるものです。重要なのは三つ目の直観です。そのような直観を得るにはどうしたらいいのでしょうか? ぜひダイジェスト版をご覧ください。
 動画視聴はこちらから
 来年から、イデア ライフ アカデミーは月に一度、哲学教室と瞑想教室を交互に行っていきます。より充実した授業内容にしていくべく、今後とも全力を尽くしてがんばりますので、よろしくお願いいたします。1月は休講なので、次回は2月15日/16日の哲学教室から始まります。「原始仏教1」というテーマで、釈迦が本当に説いた教えとはどのようなものなのか、おそらく誰も語られていない深い内容にまで踏み込んでいく予定です。
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 さて本題にうつります。
 哲学的な遺産という点で言えば、ギリシアとインド、中国は、突出してすぐれていると思います。ご存じのように、中国では、偉大な哲学者が多数あらわれました。孔子、老子、荘子をはじめ、易という宇宙哲学を発見し、また大乗仏教、とりわけ禅を発展させました。道元も空海も、中国にわたって教えを学びましたし、また鑑真のように、中国の偉人を日本に招いて仏教の戒律を学んだりもしました。哲学のみならず、日本の文化にもっとも大きな影響を与えてくれた、というより、日本文化の礎となったのは、言うまでもなく中国の文化です。私はそうした中国の文化に深い敬意を抱いています。
 しかし、現代の中国(中国人)を見ていると、そのような偉大な哲学思想を生んだ歴史の子孫とは思えません。文化大革命によって一度は封印されたとはいえ、中国人の精神的遺伝子に、偉大な哲学者たちの思想が受け継がれているはずなのですが、現代の中国人は、孔子や老子、禅の思想とはまったくかけはなれた、正反対とも思えるような物質主義に染まっているように感じられます。
 ならば、そうした偉大な中国文化を学んだ私たち日本人はどうでしょうか。やはり、似たようなものではないでしょうか。
 中国文化が日本的精神と融合して生まれたのが、いわゆる「武士道精神」ではないかと思いますが、その「恥を知り潔く生きる」という精神が、現代の私たち日本人にどれだけ息づいているでしょうか?
 いったい、いつから日本はおかしくなってしまったのでしょうか?
 私はバブル経済のときからだと考えています。
 バブル経済が訪れるまでは、武士道精神に通じる心を持っていた人が多かったように思います。精神性を重んじて、あぶく銭などに目を奪われることなく、お金は汗水垂らして稼ぐべきものだ、などと説教し、そうした生き方を誇りにしていたのです。ところが、そんな大人たちが、恥も外聞も捨て、率先してマネーゲームにのめり込んでいきました。今の中国が、当時の日本のバブルに相当するものを経験しているのではないかと思います。
 ところが、間もなくバブルは崩壊。お金を失っただけでなく、誇りまで失い、醜態をさらしました。今さら「カネより精神性だ」などと説教できるはずもなく、沈黙したまま年老いていきました。いわゆる団塊の世代と呼ばれる人たちです。
 お金はもちろん大切ですし、モノが豊かにあって悪いわけではありませんが、そのために精神性を犠牲にしたら、結局は、お金もモノも失い、誇りさえも失って恥ずかしい醜態をさらけ出すことになるのです。彼らはそうして精神性の大切さを説く資格を失ったので、彼らの子供たちは、精神的な価値や生き方を教えられることなく育ちました。ちょうど彼らの子供世代が多い「引きこもり」が社会問題になっているのも、その原因のひとつは、ここにあるのではないかと思います。
 私は武士道精神の信奉者というわけではありませんが、その精神は見習うべきものがあると思っています。「武士は食わねど高楊枝」という言葉があります。一般にはやせ我慢のたとえとして使われているようですが、目先の安易なものに惑わされることなく、筋の通った精神性を貫ける人間こそが、これからの日本社会に必要な人材ではないかと思うのです。さもなければ、日本はこのままどんどん没落していくしかないでしょう。

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腰痛を通して学んだこと

 例によってまずはご報告とお知らせから。
 今月16日と17日、イデア ライフ アカデミー瞑想教室第11回「怒りを捨てる瞑想」というテーマで授業を行いました。怒りは仏教では三大煩悩のひとつであり、怒りによって多くの人は自ら苦しみや不幸災難を招き寄せてしまいます。そんな不幸の元凶とも言える怒りから解放される瞑想法について解説しています。また、臨死体験瞑想法についても紹介しています。
 動画視聴はこちらから
 次回は哲学教室で「交流分析とエゴ」というテーマで行います。久しぶりの心理学の授業で、自分が他者とどのような関係性を築くパターンの傾向があるかを実際に心理テストをしていただくことで判定し、よりよい人間関係を築くヒントと、エゴを消滅するヒントとなる情報を提供する予定です。人間関係がうまくいかず悩んでいる人はきっと役に立つと思います。
 参加ご希望の方は「斉藤啓一のホームページ」まで
 
 さて本題にうつります。
 私はほんのちょっとしたことで腰痛(ぎっくり腰のような)になることがときどきあり、いまその腰痛に悩まされています。今までは一週間か、長くても二週間もすれば自然に治っていたのですが、今回は一ヶ月たっても治らないので、昨日、医者に行き、レントゲンなどを撮って診察してもらいました。そうしたら、とりわけ問題となるようなものは見つからず、筋肉が炎症を起こしているのでしょうということで、湿布薬や痛み止めなどの薬をもらってきました。
 特に問題はないということで安心しましたが、腰が痛いと日常生活がかなり制限されます。そのために、しばらく運動らしいこともしておらず、ヨガもできず、瞑想は椅子に座って行っています。デスクワークをしていても、鈍い痛みがじわりじわりと感じられて、集中できません。
 ということで、いま現在の私は、いつものペースがかなり乱された状態にあります。
 日常生活のペースが乱されるということなど、人生にはいくらだってありますから、こんなことで負けてはいられないのですが、今回、思ったことは、ひとつ何が悪い状態になると、それが他のことに普及してしまい、いろいろとやっかいなことが生じて、それが慢性状態になりかねない危険がある、ということです。たとえば、運動もヨガもしていないので、頭がうまく働きません。「運動やヨガと頭の働きがどう関係するのか」と思われるかもしれませんが、運動したりストレッチをすると頭の働きがあきらかによくなるのです。これは医学的にも立証されています。また、運動していないと、意欲が低下して、何をするにも「おっくう」になってきます。これも医学的に立証されています。今は、仮に腰痛がなかったとしても、運動するのがおっくうに感じられるようになってしまいました。腰痛が治ったらまた運動やヨガをするつもりでいますが、そのときには強い意志力を発揮しないとできないような気がしてきました。
 このように、人間というものは、何か少し悪いことが起きるとその影響があちこちに波及してペースが乱され、その結果、悪い習慣が形成されてしまい、一度それが習慣になると、再び健全な習慣を取り戻すのに強い意志力やエネルギーが必要になるため、そのままずるずると悪い習慣が続いてしまう……、ということになりかねないように思われます。
 最近、芸能人の麻薬事件がニュースで盛んに報道されていますが、一度麻薬に手を染めて悪い習慣に馴染んでしまうと、そこから這い上がるのは並大抵のことではないことは、想像に難くありません。麻薬依存は一生治らないとまで言われているほどです。
 麻薬は極端であるにしても、たとえばちょっと何らかの贅沢を覚えてしまうと、その贅沢がやめられない、ということはよくあることです。これもある種の依存症と言えるかもしれません。依存症になると、それに縛られて人を不自由にしますし、また禁断症状に苦しむことになります。
 人間が堕落するきっかけというものは、案外、最初はささいなことなのかもしれません。「これくらい大丈夫だろう」と油断していると、みるみる強力な潮流に飲み込まれてしまい「これはまずいぞ!」と思ったときには、そこから抜け出すことが困難になってしまうのです。
 なので、ペースが乱されたら、それが悪しき習慣になる前に、早期のうちに対処することがとても大切であると思います。
 こうしたことを、今回、腰痛を通して学びました。

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