心の治癒と魂の覚醒

        

性とスピリチュアリティ②

 
 突然の震災が起こって、書こうと思っていた「性とスピリチュアリティ」の問題が保留となり、少し横道にそれた記事が続いてしまいましたが、ここで軌道に戻ってこの問題を取り上げてみたいと思います。
 さて、私たちがセックスの問題を扱うとき、セックスは「罪であり、堕落であり、恥ずかしいものである」といった、どこか後ろめたい気持ちが伴います。
 性は実際に、罪や恥ずべきものなのでしょうか? であるとするなら、それはなぜなのでしょうか?
 退行催眠によって前世のことや、超意識(ハイヤーセルフ)の考えを解読する研究においてわかったことなのですが、それによると、何回かの人生で鬱々と暗い人生を送ってきたある男性の超意識は、進化のためには華やかなラブ・ロマンスに身を投じるのがいいと考え、来世では多情な女になる計画を立案していたといいます。つまり、魂の進化のためにセックスの経験を豊富にしようと、魂が計画したというのです。
 また、ある高校教師は、自分の心にある肉欲と霊的傾向との葛藤に悩んでいましたが、最近の10回の転生では、信心深い行為と放蕩の行為とが繰り返されていることが判明したといいます。彼はそんな状態を振り返りながら叫びました。
「わからない! 肉欲的な生活に何の意味があるんだろう」
 それに対して、超意識からの返事がかえってきました。それによれば、性愛は道徳心や人を助ける心、慈悲の心を培うものであり、人を結び付けて霊的な成長を助けるものであるというのです。その男性はいいました。
「私はセックスと霊的であることが、別物だと考えていました。しかし私がするべきことは、両者の統合にあったのです」
 スウェーデンボルグも同様のことをいっています。彼は生涯を独身で通しましたが、人生のある時期には愛人もいたようですし、“ある種の場所”にも通ったと告白しています。ところが、悪いことをすれば必ず警告を与えてくれた彼の守護神が、こうした行為に関しては何もいったことがないといいます。そして、神はセックスを悪だとはみなしていないようだと語っています。
 一方、自由に体外離脱ができるアメリカのエンジニア、ロバート・モンローもまた、「性的な体験をすることは、不完全ではあるが、全体の一部を真似たものである」といっています。
 つまり、肉体的に一体になりたいという欲望は、すべてがひとつの全体として融合されている超意識の、低い次元における表現であるというのです。したがって、セックスは愛をその根源とするものであり、愛のエネルギーの末端ということになります。
 モンローによれば、彼がいうところの「第2の身体」(霊体)でもセックスができるようです。霊体で行うセックスは、異性的な磁場の交流とでもいうべきもので、彼は自らの体験をこう語っています。
「第2の身体の二人は、ある限界を越えると一気に近づいて触れ合い、さらに、互いを包み込むような、あるいは互いに合体したような状態になる。このとき、魂を揺るがせるようなエクスタシーとともに、何かが全身に流れ込み、また流れ出る。それは、プラスに帯電した物体とマイナスに帯電した物体が、互いに引きつけ合い、合体して、電気が中和される過程にたとえることができるかもしれない。とにかく、ほんの短い間だが、それは完全な一体感と、心を震わせる何かの交流をともなって、耐え難いエクスタシーをもたらす。そして、ふたりは深い安らぎと生命感に満たされて、静かに離れるのである」(『体外への旅』 ロバート・A・モンロー著 山河宏訳 学習研究社)
 肉体をもたない第2の身体レベルで、こうしたセックス(といってよければ)が深い充足感をもたらすというのは、本当にわれわれが求めているのは、実は精神的な、あるいは霊的な何かであるのかもしれません。おそらく肉体的な結合は、そのための手段にすぎないといいますか、魂との融合をもっとも近い形で表現しているのがセックスであるために、私たちはセックスに対して強い願望を持つのかもしれません。
 すなわち、肉体のセックスとは、第2の身体によるセックスの模倣なのであり、そしておそらくは第2の身体もまた、より高次の融合形態の模倣であると考えられるのです。
 融合したい、ひとつになりたいという魂の願望が、高いレベルでは愛となり、低いレベルではセックスとなるのかもしれません。
 モンローの主催した体外離脱セミナーに参加したある女性は、気になっていた男性との超意識的な体験をこう語っています。
「全く一瞬にして私は“全智”を得たのです。私は彼の上を漂い、彼の振動は私の振動となりました。私は彼と融合し、彼の一部になりたい-ひとつになりたい-という圧倒的な欲望を感じました」(『魂の体外旅行』 ロバート・A・モンロー著 坂場順子訳 日本教文社)
超意識(魂)の価値基準は、すべての存在との融合にあるといってもよさそうです。それを人間的な感情レベルで表現すれば、「愛」ということになるのでしょう。超意識にとって、融合あるいは愛こそが究極の目標になっているように思われるのです。
 そのため、たとえ不完全であるとはいえ、セックスが愛に通じているがゆえに、超意識にとっては、セックスは汚らわしいものでも罪深いものでもなく、むしろ神聖でさえあるとして、評価されているのかもしれません。

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 震災で驚いたこと ③

 今回の震災では、日本や世界の人々のすばらしさに驚きましたが、それだけではなく、悪いことにも驚いたことがあります。
 それは、福島県から関東地方の避難所に逃げてきた子供が、学校で「放射能があるから近寄るな」とイジメを受け、ショックを受けてまた福島に帰ってしまったこと、また、福島県から来た人がホテルに行ったら、放射能に汚染されているから宿泊を断られたといったことです。ホテルとしては、放射能に汚染された人がホテルに泊まったら他の宿泊客が来なくなるだろうと怖れたのだと思いますが、そういうことをするから、かえって客が心配するのです。放射能よりも有害な影響を周囲にまき散らしているのです。なんとも情けない話です。子供の場合は、たぶん、親に責任があるのではないかと思います。
 かつて、エイズが流行したときも、同じことが起こりました。エイズ患者の宿泊をホテルが断ったのです。
 日本人は、あの大災害のときでも冷静に秩序正しく行動したということで、外国から称賛されましたが、そんな日本人が、なぜこのような馬鹿げたことをするのでしょうか。
 このようなケースは、全体からすれば例外であると信じたいものです。マスコミが例外を取り上げて騒ぎ立てているだけで、大部分の子供やホテルは、こんなことはしていないと信じたいものです。実際、そうなのだと思います。

 私が驚いたのは、「放射能があるから近寄るな、宿泊するな」ということ自体ではありません。
 冷静に調べれば、何の害もないのがあきらかなのに、それを確かめようとしないことに、あるいは確かめてもなお、(おそらくそれでも不安で)、ああいう行動をとってしまうことです。これは、福島や栃木の農産物が売れないのと同じ理由でしょう。
 差別や風評被害というものは、無知と恐怖によってもたらされるわけです。無知と恐怖こそが、人類最大の敵であると、私は思います。エイズが日本で流行したときには、エイズ患者と手をつなぐだけで感染するとか、そんなことまで心配している人がたくさんいました。いうまでもなく、手をつないでエイズに感染することなどありません。
 自らユダヤ人ということで差別や迫害に苦しみ、ナチス強制収容所の地獄を体験した精神科医フランクルは、強制収容所で他のユダヤ人をいじめるユダヤ人がいるかと思えば、ユダヤ人に親切にするナチス(ドイツ人)がいるのを見て、こういいました。
「結局、世の中には二種類の人間しかいない。品格のある人間と、品格のない人間である」
 今回の災害で、原発から遠く逃げた人もたくさんいましたが、救援のため現地に向かった人もたくさんいました。福島の農産物を避ける人もたくさんいましたが、福島の人たちを助けるために、積極的に福島の農産物を買い求める人もたくさんいました。
 最後の審判のとき、神は天国に行く者と地獄に行く者を分けるとキリスト教ではいっていますが、今回の災害は、なんとなく最後の審判を思わせるようなことが起こったような気がします。私は逃げた人や農産物を買わない人を卑怯者だなどと責めるつもりはありません。けれど、無知であるとは思います。無知は自分にも他者にも悲劇をもたらすので、克服しなければいけないと思います。
 覚醒の修行もまた、常に冷静になり、無知を克服していくことで成就されるのだと思います。ですから、いまこういう状況にある私たちは、ある意味ではとても恵まれた修行の機会を与えられているといえるのかもしれません。
 最後に、ひとつのエピソードをご紹介させていただきたいと思います。

 盤珪(ばんけい)という禅の高僧は、膿がしたたる癩(らい)病者を弟子に迎え入れ、その頭に自らカミソリを入れて髪を剃りました。すると、側近の者が不快な顔をしながら、手洗い水をくんできていいました。
「老師、どうぞ、その手をお洗いください」
 しかし盤珪は、次のようにいって、手を洗おうとはしませんでした。
「この癩病人よりも、そなたが不快そうに嫌う心の方がよほど汚いわい」
 癩病の乞食たちが寺にきたときも、他の雲水たちは嫌悪して近寄りませんでしたが、盤珪は自分の鉢に飯をもって食べさせてやりました。

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 震災で驚いたこと ②

 前回、台湾の義捐金の多さに驚いたことを書きました。これまでのところ、世界で一位だそうです。これに関連して、また驚いたことがありましたので、紹介させていただきます。
 義捐金といったものは、もちろん、金額の多さではないと思いますが、しかし気持ちがなければ、これだけの金額が集まることはないことも確かです。私としては、感謝の気持ちを何とかして伝えたいと思うのですが、政府は新聞に感謝の広告を出すのをしぶっています(アメリカや中国などには出しているのに)。感謝状は出したそうですが、これだけの熱い支援に応えるのに、お役所仕事的な感謝状一枚というのでは、日本人の品格が疑われるというものです。といっても、私個人としてはどうしようもないことなので、せいぜい、街で台湾の人を見かけたら、お礼をいうくらいしかないと思っておりました。
 そうしたら、感謝広告を台湾の新聞社に出すために、寄付金を募る活動を始めた人をネットで知りました。デザイナーをしていて、ジリ貧の(本人がいうには)、まだ若い女性です。このアイデアを4月11日に思いつき、その後、銀行で団体名義の口座を作り(審査の書類が大変だったようです)、そしてホームページを作り、仲間を集め、何と20日には、募金の体制をすべて整えてしまったのです。
 まず、その実行力に驚きました。短期間でこれだけの準備ができるというのは、ただ者ではないと思います。頭が下がります。
 計画では、台湾の2つの新聞に広告を出す予定で、問い合わせたところ、合計で240万円かかるとのことでした(新聞社の厚意でディスカウントしてくれたそうです)。
 そうして、ようやく口座を開設して、寄付の呼びかけを行い、一日たったとき、女性はどのくらいお金が集まったか調べるため、銀行のATMに行き、通帳を機械に入れました。

 そこで、彼女が目にしたものは……(半分驚き、半分笑えます!)
http://blog.livedoor.jp/maiko_kissaka-xiexie_taiwan/archives/65693334.html

 あくる日、あらためて記帳に行って見たものは……(腰抜かします!)
 http://blog.livedoor.jp/maiko_kissaka-xiexie_taiwan/archives/65702863.html

 そして、本日、記帳した彼女が見たものは……(もう怖ろしいです!)
 http://blog.livedoor.jp/maiko_kissaka-xiexie_taiwan/archives/65707181.html

 本当に驚きました。
 そして、同じことを思っている人がたくさんいたことを嬉しく思いました。
 このホームページに寄せられている日本や台湾の方のメッセージにも胸が熱くなります。
 このように、助け合い友情を深め合うというのは、何とすばらしいことでしょうか。
 いうまでもなく、これは善のカルマを積んでいるということでもあります。台湾の方も善のカルマを積み、それに感謝してこういう運動に参加している私たちも善のカルマを積んでいることになります。
 今回の震災はとても悲しい出来事でしたが、その副産物として、こういう運動が社会で活発になっていることは、本当に慰められ、励まされます。

 この女性のインタビュー記事(4月19日)
 http://rocketnews24.com/?p=89686
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 震災で驚いたこと

 今回の未曾有の震災という、これまでにあり得なかったようなことが起こると、実に予想外な、いろいろな驚くような発見があるということを、毎日のように感じています。心が救われるのは、その予想外な発見は、悪いことよりすばらしいことの方が多いということです。
 とくに驚いたのは、日本国内外の支援の盛り上がりです。日赤には、毎日平均45億円もの寄付金が寄せられているといいますし、たくさんの人が被災地でボランティアをしています。そして、外国からは非常に多くの物資や励ましのメッセージが送られており、いま私たち日本人はひとつに団結してこの試練に立ち向かおうとしていますが、世界の国も、日本の試練をきっかけに団結しているような感じさえ受けます。
 いずれにしろ、世界中の国からの支援は、本当にありがたいもので、物質的にはもちろんですが、精神的にもへこんでいる私たちに、大きな心の励ましを与えてくれるものです。

 そんな中で非常に驚いたのが、台湾からの支援です。
 台湾の人々の平均年収は、150万円ほどだそうですが、これまでに128億円以上もの寄付金が寄せられているというのです。

 →http://www.cyzowoman.com/2011/04/post_3377.html
 日本を助けるために、政府も国民も一緒になり、大々的にキャンペーンを展開しているといいます。台湾の人が言うには、過去に日本が行った援助の恩返しにすぎないということですが、それにしても、128億円という数字は尋常ではありません。本当にびっくりしました。
 台湾の人口は2300万人で、日本の人口のだいたい5分の1以下です。単純な計算となりますが、仮に日本の平均月収を倍の300万円とし、これに人口の5倍を掛けると、台湾の人と同じレベルの寄付金を日本がする場合、1280億円しなければなりません。この金額は、今までのところ世界中から赤十字に送られている金額とほぼ同じです。
 これだけを見ても、台湾の人が、どれほど献身的に日本を支援してくれているか、その凄さがわかると思います。果たして、仮に台湾で災害が起きたとき、いえ、台湾だけでなく、どこかよその国に災害が起きたとき、日本(日本人)は、それだけの寄付ができるでしょうか? たぶん、できないと思います。
 その他、台湾の企業なども、大きな支援をしてくれています。ちょっと知り得た情報だけでも、台湾の有名な自転車メーカー「ジャイアント」社が、被災地で使ってもらえるようにと、千台もの自転車を寄贈してくれましたし、 
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.goocycle.jp/news/detail/5187.html
 
匿名のある企業は、原発作業員50人に1億5千万円の寄付をしていたこともわかりました。
http://rocketnews24.com/?p=88683

 経済的に豊かな大国がこれほどの支援をしてくれるなら、まだわかりますが、それほど豊かとはいえない小さな国が、これほどの支援をしてくれているというのは、もう感謝の言葉さえ浮かんできません。ただただ、頭が下がる思いです。
 他にもタイなどの小国が、本当に真心のこもった援助をしてくれています。震災が起きたとき、もっとも早く支援を表明してくれた国のひとつはタイで、食料が足りないといったらすぐにタイ米を送ってくれ、電力が足りないといったら、すぐに火力発電施設の提供を申し出てくれました。そんな支援に感激したタイの日本大使館の人たちは、ポケットマネーからお金を出し合って、大使館の建物に、感謝の意を伝える垂れ幕を作ったそうです。すると、その垂れ幕を作ってくれた業者が「お金はいらない」と受け取りを拒んだそうです。さらに、感謝の広告をタイのいくつかの新聞社に出したのですが、どの新聞社も広告料を取らなかったそうです。

 私たちは、台湾やタイはもちろん、世界のすべての国から受けたこの恩を決して忘れることなく、いつか何らかの形で必ずお返しをしなければならないと思います。

 人間を覚醒させるものは、苦しみと愛であると思います。
 今回、日本の震災により、世界に、この苦しみと愛がもたらされたのではないかと思います。長い歴史で見れば、今回の出来事は、人類の覚醒を、かなり加速させたものと評価できるのではないかと思います。


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 戦国時代の幕開け

 専門家によりますと、今回の大地震は通常の地震とは異なるとのことです。
 通常の地震は、地盤が動いて、ある場所に歪みが生じ、その歪みのエネルギーが放出されるというものです。そうしてエネルギーが放出されれば歪みは解消され、もう地震はやってきません。
 ところが、今回の地震は、あまりにも大きな歪みのため、東北地方全体が東の方に移動してしまい、その結果、周辺の地盤にあらたな歪みが多数生じてしまったとのことです。
 つまり、地震が収束するどころか、新たに地震の種が蒔かれてしまったらしいのです。その歪みの大きさがどの程度のものかはわかりませんが、小さいものではないでしょう。それが今後どこで起こるかはわかりませんが、常識的に考えて、東北の近くで以前から大地震の可能性が指摘されていた場所が、やはり一番危ないのではないかと思います。
 しかし、東北から遠く離れた場所は安全かというと、そうでもなさそうです。なにしろ、東北地域という巨大な部分(離島を除いて日本の四分の一くらい?)が移動してしまったのですから、その歪みは関西から西の方にも及んでいる可能性はあると思います。東北地方も、もう地震は来ないということはなく、本震ほどの規模はないだろうといわれていますが、今後もまだまだ、かなりの規模の地震(余震)があると予測されています。
 しかもやっかいなことは、地震が起こるということは、同時に原発の事故が想定されるということです。地震の心配だけでなく原発の心配もしなければならないわけです。今回、最初の大きな余震で、福島以外の原発でも、原子炉を冷却する電源が一時的に、あるいは部分的にストップしてしまいました。こんなに脆弱だとは思いませんでした。福島原発は、ロシアの研究者によりますと、耐用年数が30年で、もう10年もそれをすぎて使用しているとのことです。他にも同じような古い型は、大きな地震や津波が来たら、ひとたまりもありません。そして今、そうなる可能性が非常に高くなったのです。

 こう考えますと、少なくても私たちが生きている間は、もう二度と安心して暮らせる日は来ないかもしれません(というより、今までも本当は安心して暮らせるような状況ではなかった、というべきかもしれません)。
 私たちはこれから、地震や原発事故という大災害がいつ起こってもおかしくない、今この瞬間にも起こってもおかしくない状況を、死ぬまで生き続けなければならないようです。
 これは、悲観的とかそういった問題ではなく、現実なのです。もちろん、未来がどうなるかは神にしかわかりません。もしかしたら、もう二度と地震など起きないかもしれませんが、あらゆる点から考慮しても、その確率は非常に低いと判断しなければなりません。
 ですから、いつかは起こるものと覚悟して、これから毎日を緊張した状態で生きていかなければならなくなったのです。起きているときも、寝ているときも、家にいるときも、会社にいるときも、電車に乗っているときも、地下街を歩いているときも、エレベーターに乗っているときも、いつもです。
 それはストレスと不安に満ちた、実にイヤな状態です。しかし、現実としてそうなってしまった以上、私たちはそれを受け入れて生きていくしか、他に選択肢はないと思います。

 しかし、こうした生き方は、必ずしも悪いことだけであるとは思いません。
 むしろ、覚醒を志す私たちにとっては、かえって都合のいい状況ではないかとさえ思っています。
 というのは、何の緊張感もない状況では、人は真剣に生きることはしないし、自分を磨いたり高めたりすることには、ゆるみが出てくるからです。
 むかしの武士や侍は、いつ敵が攻めてきても対応できるよう、常に戦闘態勢でいました。寝るときも枕元に刀を置き、ちょっとした物音がしてもさっと眼を覚ますくらいだったはずです。まさに24時間、緊張のなかで生きていたわけです。いつ、どんなことがあっても取り乱したり、パニックになることは許されませんでした。
 そして、いよいよ明日は戦(いくさ)というとき、つまり、明日は死ぬかもしれないというときには、静かに茶を入れて飲んだのです。最高度の緊張状態のなかで、きわめて心静かに茶を入れて飲むという、その心境こそが、武士や侍の理想であり、気高さでした。
 ここにあるのは、生死を超えた禅の境地です。禅はまさに覚醒をめざす修行ですから、覚醒をめざす私たちも、武士や侍のように生きなければならないと思うのです。そのためには、だらだらと生きていられる平安時代より、戦国時代の方が、ずっと進歩向上できるといえるわけです。
 ある意味で、私たちは戦国時代を迎えたのです。
 敵は誰でしょうか? 自然でしょうか? 原発でしょうか?
 私はそうではないと思います。戦うべき相手は、私たちの心に住む「恐怖心」だと思います。恐怖心こそが敵ではないでしょうか。いま問題になっている風評被害なども、まさに恐怖心がもたらしているものです。その他、人類の災厄の多くが、恐怖心によってもたらされてきました。恐怖心こそが私たちの敵です。恐怖心は、覚醒にとっても最大の敵です。2011年3月11日をもって、「恐怖心」との戦いの火ぶたが切られたのです。
 私たちは勇気をもって、この戦いに勝利を収めようではありませんか。

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 悲しみのなかの幸い

 東日本大震災から、今日で一ヶ月が過ぎました。
 一ヶ月前、余震が続き、原発の事故が報道されるのをテレビで見ながら、「早く一ヶ月たたないかな」と思いました。なぜなら、一ヶ月もすれば原発の問題も片づき、余震も収まり、とりあえず落ち着きを取り戻すと思ったからです。
 しかしあいにく、その期待は裏切られました。このブログを書いているときにも、震度6弱もの余震が起こりました。私の住んでいる埼玉の震度は、詳しくはまだわかりませんが、たぶん震度4くらいではないかと思いますが、けっこう揺れました。昨晩も私の気づいた限り、二、三度度ほど揺れましたが、すぐに収まりました。しかし、今しがた起こった余震は、大きな揺れは比較的すぐに収まりましたが、小さな揺れがずっと続いているのです。5分以上は続いていたのではないかと思います。その後も何回も、余震が続いています。あまりにもしつこいので、いい加減腹が立ってくるのですが、こういう経験は今回の大震災が初めてで、何とも不気味な感じがいたします。
 せっかく、復興の足音が聞こえてきたと思っていたのに、先日の、そして本日の大きな余震によって、またその勢いが衰えてしまうのではないかと懸念されます。
 原発の問題も、解決するどころか、事態は悪化し、悪化した状況で安定しているといった感じです。ある報道によれば、危機的状況から脱するのに数ヶ月から1年、そして完全に事態が収束するのに十年もかかるということです。放射線の被害もさることながら、風評被害などにより、人々の暮らしや経済に深刻な打撃を与えることは避けられそうもありません。地震、津波、原発、風評被害の四重苦で、まさに踏んだり蹴ったりです。
 まったく、日本は、長く険しい大変な試練を抱えてしまったものだと思います。今回の大災害は、日本の歴史において、もっとも大きな出来事として、いつまでも記録に残ることは間違いありません。私たちは、「歴史の生き証人」になったのです。
 いずれにしろ、まさかこんな「一ヶ月後」を迎えるとは、予想もしませんでした。

 しかし、こうした状況でも、あえてよいところを見つけるなら、この震災は戦争によってもたらされたのではない、ということではないかと思います。もし戦争によってこのような災害がもたらされたとすると、私たちは「悲しみ」の他に、「憎しみ」を抱くことになるでしょう。悲しみに憎しみが伴ったら、その悲しみはもっと深く、癒しがたいものになるでしょう。憎しみが煽られたら、憎しみは憎しみを呼び、さらなる悲しみと混乱を生み出してしまいます。そうなったら人類はもう絶望的です。
 しかし幸いに、私たちには深く大きな悲しみはありますが、憎しみはありません。私たちに敵はいないのです。それは本当に救いです。
 敵がいないどころではありません。全世界が日本の味方になってくれているのです。全世界が救いの手をさしのべてくれているのです。憎しみとは正反対の「愛」が、私たちに向けられ、私たちは愛の反作用である「感謝」の念で満たされているのです。
 いま、私たちの心にあるのは、悲しみと感謝の気持ちです。感謝の気持は、ありがたいことに、悲しみを癒してくれるものです。
 私たちがこの苦難を乗り越え、悲しみが癒えたとき、残る気持ちは「感謝」です。感謝の気持ちが憎しみを呼ぶことはなく、むしろ愛を呼ぶでしょう。
 今回の災害によって日本人は団結しましたが、世界の人々も団結させたのではないかと思います。つまり、今回の災害によって、世界は平和に向かって、よりその歩みを向けていくのではないかと思うのです。そう期待したいです。そのように進めば、亡くなった方の、せめてもの供養になるのではないかと思います。
 いろいろな人が、自分のできる援助をしてくれています。このような思いを起こし行動する人がこんなにも多いことがわかったことも、癒され励まされます。がれきを撤去する人もいれば、ラーメン屋さんはラーメンを届けたりしています。あるいは、現場には行かないが、ITのスキルを持つ人が、行方不明を探すためのすぐれたホームページを作成して被災者の方に非常に喜ばれています。ある調査によると、今回の災害ですでに寄付金をした人は、97パーセントだそうです。これはすごい数字だと思います。
 また、寄付金を募る動画を制作している人もいます。
 次の動画は、私が見たなかでもっとも感銘を受けたもので、芸術的とも言えるほどよくできていると思います。
http://www.youtube.com/watch?v=4FnXUbvkqe8&feature=related
また、次の動画も、とてもよくできた心励まされるものです。
http://www.youtube.com/watch?v=4N7Jb5ssgmM 
 
このような作品を無償で作ってくれている方々に、心から感謝せずにはいられません。

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『生命の實相』 第7巻 生活篇

推薦図書『生命の實相』 第7巻 生活篇
  谷口雅春 著 日本教文社

 ご存じの方もおられると思いますが、本書は、「生長の家」という宗教団体の教祖である谷口雅春氏によって執筆されたものです。念のためお断りしておきますが、私は生長の家の信者ではありませんし、いかなる宗教団体の信者でもありません。このブログも、特定の宗教(団体)とはまったく関係ありません。
 しかし、著者が宗教の教祖であろうとなかろうと、すぐれた内容の本はこだわらずにご紹介していきたいと思っております。
 さて、この『生命の實相(じっそう)』は、谷口氏の思想を集大成したもので、全部で40巻にものぼります。今回ご紹介したのは、そのなかの第7巻で、谷口氏の教えを日常生活に応用した、とてもわかりやすく実践的な内容を持ったものです。
 谷口氏の教え(生長の家の教え)をひとことでいうと、人間の実相は神を源流とする生命であり、神想観と呼ばれる祈念法を実践し、また物事の明るい面を見つめ信念の力を発揮することで、内なる神性を目覚めさせていくというものです(と私は理解しています)。これはまさに、このブログで探求している覚醒と同じ方向であるといえると思います。
 宗教書ではありますが、自己啓発書としても読めるもので、いわゆる「宗教臭さ」といったものはあまりありません。どんな人にも当てはまる共通した教えが説かれています。とはいえ、宗教的な真理を土台にしているので、巷によくあるような自己啓発書とは一線を画しており、奥が深くて格調高いものです。
 初版が昭和37年ということもあり、文体は古風な感じがしますが、内容は少しも色あせておらず、むしろ今回の未曾有の危機的状況にある日本人にとって、希望と勇気を奮い立たせてくれるこの本は、今こそ求められるものではないかと思います。
 谷口氏の、天性の詩人ともいうべき文章表現の巧みさは、読む者の心を動かさずにはいられない説得力と魅力があり、私なども何回も繰り返して読んでおり、あちこちに赤線が引かれています。ぜひ一読をお勧めします。
 参考までに、もくじのタイトルを以下にご紹介しておきます。

1朝の時間を生かせ
2朗らかに笑って生きよ
3日時計主義の生活
4ひとの生命の実相を礼拝せよ
5神の子の自覚に超入せよ
6「今」を全力を尽くして戦いとれ
7背水の陣を布け
8深切の生活を生きよ
9常に心に善念を把持せよ
10わが心の王国を支配せよ
11取り越し苦労するなかれ
12生長と平和と幸福は愛より生ずる
13思いきりよく、押し強く、勇敢に断行せよ
14断じて失敗を予想せざる者はついに勝つ
15共通的生命の歓喜のために働け
16難難を光明化せよ
17天地の開ける音を聞け
18家庭生活を光明化せよ

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 新しい覚醒プログラムセミナーについて

 今月9日から行われる「覚醒プログラム」セミナーですが、最初、昨年の秋に行われたセミナーとほぼ同じ内容のものを行うつもりでした。
 しかし、いろいろと改善すべき点があるように思われ、いろいろ考えた末、結局、前回とはかなり違う内容になりそうです。
 前回は、覚醒の理論について多くをご説明しました。というのも、理論をしっかりと理解することで、覚醒の修行をしっかりと行うことができるように思われたからです。しかし、理論を理解すれば覚醒の修行に力を入れていくとは限らないことがわかりました。覚醒は、何よりも実践が大切であり、実践するためにはモチベーションを高める必要があります。しかし、理論だけをいくら説明してもモチベーションが高まるわけではないことがわかりました。
 やはり、覚醒の道を歩むようになるには、切実な悩みといいますか、問題意識をもって、ある種のパッション(情熱)というものが大切なわけです。これがないと、どうしようもありません。覚醒の道は、自分の全存在をあげて取り組むべきものであり、単なる「片手間」や趣味程度の取り組みでは、歩むことはできません。
 今回の大震災により、地上の人生というものが、いかにはかなく、不安定で、無常であり、原理的にこの地上人生では(真の)幸福をつかむことはできないということに、あらためて気づかされました。このような絶望的な世界観から始めていかなければならないように思ったのです。今回のセミナーでは、そのところを強調したいと思っています。
 また、アーサナの種類を補充し、今回は呼吸法についても新たに解説することにしました。やはり、単に瞑想だけしているのではなく、アーサナや呼吸法を行うことによって、何倍も早く進歩するように思われます。前回は、その点について説明が不足していたため、アーサナのやり方を説明したテキストなどを配布させていただいたのですが、どうも実践している人はあまりいないようなのです。ですから、なぜアーサナや呼吸法の実習が大切なのか、その点についてよく説明するつもりです。
 また、前回は、瞑想をうまく行うために、各人の心の傷であるインナーチャイルドを癒す方法について詳しく説明しましたが、今回はこれはカットする予定です。もちろん、インナーチャイルドの問題は大きいので、これを無視することもできないのですが、これはまた別の機会で説明するとして、今回は、覚醒するために、古今東西の聖者たちが弟子たちに要求してきた「徳目」について、解説することにしました。
 というのは、やはり、瞑想だとか、アーサナや呼吸法といったテクニックだけをいくらやっても、基本的な人間性が低ければ、うまくいかないと思うからです。そこで、あらゆる宗教や教えが掲げる徳目を分析して、8つの徳目を抽出したものをご紹介する予定です。この8つの徳目を日常生活において身につけるようにすることが、覚醒の修行には必要不可欠であるように思われます。
 さらに今回は、瞑想のやり方について、前回よりも詳しく体系的に紹介することにしました。
 とにかく、このセミナーは、単なる知的娯楽ではなく、実際に実践していただくことを何よりも目的にしていますので、内容的にもよりそれに焦点を絞り込んでいこうと思っています。
 いま、世の中は非常に不安定で混乱しています。しかし、そんな状況だからこそ、覚醒に向けて心を高めていく必要があると思うのです。
 興味をお持ちの方は、ぜひご参加ください。

 お問い合わせ/参加申し込み →アルカノン・セミナーズ
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