心の治癒と魂の覚醒

        

恵まれた環境の危なさ


 霊的な真実を光とするなら、この地上は闇です。まったく反対であることが多いのです。地上での「幸せ」は、霊的な真実では「不幸」である、あるいは、不幸へつながるものであることが非常に多いわけです。
 ですから、地上人生であまりにも「恵まれる」としたら、そこには非常な警戒が必要です。地上人生であまりにも恵まれると、そこで成長はストップし、人間が腐ってしまうことが多いからです。このことはすなわち、いつか霊的な真実の世界に帰還したとき、あまりにも多くの恩恵を失うと同時に、腐った自分(そのために他者を傷つけてきた自分)に対する深い嫌悪と後悔に苦しむことを意味しています。今は真実がわからないので、恵まれていると感じるかもしれませんが、実はまったく反対であることが判明して愕然となるのです。

 そのような、恵まれすぎて腐った例を、私、いえ、日本全国の人々が眼にしました。実名をあげるのはどうかと思いますが、周知の事実ですから仕方がないでしょう。すなわち、東京電力です。
 東電は「今回の事故は想定を超えた津波に襲われたからだ」とし、「自然災害」だといっています。しかし、複数の報道によれば、あのような津波が訪れる可能性があることを、何人かの学者は指摘していたと言いますし、社員のなかにも指摘していた人がいたといいます。そのことを上司に言った社員は、「それは口にしてはいけないタブーなんだよ」と言われたとのことです。今後少なくても半世紀は深刻な影響を日本に与え続けることになるあの重大な事故は、自然災害ではなく人災によって引き起こされたのです。
 しかも、その後の東電の対応のいい加減さや隠蔽体質、ごまかしなど、今なおうんざりさせられるほどです。自分たちがどれほど日本国民に、世界の人々に迷惑をかけ、苦しめているか、本当にわかっているのかと首をかしげたくなります。あげくの果てに、電気料金を値上げしようとしています。自分たちのいい加減な経営の痛手を、国民に押しつけようとしているわけです。
 東電は、法律上は一民間企業ですが、実質的には国営のようなものです。競争相手がほとんどいません。ですから、値上げをしたいと思えばすぐに値上げをします。競争相手がいたら、私たちはこんないい加減で、サービスの悪い会社ではなく、もっと他によい会社を選ぶこともできますが、いないので、泣き寝入りをして値上げを受け入れるより仕方がありません。東電はそのことを知っているから、しっかりした原発の管理や、経営の合理化やサービスの向上ということを真剣にはしてこなかったのです。その証拠に、今なお、都心の一等地に多くの立派な社屋をかかえ、わけのわからない子会社を多数設立し、けっこうな保養施設をもち、上層部の給料などもかなり高額です。こうしたものを温存しながら、値上げをするなどと簡単に言っているわけです。腐った会社の典型です。
 それに対して、競争相手がたくさんいる市場でがんばっている会社は大変です。徹底的な合理化、品質とサービスの向上に必死に努めています。さもなければ生き残れないからです。
 しかし、そんな厳しい状況でがんばるから、その会社からは消費者が喜ぶようなすぐれた商品やサービスが生まれ、また、そんな会社で働く社員の能力や資質も伸びていくのです(もちろん、よい面ばかりではないでしょうが、少なくても腐ることはないでしょう)。

 同じことは、企業組織だけではなく、個人にも当てはまります。自分を成長させ向上させなくても生きていける「恵まれた環境」に生きていると、人間性の成長がとまり、腐っていく危険が非常に高まるのです。たとえば管理職クラスになり、会社で権力を握るようになると、職務上の権限を越えたことをするようになります。個人的に好きになれない部下を、ただそれだけの理由で左遷させたりリストラしたりといったことをするわけです。部下が何か忠告をしようものなら、「不満があるなら辞めろ」などと言います。こういう人は、会社の外でもそうした態度をして、レストランのウエイトレスに威張ったりするわけです。会社の中では偉いとしても社会ではただの人なのですが、そのことがわかりません。社会でも自分は偉いんだと錯覚してしまうわけです。こんな人が管理職クラスにいると、社員はやるきをなくしていき、会社を改善しようという意欲を失い、会社全体がしだいに腐っていくわけです。
 このように、「まわりの人間はすべて自分の思うとおりに動くのが当然だ」という考え方を抱いてしまうと、生きるために自分を成長させる必要がありませんから、しだいに腐っていくのです。
 公立の学校の先生なども、何を言っているのかさっぱりわからないひどい講義を平気でする人がいます。そんな授業をしても給料はもらえるからです。しかし予備校の先生はそうはいきません。ひどい授業をしたら生徒がこなくなり、クビになるからです。だから、一生懸命、教え方の勉強をします。実際、私も高校時代、初めて予備校に行ったときにショックを受けました。学校の授業ではさっぱりわからなかった科目が、予備校の先生から教えてもらうと、まるで魔法にでもかけられたかのように、スラスラわかるのです。生徒たちのそんな喜びを見る予備校教師も、生きがいを感じるのではないでしょうか。その点、教師として成長しようとしなくても教師ができる環境に身を置いた教師は腐ります。自分の教え方のまずさを棚に上げ、勉強できないのは生徒が悪いなどと言ったりします。これではいつまでも教師としてのやりがいを感じることはないでしょう。
 さらに、卑俗な例をあげますと、美人な女性というのも、なかなか成長しない傾向があります。というのは、美人ですから、黙っていても男性からチヤホヤされるからです。そのために、わがままで冷たく、頭も空っぽという、マネキンと変わらない女性になってしまうわけです。しかし、いずれその容姿も衰え、チヤホヤされなくなります。そのときになってあわてて成長しようとしても、なかなか難しいわけです。
 その点、美人に生まれなかった女性は、黙っていたら男性から見向きもされませんから、男性から愛されるために一生懸命に自分を磨こうとします(あきれめてしまう女性もいますが)。すると、ただの美人などよりもずっと魅力的な女性となり、結果的には、男性から本当に愛されるようになるわけです。もちろん、美人でも、そのことに甘んじることなく自分を成長させようと努力する人もいます。そういう人は真の美人です。

 以上のように、この地上世界で、自己成長の努力をしなくても生きることができる「恵まれた環境」に身をおくことは、一見すると幸運に思えるかもしれませんが、霊的な真実から見れば、きわめて危ないことだと言えるのです。よほど意識的に自分にムチを打っていかないと、知らないうちに、じわじわと腐っていきます。「まあ、これくらいでいいや」という甘さがどうしても出てしまうからです。その結果、自分を向上させるためのせっかくの機会である地上生活がだいなしになり、より偉大で貴重なものをみすみす失うことになるわけです。それはあまりにも計り知れない損害です。
 一方、自分を成長させなければ生きていくことができない環境に置かれていたら、それは恵まれた環境に置かれているのだと考えるべきです。事実その通りだからです。それは厳しくて楽なものではないでしょう。しかし、今は気づかなくても、そういう環境で一生懸命にがんばり抜いたことを、いつか必ず「本当によかった」と思えるときがやってきます。

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『地球卒業者「18人」の過去生』の研究 ⑪


11.女優(24歳女性/女優)
 それほど成功しているとはいえない20代のこの女優は、貧血と結核を患っており、最初はケイシーにフィジカル・リーディング(病気の治療法を尋ねるリーディング)をしてもらっていました。リーディングによれば、健康を回復して、女優業もうまくいくようになるだろうとのことです。
 さて、そんな彼女に対して、いくつかの過去生が告げられたのですが、どれも断片的で詳しいことがわかりません。が、一応紹介しておきます。
 まず、アトランティスに農民として生まれました。そのとき、国に滅亡をもたらした山岳地帯の異変に関する情報を人々に伝える役目をしたようです。現在の彼女に切迫した危機感が胸をよぎることが多いのは、そこから来ているのではないかとされています。
 次にペルシャに生まれ、王の次に位する人の家族だったようです。その次はギリシアで、当時ギリシアでは美しい肉体の研究が押し進められており、そこで舞踏の指導をしていました。現在の女優としての才能や美貌は、このギリシアで培われたようです。
 次はフランスに生まれ、王族ではありませんでしたが、宮廷に出入りしており、人気者だったといいます。そしてこのとき、非個人的な愛を育てたとのことです。
 そして、このフランスでの生が最後となり、実はもはやこのときには、地球を卒業できていたらしいのですが、地球に美をもたらすために、自らの意思で再び地上にやってきたとのことです。リーディングは次のように言っています。
「自分のことを思わず、この人が配慮している人たちに最善のものを与えようとする、美に対する愛がある。このことから、願いさえしなければ地球に生まれてくることがいらなくなるかもしれないほどの進歩を、この魂は遂げている。その道を守り抜きなさい」

 今回のケースから、地球卒業にとって必要な教訓は、やはり「愛」であることがわかりますが、それに加えて「美」ということがポイントになっているようです。「真善美」という言葉がありますが、真理と善と美は、同じものを違う側面から表現したものなのでしょう。つまり、真理は善であり美であるのです。ですから、美を追究することにより、私たちは真理に、また善に導かれていくのではないかと思います。ラストタイマーになるには、美に対する感性を磨いていくことが大切となるようです。

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『地球卒業者「18人」の過去生』の研究 ⑩


10.家庭教師(42歳女性)
 この人は、地上的には家庭教師として平凡な生活を送っていましたが、人にものを教える者がもつべき忍耐や優しさといったすぐれた美徳を持っているという理由で、リーディングはこの人を絶賛しています。
「気高い心の人であるが、その調和のとれたものの考え方はオカルト的、神秘的性質によって支配されている。その人の力の中では愛が支配的である。この人は、忍耐、辛抱、親切、持続、寛容、兄弟愛、信仰、希望、万人への慈悲を培ってきた。これらはその人の進歩が生んだ子供の如きもので、特にその人が影響を及ぼす人々とともに拡大し、形成してゆく力を作り出している。忙しさにまみれ、喧騒に明け暮れしている人々の気持ちを和らげてくれる性質のこのような武器を活かしてゆきなさい。うっとりするような優しさ、柔らかな口調、穏やかさに秀でた人といえるだろう。友人を楽に作り、敵をほとんど作らず、憎しみを持たず、それでいて自分の理想には積極的に取り組む。沢山の人がこの人の働きに、精神的にも肉体的にも頼っている。自分が定めた義務に忠実であれ。作られたその道はあなたの前に置かれた理想と一つであることを知れ」

 リーディングによれば、この人はまずアトランティスに生まれました。そこで、人間の意識を変容させるシンボルや象徴、また、ある種の薬物などの研究をしていたようです。
 次にエジプトに王族として生まれました。当時は、他の国から移民者が多く、先住民が移民者を恐れ敵対心を抱いていたといいます。しかしこの女性は、敵対心のかわりに自制心と服従心を養いました。また、後に偉大な教師となる子供を出産したようです。
 その次は、聖パウロの伝導地として有名なギリシアのピリピに生まれました。そこでレース織りや麻布などを売る商人をしながら、福音伝道士の説教を聞き、その教えを生きて進歩したようです。

 この人のケースはざっと以上で、比較的シンプルであり、リーディングもあまり言葉を多く費やしていないようです。しかし、シンプルでありながら、地球を卒業するために必要な資質のエッセンスは、しっかりと身につけていることがわかります。それはこれまでも言及してきたようなこと、すなわち、忍耐、寛容さ、兄弟愛などです。また、憎しみに対して憎しみをもって迎えないことの大切さも、ここから学ぶことができます。そして、自分の理想に対して積極的に取り組むたくましさといったことも、注目するべきかもしれません。

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『地球卒業者「18人」の過去生』の研究 ⑨


9.ヴァイオリン弾きの友(53歳女性)
この女性は、生まれながらに身体に障害を抱え、しかも何度も怪我に見舞われ、そのために指をなくしたこともありました。まずは、その女性の訴えに耳を傾けてみて下さい。

「私は神さまのお力が私を生かし動かすのだということを信じて、これまで人生の大半を生きてきました。今、私はよくなるために硫黄の風呂に入ってはマッサージを受けています。右の耳とエウスタキー管は駄目になってますし、直腸は肥大化しています。一日中疲れてます。腕を使うと心臓の働きが低下し、長いこと立ってますとクタクタになります。寝たり立ったりする時に両脚裏の神経がひどく痛むのです。何故、こんなこわれた体を持って生を受けなければならないのでしょうか。まるで、地獄をつき抜けてきたかのような思いです。何のために自分を救おうとしてきたのかと、いつも思います。私は奉仕者になりたいと思ってきましたのに、子供の時から力もなく、狭心症や悪性の貧血などに見舞われているのです。一体、私は過去生か今生で、何かひどい罪を犯したのでしょうか」

 リーディングによると、この女性は、かつてローマの暴君ネロ(残虐な皇帝として知られ、ローマが炎上する際にもヴァイオリンを弾いて楽しんでいたとされる)の側近の女性でした。すなわち、側近として、ネロの残虐な行為に加担していたようです。そのカルマの報いのために、身体の障害を持つようになったとのことです。
 ただし、その身体の障害は、悪しきカルマによる単なる「懲罰」という意味だけでなく、むしろそうした経験も人間性を高めるひとつの教訓として活かされたようなニュアンスが、リーディングの言葉には込められています。
「地上での経験を通してこの人は低い段階から、もはや地上での転生を不要とする所にまで進歩してきた」
 最初の過去生はエジプトでした。ここで紹介しているラストタイマーになった(なる可能性のある)人々は、過去生がエジプトであった人が非常に多いのですが、どうも、ラストタイマーになる人は、エジプトの過去生をもつという共通点があるようです。
 この女性は、エジプト時代、「家作り」の仕事をしていたそうです。この「家作り」という言葉の意味がはっきりしないのですが、単純に大工というものではなく、同胞に奉仕する訓練を受け、家庭(家族)を作り出すというような活動をしていたようです。
 次に祖国を追われたユダヤ人が帰ってきた時代のパレスチナに生まれました(これもリーディングがラストタイマーだといった人によく見られます)。そのとき、彼女の父親が盗みを働いた罰として石打の刑に合って死にました。その光景を目の当たりにした彼女は、それを不当な罰であると強い怨念を抱いたようです。
 そして、ローマに生まれ、ネロの側近としてキリスト教徒の迫害に加担しました。このときの残虐性は、ひとつまえの過去生で父親が処刑されたことに対する怨念によるものとされています(彼女が迫害したキリスト教徒のなかに、過去生で彼女の父親を石で打って殺した者がいたのではないかと推測されます)。
 そして、次にアメリカに生まれましたが、このときには怨念の気持ちはなくなっていたようです。この時代、移民たちの教師や伝道師をしていたようです。
「自由を求める気持ちを人々に起こさせたもの、創造の霊であり創造的エネルギーであるものを知ろうと努めた人たちの助け手となった。そのため、人間と創造的エネルギーあるいは神との間の関係を解釈しようと努めたこの人は進歩を遂げた」

 以上のような過去生から、この女性は3つの徳を学んだとして高く評価されています。それは、忍耐・首尾一貫、兄弟愛です。
 おそらく、今回のケースで学べることは、この3つの徳ではないかと思います。すなわち、ラストタイマーになるには、忍耐強くあること、首尾一貫して物事を行うこと、そして兄弟愛をもつことが大切なのです。
 これら3つの徳は、しかしながら、とくに意外に思われるものではありません。忍耐が大切であることは、これまでのケースでも何度も言われてきましたし、兄弟愛(博愛)もおなじみの徳です。「首尾一貫」については、初めて出てきた気がいたしますが、これは忍耐に近いものであり、首尾一貫性がなければ、何をしても成就しないでしょう。当然といえば、当然の徳であるわけです。
 もっとも、逆にいえば、首尾一貫性を持っている人が少ないから、あえて高く評価されているのかもしれません。首尾一貫して物事を行うことは、実際にはけっこう難しいことで、それが十分にできている人はいないのかもしれません。私たちは、右を向いたり左を向いたり、行き当たりバッタリで行動したり、しっかりとした信念にそった行動をしていなかったりするのでしょう。あらためて、自分は首尾一貫性をもっているかどうか、反省してみるとよいのではないかと思いました。

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『地球卒業者「18人」の過去生』の研究 ⑧

8.教師(57歳女性/作家、ブロードキャスター)

 この人は、具体的には記述されていませんが、これまでの過去生を通して、物質的な欲望と闘いながら聖なる価値をめざしてきたこと、そして、物質的な人々からの不愉快な対応にも負けずに(しかしそのためにかなり疲れているとリーディングは指摘している)、がんばってきたことを高く評価されています。そして、その励ましとして、キリスト教的な言葉をたくさん送られています。
 リーディングでは、まずエジプト時代の過去生から始まっています。このとき、神秘学を学びにエジプトを訪れたカルパチアの王女だったといいます。その動機は、神秘学を学んで、その知識を自分の国の人々に教えるという、利他的なものでした。
 次に、イエス時代のパレスティナに巫女として生まれました。またエッセネ派の記録者としても奉仕活動を行いましたが、収税人や、物質的で利己的な人々から嘲笑されたり振り回されるなどで倦み疲れることもあったということです。しかし彼女は、そうしたものに影響を受けることなく、聖なる理想を貫いたようです。魂を本来の家(高い霊的世界)へと帰還するための教訓を、いかにして現実生活に適用させるかということを熱心に研究していたとされます。
 そして、最新の過去生は、移民時代のアメリカで、移民者の花嫁となるべくイギリスから送られてきた女性たちの一人でした。このとき、当時の社会的因習の拘束に対して非常な憤りを覚えたということです。これに対してリーディングは、次のような勧告をしています。
「あなたは真理こそが人を本当の意味で自由にすることを今度ますます発見してゆくことを、よく自覚せよ。人はしきたりや物質的な方針で自由になるのではなく、霊と真理の中で自由になるのだ。というのも、神は人の言うしきたりにではなく、胸に秘めた目的や理想をご覧になるからだ」
 その他、この人に向けられたアドバイスを、いくつか抜粋して紹介してみましょう。
「あなたは祭壇の上で多くの荷が捨て去られること、信仰と希望、慎ましさと忍耐という芳しき香があなたのものとなるかもしれない栄光の目覚めへと立ち昇ってゆくことをたびたび発見するであろう」
「意識がその人に目覚め、自分が自分であることに気づくことがその目的である。そのように、人は自分を奉仕に投げ出す時にのみ目覚めるのだ。その経験があなたのものとなるまでは、あなたは完全に目覚めたとはいえないのである」
「主はその聖なる宮(肉体のこと)の中におられること、他の誰もがそれを知らなくてはならないことを知れ。あなたが同胞との関係の中でのそうした活動を通して知っていることだが、人間誰もが聖なる愛にかしずかなくてはならないからだ」
「あちこちに怒りや憤り、利己主義が見られ、もめ事、もつれ、怒りを作り出す不純な動機が見受けられる。これらがあなたの活動の表面に出てくる時には、神を愛する者たちのために備えられたあの栄光の幻が見えなくなってしまうであろう。とはいえ、主があなたと共に歩んでいるという確信から生じてくるあの真理と光を知り、どのような環境にあっても愛を活用してゆくようにすれば、そのような雲や霧はかき消えてしまうだろう」
「あなた方が苦しむ時には主がそばにおいでであるという確信を持ちなさい。あまりに心配する者はかえって、障害となるものを見ることになろう。あなたは、犠牲としての十字架ではなく、道であり光であり生命である十字架を信じ続けなさい。十字架なきところ、勝利の栄冠もないからである」

 リーディングの言葉は、例によってわかりにくい表現をしていますが、ここでも、これまで述べてきたような忍耐などの基本的な徳を養い、人のために奉仕し、また怒りをなくし、心配をなくすということが、地球卒業にとってのポイントといえそうです。
 この人は、今日でいう放送作家のようなことをしているようですが、過去生を通して経験してきた人間関係により、人間理解に対する鋭い感覚を磨いてきたようです。そしてリーディングでは、その作品に高い霊的な理念を盛り込むことにより、人々を啓蒙することが大切であり、それによってラストタイマーになるといった意味のことをいっています。
 こう考えますと、才能というものは、多くの場合、過去生を通して養われてきたものであること、そして、そのように才能が養われてきた目的は、その才能を使って人々に奉仕をするためではないかと思われます。
「才能を人々への奉仕のために役立てること」、これが、今回のケースから学び取れる教訓のひとつかもしれません。


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 故郷への道


 真の意味で「スピリチュアル」というのは、この物質世界を超えることだと私は考えます。ただしそれは「反俗」ではなく「超俗」という意味です。「反俗」とは、この物質世界を忌み嫌い、悪しきものとして嫌悪することですが、「超俗」というのは、ことさら忌み嫌い悪しきものとして嫌悪するのではなく、とらわれないと言いますか、無関心と言いますか、いわば、俗にあって俗に染まらないことです。これこそが、真の正しいあり方であると思います。しかしいずれにしても、物質世界に執着を持たないという点では同じです。なぜなら、この物質世界は、私たちの本当の住む場所ではないからです。

 ところが、「スピリチュアル」の名のもとに、この物質世界への執着を煽るようなものが、依然として後を絶ちません。本来、物質世界を超えるべきはずの「スピリチュアル」が、この物質世界の欲望を叶えるために利用されているのです。ベストセラーとなっている本などの大半が、この種の「スピリチュアル」です。
 真のスピリチュアルは、今日の一般的な大衆の人気を得ることは、まずないでしょう。真のスピリチュアルであれば、この物質世界を超えること、そのために(物質世界へ執着している)エゴの消滅を説くはずです。物質に執着しないこと、エゴを消滅させるということが、どれほど辛く厳しいものか、それを知ったら、ほとんどの人が避けて通るでしょう。見て見ぬふりをしたり、そんなものはスピリチュアルではないと考えたり、自分の都合のいいことを言っている本や人を捜し求めたりするでしょう。

 真のスピリチュアルとは、「イメージすれば人生は思い通りになる」とか「パワースポットの神社に行ってお祈りすれば願いが叶う」とか「お札を額に入れて飾っておけばお金持ちになる」とか「便器のふたを閉じておけば運がよくなる」とか、「ワクワク、るんるん気分で生きていれば幸運がやってくる」とか、そのようなものではないのです。もうそろそろ、そのような幼稚園レベルの「スピリチュアル」から卒業して、成熟したスピリチュアルの道を歩んでいくべきではないでしょうか。

 その成熟したスピリチュアル、いわば大学、大学院レベルのスピリチュアルというのは、結局、シンプルなことなのです。
 それは、いかなる苦難も受けてたち、それを通して人格を磨きあげ、同時に、自分を忘れて世のため人のために尽くす、そして、そのような生き方ができるようにと常に神に祈る、これだけです。
 これが覚醒への道であり、解脱への道なのです。その他のいっさいの難しい理屈などは必要ない、というか、このシンプルなことを理解するために必要なだけにすぎません。皮肉なことに、私たちの頭は妙に小賢しくなっているので、逆にシンプルなものが理解できなくなっているのです。ですから、シンプルなものを理解するために、わざと難しく説明されないとわからないのです。いえ、むしろ、ますますわからなくなったりするのです。最初からシンプルなことがわかれば、そんなものは必要ないわけです。

 本来の霊的な世界の至福に比べたら、この地上の最高の喜びと言えども、カスのようなものです。そんなカスを手に入れるために、一生懸命イメージしたり、わざわざパワースポットに行って長い行列に並んだりして、どうするのでしょうか。この短い人生を、物質的な物事を手に入れるためにあくせくして、どうするのでしょうか。
 それよりも、魂を浄化して人格を向上させることです。それがスピリチュアルな進化だからです。それはたいてい、辛い試練を通して為されます。しかし、それを耐え抜いた後に待っている至福の喜びを思えば、その苦しみを何倍も補っても余りあるものとなるはずです。
 真実というものは、しばしばこの地上の価値観とは正反対の姿をもって現れます。自称スピリチュアリストのなかには、「タクシーに乗りたいと思ったらタクシーが来た、どこもホテルは満室なのにたまたま空き室があった」などといった運の良さを自慢したりしていますが、私から言わせれば、そんなものはスピリチュアルでも何でもありません。
 実際にはまったく逆です。「何て運が悪いんだろう、なぜ、次から次へと問題や辛いことばかりやってくるんだろう」という人こそが、「運がいい」人なのです。

 地位も名声もない親のもとから生まれ、貧しく、献身的に愛を与えたのに、その見返りとして憎まれ、侮辱され、裏切られ、孤独となり、ついには処刑された、人類史上、最高のスピリチュアリストがいるではありませんか。物質的な視点から見たら、悲惨きわまりない彼の人生こそが、真のスピリチュアルの道なのです。真のスピリチュアリストは「運が悪い」のです。
 しかし、私たちはイエスとは違い、そこまでの苦難に耐えられるほど強く立派な魂ではないから、中途半端な、ほどほどの苦しみしかやってこないのです。だから、魂の喜びというものも、ほどほどしか与えられないわけです。
 世の中でもっとも幸運な人とは、耐えられる限りぎりぎりの苦しみや悩みを背負いながら、それに負けずに乗り越えて生きている人です。いわゆる「運がいい人」や「恵まれている人」を羨む必要はどこにもありません。なぜなら、そういう境遇で人格を磨くというのは至難の技だからです。人格を磨くことなく地上世界を生きている人は、人生の時間を浪費している人であり、まったく「不運な人」なのです。これが真実なのです。短い地上人生のために、永遠とも言うべき最高の幸せを捨て去っているのですから。
 イエスは言いました。「この世の者となるな、この世を旅する者となれ」と。
 私たちは旅人なのです。この世のいかなるものにも執着せず、シンプルに「故郷への道」を歩んでいこうではありませんか。

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