心の治癒と魂の覚醒

        

2.自制

 自制とは、目的を成就するにあたり、その妨げになるような欲望に影響されず、理性的に自分をコントロールすることです。
 たとえば、受験に合格するという目的を成就するためには、遊びたいという欲望に抵抗して勉強しなければなりません。健康になるためには、酒を飲みたいという欲望に抵抗して禁酒しなければなりません。こうして目的を妨げる欲望を支配するのが自制です。もし欲望に支配されてしまっては、どんなことも目的を成就することはできません。
 きわめて当たり前のことですが、私たちは欲望に振り回されて失敗することが少なからずあります。とくに気を緩めたときに、あっさりと支配されてしまったりします。欲望は、私たちのそうしたスキを狙っているとも言えそうです。人生においても、霊的修行においても、つまずきや失敗を招く大きな原因のひとつは、欲望に支配されて不適切な行動をしたことにあることが多いのです。ですから、自制の美徳を養うことは、余計なトラブルを生じさせないという意味でも、大切なことではないかと思われます。

 覚醒という点では、自制の美徳は、物質的な事柄に対する執着をなくすために必要です。欲望というものは、満たされれば消える場合もありますが、満たせそうとすればするほど強化される場合もあります。いわゆる依存症や中毒といった状態にはまりこんでしまうのです。一度そういった状態に陥ってしまうと、そこから立ち直るのは容易ではありません。かなりのエネルギーが必要となります。麻薬中毒の人や、性犯罪者の再犯率が非常に高い理由も、ここにあるのかもしれません。結局、欲望というものは自由を奪ってしまい、私たちを見えない縄で縛り上げるようなものとなるのです。
 ですから、深入りして溺れることのないよう、自制することが大切になってきます。最初は自制などという禁欲的で消極的な態度は人生をつまらなくさせてしまうように感じるかもしれませんが、実際には反対で、よりすばらしい幸せを得ることにつながるのです。たとえば、タバコを吸わない人は、タバコを吸う人よりも人生が味気ないでしょうか? むしろ逆ではないでしょうか。タバコを吸わない方が健康で元気になり、お金もかかりません。それだけより有意義なことができるわけです。

 といっても、いきなり物質的な欲望(執着)を捨てることは難しいでしょう。無理のない範囲で少しずつ捨てていくようにすることです。もちろん、社会生活を送るために必要な節度ある欲望は否定すべきではありません。問題は、霊的な成長を妨げないことにあるわけですから、霊的な成長の妨げにならなければ、欲望を持ってもよいわけです。言い換えれば、欲望に依存しなければよいのです。人生の無常により、その欲望が満たされることがなくなったとしても平安でいられるのであれば、その欲望に依存していないことを示しています。しかし、もしその欲望が満たされなくなったら平安でいられなくなるとしたら、それは依存状態であることを示しています。自制の美徳により、そうした欲望から少しずつ解放されるようにしなければなりません。さもなければ、それは霊的成長を妨げ、やがてはその欲望によって苦しみが与えられることになるからです。
 霊的世界を上昇していくには、物質的な事物に対する執着を捨てなければなりません。しかし物質に未練があれば、なかなか執着を捨てきれないでしょう。
 霊的な世界は、想念がそのまま現象化しますから、物質的なものが欲しいと思えば、(物質そのものではないとしても)欲しいものがすぐに手に入ることになります。そのため、いつまでも「物質的な霊的世界」のなかに住むことになります。そこから脱してより霊的な世界に上昇するには、物質的な欲望を自制する力を鍛えなければなりません。
 しかし霊的な世界は、いま述べたように欲しいものは手に入りますから、自制心を鍛えることはできません。つまり、「欲しいのに手に入らない」という負荷がないと、自制心は鍛えられないのです。
 そのことを知って、魂は地上世界にやって来るのです。そこで、物質的な物事を味わい尽くして「あきあきする」か、あるいは「欲しいのに手に入らない」状況を経験して自制しなければならないようになるか、あるいは、「手に入れようとすれば手に入るが、より高い目的のために自制心を働かせて我慢する」という状況を経験するわけです。
 私たちがこの地上世界において、さまざまな欲望に振り回され、悩まされ、葛藤させられるのも、その理由のひとつは、自制の美徳を鍛えるために魂が計画したからです。このことをよく理解しないと、「欲望を何でも叶えることがよいことなのだ」という間違った思い込みをしてしまい、本来の人生の目的から大きくそれてしまう危険があります。地上で経験する欲望というものは、それを叶えるためにあるのではなく、支配(コントロール)するためにあるのだということを忘れないことが大切です。欲望に溺れることも、いたずらに禁欲することも、正しくはないのです。
 自制の美徳は、仏教的には、いわゆる「煩悩」の消滅という意味があります。物事に対する執着を捨てるわけですが、しかし、これは単なる「我慢」ではダメなのです。もちろん、ある程度は我慢することも必要でしょう。しかし、我慢というのは抑圧を意味しますから、抑圧された欲望は別の面で、しかも病的に解放されてしまう可能性があります。ですから、単なる我慢ではなく、欲望にとらわれなくなる、欲望が消失する(正確に言えば、そのエネルギーをより高次の目的に昇華させる)ことが目標として掲げられなければなりません。それは、8つの美徳のうち、他の美徳との連係プレーによって達成されていくのです。
 すなわち、8つの美徳というのは、互いに独立したものではなく、相互に支え合い補い合っているものなのです。ですから、自制の美徳の実践だけで自制の美徳が養われることはありません。他の美徳を動じ並行的に行じてゆくことで、自制の美徳が養われていくのです。いずれにしろ、美徳というものは、総合的に養い育てていくべきものなのです。

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1.忍耐

「8つの美徳」の最初にあげられているのは、「忍耐の美徳」です。というのも、忍耐の美徳こそが、あらゆる美徳を養う土台になると思われるからです。
 忍耐とは、ある目的を成就するために、その目的からそらせる力に屈することなく、目的成就にむけて持続的な姿勢を維持することです。これは、修徳であれ何であれ、何かを達成しようとする際には必ず持ち合わせていなければならないものです。忍耐なくして偉大なことが成し遂げられることはほとんどありません。「忍耐の美徳」は、「意志の美徳」と言い換えることもできるでしょう。意志なくしては何も始まりません。
 覚醒、すなわち、高い霊的世界へ上昇していく道も、忍耐がなければ決して成就できないでしょう。物質的な執着をなくし、愛する力を鍛えることは、いわば人生最大の偉業とも言うべきものであり、かなりの忍耐が要求されます。
 ところが、多くの人がこの忍耐に欠けているのです。そのため、せっかく才能を持ち合わせていても、あともう少しというところで挫折してしまっているのです。エジソンは、「天才とは99パーセントの努力(発汗)と1パーセントの閃きである」と言いましたが、この「99パーセントの努力」を、「99パーセントの忍耐」と言い換えてもよいと思います。世の中の大半の人が凡人で終わるのは、才能の問題ではなく、持続的な努力ができるかどうか、すなわち「忍耐」という美徳があるかどうかで決まるのだと思います。

 魂は、このことをよく知っています。忍耐がなければ霊的に高い世界に上昇できないとわかっているのです。しかし、霊的世界では忍耐を鍛えることができないので、地上にやって来たのです。
 そうして、忍耐しなければならない、さまざまな辛い運命を自分に課しているわけです。人は苦しみから、さまざまな教訓を学ぶものですが、たとえ教訓を学ぶことができなくても、苦しみにじっと耐えるだけで「忍耐力の強化」という偉大な意義をつかむことができるのです。
 宗教的な行者の中には、いわゆる苦行をしている人がいますが、その目的のひとつは、忍耐を養うためであると考えられます。釈迦は苦行を否定したと言われていますが、それは間違いです。経典などを見ても苦行の意義を認めています。ただ、「行き過ぎた苦行」や「苦行だけで悟りを開くことができる」という見解を否定したのです。苦行によって忍耐を養ったり、煩悩を弱めるという意義は認めていたのです。
 人生で生じるさまざまな辛いことには、まさに「苦行」という役割があるのです。意味のない苦しみは避けるべきですが、避けられない苦しみが訪れたら、逃げることばかり考えるのではなく、忍耐の美徳を養うよいチャンスだと前向きにとらえることです。そうして、じっと堪え忍ぶことが、もっとも意義ある生き方であり、幸せに通じる生き方ではないかと思います。
 安易に手っ取り早く、楽をして何でも手に入れることをよしとするこの時代にあって、「忍耐」などという、敬遠したくなるような美徳の大切さを訴えても、あまり歓迎されないかもしれません。ベストセラーなどを見ても「すぐに簡単に成功できる」だとか「がんばらなくていい」といった類の本が売れている時代です。

 しかし、ここ最近、こうした風向きがやや変わりつつあります。それは、「現代型うつ病」という、従来とは異なった風変わりなうつ病が、若年層に急増して社会問題になりつつあるためです。
 一般的なうつ病は、何をするにも意欲が喪失し、気分が落ち込んで絶望的になり、自分を責める傾向があるのが特徴です。ところが現代型うつ病は、自分の好きなことをするときは元気になり、嫌なことをするときに落ち込むのです。しかも、そのように気分が落ち込んでしまったことを、人のせいにするのが大きな特徴です。
 たとえば、会社に出勤しようとするとうつ状態になって欠勤して自宅にこもってしまいます。ところが、そこに友人から電話がかかってきて「これから飲みに行こう」と誘われると、とたんに元気になり、居酒屋に行って友人と談笑したりカラオケを熱唱したりします(従来のうつ病であれば、好きなことさえもしたくなくなります)。そんな光景をたまたま上司に見られ、「ずる休みをしただろう」と会社で注意されると、また落ち込んでうつ状態となり、「私がこんな状態になったのは、上司のせいだ」などと人のせいにしたりするのです。
 一見すると、これはうつ病ではなく「仮病」を装っているように見えるのですが、落ち込んでいるときは確かにうつ病の特徴を示しているので、決して「仮病」というわけではないのです。
 なぜ、こうしたうつ病が急増したのか、その原因はまだはっきりわかっていませんが、ひとつの有力な説によれば、あまりにも「我慢しなくていい生活」を送ってきたために、嫌なことに対する「耐性」が弱体化し、ちょっとした嫌なことやストレスに耐えられなくなっていることにあるようです。
 今日の若い世代は、生まれたときから物質的に恵まれていました。おおむね経済的に豊かな家庭に育ち、欲しいものはすぐに買ってもらえました。暑ければエアコンのスイッチを入れればよく、寂しければ携帯電話で友達とすぐに話すことができました。親も子供を甘やかして、厳しく叱ることもしなくなりました(そのため仕事のことで叱責されるとショックを受け、すぐに会社を辞めてしまう人が増えているといいます)。
 むかしは暑さを我慢しなければなりませんでした。携帯などありませんでしたら、寂しくても我慢しなければなりませんでした。その他、いろいろと不便な生活を我慢する必要がありました。そうして辛さに対する「耐性」が養われていったのですが、今の若年層は、我慢する必要のない生活を送ってきたために、耐性、すなわち忍耐を鍛えるチャンスを奪われてしまったのです。いわば、無菌状態で育てられると免疫力が低くなるようなもので、精神的な負荷が少なかったために、免疫力のない精神が形成されてしまったと言えるかもしれません。そのため、ちょっとでも気に入らないことは耐えられない精神になってしまったのです。
 そのため、従来のうつ病は「がんばれ!」という叱咤激励の言葉は禁句とされてきましたが、現代型うつ病の場合は、必ずしも禁句ではなく、ときには叱咤激励して、ある種の「教育」をしていくことが大切であると言われています。
 こう見ると、単なる「我が儘」だと思われるかもしれませんが、すでに述べたように、確かにうつ病ではあり、本人も苦しんでいるのです。
 彼らは、「何でも欲しいものは手に入る我慢しなくていい便利で快適な生活」という、これまで私たちの社会が理想と考えてきた「すばらしい文明生活」の、ある意味では犠牲者だと言えるかもしれません。皮肉なことに、何の不便も苦痛もない、忍耐など必要のない生活そのものが、苦しみを生み出すもとになっているのです。そのことが、現代型うつ病によって、うすうすわかってきたのです。
 このように、忍耐する力が、人生のしかるべきときに養われないと、結局は、苦しみと不幸をもたらすことになってしまうわけです。嫌なことに直面するたびにうつ状態になり、ちょっと叱責されたら仕事を辞めてしまうような人生に、いったいどのような実りがもたらされるのでしょうか。それは不幸な人生ではないでしょうか。
 人生の本当の生きがいや充実した生活というものは、忍耐に支えられてつかみとっていくものなのです。たとえまったく才能がなかったとしても、忍耐強く努力を続けていけば、そこそこの成功を収めることは十分にできるでしょう。忍耐こそが、あらゆる可能性を切り開いてくれるのです。忍耐という苦い薬こそが、人生のあらゆる障害を癒してくれるのです。そしてこのことは、覚醒という霊的な修行についても当てはまるのです。そのために私たちは、まず何といっても忍耐の美徳を養うように努力していかなければならないのです。

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 覚醒のための「8つの美徳」①

 
 前回まで、ケイシーのリーディングをもとにした「地球卒業者」の特徴を考察してきました。「もう地球に戻ってくる必要はない」とされ、その後は、地球より進化した星に転生したり、あるいは霊的な世界で修行を積むことで、進化を続けていけるようになった人たちを調べてきたわけです。
 そして、こうした人々には、いくつかの共通する特徴があることがわかりました。それは奉仕の心であったり、忍耐や意志の力、寛容さといったものでした。こうした「特徴」を別の言葉で表現すれば、「美徳」と言ってもよろしいかと思います。
 すなわち、美徳を養ったために、彼らは地球卒業者になれたと言えるでしょう。地球卒業者は、小さな覚醒を積み上げてきた人たちであり、今後は大きな覚醒(完全な覚醒)をめざしていくのだと思いますが、要するに覚醒するためには、美徳を養うこと、いわば「修徳の行」が大切になってくるのです。
 私は、ケイシーのリーディングの他にも、古今東西の偉人や聖人と呼ばれる人々を研究してきた結果、彼らに共通するいくつかの美徳を発見しました。そして、それを「8つの美徳」としてまとめました。
 具体的に、8つの美徳とは、次のようです。

1.忍耐の美徳=目的に向かって誘惑や苦しみに負けず初志を貫徹していく持続力
2.自制の美徳=目的成就をさまたげる欲望を支配して翻弄されないこと
3.平静の美徳=感情に乱されてふりまされず、常に冷静で落ち着いていること
4.謙虚の美徳=自分より相手を尊重すること、高慢や自惚れに陥らないこと
5.寛容の美徳=相手の弱点、欠点をおおめに見て責めないこと。ゆるしてあげること
6.超然の美徳=地上的な出来事や運命にこだわらないこと。結果にとらわれないこと
7.陽気の美徳=明るく楽天的で物事を肯定的に考えること
8.全託の美徳=自分と自分の運命をすべて神にゆだねること。神に自分を明け渡すこと

 覚醒した人は、大なり小なり上記のような美徳を持っています。覚醒したために、神と合一してこうした美徳を持つに至ったということも言えますが、日々の地道で自力的な努力によって養っていったとも言えると思います。おそらく、美徳を養おうとする日々の自力的な努力に対して、高い次元の霊的存在が目を付けてくれて、美徳を持てるように力や恩恵を与えてくれた結果ではないかと思います。
 いずれにしろ、これら8つの美徳を養う修徳の行が、覚醒するには非常に重要なものとなってくるのです。

 なお、以上の8つの美徳は、絶対的なものではありません。他にも美徳があるでしょう。たとえば「勇気の美徳」といったものもあるかと思います。もし自分には勇気の美徳が必要だと思ったら、「8つの美徳」に追加してもよいでしょうし、自分にあまり必要ではない美徳と差し替えてもよいと思います。個人によって自由にアレンジしてください。
 ただ、ここにあげた「8つの美徳」のなかに「勇気の美徳」が入っていないからといって、勇気の美徳が必要ない、それを否定しているというわけではありません。それぞれの美徳は相互に補い合っており、たとえば「忍耐」や「平静」、「超然」や「全託」といった美徳を養うことで、勇気の美徳は間接的に培われてくるものなのです。ですから、あえて「勇気の美徳」はこのなかに入っていないのです。他の美徳も同じです。
 とりあえずここでは、以上の8つの美徳について、今後、順番にひとつずつ解説をしていきたいと思っています。
 次回は、最初の美徳である「忍耐の美徳」を取り上げることにいたします。
 これは重要な講義になると思います。皆さん、どうぞお楽しみに!

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『地球卒業者「18人」の過去生』の研究  最終回 まとめ


 さて、以上、エドガーケイシーのリーディングによって「もう地球に生まれ変わらなくてもいい可能性がある」と言われた18人のケースを考察してきました。その最終回として、まとめをしてみたいと思います。
 この本の著者バイオレット・シェリーも、最後の章で「地球卒業のために、どのような資質が大切なのか?」というまとめの考察をしていますので、それを紹介しながら考えていきたいと思います。

 まず、「地球卒業者」の職業や年齢や性別などは多岐に渡り、こうしたものは地球卒業にとって関係ないことがわかります。過去生もいろいろな場所に生まれていますが、アトランティス、エジプト、パレスティナの過去生を持った人が多いようです。その理由は定かではありませんが、どうも宗教や神秘的な教えをそこで学んだということが、ひとつの要素になっているようです。やはり、こうした知識や訓練といったものは、直接的かどうかはともかく、地球卒業にとって有益に作用するものと思われます。

 また、生まれた時代は、平和な時代よりも、動乱や分裂など波乱のある時代に生まれてきた傾向が見られます。その理由はおそらく、平和な時代よりも波乱があった方が、魂が鍛えられるからではないかと思われます。
 その意味では、現在の私たちはどうなのでしょうか? 戦後から昨年の東日本大震災までは、比較的平和な時代を過ごしてきたようにも思われます。しかし、東日本大震災以後、波乱が増えてきたように思います。そしてこの波乱は、これからますます増えてくることは間違いないでしょう。不穏な時代が私たちを待っているようにも思います。物質的には有り難くない時代ではありますが、魂を磨いて地球を卒業するには、絶好の時代が到来しつつあると言えるのかもしれません。

 さて、過去生はともかく、本質的に重要なことは、一連の過去生を通して、どのような資質を養ってきたかです。
 これについては、今までのケースで自明のことですが、もっとも大切なことは「無私の奉仕」です。「奉仕を通して自我(エゴ)を滅却すること」と言い換えてもよいかもしれません。ほとんどすべてのケースで、この無私の奉仕という共通した資質がありました。
 シェリー氏はこう述べています。
「この人たちは今生では外見上は全く異なっていましたが、人に奉仕するためには利己的興味を捨て去ることも辞さないという、共通点があります。奉仕、そして捨て去るものだけを得るという聖書的な戒めを説いているのは、この人々のリーディングだけではありません。たくさんのリーディングが人への奉仕が神への奉仕なのだと説いているのですが、この特殊グループのリーディングは一貫して、私たちがそれを実行に移し魂の資質としてしまうまでは、地球に戻ってくるか否かを自分で決定できる段階に至ることはないと言っているように思われるのです」

 その他の資質としては、個人によって多少のばらつきはあるものの、「忍耐」が重要なものとされていることがわかります。
「この人はもう少し忍耐を培うのがよい。というのも、利己主義がこの人の存在の一部なのではなく、忍耐の欠如が、人に対するというより自分に対する忍耐に欠けることが、その人の一部になっているからだ。主も言われたように、忍耐の中であなた方は魂に目覚めるのである」(①「巫女」)
 また、「寛容」であることもしばしば説かれています。
「あなたを侮辱するような人々に対してさえ寛容でいられる今の能力を増してくれるそれらのことを守り抜きなさい」(③「平和の創り手」)
「誤りを犯す者に対して穏やかに、優しく語りかけなさい。あなたは彼らの誘惑の何たるかも、彼らの理解の小ささがどれほどかも知らないからだ。人の行うあれこれの活動を裁いてはならない」(⑥「クリスチャン回教徒」)

 しかしシェリー氏は、もっとも大切な資質は「理想を貫く意志力」ではないかと言っています。「理想」とは、言うまでもなく霊的な理想のことを指しています。平たく言えば、高潔な行為や人間性を磨くことです。人格の完成をめざして、他に興味が移ったりぶれたりすることなく、ひたすら努力を続けていく「意志力」こそが、地球卒業のためにはもっとも重要であると言うのです。
「この人には、権威者側から咎められることなく利己的に振る舞える機会がたくさんあったが、自分自身の気高い理想のためにこの人は試練にうち勝ったのである。魂にとってこれは大きな勝利である」(⑫「建築家」)
「今ある意志力を使うことによって、二度と地球に生まれてくる必要がなくなるかもしれない人である。すべての栄光は神に帰することを知り、善と完全な賜物の与え主なる神が人の前に表されるような道の中に踏み留まりなさい」(⑤「弁護士」)
「意志力を通して、人は自分が物質界の中に表されているとみるものにどう働きかけるかによって、進歩も後退もするようになるのだ」(ファイル262番)
 シェリー氏は次のように言っています。
「(地球卒業のための)決定的な要因は、果たしてどこにあるのでしょうか。決定的な要因とは、私たち自身の意志力であるように思われます。これら18人の人々は、このような重大な岐路に辿り着いたのは、すべて自分の意志によるものなのだと言われました。同じ分岐点が私たちの誰をも待っています。そして、そこに辿り着くための同じ手段ー理想を守り通す意志力ーは誰の中にも存在しているのです」

 シェリー氏の「意志力」と、前回、私が述べた「向上心」とは、ほぼ同じものと言ってもよいのではないかと思います。考えれば当然なのですが、「意志力」にしても「向上心」にしても、地球卒業に限らず、何かを達成させるためには必要不可欠の要素であり、もっとも基本的なものです。目的に向かって集中し続けることなく、心が定まらずにあれこれ「つまみ食い」していて、いったい何が達成できるでしょうか。
 意志があれば向上心もあるでしょうし、向上心があれば意志もあるでしょう。意志と向上心さえあれば、そこからあらゆるすぐれた資質も生まれ育っていきます。霊的成長を志したのなら、常にそれを人生の最優先課題にして、倦まずたゆまず、地道に根気強く道を歩んでいく必要があるでしょう。霊的成長の道は、単なる趣味や好奇心を満足させるといったものと同列ではありません。「スピリチュアル・ブーム」などと言われたりしますが、「ブーム」ではダメなのです。
 しかしほとんどの人は、単なるブームであり、面白そうだなと、ちょっとかじっているだけなのかもしれません。他にもっと興味をそそるものが見つかったら、すぐそちらに走っていってしまうのです。
 言い換えれば、ひたすらひとつの目的に向かって努力し続けることが、それだけ難しいということなのかもしれません。だからあえてリーディングでも、「意志力」といったことが強調されなければならないのでしょう。ほとんどの人は、動力を持たない船のようなもので、ただ海流や風に流されているだけなのです。しかし、目的地に辿り着こうと思うならば、動力を持たなければなりません。意志力という、馬力のあるエンジンを搭載しなければならないのです。そして、羅針盤が示す目的地の方角に向かって、海流にも風にも負けず、走り続けなければならないのです。

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『地球卒業者「18人」の過去生』の研究 ⑱-下


 18.征服者(53歳女性/主婦)
 前回に引き続き、最後のケースの後半をご紹介いたしましょう。今回は、この女性の過去生を検討してみます。
 リーディングによりますと、この女性はアトランティスに生まれ、利己的に生き、そしてこの大陸が水没するときに死んだと言います。しかし、彼女の魂は「聖なる力を利己的動機に使うことのあやまり」に気づきました(アトランティスでは、スピリチュアルな力を邪悪な目的のために使ったために、ある種の罰として沈没したという説があります)。
 次にエジプトで王族のひとりに生まれました。前世でエゴイスティックな生き方をしたので、それを反省した彼女の魂は、今度は「隠者」として祈りに徹した生活を送るようになりました。このとき「死者の書」を筆記する仕事をしていたようです。
 次にインドに生まれました。「丘陵地帯から支配するために到来した人々によって滅ぼされた谷の人々のひとり」であったといいます。そして、その征服者の独りと結婚し、旧約聖書に登場するアブラハムの母となりました。そしてリーディングはこう告げています。「当時の生涯でこの人は広範囲な場所を住み家とし、その地位、人助けの力、制する能力、導く能力において多くの進歩を遂げた」
 次はギリシャに生まれました。クセノフォンが東の国から帰還した頃の時代でした。その統治者から世話を受けていた女達の一人だったといいます。そこで多くの人に信仰と奉仕を差し出したことによって進歩したとされますが、やがて高い地位に就くと、称賛の的になりたいという思いから、踊りや酒宴に溺れて退歩しました。
 今生、彼女は、踊りや酒宴に浸っている人を見ると過去生の自分を無意識に思い出すのか、厳しく当たる傾向があったようで、リーディングは次のように戒めています。「(踊りや酒宴といったもので)自分を表現しようと求めている人たちに厳しく当たってはならない。彼らは自分のしていることがわからないだけだからである」
 最後の過去生は、フランスでした。チャールズⅡ世の宮廷に仕えていたといいます。しかし、かつての教訓から、彼女は同じ間違いをすることはありませんでした。すなわち、宮廷の華やかで贅沢な生活に溺れることなく、人を助けるような活動をしたのです。

 さて、以上のような過去生を通して、地球卒業のための要点を考察すると、どうなるでしょうか?
 まず、この人の過去生は、必ずしも進歩の連続ではなかったことがわかります。ときには享楽に耽って大きく退歩した人生もありました。ところが、このケースの大きな特徴は、退歩をもたらした失敗から教訓を学び、反省して、二度と同じ間違いをしないよう、しっかりと改めることができたことにあるように思われます。
 つまり、間違いをしてもしなくても、そのことは大きな問題ではないのかもしれません。問題は、そこから教訓を学ぶことができること、反省して生き方を改め、二度と同じあやまちをしないこと、要するに、成長していくこと、ここにポイントがあるように思います。
 間違いや失敗は、ある意味では必要なプロセスなのかもしれません。というのは、私たちは体験を通して「痛い目」に遭わないと、なかなか変われないものだからです。「こっぴどい目」に遭ってこそ、「もうこんなことはごめんだ」と思い、決然として同じことを繰り返すことはなくなります。ところが、痛みを伴わずに人から聞いたり本で読んだ教訓、あるいはちょっとくらいの痛みだと、そのときは「こんなことはするのはやめよう」と思いますが、誘惑などを受けたりすると、また同じことをして失敗してしまい、こんなことをいつまでも繰り返す傾向があります。それはすなわち、いつまでも成長しない状態が続くということです。
 それならば、たとえ大きな失敗をしてひどく痛い目に遭ったとしても、一度の失敗で生き方をきっぱりと変えた方が、時間が無駄になりません。結果的にはその方が早く成長するようにも思われます。
 もちろん、だからといって、わざと間違いや失敗をすることを勧めているわけではありませんが、いずれにしろこのケースから学べることは、「失敗から教訓を学んでしっかりと反省し生き方を改める」という、その力強さみたいなものではないかと思います。換言すれば、「向上心」と言えるかもしれません。
 強い向上心さえ持っていれば、怖いものはないと言えるでしょう。なぜなら、一時的にはどんな失敗をしても、それを通してどんどん成長していくことができるからです。しかし向上心に欠けていたら、それこそいつまでも進歩というものがありません。
 今まで地球卒業にとって大切な教訓をいろいろと見てきましたが、もっとも大切なことは、この「向上心」なのかもしれません。
 こうした向上心を通して、このケースがそうであったように、最後には献身的に人に尽くす生き方に目覚めていくのだと思います。このようにして、私たちは地球卒業への道を歩んでいくのではないでしょうか。


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新刊のお知らせ

 皆さん、いかがお過ごしでしょうか?
 さて、このたび、新しい本を出版いたしましたので、ご紹介させていただきます。

『愛は治癒力を活性化する』~ホロガニズム心理療法入門~
 斉藤啓一 著 ホメオパシー出版 1600円(税別)

 この本は、ジャンルとしては心理療法について書かれたものです。副題の「ホロガニズム心理療法」とは、本書で私が提案する心理療法のことで、これまでにないものです。といっても、「人の心を癒すのはテクニックよりも関係性である」という、かつて行われた調査によって判明した事実を発展させたにすぎません。ところがこの重大な事実が、心理療法をはじめ、医療や治療行為の現場で十分に理解されているとは言い難いのです。

 ところで、私はこれまでにさまざまなテーマで本を書いてきましたが、どの本も「覚醒」ということを念頭に入れています。今回も、表面上は心理療法の本ではありますが、読み方によっては、「覚醒する方法」としても読めるように書いたつもりです。というのも、覚醒するには自我、すなわち衝動を克服しなければなりませんし、他者との関係性を通して覚醒は促されていくのですが、本書はそのような内容が中心になっているからです。

 また、覚醒するには「他者に対する奉仕」ということが大切になってくるかと思いますが、奉仕のなかでも、人を癒したり、支えてあげたり、励ましてあげることが、もっとも価値ある奉仕ではないかと思います。本書は、そのような奉仕をする人のことを「治療者」と呼んでいます。治療者といっても、それを職業にしている人だけのことを意味しません。すべての人が「治療者」になるべきだと思っているのです。そうして私たちは、隣人や縁のあるすべての人に奉仕していくべきであると思うわけです。
 そのためのポイントを、本書では余すところなく書いたつもりです。
 皆さんの参考にしていただければ、これほど嬉しいことはありません。

 どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

 詳細→ 斉藤啓一のホームページ


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『地球卒業者「18人」の過去生』の研究 ⑱-上


 18.征服者(53歳女性/主婦)
『地球卒業者「18人」の過去生』の研究も、最後の18人目になりました。「征服者」というタイトルがつけられたこの18人目の人は、多くの示唆に富んでいるため、2回に分けてご紹介させていただきます。
 例によってリーディングは、占星学的な見地から、この女性の特徴について比較的詳細に述べています。ここで語られていることを読んだだけで、なぜこの女性が(自分で望まない限り)もはや地球に生まれてはこない、つまり地球を卒業することになったのか、非常に多くのヒントを得ることができます。長くなりますが、以下に引用してみます。
 
「この人は生まれつき、それが俗的な性質のものであれ、気高い性質のものであれ、強烈な感情に同調する人である。自分を責めたり、人の行動を責めたりする時を除いては、どのようなものの中にも美を見つけることのできる人である。自然界の色やハーモニーがそうであるように、常に波動が人間に何らかの関係を持っていることを感じている人である。
 地球上で過ごしてきた過去生について言えば、これらはその人の多彩な経験の中で大きく修正ないしは変化している。このため、そこには多彩な変化や、時にはその人にとって矛盾するような証拠さえ見られるかもしれない。それが、これまでその人が歩んできた荒削りな道を時々作ってきたのである。心的、肉体的な苦悶の中にあってさえ、その人は経験を自分の益になるように活かすことによって進歩を遂げてきた。その動機は利己的ではなく、行動は偏っておらず、思いも不安定ではなく、全てのことにわたって穏やかで控え目である。占星座相より来る衝動について見ればこのようになる。
 金星には、同胞に向けられる愛が見られる。同情的なそれではなく、相手が全体の一部としての自分の発達を計れるよう、相手の中の能力を尊ぶという愛である.
 天王星には、その人の視野を高い度数に上げることも落胆の泥沼にはまらせることもできる、神秘的、オカルト的性質の力が認められる。意志力の高揚、上を見上げ、一歩上に進むというのが、その人のこれまでの、生まれもっての表現であった。そのとおり、意志力はこの方向でその人を大きく動かしてきた。そして、どんなに落胆した時でも、魂がその火花であり一部である神が内に入り、そこに留まることを許す時には常に得られる、あの光がその人の元に降ったのである。
 木星には、目的の大きさ、自分を征服することもあれば、自分によって、理解を高めることによって、神の御名の元に勝利する能力によって征服できる力と権力が見られる。
 水星では、知的影響力が拡大されているが、これは精神体の活動を高めることも、利己的性質の活動に振り向けることもできるものである。自分を応用してゆく中で、この人は識別力を獲得し、持っている僅かなものを使うことによって、全体についての理解をより深めている」

 さて、以上のポイントを、私なりに箇条書きにしてみました。
1.どのようなものの中にも美を見つけることができる。
2.経験を自分の益になるよう活かすことができる。ただしその動機は利己的ではない。
3.意志力を発揮することができる。
4.自分を征服することができる。
5.識別力を獲得し全体についての理解を深めることができる。

 おおざっぱですが、以上の5つのポイントがこの人の特徴であり、それがそのまま地球卒業にとって必要とされる力、ないし資質であるように思われるのです。
                                  (つづく)

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