心の治癒と魂の覚醒

        

 バイタリティを高める

 何をするにしても、必要不可欠なものは、「バイタリティ」です。バイタリティ(活力)があればこそ、人は行動し、よく考え、意欲的に何かに挑戦していき、願望を達成することができるのです。人間が成長し、進化をする場合も、その根底には強いバイタリティが必要です。
 では、そうしたバイタリティを持つには、どうすればよいのでしょうか?
 それには、精神的なアプローチと肉体的なアプローチがあります。
 精神的なアプローチは、気持ちがシャキッとしてファイトが湧いてくるような、自己啓発書のような本を読んだり、講演を聴いたりすることです。すばらしい業績を残した偉人の伝記などを読むことも、バイタリティを湧き立たせるでしょう。
 しかし、いくらそのような精神論的な本を読んでも、あまりバイタリティが湧かなかったり、せいぜい一時的なもので終わってしまうことも少なくありません。
 その原因の多くは、肉体そのものにバイタリティが欠如しているためです。たとえば、普段、どんなに好きなことであっても、体調が悪ければ、それをやろうという意欲は起こらないでしょう。すなわち、バイタリティが欠如しているわけです。バイタリティがはなはだしく欠如した状態が、いわゆる「うつ病」です。精神論は大切ですが、精神論だけで強いバイタリティを養うことは難しいのです。肉体のレベルからも、バイタリティを高めるアプローチをしていかなければなりません。
 肉体的なレベルからバイタリティを高めるには、当然ではありますが、健康でなければなりません。十分な睡眠、適度な運動と食事を心がけ、余計なストレスを溜めないなど、健全な生活を送るようにすることが基本となります。仕事やその他の事情で、どうしても不規則な生活になってしまうこともあるかと思いますが、可能な限り健康によい生活をするように努力することが大切です。
 さて、それを理解していただいた上で、とくにバイタリティを高めるために大切な要素となるものがあります。それは「成長ホルモン」です。ホルモンという分泌物は、血中に微量しか含まれていないにもかかわらず、それが心身に及ぼす影響は非常に大きなものがあります。ホルモンの分泌量が少しでも減少すると、たちまち肉体や精神に変調をきたします。
 ホルモンにはいくつかの種類がありますが、バイタリティと大きく関係しているのが成長ホルモンです。このホルモンは脳の視床下部で作られ、文字通り、身体の成長を促す働きをします。主に骨や筋肉を作るホルモンなのですが、メンタル面においても、意欲を高める働きを持っているのです。
 成長ホルモンは、思春期をピークにして、加齢と共に減少していきます。しかしその後も生涯にわたって代謝を調節するなど、健康を維持する重要な役割を持っています。代謝作用は大人の場合、成人病や老化を予防し、若々しい身体を保つために重要な働きをします。たとえば次のような効果があるのです。
・筋肉量を増やすことで基礎代謝をアップさせ太りにくい身体を作る
・体脂肪やコレステロールを減らす脂肪分解作用でダイエット効果がアップ
・骨量を増やすことで骨粗鬆症を予防する
・美肌を作る成分の分泌を促す
・糖を分解して身体のエネルギーを作ることで免疫力がアップ
 こうした成長ホルモンが減少すると、次のような症状が現れます。
 身体的には、体脂肪の増加、筋肉量の減少、骨の量の減少、皮膚がカサカサする、手足が冷えやすい、狭心症や心筋梗塞、脳梗塞などになるリスクの増加、悪玉コレステロールの増加、中性脂肪の増加、善玉コレステロールの減少など。
 そして、精神面では、意欲の低下、情緒不安定、疲れやすい、集中力が続かない、性欲の減退などがあげられます。つまり、ひとことでいえば、バイタリティやスタミナが低下してしまうのです。
 成長ホルモンが減少してしまうと、いくらバイタリティを出そうとがんばっても、意志力や精神力では限界があります。そこで、大人になっても積極的に成長ホルモンの分泌を高める工夫が大切になってくるのです。
 成長ホルモンは、睡眠中と運動後に分泌量が増えると言われています。
・睡眠中:睡眠に入って30分程度の頃、成長ホルモン分泌量は最大となる。
・運動後:運動後、体を休息状態にして3時間以内が分泌時間となる。
 睡眠中における成長ホルモンの分泌は、睡眠に入って30分程度で起こるノンレム睡眠(深い睡眠)のとき、最大になると言われており、もっとも分泌が活発になる時間帯は、午後10時から午前2時の間であるとされています。ですから、10時くらいには布団の中に入っているのが理想です。
 運動によって成長ホルモンの分泌が高まる理由は、運動することによって、筋肉がある種の損傷を受けるためです。筋肉線維が目に見えないレベルでブチブチと切れてしまい、こうして筋肉が壊れると、それを修復しようと成長ホルモンが分泌されるのです。また、筋肉の疲労とともに発生する乳酸の濃度に比例して、成長ホルモンが出るとも言われています。
 成長ホルモンの分泌を高めるための運動量は、15分程度のウェイトトレーニングで十分です。ただしポイントは、運動後、身体を休息させることです。成長ホルモンの分泌は約3時間ほどありますので、その間、身体を動かさず休ませることが必要です。
 たとえば、スクワットや腕立て伏せなど、筋肉に負荷をかけるような動作を疲れが感じられるまで行い、少し休みを入れて、何回か行うようにします。筋肉痛になるくらい回数を多くすれば、それだけホルモンの分泌も多くなりますが、継続することが大切なので、あまり無理はせず、ほどよい筋肉の疲労感を覚える程度で十分でしょう。
 また、ウェイトトレーニングだけでなく、ランニングなどの有酸素運動もバイタリティを高めることが知られております。「運動療法」として、身体的にはもちろんのこと、たとえばうつ病の治療などにも大きな効果があるとされています。
 また、成長ホルモンを分泌させる食物というものがあります。それはアミノ酸です。
 アミノ酸は細胞を作るのに不可欠な栄養素であり、特にその中のアルギニンが成長ホルモンの分泌を活発にする働きがあると言われています。以下の食品にはアルギニンが豊富に含まれているので、積極的に摂取するようにするとよいでしょう。
 納豆や豆腐などの大豆食品、エビなどの魚介類、鶏肉などの肉類、カシューナッツやくるみなどのナッツ類、ゴマ、牛乳、玄米、卵など。
 こうした食品を摂取する場合、成長ホルモンの分泌のタイミングを考えて食べた方が効果が高いとされています。トレーニングを行う前か直後、あるいは夕食などの就寝前に摂取することがよいようです。夕食にアルギニンを含む食品を摂取し、15分ほどトレーニングを行なってから寝るとよいかもしれません。
 以上のように、成長ホルモンの分泌を高めることで、心身のバイタリティを高めることができ、それが修行にも貢献しますし、いつまでも若々しく元気で活躍できる人生を創造する基礎となるわけです。

スポンサーサイト
肉体の改造 | コメント:0 | トラックバック:0 |

 楽しんでやる


「人生とは、重い荷物をかついで坂道を登るようなもの」と、誰か偉い人が言っていましたが、とにかく生きるということは楽なことではありません。お金を稼ぐことは楽なことではありません。学生なら受験勉強は楽なことではありません。主婦なら家事は楽なことではありません。人間関係を築くのも楽ではありません。健康を維持するために、ダイエットしたり運動するのも楽ではありません。まして、病気にでもなれば、健康を回復するために治療生活を送ることは、楽なことではありません。
 とにかく、嫌なこと、辛いことを、じっと耐えてやらなければならないことが、人生にはたくさんあるわけです。つまらないこと、面白くも何ともないことも、我慢してやらなければなりません。
 けれども、「どうせやるからには、楽しんでやるようにしよう」と、このように私は思うようにしています。とうてい楽しんでなどやれないこともありますが、心構えを変えることで、それなりに楽しんでやれることは意外に多いものです。ちょっと無理やりでも「これは楽しいことなのだ」と思ってやるようにすると、なんとなく楽しく思えたりすることもあります。
 修行なども、眉間に皺を寄せて堅苦しく行うのではなく、少し誇張すれば、遊ぶような気持ちで楽しく行うことが大切ではないかと思うのです。
 というのも、人が何かを楽しんでやっているときというのは、たいていリラックスしています。そして、生き生きしています。生き生きとリラックスして何かをするとき、その人が持っている能力が最大限に発揮されます。これが生命にとってもっとも健康的な状態なのです。このことは、霊的修行にも言えることではないでしょうか。もちろん、仕事でも勉強でも、その他、どんなことにも言えます。楽しみながらやるときこそ、もっとも上手にできるのです。
 人生は辛いことが多いのは事実であるとしても、自分の思い込みで必要以上に辛くする必要はないわけで、生命が生き生きするように、なるべく楽しんでやるような心構えを養うこと自体が、ひとつの貴重な成長・進化ではないかと思います。
 そのためには、物事を楽観的に考えるようにすることが必要かもしれません。同じ出来事でも、それをどう解釈するかによって、楽しいものとなったり、辛いものとなったりします。人生において辛いことは十分すぎるくらい間に合っているわけですから、これ以上、わざわざ辛い思いを付け足すことはありません。
 ですから、楽しんで仕事をするようにしようではありませんか。楽しんで修行をするようにしましょう。楽しんで勉強し、楽しんで家事やダイエットや運動や病気治療をしましょう。すべてを楽しみましょう。微笑みながら、笑いながら、仕事も修行も勉強も家事も、何でもするようにしてみるのです。そのように努力すること自体が修行です。
 人生において本当に深刻なことなど、そう多くはありません。ほとんどは、笑い飛ばしてすましても大丈夫なことばかりです。今までくよくよと悩んでいたことも、笑い飛ばしてやろうではありませんか。
 どんなことも楽しんでやれる人は、スケールの大きな偉大な人です。そのような人をめざしていきたいと思うのです。

修行の基本的な姿勢 | コメント:0 | トラックバック:0 |

 不条理に対して心を守る


 人生というものは、少なくとも表面的に見る限り、不条理に満ちています。
 たとえば、人を苦しめるようなことをしていながら、やること為すことうまくいって幸運な人がいる一方で、まじめに一生懸命に努力しているのに、不運に見舞われて報われないとか、善い人なのに次々と辛い出来事が訪れるといったこともあるわけで、このような現象を見ますと、世の中や人生は不条理であると思ってしまうわけです。
 一生懸命に誠実に努力しているのに、ちっとも報われず、それどころか不運や災難ばかりやってくるといった場合、生まれ変わりや因果応報を心から信じることができる人であれば、「この苦労もいつかは報われる。今生でダメなら来世で報われる」と思い、いかなる不遇にも負けずに、そのまま誠実な努力を続けていけるかもしれません。しかし、それには相当の厚い信仰心が必要ではないかと思います。
 多くの人は、一生懸命に誠実に努力を続けているのに、ちっとも報われず、それどころか不運や災難ばかりに見舞われたら、「この世に神も仏もあるものか!」と腐ってしまい、投げやりになって悪の道に走ったり、努力をやめていい加減な生活をしたり、いっさいの希望を失って腑抜けのようになってしまうかもしれません。心は暗くなり、その暗い心が、ますます暗い運命を招きよせるといったことにもなるでしょう。しかし、こうなってしまっても、人情として無理もないことではないかと思います。
 一方、人を苦しめるようなことを多少していても、やること為すことうまくいっている人は、「やはりこの世には神も仏もいるんだ」と思って信仰心が厚くなり、心が明るくなって、その心の明るさが、ますます明るい運命を招きよせるということになるかもしれません。
 仮にそうだとすると、不運な人はどこまでも不運であり、幸運な人はどこまでも幸運であることになります。一生懸命に誠実に努力などするよりも、多少悪いことをしたり人を苦しめても、楽しく、心が明るくなるような生活をした方が幸運である、ということになってしまいそうです。このようなことを考えますと、ますます人生というところは不条理であり、馬鹿馬鹿しく、ナンセンスで、くだらないところだなと思われてしまうのです。
 しかし、いかに不遇で努力が報われないとしても、心が腐ってしまうことほど残念なことはなく、致命的ではないかと思います。来世で報われるかどうかは別として、心が腐ってしまったら、それこそ二重の意味で苦しみを味わうことになります。つまり、不運という外的な苦しみと、心が腐るという内的な苦しみです。しかも、心が腐ってしまったら、外的な運命も、悪くなることはあってもよくなることはないでしょう。まさに、踏んだり蹴ったりの状態ではないでしょうか。
 だまされたり、正直者がバカを見たり、わがままな上司から不当にこき使われたり、陰で悪いことをしている人が幸運に恵まれるのを見ても、心だけは守りましょう。たとえ世の中や周囲がいかにデタラメで不正であり、腐っていても、自分だけは純粋性と誠実さと真心を貫くようにしようではありませんか。
 それで何も得をすることはないかもしれません。それどころか、損をすることさえあるかもしれません。
 しかし、人が死に際に立たされたとき、心さえ腐っていなければ、自分で自分を受け入れることができます。少しおおげさにいえば、自分を愛することができます。「自分はいかなる状況でも人間としてまっとうに生きた。何も恥じることはない」という思いを持つことができます。その思いが、心を安らかにしてくれるはずです。
 それだけでも、大きな「報われ」ではないかと思うのです。いえ、それこそが、大きな報われではないでしょうか。不条理に対して心を守りぬいた、かけがえのない勝利の王冠ではないでしょうか。

修行の基本的な姿勢 | コメント:0 | トラックバック:0 |

 人生の苦難と心の平安


 人生には苦難や不運や苦しみがつきものであり、そういうときは、不安や恐怖に襲われ、苦悩し、心を乱してしまいます。けれども、辛いときほど、心を平安にしていなければならないのです。というのは、神の救いというものは、心が平安であるときにもたらされるといわれているからです。
 シルバーバーチの霊訓だとか、過去の聖人たち、その他、さまざまな霊的な教えが、不安や恐怖や取り越し苦労をしないように戒めています。そういう気持ちは、せっかくの高い霊的存在からの導きをかき乱し、遮断してしまうそうなのです。ですから、救いを得るためには、私たちは辛く苦しいときほど、心を穏やかに、平安にしていなければならないのです。そうすると、その心に神(のエネルギー)が宿り、宿ったその神が、悩み苦しみを解決してくれるというのです。
 しかしながら、そうはいっても、これはなかなか難しいことです。ちょっとした苦しみならともかく、壮絶な苦しみや悩み、絶望に見舞われたようなとき、どうして心穏やかでいられるでしょうか。不安や悲しみや苦悶で心がいっぱいになり、嘆き、あるいは怒りや憤りが湧いてきて、どうしようもなくなってしまうのではないでしょうか。
 そんなとき、心穏やかでいることは、何と難しいことでしょう。心穏やかでいられるなら、もともとその苦しみはたいしたことではないのだと、そのようにも言いたくなります。心穏やかになれず、動揺激しく悶絶しているときにこそ、私たちは神の救いを必要としているのではないかと思うのですが、「心穏やかでなければ救いたくても救ってあげられない」と言われると、人間というものは、何と絶望的で悲劇的な存在なのであろうかと思ってしまうこともあります。
 しかし、この場合も、私は例によって「じりじり主義」を主張したいと思います。すなわち、最初から完璧になろうとするのではなく、「少しでもよい状態になるために」、努力を傾けるのです。すなわち、ほんの少しでもいいから、心が穏やかに、平安になるように努力してみるのです。そうすれば、実際、少しは心を平安にすることはできるはずです。そして、少し心が平安にできたら、さらにじりじりと努力を続けて、もう少し平安になるようにがんばってみるのです。それを忍耐強く繰り返していくなら、いつのまにか、かなり心の平安が得られるのではないかと思います。そして、それに比例して、神の救いが得られるようになり、神の救いが得られるようになると、そのために心も平安になり、心が平安になるとさらに神の救いが得られる・・・といったように、しだいに相互作用が生じてきて、心の平安が加速されてくるのではないかと思います。
 皆さん、努めて心の平安を心がけましょう。それが自己の内部で神がもっとも働きやすい環境なのです。忍耐強く、じりじり主義で進んでいきましょう。不安を捨て、何ものも恐れず、悩まず、あとは神がうまくやってくれるという全託の信念をもって、耐え忍んでいきましょう。それが、人生の苦難に対するもっとも適切な対処の仕方であると思われます。

心の浄化 | コメント:0 | トラックバック:0 |

 新年のご挨拶

 皆様、あけましておめでとうございます。
 今年も、このブログをよろしくお願いいたします。
 それと、お知らせになりますが、ホームページの方もリニューアルいたしました。ぜひのぞいてみてください。 →斉藤啓一のホームページ
 デザインを一新し、コンテンツも充実させました。そのなかには、このブログと関係の深いものも含まれています。ぜひ参考にしていただければ幸いです。

 さて、暦が変わり、カレンダーが新しくなっただけなのに、私たちはなんだか新鮮な気持ちがします。暦というものがない(知らない)動物にとっては、ただ時間がずっと連続している感覚ではないかと思いますが、暦というものを持っている人間は、暦が変わることで意識的な区切りができるのです。たった一日違うだけなのに、「去年」と呼ばれるようになった日々が、遠い過去のようになった感じがします。それと同時に、辛かったことや不愉快だったことも、遠い過去のように感じられて、心の整理がついたり、区切りがついたりするのです。心を入れ替えて、新鮮な気持ちで前向きになれるのです。
 このように、暦を通して過去に区切りをつけ、新鮮な気持ちになることは、とてもよいことではないかと思います。心は過去にとらわれることなく、常に新鮮であり続けるべきです。
 しかしできれば、私たちは暦に頼らなくても、日々を、あるいは瞬間瞬間を、常に新鮮な気持ちで過ごすことができれば理想的です。何か不愉快なことがあっても、次の瞬間にはパッと意識を切り替えて、不愉快なことを遠い過去として葬り去り、心がひきずられることなく、平常心に戻っているようにすること、そんな人間になることが、覚醒を目指す私たちの目標といいますか、理想ではないでしょうか。
 瞬間瞬間は難しいとしても、一日すぎたら、昨日は「去年」になったのだと考えてみるとよいかもしれません。そうすれば、昨日の不愉快な出来事を今日に引きずることも少なくなるかもしれません。
 私たちは、あまりにも過去にとらわれすぎています。よいことならともかく、ほとんどがネガティブな経験の過去にとらわれています。たとえば、「過去に失敗した、だから自分はダメな人間なんだ、そしてこれからもうまくいかないんだ」といった思いが、自覚レベルか、あるいは自覚しないレベルかに関係なく、心に巣くっていることが多いのです。
 過去に失敗したから自分はダメな人間であり、未来も失敗するだろうという見解には、なんら合理的な理由はありません。むしろ、過去に失敗したからこそ、それを教訓とすることで、未来は成功しやすくなるといった方が多いのです。
 年明けの日だけではなく、毎日毎日を「年明け」だと考えて、常に新鮮な気持ちで今年一年、毎日を生きていこうではありませんか。

未分類 | コメント:0 | トラックバック:0 |
| ホーム |