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心の治癒と魂の覚醒

        

魂は実在するのか?(3)

 これまで、魂は物質でもエネルギーでもないと説明してきました。この世の中で「存在するもの」といえば、物質かエネルギーかのいずれかのはずです。この両者でもないとしたら、魂は存在するとは考えにくくなるのです。
 すると「いや、魂は高次元世界の物質で構成されている。だから、地上世界では見ることも測定することもできないのだ」と主張する人がいるかもしれません。
 しかし、次元の高い存在が低い次元の世界に存在することは、原理的に不可能です。
 たとえば、立体は三次元で、平面は二次元ですが、平面世界に立体は存在できません。
 したがって、高次元に属する魂なるものが、それより低い次元の物質世界に存在するということは、ありえないのです。
 ですから、魂は高次元世界の物質ではありません。そうなると、地上世界の物質か、あるいはエネルギーということになりますが、すでに考察したように、その可能性もありません。
 結局、どう考えても、魂というものは存在しないと考えられてしまうのです。

 ただ、魂そのものは地上次元ではなく高次元に存在するが、その高次元にいる魂から情報が送られてきていて、地上世界の肉体(脳)と情報を交換している、という考え方はできるかもしれません。実際、「ハイアーセルフ」(高自我)という考え方があります。つまり、魂そのものはこの地上次元には存在せず、高い次元に存在しているが、高次元の魂からこの地上次元の肉体に情報が送られてくる、また肉体の情報が魂に送られるという説です。
 しかし、そう考えたとしても、ひとつ問題があります。
 それは、どのようにして情報を交換しているかです。
 つまり、魂という高次元の物質と、肉体という地上次元の物質との間で、情報のやり取りが行われる際に、その情報はどのように伝達されるかということです。
 情報は、必ず何らかの媒体によって伝達されます。
 媒体なくして情報が伝達されることはありません。たとえばニュースなどの情報は、音声媒体(人の話)だとか、紙媒体(新聞)だとか、電波媒体(テレビ・ラジオ)といったもので運ばれます。
 しかし、情報を送信したり受信したりするには、双方が同じ媒体を使っていなければ不可能です。眼の不自由な人に新聞をわたしても情報は伝わりませんし、耳の不自由な人にラジオをわたしても情報は伝わらないようなものです。

 もし、情報を伝えようとするなら、異質な媒体どうしを変換する媒体が必要となります。
 たとえば、音の情報を光の情報に、光の情報を音の情報に変換するような媒体です。直接、音の情報を光の情報に、光の情報を音の情報にすることはできません。情報の媒体が異質だからです。異質な媒体どうしを結びつける他の媒体が必要となります。
 たとえば、そのような媒体の代表的なものが電気です。光の情報は電気信号に変換されて音の情報になります。音の情報は電気信号に変換されて光の情報になります。この典型が音楽CDです(録音:音→電気→レーザー光線/再生:レーザー光線→電気→音)。
 では、高次元の情報と地上次元の情報とを変換する媒体というものが、存在するのでしょうか?
 もし存在するなら、それは、高次元世界にも地上世界にも存在していなければなりません。つまり、高次元の存在でもあり、同時に低次元の存在でもある、ということになります。
 しかしこれは、あきらかに矛盾したありえないことです。
 音や光や電気といったものは、すべて同じ次元に存在しています。だから電気が音や光の媒体となれるのですが、次元の違いとは、まったく別の世界ということになり、まったく異なる原理や法則で成り立っています。
 たとえば、ある存在が、立体(三次元)であり、同時に平面(二次元)である、などということがありえるでしょうか? 原理的にありえません。
 つまり、共有できる媒体が存在しないことになります。ということは、高次元世界と地上世界との情報をやり取りすることができないということになるわけです。
 こう考えても、高次元世界と地上世界の情報をやり取りしているとする魂というものは、存在しない可能性が高くなってくるのです。

 しかし、仮に百歩ゆずって、私たちの想像をはるかに超えた何らかのメカニズムによって、高次元と地上次元との間で情報を交換できると考えてみます。
 ところが、低い次元では、高い次元の情報を完全に把握することはできません。
 たとえば、ピラミッドの形は立体次元の存在ですが、それが平面次元においては、三角形や四角形といった平面でしか把握できません(横から見たら三角形、上から見たら四角形)。しかし、三角形や四角形は、ピラミッドの真の姿ではありません。
 高い次元の存在は、低い次元の存在を包含しています。高い次元の情報は、低い次元には、断片的にしか伝わらないのです(もし完全に伝わるとしたら、次元というものの定義が覆されてしまいます)。
 したがって、もし高次元と地上次元との間で情報が交換できると仮定したとしても、私たちは高い次元の情報を正確に認識することはできないのです。ある人はピラミッドを三角形と主張し、ある人は四角形だと主張するようなものです。どちらもピラミッドではありません。次元がひとつ違うだけでもこれほど差があるのに、次元が二つも三つも違ったら、真の姿とはほど遠くなってしまうわけです。
 このように、仮に高次元世界に魂なるものがあり、それが地上次元の脳との間で情報を交換しているとしても、私たちの脳は、魂からの情報を完全には認識できず、かなり歪められたものになっているということです。
 ピラミッドを平面的に説明しようとしたら「四角形でもあり三角形でもある」と矛盾した表現になってしまいます。しかし、立体というものを認識できない平面世界の住民にとって、四角形でもあり三角形でもあるというのは、矛盾してあり得ないことになります。どんなにがんばっても認識できません。もしピラミッドの真の姿を認識できたなら、想像していたものとはまったく違い、驚くと思います。
 同じように、仮に霊的な存在、霊的な世界というものが存在するとしても、それは私たちの想像をはるかに超えたものなのです。早くいえば、わからないものなのです。
 そのわからないものを、いかにも明確な真理であるかのごとく語っている宗教やスピリチュアルの教えというものは、ナンセンスとしか言えないわけです。ピラミッドを「三角形だ! いや違う、四角形だ!」などと主張して争っているようなレベルです。
 考察してきたように、霊的なものは高次元であるとするなら、低次元であるこの地上で説かれた「霊的なもの」のはすべて、間違っていることになるのです。控えめに言っても、正確ではない、ということになります。
 ということは、魂というものも、仮にそのようなものが存在しているとしても、私たちの想像とはまるで違ったものでしょうから、実質的には別物ということになり、存在しないと言ってもいいことになるわけです。

 間違ったものを信じるくらいなら、信じない方がましです。間違ったものを信じていたら、間違った考え方や行動につながってしまうからです。
 あえて、霊的世界の事象を表現しようとしたら、言語を超えたものとなり、「空(くう)」という言葉が当てはまるのではないかと思います。空は説明できません。説明できないものを空と表現したと言ってもいいかもしれません。
 私たちは、間違った霊的教えではなく、「空」というものを、生き方の土台にするべきであると思うのです。

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霊界と生まれ変わりの真実 | コメント:0 | トラックバック:0 |

魂は実在するのか?(2)

 前回は、魂が存在するとして、魂には質量があるのかについて考えました。その結果、おそらく魂には質量がない、つまり物質ではないと考えられました。
 そして、物質ではないとすると、エネルギーということになります。
 魂は、ある種のエネルギー体なのでしょうか?
こうした見解は、スピリチュアルの世界でよく耳にします。魂とか霊というものはエネルギーなのであると。
 こうした説明は、一見するともっともらしく科学的に聞こえるのですが、実はまったく説明になっていません。
 まず、エネルギーとはそもそも何なのか、その定義から見ていきたいと思います。
 エネルギーとは、「物理学的な仕事に換算しうる量の総称」のことです。たとえば、位置・運動・熱・光・電磁気などが、この地上で見られるエネルギーです。
 ひらたくいえば、物質に何らかの変化を与える力のことです。たとえば、熱エネルギーというのは、分子(という物質)を振動させる力のことです。熱とは分子の振動だからです。電子レンジが熱を発しないのに料理を温められるのも、電磁気が分子を振動させるからです。電磁気は電気と磁気のことで、電気とは電子を移動させる力であり、磁気とは、電気的に物体を引き寄せたり排斥したりする力のことです(かなりおおざっぱな定義ですが)。
 つまり、エネルギーというのは、それ単体で出現するわけではなく、物体を通じてその存在が確認できる力のことを言うのです。
 たとえば、私たちは「力」というものを純粋に見ることができるでしょうか?
 できません。物体が運動したり変化したりするときのみ、そこに力があるんだなとわかるだけです。その力のことがエネルギーです。

 仮に、百歩ゆずってエネルギーだけが存在していたとします。
 しかし、エネルギーというものは、自然に拡散して、まとまった個体にはなりません。たとえば、火を起こせばその周辺に熱エネルギーが存在しますが、熱はどんどん拡散していきます。電球は光を放射しますが、光はどんどん拡散していきます。純粋に熱だけ、光だけが、空間の一点に集約し、個体としての形態を維持することはできません。電気も同じです。電気のかたまりなどというものは存在しません。
 したがって、魂がエネルギーであるとしたら、魂という、ある種の個体を形成することはできません。個体がなければ、「私の魂、あなたの魂」といったようなものではなくなります。境界のない、遍在的なものになるのです。
 仮に、肉体に魂というものが宿っていて、その間は個体として存在したとしても、肉体という物質から離れた瞬間に拡散してしまい、個性を失って消滅してしまいます。たとえるなら、水の入ったコップにインクを一滴たらすようなもので、最初は個体としてのまとまりがありますが、どんどん拡散して水に溶け込んで消失するようなものです。

 このように、エネルギーだけでできている体といったものは存在しません。原理的にありえないわけです。
 以上の考察から、魂には質量がある、つまり物質的な存在であるとも考えられないし、かといって、エネルギーであるとも考えられないのです。
 この世は物質か、あるいはエネルギーのいずれかの実体しかありませんから、そのどちらでもないとすると、結局、魂というものは存在しない可能性が高くなるわけです。
 では、魂というものは、高次元の実体ということになるのでしょうか?
 これについて、次回、考えてみたいと思います。

霊界と生まれ変わりの真実 | コメント:6 | トラックバック:0 |

魂は実在するのか?(1)

 霊能者や臨死体験者は、肉体から魂が抜け出すという、いわゆる「幽体離脱」の体験を報告しています。たとえば手術中に魂が抜け出して天井あたりに浮遊し、自分のからだを上から目撃するといった体験です。
 しかし、本当に魂なるものが肉体から浮遊して、その視点からこの世界を見るということができるのでしょうか?
 一説によると、人は死んだ瞬間、体重が数グラムほど減るとされています。それが魂の重さだというのです。
 もし仮にこの説が正しいとすれば、魂は質量を持った物質ということになります。しかし目には見えないので、その物質は透明ということになります。つまり、魂とは「透明人間」ということになります。
 その透明人間が、水素ガスのように軽いために天井あたりに舞い上がって、肉体を見ていることになります。
 しかし、透明人間はものを見ることができません。
 私たちがものを見ることができるのは、カメラに似た構造をもった眼球があるからです。すなわち、眼球という暗室のなかに光を感知する網膜があり、そこに像が映し出されるから、ものを見ることができるのです。しかし、透明人間であれば、すべて光を通してしまいますから、網膜に像は映りません。ですから、透明人間は盲目なのです。
 あるいは、眼球のような構造ではなく、まったく想像もつかないメカニズムで外界を見ることができるのかもしれませんが、その可能性は極めて低いです。なぜなら、特定の角度から特定のものを見るというのは、その特定の角度に入ってきた光子だけをとらえて感知しなければ不可能で、その光子だけをとらえることは、四方八方から光子が通過してしまう透明人間である限り、原理的に不可能だからです。

 ところで、幽体離脱した人は、魂のからだで、壁などもすり抜けることができるとされています。しかし、もし魂に数グラムの質量があるとすると、原理的に壁を通り抜けるのは不可能です。空気のような希薄なものであれば、壁の材質しだいでは通過できるかもしれませんが、その場合でもスイスイというわけにはいきません。しかも数グラムも質量があるとなると、空気よりずっと重いことになりますから、壁を通り抜けることは原理的に不可能です。

 さらに、魂のからだで、遠い場所に一瞬で移動することができるらしいのですが、それが文字通り「一瞬」であるとしたら、光よりも速いと考えられますが、質量を持っている限り、光の速さより早く移動することはできません。仮に光よりほんのわずかだけ遅いと仮定したとしても、数グラムの物体をそのくらいの速さで移動させるには、天文学的な巨大なエネルギーが必要となります。魂に、それほど巨大なエネルギーを生み出す器官があるのでしょうか? あるとしたら、その供給源、そのメカニズムは何なのでしょうか?
 そういうものがあるのだったら、とても重要なものであり、チャネリングなどで言及されているはずですが、私はそのような記述は見たことがありません。
 また、そのくらいのエネルギーで空間を移動したら、たとえ数グラムの質量といえども、あきらかに周囲の空間に影響を及ぼすはずです。たとえばポルターガイストのような原因不明の現象がひっきりなしに起きているはずです。しかし、そのような現象は、仮に起きているとしても、稀にしか起きていません。

 以上のように考えると、魂というものが仮に存在するとしても、質量があるとは思えないのです。
 おそらく、魂には質量はないはずです。
 質量がないということは、物質ではないということです。物質ではないとすると、エネルギーということになります。
 しかし、魂がエネルギーであると仮定しても、魂が存在するとは思えない結論に達するのです。
 次回はその点について説明してみたいと思います。

霊界と生まれ変わりの真実 | コメント:2 | トラックバック:0 |

脳は超能力を持っているか?

 アリゾナ大学意識研究センターの所長で麻酔科医でもあるスチュアート・ハメロフは、英国の著名な物理学者ロジャー・ペンローズとの共同研究によって、脳細胞にはマイクロ・チューブル(微細管)と呼ばれるものが存在し、そこで「量子もつれ」の現象が起こっていることを発見したといいます。
 まずは、「量子もつれ」とは何かについて簡単に説明します。
 電子、光子、クォークといった物質の最小単位のことを素粒子と呼びますが、この素粒子が量子です。
 量子には常識をくつがえすような不思議な特徴がいくつかあるのですが、そのなかでも、もっとも不思議なのは、「量子どうしはどんなに離れていても瞬時にして情報を伝達する」という性質です。これが「量子もつれ」です。たとえば、銀河系の両端ほど離れていても、量子は瞬時に情報を伝えるのです(実験的に証明されています)。
 さて、脳細胞の中で量子もつれが起きているとは、どういうことを示しているかというと、離れた脳細胞どうしが情報をダイレクトに伝達しているということです。
 つまり、今までの考え方だと、個々の脳細胞は互いに連結していて、情報は電気信号によってドミノ倒しのように他の脳細胞へと伝わっていくとされます。
 ところが、ハメロフの説では、情報は直接につながっていない細胞どうしの間でも伝達されているというのです。いわば、脳細胞の間でテレパシーのような現象が起きているというわけです。
 そしてハメロフによれば、こうした量子もつれは、個人の脳内だけで起きているのではなく、他者との間で、さらにはあらゆる物質との間にも起きていると主張しています。
 つまり、ある人の脳細胞の情報が、他の人の脳細胞へ情報を伝達しているというのです。これはつまりテレパシーということになります。量子そのものは個人も他者も区別がありませんから、理屈としては、こうしたことがあっても不思議ではありません。
 さらには物体へと情報が伝達するといいます。物体に脳細胞の情報、つまり意識情報が記録されるのです。そして、その記録された情報が別の人の脳細胞に情報を伝達する可能性があるということです。これはサイコメトリーということになります。
 
 以上のようなハメロフの主張は、まだ仮説の段階で、証明されたわけではありません(ただし脳細胞の中で量子が活動している現象が生じていることは、他の科学者の実験でも証明されています)。
 したがって、脳が超能力を持っていること、言い換えれば、超能力は脳の機能のひとつであることは、断言はできませんが、その可能性がありえるということになるのです。
 そうなると、魂だとか、霊といったものを持ち出さなくても、いわゆる霊的現象については説明できてしまいます。「超能力」と表現していますが、そのメカニズムが量子の働きによるものだとわかれば、「超」能力ではなく、当たり前の能力ということになります。

 もし脳がテレパシーやサイコメトリーといった超能力の機能を持っているとすれば、霊能者や臨死体験者が、誰も知らない事実を言い当てたりするのも説明がつきます。別に霊的なものを持ち出す必要はないのです。
 つまりこういうことです。
 脳というものは、何らかのイメージを通して情報を受け取る傾向があります。たとえば「お母さん」という言葉を耳にしたとき、自分が持っているお母さんのイメージを思い浮かべるはずです。「平和」といった抽象的な概念であっても、その言葉を聞いたとき、何らかのイメージが脳裏に湧きあがるはずです。脳というものは、とにかく何らかのイメージを常に描く習性を持っているわけです。完全にイメージなくして脳を機能させることは不可能ではないかと思います。
 そして、超能力によって何かの情報を感知する場合、もしも「自分にはそんな能力がない」と思い込んでいるとすると、「誰かから情報を教えてもらう」という考えになるはずです。そのとき、たとえば守護霊とか指導霊といったイメージを作り出し、そのイメージから情報を引き出すという形になるのではないかと考えられるわけです。
 たとえば、自分の超能力で危険を察知したのに、「守護霊のお告げ」というかたちになったりするわけです。
 チャネリングなどは、「高級霊」などが自分にメッセージを送ってきたとされますが、脳が高級霊というものをイメージして、その高級霊から情報を教えてもらうというかたちになっているのかもしれません。
 その「高級霊」は、誰も知らない事実を知らせたりするので、本当にそのような存在がいるものと錯覚してしまいますが、実際には脳の超能力が発揮されたに過ぎない可能性があるわけです。

 人間というものは、未知なるもの、理解不能なものに遭遇すると、すぐに神だとか霊といった超自然的な存在をイメージし、それが原因であると決めつけてしまう癖があるようです。
 たとえば今でも未開の住民はそうかもしれませんが、かつて雷は「神の怒り」などと考えられていました。疫病は「悪魔の仕業」で、統合失調症は「浮かばれない霊の憑依」といった具合です。
 しかし、科学が進歩し、雷は異なる空気どうしの摩擦で生じた電気であり、疫病はウイルスによるものであり、統合失調症は脳内分泌物のアンバランスによるものだということがわかってくるにつれ、そうしたものが神や悪魔の仕業などとは考えなくなりました。
 確かに、電気というものを知らなければ雷は不思議に思われたでしょうし、顕微鏡が発明されていない時代、疫病も不思議であり、統合失調症も不思議に思われたことでしょう。不思議に思うことは当然なことです。
 問題は、その不思議なものの真の正体を探求しようとせず、安易に神だとか霊の仕業などと解釈してしまったことにあります。同じあやまちを、宗教やスピリチュアルの信奉者も犯しています。理解不能な現象を、神や霊的なものが原因であると決めつけているのです。
 今後、量子力学や脳科学といったものが発展していけば、「霊」などというものを持ち出していた今の時代が、いかに原始的で幼稚で未開な状態であったか、将来、笑いながら振り返る日が来るかもしれません。
 あるいはもしかしたら、本当に神や霊といったものが原因であったと証明されるかもしれません。それはわからないのです。
 わからないものは、わからないとして、安易にその正体を決めつけたりせず、どこまでも探求していく姿勢こそが大切だと思うのです。
 そのために、今回、霊的現象は脳が作り出したものであり、魂とか霊といったものではない可能性がある、ということを紹介させていただいたわけです。

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