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心の治癒と魂の覚醒

        

真の瞑想とエゴ

 まずは報告とお知らせから。
 先日7月20日/21日のイデア ライフ アカデミー瞑想教室は、「瞑想を成功させる正しいモチベーション」というテーマで行いました。
 何事もそうですが、正しいモチベーションでやるかどうかで、その成果が大きく変わってしまいます。この傾向は特に瞑想について言えるのです。いわゆる瞑想をしている人たちのほとんどは、真の瞑想をしていません。単なるメンタルトレーニングをしているだけです。なぜほとんどの人は瞑想ができないのか? それは「エゴ」で瞑想をしているからです。エゴを消滅させる瞑想こそが真の瞑想です。しかし、こうした瞑想法はほとんど知られていません。それを今回、紹介しています。
 今回の内容は、今までの授業の中でもっとも重要なものだと思いましたので、ひとりでも多くの人がこの真実を知っていただきたいとの願いをこめて、通常、ダイジェスト版は30分くらいに編集しているのですが、今回は特別に約1時間、重要なことをすべて収録しました。
 瞑想に関心のある方はもちろん、関心のない方でも、人間や人生の本質を知る手がかりになると思いますので、ぜひご覧になってください。
 動画ダイジェスト版
 なお、8月はイデア ライフ アカデミーはお休みなので、次回の授業は、9月7日/8日となります。グルジェフ・シリーズの三回目(最終回)です。
 参加ご希望の方はホームページをご覧ください。
 斉藤啓一のホームページ
 
 では、本題に移ります。
 上記に紹介した動画を抜粋するような内容となりますが、ここで問題になっているのは、「エゴ」ということです。
 エゴというのは、単なる機械的な衝動の集合体にすぎない、偽りの自己のことです。しかし私たちは、この偽りの自己を本当の自分、すなわち<私>と思い込んでいるのです。そして、その<私>、つまり、偽りの自己であるエゴが、私たちを悩ませ、不自由にさせているのです。私たちはエゴに操られているのです。そうして苦しんでいるのです。ところが、世の大半の人たちは、その事実に気づいていません。エゴを本当の自分だと錯覚し、エゴに操られているのに、自分の意志で自由に選択し行動していると思い込んでいるのです。
 エゴというものは、基本的に「取引、交換条件、打算」の働きしかできません。世の中が取引や打算ばかりなのは、地上世界がエゴによって支配されているからです。実際、家庭や学校の教育というものは、「取引」を教えるところとなっています。取引、すなわち、「偉くなるために努力しなさい」といったように、目的とするものを手に入れるために、そのための労力だとか金銭といった代価を提供するというものです。
 物質世界では、快楽やお金を手に入れるために、労働などを提供する仕組みになっています。これはビジネスや商売ということですが、もともとそれは取引なので問題はありません。しかし、この取引の発想を、宗教やスピリチュアルにもちこむと、問題が起きるのです。非常に醜悪な人間になりかねないのです。
 エゴというものは、すでに述べたように、単なる機械的な衝動の集合体に過ぎないのですが、あたかも人格を持っているかのように作動します。そして、いつまでも生きながらえ、私たちを背後から支配することに懸命になっているのです。
 そこで、私たちの使命は、エゴを消滅させることにあるのです。いわゆる修行とは、エゴとの闘いであり、エゴを消滅させることなのです。
 しかし、エゴは非常にずる賢いので、そのことに抵抗したり、ときには激しい攻撃を加えようとします。エゴのずるさ、悪質さは、動画で詳しく述べていますが、エゴは、ある種のエネルギーフィールドのようなものを生みだし、それによって、エゴを消滅させようとする人物に、運命的な悲劇を与えることさえあるのです。
 エゴが脅威を感じるのは、自分(エゴ)の正体を暴かれることです。なぜなら、正体が暴かれてしまうと、滅ぼされる危険があるからです。ですから、エゴは私たちに気づかれないように巧妙に姿を隠しながら、あらゆる手段でだまし続けるのです。本当はエゴの行為なのに、「愛と正義の行いをしている」などと思い込ませてしまったりするわけです。
 エゴは自分を消滅させようと教えを説いている人間に脅威を覚えます。そのため、そういう人間に攻撃を加えることがあります。その典型的な例が、イエス・キリストの磔だと、私は思っています。イエスは人間のエゴに殺されたのです。
 では、いったいどうしたらいいのでしょうか?
 動画では、そのための瞑想法を紹介しています。この瞑想法は、おそらく今までほとんど世に知られていないものだと思います。この瞑想法こそが真の瞑想であって、その他の「瞑想」というものは、厳密には瞑想ではありません。なぜなら、それはエゴの「瞑想」になっているからであり、エゴの瞑想は「妄想」でしかないからです。
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エゴを消滅する方法 | コメント:4 | トラックバック:0 |

自分が本当に求めているもの


まずはご報告とお知らせから。
 先日7月6日/7日のイデア ライフ アカデミー哲学教室は、「グルジェフ 人と思想2」を行いました。好評のグルジェフ・シリーズの第二弾です。
 グルジェフの思想は奥が深くて、そう簡単に理解できるものではないのですが、彼が弟子に語った次の言葉が、彼の教えの根底にあるように思われます。この言葉はグルジェフの人間としての懐の深さを示した、とても感動的なものであると思います。ダイジェスト版にも収録されていますが、以下、紹介してみます。
「ほんとうの人間は、苦悩が人間にとって正常なことであるのを知っているから、苦悩を受け入れる。人間は自身について真実を知るために苦しまなければならない。意志をもって苦しむことを学ばなければならない。苦悩が来るとき、意図して苦しまなければならない、存在全部で感じなければならない、そういう苦しみが、意識を持つことや理解することを助けるということを願わなければならない」↓
 動画「グルジェフ 人と思想2」(ダイジェスト版)

 グルジェフ・シリーズの三回目(最終回)は、9月7日/8日となります。
 次回のイデア ライフ アカデミーは、7月20日/21日、瞑想教室第8回「瞑想を成功させる正しいモチベーション」を行います。何をするのでも同じと思いますが、特に瞑想をする際には、正しいモチベーションを持つことが絶対的に重要になってきます。正しいモチベーションで行わなければ、効果がないどころか、邪道に陥ってしまうからです。参加ご希望の方は以下のホームページから。↓
 斉藤啓一のホームページ

 では、本題に移ります。
 私たち人間の不幸や苦しみの、最大かつ根本的な原因は、結局のところ、「自分が本当に求めているものが何かわからない」という点に尽きると思います。
 私たちは、生まれてからこれまで、親の影響や社会の影響、マスコミの影響などで、本当は欲しくもなく、求めてもいないものを「これが欲しい」と”思わされて”、それを求めているのです。そうして、莫大な人生の時間と労力とを、欲しくもないもののために浪費しているのです。
 たとえば、高級車が欲しいとしましょう。そのクルマのデザインや性能が気に入って買うのなら問題はありません。しかし、高級車に乗ることで「人から認められたい」という動機であれば、本当に欲しいのはクルマではなく、「自己肯定感」ということになるわけです。そういう人が高級車を手に入れたら、しばらくは自己肯定感が高まったように感じるかもしれませんが、じきに色あせてしまいます。自分よりもっといいクルマに乗っている人もいますし、また、クルマ以外のことになると、やはり自己肯定感が満たされないからです。そうして今度は、ブランドの高級バッグだとか、大豪邸といったものを欲しがるわけです。それらが何もかも得られればまだいいのですが、普通、そのようなことは無理です。結局、自己肯定感の低さで苦悩することになるのです。
 高級車だとかブランド品といった「モノ」では、自己肯定感を得ることはできません。そのことに気づかず、憑かれたようにモノを求める生き方は、奴隷のようなものです。欲しいのは高級車だとかブランド品ではなく、自己肯定感だということに、早く気づくことが大切になってくるのです。

 では、「自己肯定感」は、どのようにすれば得られるのでしょうか?
 自己肯定感とは「自分には価値がある」という実感のことです。それを得るには、人からの賞賛が必要であると思いこんでいます。そのために、モノやカネを獲得したり、名声を獲得しようとして欲望を燃やすのですが、いくらそのような欲望を追求して、たとえその欲望が満たされたとしても、自己肯定感を得ることはできません。せいぜい、一時的にそれが得られた錯覚をするだけで、すぐにまた虚しくなるでしょう。
 他者からの賞賛では限界があるということです。他者から自分を肯定されることには限界があるのです。したがって、「自分で自分を肯定できるようになること」、これが重要になるわけです。外側に解決策はありません。内側、つまり心の世界に解決策があるということです。

 これは、自己肯定感の問題だけに限りません。
 私たちは、自分の外側、すなわち外的環境が自分の都合のいいように変われば、幸せになると思っているのですが、これは錯覚なのです。外的環境が自分の都合のいいように変わっても、人間が求めているものは外側には存在しないからです。第一、外的環境は自分の都合のいいように変わりません。変わることもときにはありますが、変わらないことの方が圧倒的に多いです。ですから、二重の意味で不毛なことを、私たちは行っているのです。
 このような、不毛な外的環境に可能な限り依存しないようにすること、そして、外的環境に影響されない内的環境を確立すること、これが、「私たちが本当に求めていること」ではないかと思うわけです。

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