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心の治癒と魂の覚醒

        

推薦図書  『キリストにならいて』

 推薦図書
 『キリストにならいて』 トマス・ア・ケンピス著  池谷敏雄訳  新教出版

 今から五百年以上も前に書かれた本で、聖書の次に売れていると言われています。クリスチャンの方ならお馴染みでしょう。しかし、クリスチャンなくても、魂の救いや人格の向上をめざす人にとっては、貴重な示唆を与えてくれる不朽の名著です(ちなみに私はクリスチャンでも他のいかなる宗教の信者でもありません)。
 本書に書かれている内容は、必ずしも耳に心地よい、なまぬるいものではありません。徹底的な現世否定と自己否定が説かれており、神やキリストといった言葉を除けば、仏教(原始仏教)の経典を読んでいるのではないかと錯覚してしまうほどです。まさに釈迦が説いた「諸行無常」、「諸法無我」の考え方が、これでもかというほどちりばめられているのです。しかし、これが、宗教の違いを問わず、この世の真理なのではないでしょうか。現世の欲望に惑わされている私たち現代人にとっては、横っ面をひっぱたかれるような衝撃を覚えるかもしれません。もちろん、その根底には、苦悩する人間に対する温かい慈愛と救い、慰めがあり、単なるお綺麗ごとではなく、本音をもって誠実に書かれている文章には胸を打たれます。

 筆者のトマス・ア・ケンピス(1379/80ー1471)は、ドイツで活躍した修道士です。その彼が、後輩の修道士に向けて、徳の完成に至る道、救いの道、真のキリスト教徒としての道についてのアドバイスのために書かれたのが本書です。
 修道士とは、仏教でいえば出家修行者のことです。出家、つまり世の中を捨てて魂の救いのために、人生のすべてを修行に専念する人のことであり、本書は基本的にそうした修道士に向けて書かれたものなので、その内容もそれなりに厳しい内容となっています。
 たとえば、こんな感じです。

 「(キリストは次のように言われたのです)わが子よ、私の恵みは貴くて、外部のもの、またはこの世の慰めと混じるのはゆるされないのである。それゆえ、もし恵みがそそがれることを望むならば、すべてそれを妨げるものを投げ捨てなさい。自分のためにひそかな所を選び、自分独りでいることを愛し、人との話を求めず、むしろ神に敬虔な祈りをそそぎなさい。これはあなたの心の罪を悔いさせ、良心を清く保つためである。世をすべて無に等しいものと見なし、神に仕えることをすべての外物よりもまさるものとしなさい。私に仕えると同時に過ぎ行くものを楽しむことはできないのである。知己や親友から遠ざかり、この世のあらゆる慰めを心から遠ざけなさい」(第3篇53章1)

本書の要点を絞り込むと、およそ次の7つに集約できるかと思われます。
1.徹底的な地上的欲望の否定(仏教的に言えば「煩悩」の除去)
2.世俗的な人々と交わることの否定
3.自己の否定(謙遜と従順の美徳の養成)
4.すべてを神の意志にゆだねること
5.誘惑や苦難と忍耐強く闘うこと
6.神を無条件に愛すること
7.イエス・キリストの生き方をまねること

 すでに述べたように、最後の6と7を除けば、釈迦とまったく同じことを説いているのがわかります。たとえば、2の「世俗的な人々と交わることの否定」について、本書では「全世界と悪のあらゆる喧騒を閉め出し、屋根にひとりいるすずめのようにすわりなさい」(第4編12章1)とありますが、釈迦は「実に欲望は色とりどりで甘美であり、禍であり、病であり、矢であり、恐怖である。諸々の欲望の対象にはこの恐ろしさのあることを見て、犀の角のようにただ独り歩め」(『スッタニパータ』第1章3)と言っています。比喩が違うだけで、まったく同じことを言っているのです。

 神の存在を認めず、イエスのような救済主の考え方がない仏教徒にとっては、この点についての抵抗があるかもしれません。しかし、これは「自己を捨てる」ための、ひとつの手段と見るべきであると私は考えています。つまり、自力だけで自己を捨てるというのは、ほとんど不可能だからです。その点で、自己愛を神やキリストへの愛に転化させ、結果的として自己愛を捨てる(自己を滅却する)ことをめざしているキリスト教の教えは、それはそれで大変に参考になるのではないかと思っています。ですから、仏教徒であっても、読んで損はない本であると思います。

 なお、本書の翻訳は他にもいくつかあるようです。たとえば岩波文庫からも出ていますが、訳文が堅くて活字が小さいので、読みやすいとはいえません。ただ、ある種の格調高さはあり、価格も安いです。あくまでも好みの問題ですが、私としては冒頭にあげた本をお勧めいたします。

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