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心の治癒と魂の覚醒

        

自己改善

 まずはご報告とお知らせから。
 
 今月12月18日/19日のイデア ライフ アカデミー瞑想教室教室は、「精神的な出家」というテーマで行いました。仏教でもキリスト教でも、本格的な霊性向上の修行をするためには、出家が求められました。しかし、私たちは現実的に出家はできません。どうしても俗世で生きなければならないのです。そこで、俗世で生きながらも、精神的には出家して、精神的には俗世から離れることが大切になってくるのです。それは難しいことですが、不可能ではないと思っています。そのためのヒントを紹介しています。単なる趣味や道楽ではなく、真に霊性向上の瞑想をめざしている方は、とりあえずダイジェスト版をご覧になってみてください。
動画視聴

 来年のイデア ライフ アカデミーは、1月は休講なので、2月からになります。以下、来年の予定を紹介させていただきます。まだイデア ライフ アカデミーに参加したことのない方、来年こそはぜひ教室でお会いできることを楽しみにしています。
 参加ご希望の方は「斉藤啓一のホームページ」まで

 イデア ライフ アカデミー 2022年の授業予定
 ●1月 休講
 ●2月19日(土)/20日(日)  哲学教室第23回「イスラム神秘主義 スーフィズム1」
 ●3月19日(土)/20日(日)  瞑想教室第23回「自己観察と自己忘却」
 ●4月16日(土)/17日(日)  哲学教室第24回「イスラム神秘主義 スーフィズム2」
 ●5月21日(土)/22日(日)  瞑想教室第24回「死と向き合う」
 ●6月18日(土)/19日(日)  哲学教室第25回「良寛に学ぶ」
 ●7月16日(土)/17日(日)  瞑想教室第25回「シュタイナーの瞑想法」
 ●8月20日(土)/21日(日)  哲学教室第26回「E・フロム 真の宗教と愛」
 ●9月17日(土)/18日(日)  瞑想教室第26回「自力と他力のバランス」
 ●10月15日(土)/16日(日) 哲学教室第27回「ケン・ウィルバーの思想」
 ●11月19日(土)/20日(日) 瞑想教室第27回「聖イグナチオの瞑想法」
 ●12月17日(土)/18日(日) 哲学教室第28回「孔子と老子」
 ※テーマは変更することがあります。最新情報はホームページでご確認ください。

 では、本題にはいります。
  私の携帯はauのガラケーで、来年3月に使用できなくなるというので、新しい機種に変更してくれという電話やダイレクトメールが頻繁に来るようになって、煩わしいので、新しい機種も無料ということもあり、ついに機種変更しました。以前にも書きましたが、私は自分のライフスタイルからすれば、ガラケーの方が使いやすいので、いわゆる「ガラホ」と言うのでしょうか、今までと外見はほぼ同じガラケーに機種変更しました。
 その新しいガラケーは、以前のものよりよい点もあるにはあるのですが、テレビは見られなくなり、カメラの画質は悪くなっていて、なんといっても、反応が遅い。メールをしようとそのボタンを押すと、以前のガラケーは瞬時にメール画面が出たのに、新しいガラケーはメール画面が出るのに3秒ほどかかります。たぶん、以前のガラケーより性能が低いCPUが使われているせいだと思います。
 まあでも、ガラケーは通話とメールしか使わないし、それさえもめったに使わない生活をしているので、特に困らないのですが、かつては世界に誇っていた日本の技術が劣化したような感じがして、寂しいものを感じました(それとも、どうせ少数の人しか使わないだろうガラケーということで、てきとうに作ったのでしょうか?)。

 一方、数日前に、プリンターが壊れてしまったので、こちらも新品のものを買いました。7年間以上、それも通常の人よりかなり酷使したので、壊れたのは仕方ないと思いましたが、新しく買ったプリンター(以前と同じメーカーで、価格や性能もだいたい同じもの)が、いまひとつなのです。まず気になったのは、プリントするときの音です。壊れるのではないかと心配してしまうほど、大きくて歪な音がします。そのためか「静音モード」というスイッチがあって、それを押すと静かにプリントするようになるのですが、そのかわり、速度が遅くなります。今まで使っていた機種は、音は静かでありながら速度も速かったように感じます。なんとなくこのプリンターはすぐに壊れそうな、いやな予感がします。
 むかしは、新製品というのは、以前の製品よりあらゆる点で性能がよかったような気がしますが、最近は、必ずしもそうではなく、むしろ品質が劣化していると思われるような場合も、少なくありません。
 ここからも、日本の技術力の劣化が見えるような気がして、なんだか気持ちが暗くなってきます。

 技術だけではありません。政治も経済も、社会制度も、そして日本人の民度も、すべて劣化しているような気がします。「日本はすでに後進国だ」と主張している学者もいます。少なくとも、後進国へとずるずる落ちている途上であることは確かです。今までは、「先進国である日本」に出稼ぎにくる外国人がたくさんいましたが、近い将来は、日本人が外国に出稼ぎにいかなければならないような時代が来るかもしれません。
 日本は、いま、「沈みゆく船」のようなものです。多くの人が、沈んでいくことに気づかず、あるいは眼を背けて、目先の楽しみごとに夢中になっているのです。船が沈んでしまうというのに、楽しみごとなどにうつつを抜かしている場合でしょうか?
 
 技術が劣化していく傾向の中でも、変わらない、それどころかさらにすばらしい技術で躍進している企業も、もちろんあります。その代表的な会社は、やはりトヨタ自動車でしょう。なぜトヨタがそれほど優秀なのか、さまざまな評論家がいろいろな意見を述べ、本も出版されていますが、私なりに思うのは、「先見の明」と「改善し続ける」という理念が、社風として定着しているからだと思います。トヨタは上層部から末端の労働者に至るまで、とにかくどんな小さなことでもいいから改善せよ、改善提案を出せと徹底させています。これは地味なようですが、非常に大切なことです。たとえば(これはトヨタの話か他の会社の話かは忘れましたが)、組立作業をしているとき、今まで工具は床においていて、いちいち腰をかがめて工具をとらなければならず、そのために腰痛になる社員もいたのですが、工具を台の上に乗せるようにしたら、床から工具をとるための時間が短縮されました。それはわずかな時間かもしれませんが、全体がそれをすることで、全体としては大きな時間の節約につながったのです。また、腰痛となる社員がいなくなり、その点でも作業効率がアップしました。大企業の場合、この効果をお金に換算したら、年間にして数百万円、いえ数千万円くらいの利益になったかもしれません。
 私は今まで十社ほどの会社の社員になったことがありますが、改善ということを重視し、社員から「改善提案」を積極的に募集していた会社は、その後も伸びています。しかし、あまり改善ということをいわない会社は、だいたい衰退していくのを見てきました。

 会社のみならず、個人においても、改善は大切です。どんな小さなことでも改善していくことを日々、怠りなくやることで、人は成長し、幸せになっていきます。いうまでもなく大切なことは、人格を改善していく努力です。人格は幸せになるための土台であることは疑いようもないのに、それをおろそかにして、小手先のテクニックだけで幸せになろうとする風潮が強すぎます。テクニックは無用だと言うつもりはありませんが、何よりも人格が大切なのです。幸せになりたいのなら、日々、人格を改善していく努力が大切になってきます。
 夜寝る前に「私は今日、昨日の自分より多少なりとも改善されただろうか?」と反省する時間をもうけるとよいかもしれません。

 そしてさらに、幸せになるために必要なのは、「先見の明」ですが、これについてはまた機会があったときにお話させていただこうと思います。
 いずれにしろ、沈みゆく日本を救うには、私たちひとりひとりが「人格を改善する」という努力をし、「先見の明」という知恵の、二つが必要不可欠になってくるのです。

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人生をどう生きるか | コメント:3 | トラックバック:0 |

遺伝と努力について


 私たちの才能や性格、さらには運命は、どれだけ「遺伝」の影響を受けているのでしょうか? 才能や性格は、半分は遺伝、半分は環境によって決まるという説もあるようです。
 遺伝がどれくらい才能や性格や運命に影響しているかを知る上で重要な調査対象は、一卵性双生児です。なぜなら、一卵性双生児は遺伝子がまったく同じだからです。しかも、一卵性双生児のうち、生まれてすぐに別々の家庭で育てられたケースです。なぜなら、その場合、環境的な要素が除外されているからです。つまり、純粋にどれほど遺伝が才能や性格、さらには運命に影響を与えるかが、はっきりするからです。
 そのため、生まれてすぐ別々の家庭で育てられ、中年くらいになって再会したとき、各人の才能や性格や運命を調べた研究が残されているのです。それによると、かなりの割合で、才能や性格が似ているのです。さらには、運命までも、不思議なほど似ているケースが多いことが判明しました(たとえば、結婚した年齢が同じ、結婚相手の名前が同じ、同じ年齢のときに同じ病気になった、その他、偶然とは思えないほど運命的に似ているケースがあったのです)。
 もちろん、すべてのケースが以上のように似ていたわけではなく、あまり似ていないケースもありましたが、がいして言うなら、一卵性双生児の才能、性格、運命はとても似ていることが判明したのです。
 つまり、環境よりも遺伝的な要因の方が、才能や性格や運命に影響を与えるということです。今日、この説はほぼ定説になっているようです。

 絶対とは言えないにしても、ある分野で人並みはずれた才能や能力を発揮する人は、遺伝的に恵まれていなければ、まず不可能だと思います。もちろん、いくら遺伝的に恵まれていても、努力をしなければダメですが、同じ努力をしたとしたら、遺伝的に恵まれている人にはとうていかないません。
 このように、私たちの才能などは、遺伝的な要素によって大きく決められているとすると、ある種の宿命論となって、あまりいい気持ちはしないのですが、事実は事実として認めなければなりません。

 しかし、「遺伝的に恵まれていなくても、人の二倍も三倍も努力すれば、遺伝的なものに関係なく、成功できるのではないか」と思われるかもしれません。
 確かに、これはその通りだと思います。遺伝的に恵まれた人と競争したとしても、その人より二倍も三倍も努力すれば、その人に勝つことができる、少なくとも、互角な実力をつけることができると思います。
 ところが、最近の研究によれば、この点についても、非常に残酷なことを主張しているのです。
 すなわち、「努力できるかどうかも、遺伝によって決められている」というのです。
 努力ができる遺伝を受け継いでいる人は努力ができ、努力ができる遺伝を受け継いでいない人は努力ができない、というわけです。
 もちろん、これはおおまかな傾向であって、例外なくすべてがそうだという、絶対的なものではありません。たとえば、父親も母親も怠け者でぐうたらな生活をしている親から、非常に勤勉な努力家が生まれたりするといったことも少なからず耳にしますから、遺伝はすべてではないわけです。
 しかしそれでもなお、繰り返しますが、全体的な傾向としては、遺伝の影響は非常に大きいと言わざるを得ないのです。努力できる遺伝子を受け継いでいないと、努力そのものができないのです。

 私は若い頃から中年くらいまでは、「生まれつきの(遺伝的な)才能がなくても、努力さえすれば成功できる。成功できないのは努力しないからだ」という考えの持ち主でした。なので、努力もしないくせに自分の不遇を嘆いて「社会が悪い、運が悪い」といって愚痴や不満を言ったり、成功している人を妬んでいる人を軽蔑していました。
 そして、学生時代、家庭教師をしていたのですが、以上のような考え方に支配されていたので、勉強のできない生徒に対して、ひたすら励ましたり、勉強をサボったときには激しく怒鳴りつけたりと、かなり厳しく教えました(その結果、ほんの少しだけ成績はあがりましたが)。

 しかし、「努力も遺伝によって決まる」ことを知ってからは、軽蔑するようなことはなくなり、ましてや、努力していない人を怒鳴ったりするなどということはなくなりました。実際、過去に会ったたくさんの人たちを見ると、「努力もある種の(遺伝的な)才能なんだな」ということが実感できたからです。今から思うと、怒鳴りつけた生徒さんに申し訳ない気持ちでいっぱいです。彼は努力しようとしてもできなかったに違いありません。そのために、自分を責めて苦しんでいなければよかったのだがと思います。

 ちなみに、私自身は遺伝的な意味では、学問的な才能というものはほとんど受け継いでいません。父方の先祖は農家で、大学まで進学した人はほとんどなく、母方のほうは、幼少の頃に生別したので詳細はわかりませんが、少なくともアカデミックな家系ではありませんでした。
 そのかわり、努力だけは多少、人より多くしてきたのではないかと思います。
 ところが、本当に努力している人のことを知ると、私など恥ずかしくて「努力している」などと言えないほど、ものすごい努力をしているのです。私にはとうていそこまで努力できないと思いました。もし私より努力している師匠についたら、かつて私が自分の生徒にしたように、怒鳴られっぱなしだと思います。しかし、どんなに怒鳴られても、できないものはできないのです。
 努力さえも、遺伝的な影響が大きいとなると、才能さえない人は、もう救いようがありません。

 しかしながら、大切な要素を忘れているように思われます。
 それは「突然変異」です。しばしば、異なる特性を持った個体が生まれてきたりするのです。何らかの原因で遺伝子が組み変わったのかもしれませんが、ぐうたらで才能もなく努力もしない親から、頭のよい勤勉な子供が生まれてきたりするのも、突然変異なのかもしれません。「とんびが鷹を産む」という言葉もあります。
 なので、必ずしも絶望的になる必要はないと思うわけです。
 もしかしたら、突然変異かもしれないからです。思いがけない才能、努力する才能も含めて、すばらしい可能性が自分の中に宿っているかもしれないのです。それは誰にもわかりません。
 しかし、仮にそういうすばらしい可能性を持っていたとしても、「自分はどうせダメなんだ」と最初からあきらめて自己限定したら、開花されることはないでしょう。
 ですから、学問的には確かに遺伝的な影響は強いことは確かですが、だからといって宿命論者になって人生をあきらめる必要はなく、自分を信じて頑張っていけばいいと思うわけです。

 いずれにしろ、大切なことは、世の中が注目するほどの超一流の人になったり、社会的な成功者になることではなく、「幸せになる」ことではないでしょうか。そのためには、そうなるために必要最低限の才能や努力があればいいのではないでしょうか。
 自分を他者と比較しないことです。人は人、自分は自分です。自分が納得できる生き方ができれば、人生の勝者なのです。逆に、いくら社会的に成功者と賞賛されたとしても、本人が納得できず幸せでなかったら、人生の敗者ではないでしょうか。

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