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心の治癒と魂の覚醒

        

瞑想を上達させるために大切なこと


 今月のイデア ライフ アカデミーは、「瞑想を上達させる方法」というテーマで行いました。瞑想をされている方は、ぜひダイジェスト版をご覧ください。
 動画視聴→

 瞑想をしている人で「瞑想が上達しない」と嘆く人は少なくありません。二週間や三週間くらいやって嘆くのは論外であるにしても、二年や三年、なかには何十年も瞑想しているのに、上達しないということは珍しくないのです。
 瞑想を上達させることは、非常に難しいのです。
 なぜ、そんなにも難しいのでしょうか? どうすればいいのでしょうか?

 動画でも紹介しているように、瞑想を上達させるには、瞑想だけを上達させようとするのでは不十分で、肉体面や生活環境、行為や心構えなど、総合的な見地からアプローチしていく必要があります。
 そして、瞑想を上達させるために大切なことは、「誠実さ、真剣さ、忍耐、謙虚さ」という四つの美徳です。これは瞑想に限らず、どのようなことにも言えると思いますが、特に瞑想の場合、これら四つの美徳が備わっていないと、瞑想が上達することはまずありませんし、多少の上達はあっても、いずれ限界が訪れるでしょう。テクニックを追求することも大切ですが、それ以前に、人としての基本的な美徳が何より大切なのです。

 「誠実さ」とは、言ったことは必ず実行すること、約束を守ることです。人との約束だけでなく、自分との約束も含めます。たとえば「毎日必ず30分以上は瞑想する」と決めたら(自分に約束したら)、必ずやるのです。
 真剣さとは、単なる「まじめ」以上のものです。「真剣」とは「真の剣」です。木刀や竹刀で戦うのではなく、切られたら死んでしまう本当の剣で戦うときの心構えです。そうしたら必死になるでしょう。そのくらいの気持ちが真剣さです。
 忍耐とは、さまざまな障害に負けず、自分に打ち勝って、目的を達成するまでひたすら続けていくことです。瞑想は、少しくらい修練したからといって、すぐに上達はしません。何年も何年もひたすら、ときには一生をかけて続けていくものです。
 謙虚さとは、自分に関するいかなることも誇らない、自信過剰にならない、ことです。当然ですが、謙虚さがなければ、自己満足となり、上達はしません。また、謙虚さの反対、すなわち高慢は、いずれ瞑想修行の大きな障害となって自分を苦しめることになります。

 瞑想(解脱をめざす瞑想)は、生活の一部ではなく、生活のすべてであり、人生の根幹にかかわることです。人生の根幹にかかわることは、人間性に深くかかわってきます。すなわち、美徳ということにかかわってくるのです。
 しかし、この美徳を養うことが難しいのです。だから瞑想を上達させるのが難しいのです。
 以上のべた美徳を十分に備えていると、自信をもって言える人はどれくらいいるでしょうか。ほとんどいないと思います。美徳という、人間性に深くかかわることは、いわば自己の中核であり、アイデンティティとも言えますから、美徳を養うとは自己を変えることです。自己を変えることは非常に難しいのです。
 瞑想を上達しようと思うなら、自分を変えなければなりません。しかし、人はなかなか変われるものではありません。

 では、どのようにしたら、自分を変えることができるでしょうか?
 世の中で、自分を変えるために、もっとも強力なものは何でしょうか?
 それは「信仰」であると、私は考えます。
 信仰といっても、ただ神様仏様に祈るというような、表層的なものではありません。それは真の信仰ではありませんし、控えめに言っても、信仰の初歩にすぎません。
 真の信仰をもてば、人は変われる可能性があります。もしそれで変われなければ、おそらく他に方法はないと思います。
 では、真の信仰とは何でしょうか? なぜ真の信仰をもてば、自分が変わり、美徳が備わり、瞑想が上達するのでしょうか?
 動画でそのことを解説していますので、ぜひご覧になってみてください。
 
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修行法 | コメント:2 | トラックバック:0 |

いらない本を処分する

  私の住んでいる家は築年数が40年のボロ家で、あちこち修繕しなければならない箇所が出てきました。でも、業者に頼むとお金がかなりかかりそうなので、自分で修繕することにしました。そこでDIYを本格的に始めることにしました。そのために、今はほとんど物置のようになっている一室を、DIY専用の作業部屋にするべく、スペースをあけるために、家中のいらないものを処分することにしました。もともと私はミニマリストの傾向があるので、家のなかがさっぱりすることはおおいに好ましいことです。

 私が持ち物のなかで一番スペースをとっているのが、本です。そこでまず本を処分することにしました。本はスペースをかなりとりますし、しかも重いので、今までも定期的に処分してきたのですが、しかし、本はいつ必要になるかわかりません。以前、もう読まないと思って古本屋に売った本を、あとで必要になり、売った自分の本をまた買い戻した経験があります(笑)。
 この苦い経験から、本を処分することに慎重になっていました。しかし今回は、どうしてもスペースを確保する必要があるため、思い切って、かなりの量を処分しました。もちろん、将来、また必要となるだろう可能性が濃厚なものは手元に置いておきますが、一冊一冊、そのことを考えながら査定していると、驚くべきことに、「もう読むことはない、必要となることはないだろう」という本ばかりでした。今回、それには強い確信がありました。いつか読もうと思って何年も読まずにいた本もけっこうありましたが、そんな本も捨てることにしました。
 若い頃は、「いつか読もう」と思った本はみんなとっておきましたが、もう老年の域に入りつつある私にとって、つまり、残された推定寿命を考えると、ほとんど読む可能性がないことを悟りました。実際、今までも「いつか読もう」と思っていた本のほとんどは読まれることがなかったのですから、今後はなおさらその可能性が低いと思います。

 そうして本を査定していくと、本にまつわるさまざまな思い出がよみがえってきます。「あの頃は熱心に研究したなあ」といったように、自分に誇りを持てる思い出もありますが、「こんなことに熱中して、そのために多くの本を買って、お金と時間を無駄にしたなあ」という後悔の念にかられる本もけっこうありました。お金もそうですが、それ以上に、結局は何の役にも立たなかった多くの本を読んだその時間が、とてももったいない気がしました。しかし、そんなことを今さら悔やんでも仕方ありません。

 私は本に赤線や書き込みを入れることが多いので、そういう本は引き取ってもらえないと思って除外しました。結局、私の所蔵している本の七割くらいは処分することになりました。
 そこで先日、第一弾として古本屋に持っていきました。予想はしていましたが、買い取り価格は、ほとんどただ同然ですね。それでも買い取ってもらえればいい方で、新品同様なのになぜか買い取ってもらえない本もあり、そのへんはどういう仕組みになっているのはわからないのですが、ただ、一冊のマニアックな専門書が意外に高く売れたのには驚きました(千円の値がつきました)。結局、半分近くは買い取ってもらえませんでした。ちなみに、私の書いた本のうち、何冊かあるものは、手元に1冊か2冊くらい残して売ったのですが、50円でしか買い取ってもらえませんでした(涙)。

 売れなかった本や、赤線や書き込みのある本は、イデア ライフ アカデミーの教室にもっていって、教室に参加者してくれた人に、自由に持ち帰ってもらおうと思っています。
 その中には、人によっては貴重な本があると思います。正直、少し未練がある本もないことはありませんが、今の私は、本に限らず「余計なものは捨てる、無駄なものは捨てる」をモットーにしているので、そのためのよいチャンスが訪れたと思っています。
 ということで、今月から、教室に本を置いておきますので、授業に参加するついでに、欲しい本があればどんどん持っていってください。授業の参加が目的ではなく、本を持ち帰るのが目的で参加してもらってもかまいません(笑)。ただ、授業料に見合うだけの収穫が得られるかどうかは保証できませんが。
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