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心の治癒と魂の覚醒

        

苦難に立ち向かう

 元旦、石川県能登半島を中心に大地震と津波に見舞われ、とてつもない災害が発生しました。まだその全貌が把握されていないので、その深刻さは増す可能性があり、復興までの道のりは果てしなく遠いと言わざるを得ません。
 本来なら、家族や親しい人と楽しく過ごしていたはずの正月なのに、愛する人の命が失われ、慣れ親しんだ家も、家財も、一瞬のうちに消失してしまいました。被害に遭われた方々はもちろんですが、日本じゅうの私たちが、元旦から暗澹たる気分になりました。

 テレビで、被災された女性がインタビューで次のように言っていました。
 「こんなことになるとは、夢にも思わなかった」
 本当に、夢にも思わぬことが平気で起きるのが、この地上世界です。今までの日常があっというまに奪われてしまうのです。今回の地震は人ごとではありません。南海トラフ地震や首都直下型地震は、今後30年の間に、7割から8割の確率で起こると言われています。それに連動して富士山が大爆発するという説さえあります。そうしたら、ほとんどの人の日常生活は失われます。「7割から8割の確率」というのは、必ずやってくると見ておいた方がいいでしょう。問題はいつか、というだけです。「明日はわが身」です。
 仮にそうした自然災害が起こらなかったとしても、個人的なレベルで、いつ災難が訪れるかわかりません。交通事故に遭ったり、火事に遭ったり、あるいは突然、不治の病を宣告されることだってあります。
 私は、皆さんを不安がらせようとしているのではありませんし、悲観主義者でもありません。ただ現実を述べているだけです。私の言うことは間違っているでしょうか?
 この地上世界というところは、きわめてはかなく、危なかしいところなのです。「一寸先は闇」なのです。これが現実なのです。

 では、どうしたらいいでしょうか?
 私は二つの道があると思います。ひとつは、前回のブログでも同じことを述べましたが、避けられない苦難は、敢然と立ち向かうしかない、ということです。
 私は、「どんなことも逃げてはいけない」とは考えません。逃げた方がいいときもあると思っています。しかし、どうしても逃げられない状況、あるいは、もし逃げたら、もっと大切なことが失われる可能性がある場合は、逃げるべきではないと思います。前進する道より他にはないことを悟るべきです。そうして、なりふり構わず、とにかく苦難に立ち向かい、苦難と戦い、決してひるむことなく、忍耐強く道を歩んでいくことです。
 このとき「この道を歩んでもどうにかなるものだろうか?」と考えてはいけません。つい弱気になってしまう気持ちはわかりますが、そんなことを考えても何にもならないし、かえって気持ちが萎えて、苦難を乗り越える障害にもなってしまいます。
 他に選択肢はないのですから、覚悟を決めて、「必ずうまくいく!」と信じることです。そう信じる根拠などを探すのはやめましょう。根拠などなくたっていいし、第一、根拠などというものは、たいてい見つかりません。信念というものは、ほとんどの場合、根拠などないものなのです。ただ、信じるか信じないか、それだけです。「信じたもの勝ち」の世界です。
 とにかく、歩む以上は絶対にうまくいくと信じて歩むことです。中途半端な気持ちではなく、断固とした気迫と意志を貫くべきです。
 そうすれば、絶対とは言いませんが、たいていの苦難は克服できるものです。たとえ百パーセントの克服は無理だとしても、最初に期待していたよりも、はるかによい結果をもたらすことは、ほぼ間違いのないことです。

さて、次に、もうひとつの道についてですが、結局、この無常の地上世界には、完全なる平安や幸せというものは存在しないのですから、完全なる平安と幸せが存在する可能性のある道に向かって歩むことです。
 それはどのような道でしょうか?
 古今東西の多くの聖者たちは、それが霊的な領域(境地)に存在することを説いてきました。もちろん、彼らの言葉が正しいという証明はできません。「みんな頭がおかしくて幻を見たのだ」と言われれば、それに反論することはできません。
 しかし、彼らの他に、完全なる平安と幸せに至る道を説いた人がいたでしょうか? おそらくいないはずです。
 したがって、彼らを信じて、その道を歩むしか他に道はないと、思っているのです。これはある種の「賭け」であるとも言えるでしょう。そのための道を歩んで、その先には何もないかもしれません。
 しかし、少なくとも地上には、完全なる平安も幸せも存在しないことを、心の底から悟ったならば、聖者たちが説いている道を歩むしかないわけです。その道にかけるより他に選択肢はないのです。
 そして、他に選択肢がない限り、やはりその道を歩むに際しては、徹底的に信じて歩むことが大切です。中途半端はよろしくありません。

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1月1日 真の幸せへの道

 
 新年明けましておめでとうございます。
 皆様にとって今年一年が幸多きものとなりますよう、お祈り申し上げます。

 ただ、世界が混乱していたら、個人の幸せなどはあり得ません。
 コロナが流行してから、世界は不穏な様相を示し始めました。とりわけ最近は、戦争や気候変動など、激動ともいうべき状態になってきました。そうして今年は、いったいどのような一年になるのか、不安を禁じえないのではないかと思います。
 
 どのようなことにも「波」があります。晴れの日もあれば、雨の日もあります。穏やかなときもあれば、激動のときもあります。よいときもあれば悪いときもある、これが人生というものであり、世界というものです。いつまでも続く戦争はなく、いつか終わりがやってきます。同じように、いつまでも続く平和というものもないのです。少なくともこの地上世界では、永続するものは何ひとつありません。私たちはそんな世界に生きているのです。

 ですから、それを受け入れるしかありません。順調なときは油断せず、逆境に備えて準備するようにし、逆境のときは、未来に希望を抱きながらじっと耐えるしかありません。一番よくないのは、順調なときに、この状態がいつまでも続くと思って油断したり自信過剰になったり、自惚れたり、怠惰になったりすることです。同じく逆境のときにも、この状態がいつまでも続くと思ってしまい、そうして絶望し、自信を失い、自暴自棄になったりすることです。
 逆境に陥った原因が、あきらかに自分の犯した何らかの罪にあるのなら、反省しなければなりませんが、人間は完全ではないので、どうしても罪や過ちを犯してしまいます。それはやむをえないことなので、いつまでもくよくよしていても仕方ありません。
 ときには、自分にはまったく非がないのに、迫害や災難や苦しみに見舞われたりすることもあります。それは過去生の行為に原因があるのかもしれませんが、そうしたことはわからないことなので、やはりくよくよ思い悩んでも仕方がないことなのです。

 いずれにしろ、この地上世界には、よいときもあれば悪いときもあるという、無常な波の運動があるのですから、そこに住む私たち人間も、その運動から逃れることはできないのです。ちょうど、波に浮かぶカモメのように、波と一緒に上下に揺られているのと同じです。
 繰り返しますが、そうした波があるのがこの世界であり、この世界に生きるということなのですから、悪いとき、何もかもうまくいかないときがあるのも、自然なことなのです。どんな聖人だって、覚者だって、この波から逃れることはできません。彼らの伝記を読めば、しばしば逆境に見舞われていることがわかります。

 ただし、聖人や覚者は、肉体(とその心)は、波に揺られていても、真の自分(魂)は、波に揺られてはいません。たとえ外面的には苦しんでいるように見えても、内面は平安に満ちているのです。そういう状態こそが、本当の幸せというものです。

 地上世界に幸せを依存している限り、波に翻弄されるだけです。ときには幸せを感じることもあるでしょうが、長続きはせず、不幸せなときがやってきます。そんなことを繰り返しているのが、世間の人々です。
 しかし、そのような、はかなく不安定な幸せではなく、外的な状況にまったく左右されない、絶対的な平安こそが、本当の幸せなのです。波に浮かんでいたカモメが、大空に向かって飛び立つようなものです。大空を飛んでいれば、波に揺られることはありません。

 それが、私の言う「魂の覚醒」です。
 今年も、魂の覚醒に至る道、つまり、本当の幸せに至る道を追求していこうと思っています。
 本年もよろしくお願いいたします。
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