心の治癒と魂の覚醒

        

 瞑想法 その7

 最後に、「静慮」についてご紹介したいと思います(「三昧」については、すでに申し上げたように、凝念や静慮を行じていけば自動的に移行するらしいので、意図的な修行は必要ないようです)。
 さて、静慮とは、ひとつの対象に精神を集中し続けながら、その対象に関係することに思いを巡らせていく行法です。凝念が求心力とすると、静慮は中心から外に放射する遠心力といってもいいかもしれません。
 たとえば、「ひまわり」を静慮の対象にするとします。すなわち、ひまわりという花をずっと思念しながら、ひまわりに関係するあらゆること、たとえば、その種、種からできた「ひまし油」、ひまわりの種を食べているインコ、観光名所のひまわり畑、「サンフラワー(ひまわり)」という名の船……といったように、連想的に思いを巡らせていくのです。
 ところが、いつのまにか、ひまわりとは関係ないことを考えてしまったりします。そうならないように、常に意識の中心にひまわりを意識し続けるわけです。これがこの行法のポイントです。
 要するに、静慮というのは、私たちが何かを求めて真剣に考え事をしている心理作業に近いものではないかと思います。たとえば、科学者が「癌はなぜ発生するのか?」ということを、情熱的に考え込んでいるとします。そのときには「癌」に関係するあらゆることを考えるはずです。いろいろなことを考えるでしょうが、「癌」というテーマはずっと維持されているのです。
 そして、このように忍耐強く考えていると、ふっとアイデアや解決策が閃いてくるわけです。これは直感的にパッとわかるのです。
 ヨーガの教典によれば、こうして一心に対象について思念していると、その対象に関することが、どんなことでもわかってくると言います。たとえば、ある人のことを思念していると、その人の隠された願望だとか過去のことだとか、その人に関するどんなこともわかるというのです。これは、学者や発明家が一心不乱に考えて直感的にアイデアが湧いてくるのと、原理的には同じだと思われます。そして、覚醒ということも、この直感をさらに高度なものに磨き上げ、思念する対象を神や真我といったものに向けることで、その本質を直感し、覚醒するのだと考えられるわけです。
 凝念のような精神集中の行法でも、こうした直感が得られることはあるのですが、どうも直感力の開発という点では、静慮の方が優っているような気がいたします。

 では、具体的に、静慮の行法は、どのように行えばいいのでしょうか?
 基本的には、精神集中と同じように、自分がもっとも関心があるものを対象にして、その対象に関係することをいろいろ考えていけばいいと思います。大切なことは、情熱をかきたてるものです。さもないと長期にわたり強い集中を向けるためのモチベーションが弱くなるからです。しかし、低俗なものは避けた方がいいでしょう。
 そこでいろいろと考えたのですが、私が行っていて、たぶん、皆さんにとってもお勧めできるやり方は、「神との対話」です。
 前回ご紹介した、アジナー・チャクラの位置に、神である光球をおいて精神集中する行法をしたら、そのままその光球、すなわち神に向かって、いろいろなことを語りかけるのです。どんなことでもけっこうです。実際に神が目の前にいるかのように、いえ! 実際に神を目の前にしているわけですから、その神に、自分が思うこと、考えていることを話しかけるのです。愚痴や嘆きでもかまいません。
 縮こまったり恥ずかしがる必要はありません。どのみち神は私たちのことを私たち以上にわかっておられるので、恥ずかしいことや汚い心を隠そうとしても無駄なことです。しかし神は、そのような私たちの醜い所や弱いところをすべてわかった上で、私たちを受け入れてくださっているわけです。何があろうと、
 神は決して裁いたり怒ったり責めたりはしません。
 神は決して見捨てたりはしません。
 以上の二つを忘れないようにして下さい。畏敬の念を持ちながらも、慈愛に満ちたお母さんに語りかけるような親しみをもって、どんなことも話せばいいのです。
「職場にいじわるな上司がいて、毎日が辛いです」
「一所懸命に仕事や勉強をがんばっているのに、成果があがらず落ち込んでいます」
といったことでもいいですし、
「神様はどのようにして、美しい自然をお造りになったのでしょうか?」
といった、高尚で哲学的なことを話かけてもいいでしょう。また、
「私は食欲に悩まされています。性欲に悩まされています。どうしたらいいでしょう?」
といった、赤裸々に自分をさらけだしてしまうのも、おおいにけっこうですし、
「私は、部下に八つ当たりしてひどい暴言を吐いてしまいました。申し訳ないことをしてしまいました。おゆるし下さい」
といった、懺悔の告白でもけっこうです。

 このように語りかける場合(心のなかで語りかけるわけですが)、なるべくはっきりとした言葉で語りかけた方がいいと思います。心のなかだと、思いや印象が先行して、言語がしっかりと構築されない傾向が出てきます。人間と会話をするように、しっかりと文章を組み立てて語りかける方がいいようです。その方が自分の気持ちが整理できて何を訴えたいのか焦点が絞れるようになります。
 いずれにしろ大切なことは、常に「神に向かって語りかけているのだ」という意識を保ち続けることです。うっかりすると、そのことを忘れて、「独り言」を言っているようになってしまいます。これでは静慮になりません。常に神に向かって語りかけているのだという意識を保持し続けることで、どんなことに思いを巡らせても、「神」が軸となり、単なる雑念ではなく、静慮の行法となるのです。

 この「神との対話」には、少なくても三つの利点があります。
 ひとつは、いうまでもなく静慮の力を高めることです。
 ふたつめは、自分の思いを神に語るということで、心の慰めになるということです。神はあらゆることを知っている万能の存在ですから、神以上のアドバイザー、カウンセラーは存在しません。しかも、深い慈愛に満ち、どんなことも理解してくれるのです。
 辛いことがあっても、自分を理解してくれる人、寄り添ってくれる人がいるというだけで、たいていのことは乗り越えていけるものです。孤独ということが、もっとも人を弱くさせてしまうわけです。
 ところが、自分を理解してくれる人に恵まれるとは限りません。それに人間は不完全ですから、自分のことを百パーセント理解してくれることは、ないでしょう。年間三万人もの人が自殺をしていますが、身近に自分を理解してくれる人がいるか、もしいなければ、神をその相手として受け入れることができれば、これほど命を捨てる人はいなくなると思うのです。
 それはともかく、神は必ず私たちの言葉に耳を傾けてくれている、ということです。もちろん、私たちが何かを話したからといって、人間のようにすぐに声が聞こえて応答してくれるわけではありません。そのため、自分の話など聴いてもらえていないように思われたりするのですが、そうではないようです。神、少なくても神の補佐をしている高い存在が、必ず耳を傾けているといわれているのです。このことをはっきりと認識して下さい。
 そして、時期が来たら、何らかの形で、応えてくれることが少なくありません。直感として閃くこともあれば、運命的な出来事で応えてくれたりするのです。
 もっとも、応えてくれているのに私たちがそのことに気づかない、という場合もたくさんあると言われています。たとえば、前方の横断歩道を渡ったらクルマに轢かれて大怪我をするといった運命だったのだが、神様が横断歩道の手前で携帯を落とすようにさせ、それを拾うために立ち止まったおかげで事故にあわずにすんだ、といったようなことがあるらしいのです。私たちは未来を予知できませんから、携帯を落としたことで怪我にあわなくてすんだのだということがわかりません。神様が助けてくれたのだとわからないわけです。それどころか、携帯が壊れて「今日はついてないなあ」なんて思ったりもします。
 以上のような「神との対話」行法により、神という存在が身近に感じられるようになるはずです。そのことは非常に大切なことです。私たちは、もっと神というものを身近に感じる必要があるのです。
 さて、三つめの利点ですが、これは非常に大きな効果なのですが、精神集中力が非常に高まるということです。
 というのは、このように神様に何でも話し続けていると、しまいには話すことがなくなり、「何を話そうかな」ということになってくるからです。話題が思い浮かばなくなり、頭が真っ白になるのです。
 ということは、ひたすら「神」だけにしか集中できなくなってくるということです。
 凝念(精神集中)の行法をしているときは、湧いてくる雑念に悩まされ、雑念が湧かないように必死に努力していましたが、「神との対話」行法というのは、神に思いを語ることを通して、ある意味で雑念をひたすら掘り起こす作業をするわけです。そうして雑念が出尽くしてしまえば、自然に雑念は出てこなくなります。そのため、あとは何の努力をしなくても、自然に神だけに意識が向けられるようになるのです。このときの、何の努力もなく、それゆえ非常にリラックスした平和な気持ちで、ひたすら心が神だけに集中している状態というのは、けっこう衝撃的に感じると思います。
 これこそが、瞑想の理想の境地だと思うのです。眉間に皺を寄せながら必死に雑念と戦っている瞑想は、もちろん、それなりに尊いもので最初のうちはそれでもいいと思いますが、やはり理想は、くつろいで自然な状態で深く集中するのが本来のあり方でしょう。「神への対話」行法は、そんな瞑想に私たちを導いてくれる効果があるのです。
スポンサーサイト

修行法 | コメント:0 | トラックバック:0 |
<< 瞑想のポイント 1 | ホーム |  瞑想法 その6>>

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

| ホーム |