瞑想のポイント 12011-01-28 Fri 11:02
これまで紹介してきた瞑想法をしっかりやるとなると、30分から1時間くらい必要ではないかと思います。ただ、初心者は制感の行法に時間をかけ、凝念や静慮は少なくていいでしょう。そして、しだいに時間の配分を凝念に、最終的には静慮に移していきます。静慮の段階がうまくできるようになれば、制感の行法はしなくていいでしょう(静慮ができれば制感はできていることを示しています)。
いずれにしろ、毎日、これだけの時間を確保しなければならないわけで、忙しい現代社会に生きている私たちは、ここのところが大きな課題になると思います。 しかし、自分ができる範囲で、とにかく行じていくことが大切です。生活を見直して合理化すれば、けっこう時間は取れるものです。以前にご紹介したように、三分でもいいので続けていただきたいと思うのです。一日に三分の時間が取れないほど忙しい人はいないと思います。毎日、欠かさず三分瞑想ができれば、五分できるようになり、十分できるようになり、だんだん時間が増えていくはずです。志があれば、環境的にも修行に時間が取れるような状況になってくると思うのです。 一日三分瞑想したからといって、何がどうなるのかと思われるかもしれません。もちろん、一日三分瞑想するだけでは、おそらく覚醒は無理だと思います。しかし、毎日欠かさず三分でも瞑想を続けるということは、それなりの熱意と真剣さがなければできません。そして、そうした熱意と真剣さが、高い次元の霊的存在の心を動かし、何らかの導きや恩恵を与えてくれると思っているのです。その意味で、たった三分でも毎日行うことには、大きな意義があるのです。 また、きちんと座って行う瞑想がたった三分だけだったとしても、これを続けていくと、普通の生活をしている意識が、少しずつ瞑想状態になってきます。つまり、意識的に瞑想はしていないが、瞑想しているような状態になってくるのです。もちろん、本格的に集中して行う瞑想ほど深くはなれないでしょうが(なったら日常生活ができないでしょう)、それでも、そうした瞑想状態というのは、高次元の影響を常に受けている状態ですから、いろいろな面で好ましい状態になってきます。たとえば、有益なインスピレーションが湧いてきたりだとか、危険を予知して事故などを未然に防止するとか、有意義な人との出会いに導かれるとか、そういった恩恵が与えられるようになってきます。 そして、このような状態になり、いつかたくさんの時間を瞑想に取れるような状況になったときに、長い時間瞑想すると、今まで瞑想の習慣がなかった人に比べて、格段の速さで進歩していくはずです。 24時間、すべての時間を瞑想や修行に費やすことができれば、どんなにいいかと思われるかもしれません。しかし、案外、無限の時間があると、集中力に欠けて質のいい修行ができないといったこともあります。わずかな時間しか取れないという状況におかれているために一所懸命になり、質のいい修行ができるということもいえるのではないでしょうか。だらだらと長い時間修行するよりも、時間は短いが質の高い修行をした方が効果があると思います。 これは聞いた話ですが、チベット仏教の行者のなかには、「現世で覚醒できなくても来世があるさ」などと考え、ふにゃふにゃと修行している人が少なくないとのことです。これでは来世になっても覚醒などできないのではないかと、思ったりもします。あせることはよくありませんが、やはり現世で必ず覚醒するのだという意気込みでやるべきだと思うのです。そうすれば、いま現在、さまざまな障害があっても、道は開かれていくと思います。 スポンサーサイト
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コメント
こんばんは、斉藤先生。カバラ数秘術の講義お疲れ様でした。
来世に期待しない姿勢、重要ですよね。私は今世で覚醒するつもりでやっております。神様も私の気持ちを知ってか、調度良いくらいの試練を与えてくれているので、感謝しつつ行じています。 今では、毎日の仕事に集中しています。神秘修行に頼りすぎるのは、神様の本意ではないのかもしれないという気がしてきました。もちろん、毎日の瞑想は重要です。それだけではなく、カルマの浄化として訪れる苦難から学べることが多いのです。 苦難を苦難と感じるのは、低次元の自我がそう捉えてマイナスの感情を発するからです。苦難を感じる自我を放棄して、早いとこ大いなる神我を受け入れるようにというメッセージを送ってきているのです。 現在、尾てい骨のあたりに恒常的に強い圧迫感と軽い傷みがあります。昨日寝ていたら圧迫感が強まり、何かが迫ってきているのを感じました。それを受け入れたら、私は今までの私ではなくなってしまう、そう感じます。はたして、クンダリニーの上昇がそのまま覚醒につながっているのかどうかは、わかりません。ただ、大きな通過点であることは確かなようです。 最終的に求める姿は、何なのだろうと考えていますが、それは太陽に近いイメージだと思います。見返りを求めず、周囲に愛を放散する存在なのだと。そこにたどりつけるのであれば、低級な自我など手放してもかまわないのでは?とも。 あとは、変容を受け入れる勇気です。後戻りのきかない世界への飛翔です。応援してくれている数々の魂たちの想いに応えるということです。頑張るなんて簡単な言葉で終わりませんが、見守ってください。 2011-01-28 Fri 23:35 | URL | ワタナベ [ 編集 ]
斉藤啓一です。いつも欠かさず労いのお言葉をいただき、とても嬉しく感謝しております。
また、覚醒に関するワタナベさんのご意見といいますか、メッセージは、いつもシンプルながらとても含蓄が深く役に立ちますね。何回か読み返して頭のなかに入れ、貴重な教えとして吸収するようにしています。 そこで、ご相談なのですが、もしさしつかえなければ、これまでワタナベさんがどのような体験や修行を積まれてきたのか、そこでどのようなことを学ばれたのか、詳しく教えていただけないでしょうか? このコメント欄では狭いので、一度私にメールを送って下さり、それを私がブログとしてアップするという形にさせていただければと思うのです。 もちろん、お忙しいと思いますので、お時間が空いたときにでも、何回かに分けて、少しずつ書いていただければけっこうです。 私だけでなく、このブログを読んでいる他の皆さんも、ワタナベさんから学びたいという人がたくさんおられると思うのです。 大変に厚かましいお願いで恐縮ですが、ご検討いただければ幸いです。 私のメールアドレス↓ rev-1@sun.interq.or.jp よろしくお願い申し上げます。 2011-01-29 Sat 11:25 | URL | 斉藤啓一 [ 編集 ]
返答ありがとうございます。さきほどメールを送信しましたが、届きましたでしょうか?
メールの中でも触れましたが、私はトーシツ(統合失調症)の診断を受けている点、それと瞑想のレベルがまだまだ低いこと、その二点をふまえて早とちりや勘違いが多々あるかもしれないと、一歩引いて参考にして頂けたら幸いです。 2011-01-29 Sat 18:07 | URL | ワタナベ [ 編集 ]
斉藤啓一です。
さっそくのご返事、本当にありがとうございました。 私もワタナベさんにご返事のメールをお送りさせていただきました。 ワタナベさんの体験は、明日、アップさせていただきます。 皆さん、楽しみにしていて下さい。 2011-01-29 Sat 21:00 | URL | 斉藤啓一 [ 編集 ]
斉藤先生
一連の修行法の記事ありがとうございます。 また、他の読者の方のコメントも私にとって とても勇気づけられるものでした。 読みながらいつもより少し時間をとってやる ことができました。 エッセイ集もすばらしく、一人でも多くの方に よんでもらいたい気持ちです。 いつも勇気をいただいています。 2011-01-30 Sun 12:35 | URL | 鈴木 [ 編集 ]
斉藤啓一です。鈴木さん、コメントありがとうございました。また、ブログのみならず、ホームページのエッセイもご愛読いただき、心よりお礼申し上げます。
おっしゃるように、読者の皆さんのコメントやご意見もとても参考になりますね。 私も学ばせていただいております。 これからも、みんなで智恵を出し合って、覚醒に向けて歩んでまいりましょう。 よろしくお願い致します。 2011-01-30 Sun 14:26 | URL | 斉藤啓一 [ 編集 ]
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2011-02-05 Sat 01:41 | | [ 編集 ]
斉藤啓一です。
旧「ファウスト博士の超人覚醒法」に書かれていた主人公が準覚醒をするシーンは、私の体験かどうかというご質問を受けましたが、少し脚色してはいますが、私の体験に基づいています。 気持ち的に辛い経験をし、とりわけ絶望的に思える経験をして、しかしその気持ちから逃げずじっと内面を見つめて耐えているときに、あのような体験が訪れるのです。 これは、私だけではなく、おそらくすべての人が、このように準覚醒の体験を持つのだろうと思います。 2011-02-05 Sat 09:35 | URL | 斉藤啓一 [ 編集 ]
初めまして
先日、斉藤先生のカバラタロットを購入させていただきました。 以前にもとても惹かれて買ってしまったタロットがあったのですが中を見てみたら、今の私には手に負えないと感じ、すぐに出来るカードを探してたのでが、書店に何度行ってもカバラが私の目にとまり恋いこがれた感じでとうとう手に入れてしまいました。 でも、カバラ自体が何か全く知らなかったので開けてみて「又か~」と少し引きましたが、これなら何とかと思い直し、今夢中でカバラを調べています。 そこで、疑問があるのですが・・・ セフィラの数字が一般で言われている物と違うのは何故ですか? 例えば、5の慈悲は一般的に4になっています。 気にしなければ良いのかも知れませんが、何故か覚えるときに2の理解より、2の智恵の方がしっくり来てしまい、同じ数字の物は分かるのですが・・・ 調べていたらしっくり来た方が一般的に使われている事を知り、きっと斉藤先生の何か深い意味があってこういう数字になっているんだるうと思い、それで覚えていこうとしたのですが、融通が利かない頭で混乱して、前に進めません。 斉藤先生の本も今日注文してみましたが、斉藤先生の意見を直接聞いて見たくなりブログ探してみました。
斉藤啓一です。「カバラタロット」ご愛読ありがとうございます。
さて、ご質問ですが、生命の樹が左右反対になっているのは、数秘術との関連をつけたいと思ったなどの理由があります。ただ、絶対的なものではありません。生命の樹は道具のようなもので、目的に合わせて自由に活用すればいいのです。 もし、従来から言われている方がしっくりくるのでしたら、そうなさって下さい。 カバラタロットの目的は、カードから霊的進化のための啓示を読みとることです。それさえうまくできれば、やり方に細かくこだわる必要はありません。 がんばってください。 2011-02-09 Wed 20:58 | URL | 斉藤啓一 [ 編集 ]
今朝、斉藤先生からお返事のメールが来た夢を見ました。
昨日の今日でまさかと思いながら開いてみたら、メッセージが入っていたので感激しました。 夢で見た内容と同じというのもビックリでしたが、斉藤先生の広く深いメッセージを受け取ったように感じます。 意味もなくカバラに惹かれたこと、斉藤先生の存在を知った事は今、私の最高の贈り物に成っています。 |
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