心の治癒と魂の覚醒

        

 ワタナベさんの体験

 今回は、まめにコメントを下さる読者のワタナベさんの体験を、この場を借りてご紹介させていただきたいと思います。
 ただ、途中からこのブログを読まれている方のために、ここにワタナベさんの体験談をご紹介することになった経緯を、簡単に説明してみます。
 まず、ワタナベさんは求道心が高く熱心に瞑想などの修行に励んでおられまして、2010年12月28日に、次のようなコメントを寄せて下さいました。

「おはようございます、斉藤先生。今朝方すごい体験をしました。
布団の中でまどろんでいると、突然、嵐のような音に包まれました。大風か、あるいは地震かもしれないと思い、びっくりしていると、尻のあたりから青白い光が背骨に沿って上昇してきました。 
一瞬、脳裏に「クンダリニーか?」という言葉が閃き、ついで恐怖に襲われました。そこで、「覚醒するのか?覚醒して何がしたいのか?」という疑問符を投げかけて、心の中で拒絶してしまいました。
すると、私の心中を察した何者かが、すでに頭頂部まで達していたその光を背後からすっとなでつけました。そのとたんに光は消え、背筋にじんじんする感覚を残して消えてしまいました。
痛みのたぐいは全然なくて、クンダリニーではないかもしれませんが、初めての霊的経験に、今すごく興奮しています。
問題点ははっきりしました。私は覚醒することに恐怖しているらしいのです。覚醒して誰を救いたいのか自問自答しなければなりません。
・・・すこし冷静になりました。でも寝ぼけていたわけではなく、確かにリアルな神秘体験でした。あれは一体なんだったのでしょうか?」

 このコメントに対して、私は、クンダリニーが目覚めた(しかし本格的な上昇ではない)とのコメントを返しました。次に、1月6日に、再びワタナベさんから、次のようなコメントが寄せられました。

「先程寝入りばなにクンダリニーの二度目の発動があったので報告します。
就寝前の瞑想で「今日は神様を受け入れよう」と覚悟していたので「何か起きそうだな」という予感がありました。
今回は割と静かに始まりました。前回と違う色の白色光が尾てい骨を起点に左右にゆらゆらしながら、肩のあたりまで登ってきました。傷みというほどのことではありませんが、メリメリ、ミリミリという感じの強い圧迫感がありました。
おそらくまた近くで指導霊のかたが調節してくれているんだな、と感じて「神様ありがとうございます」と心の中で唱えた頃、「今日はこのぐらいにしたほうがいいかな」と思い、体勢を変えようとすると、フッと光と圧迫感は消えてしまいました。
この光が頭頂部まで達したら、仙道のように気を頭頂部のツボから逃がしたほうがいいんでしょうか?」

 そして、1月17日に、また次のようなコメントをいただきました。

「私は先生やこのブログのみんなと共に覚醒したいので、自分が気づいたことを提案させてもらいます。
私は今まで、将来の希望が絶たれ、病気にまで追い込まれる経験を4度しましたが、最後の1度は神が与えた試練と考え、心から感謝しました。その直後にクンダリニーが動きだしたのです。
どうやら、苦しみや傷みをじっと耐えるだけでは、負の感情でそれらを迎えてしまっているようなので、それを「神様からのメッセージ」として歓喜して迎え入れるようにするとよいと思います。
そして日常生活に訪れる全てが「祈りの時間」と考えて愛の感情で受け入れてください。負の感情を反射させてはいけません。
そんな感じなのです。うまく説明できなくてすいません。今まさに苦しみや傷みのまっただ中にいる方、どうか実践してみてください。自分の中で何かが変化していきます。」

 さて、このように貴重な体験と、そこから得た教訓は、同じ道を歩む私たちにとって、とても参考になるものです。そこで、昨日、ワタナベさんのこれまでの体験を詳しく教えていただけませんかとお願いしたところ、その日のうちにメールでご返事をいただいたしだいです。2つに分けて文章をいただいたので、本日と明日の二回に分けてご紹介させていただきたいと思います。
 それでは、さっそく、ワタナベさんの体験に耳を傾けてみましょう。

「こんにちは、斉藤先生。体験談等の内容でのメールとのことでしたので、送らせていただきました。
現在35歳ですが、中学時代は平凡な(?)「ムー」読者でした。神秘的な世界に関心があり、主に気功などをかじっておりました。幼少時から、あまり体が丈夫とは言えず、病気がちだったり、足に障害をもったりでした。ただ、基本的に能天気で、制限された人生ならば「それはそれで」と自分の楽しみに没頭したりしていました。

不可思議なことは時折ありました。金縛りやら、眠っている最中になぜか天井が目前に迫っている(おそらく意識が体を離れて上昇したのではないかと・・・いや、よくわかりません)などですが、そんなことを体験したことない周囲からは当然信用されませんでした。そして、それらはさほど特別な経験とは思いませんでした。いや、日常生活との違和感がまったく感じられないのです。表現するのは難しいです。なので、これは霊体験とは考えないようにしてます。

よくいじめにあう子供でした。そして自分自身、かなり傲慢で我が強かったです。一人っ子の悪業がありました。成長してからも、時折傲慢さが顔を出し、トラブルが絶えません。それゆえいろいろ挫折し、親にも迷惑をかけっぱなしです。そんなこんなで二十歳代からつい最近まで、神秘行からは離れておりました。

昨年五月ごろ、「真実への旅」をネット上で見かけて購入し、斉藤先生と覚醒修行を思い出しました。二十歳代後半から発覚した統合失調症と、ある団体とのトラブルでゆとりのない状態が長く続いていたため、中学時代に熱中した「ファウスト博士」の教えを失念してしまっていたのです。ただ、中途半端に開発したチャクラへの集中状態がじりじりと体の中をはい回っていました。

そしてこのブログを知り、斉藤先生の教えをくまなく実行していきました。推薦図書もほとんど読みました。食事のときは良く噛み、心の中で神様に感謝して「プラーナ」を吸収するというのもそのひとつです。生活する24時間すべてが修行であると意識して、神様のことを忘れないように、すべての事柄・人物・病気を「神様のあらわれである」と考えました。仕事中も休憩の時間も呼吸法の練習をしました。「ヒマラヤ聖者の生活探求」を読んでからは、自分の心の中にも神様がおられると考えました。すると世の中のすべてに神様が浸透していくのです。無駄なものなど何もないのです。

そんな生活と、与えられる苦難による重圧が中丹田のあたりにほどよく圧縮されてゆき、昨年末のクンダリニー発動につながったのでは?と考えます。 

あまり素晴らしい教訓とか、思いつかないので、テクニックをいくつか発表します。ストーブの前を仕事場や家庭での定位置にして、背を向けてください。とくに尾てい骨のあたりを暖めるようにすると、ムラダーラの熱感が高まっていきます。あと体の中心軸を強くしてください。センターという身体意識らしいです。くわしくは武術家にして学者の高岡英夫先生の本が参考になります。それによると一部の天才たちは体の中心軸が他の天体からぶら下がっているらしいです。そして、徳間ブックスの「仙骨に無痛ショックを与えると病気は消える」を書いた内海康満先生の提唱する仙骨のバイブレーションを高める「ゆさぶり法」です。これは座位にて体をゆっくりゆらゆら揺らす簡単な方法ですが、奥が深いです。

ただ、基本的には斉藤先生のブログでの教えがベースです。とても完成された修行法だと思います。あとは神様の用意してくれた苦難をどう受けとめるか、ですね。すべてのことを受け入れて感謝する、理不尽なことにも「一理あるな」ぐらい自分の立場を捨てて感心するような精神状態になれば、修業はハイペースで進みます。苦難を与えてくれる相手の中にも高級な神我が眠っているのであるから、自分の修業に付き合ってくれている師のひとりであるし、一見つまらなく感じる俗世のことにも神様は関わっている、と感じるとバラエティー番組からでも学べるんです。太陽のような存在になりたいと心から願うのであれば、どんなことにもわけ隔てなく愛という光を放射するべきなんです。闇に注意を向けている時間はないのです。そんな感じです。まとまりがなくてすいません。

ブログに集まるみんなが、それぞれの苦難を選び、修業を達成することを願います。」

  (明日に続く)

*ワタナベさんの体験に対する私のコメントは、後でまとめてご紹介させていただきたいと思います。
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