心の治癒と魂の覚醒

        

 指導霊の流儀についての疑問

 ワタナベさんから、今度は少し違った視点の体験を報告していただきましたので、この点について少し考えてみたいと思います。
 まず、本日2月5日に寄せられたワタナベさんのコメントを紹介してみます。

「今回は神様(指導霊)は流儀にこだわるらしいということを提案させてください。
 今さらと思われるかもしれませんが、神秘修業は一種の降霊術になっています。私の場合、本格的に始めてからは、修業開始とともにラップ音があったり、朝の修業をせず寝てたりするとベッドの横を誰か歩いてる音がしたりは以前からありました。
 それで漠然と「いるかも」ぐらいには感じていましたが、今朝方「いる」という確信に変わりました。
 私は瞑想のときCDでグレゴリアン・チャントをかけるようにしていましたが、最近、チベット密教をかけるようになったあたりから、ラップ音に変化があり、今朝になって神道の祝詞をかけると、本棚から本が落下してきました。地震のときにもそんなことはありませんでした。「流儀を統一しろ」とお怒りになったんだと思います。
 すぐあとでその方角に詫びをいれましたが、どうやら、霊的な存在は「物理的」にいて、感情を持っているようです。よくしていただいた神様を怒らせてしまって、現在かなりヘコんでいます。
みなさんも修業するときは流儀を統一したほうがよいと思います。」

 これについて、私の考えを述べさせていただきたいと思います。
 まず、「神秘主義は一種の降霊術になっている」という一節ですが、神秘主義が高い次元の存在と通路を開いてコンタクトすることは確かですが、私の理解では、降霊術というのは霊媒が霊的存在に心身を貸して、霊媒を通してメッセージを送ったりする心霊術のことです。霊媒はすっかり自分の身体を明け渡しており、意識がありません。要するに憑依されているわけです。また、霊媒がこうした行いをしても、霊媒そのものの人格が向上するという話も聞いたことはありません。
 しかし、神秘主義の道では、修行者は自分を他の霊に明け渡して無意識状態になることはありません。覚者は神とひとつになり、自我を消失していますが、それは憑依とは違います。また、基本的な人格の向上が見られます。
 したがって、私としては、神秘主義は一種の降霊術とは考えておりません。また、いろいろと覚者の伝記などを見ても、必ずしもワタナベさんのようなラップ音やポルターガイスト現象のようなものを経験しているわけでもなさそうです。ですから、こうした心霊現象と覚醒修行は、いちおう別物と考えた方がいいのではないかと思います。

 さて、本題に入りますが、問題は何のために「流儀を統一するのか?」だと思います。
 文面から推測すると、ワタナベさんの指導霊は、グレゴリアン・チャントはOKらしいので、キリスト教系の道を歩まれた霊の方なのかもしれません。そこで、自分が指導しているワタナベさんが、他の宗教の音(音楽)を聴いたことに腹を立てたわけです(腹を立てているとしたらですが)。いったいなぜ、腹を立てているのでしょうか?
 あるいは、別にどの宗教でもかまわないのだが、キリスト教や仏教の流儀を混ぜるな、ということなのでしょうか? だとしたら、それはなぜなのでしょうか?

 一昨年、私の父が亡くなり、そのためにお寺で法要する機会が多くなったのですが、そのお寺は日蓮宗でありながら、神道の神社もあるのです。むかしの神仏習合がそのまま継承されているわけです。また、有名なヨーガの一派は、ヨーガとキリスト教を融合した教えを説いています。こうした他宗教の流儀の融合が、信仰や覚醒にとって、障害になることは、おそらくないのではないかと思います。
 したがって、高い次元の霊的存在は、必ずしも流儀を統一しなければならないと考えているとは、私には思えないのです。

 そうなると、もしもワタナベさんの霊が流儀を統一することを望んでいるのだとすると、指導霊自身が自分の好みで流儀を統一したいと思っているか、あるいはワタナベさんの場合は流儀を統一した方がいいと思っているか、どちらかではないかと思います。
 つまり、ワタナベさんの場合は流儀を統一した方がいいのかもしれませんが、すべての人がそれに当てはまるかどうかは、少なくてもこれだけでは判断がつかないと思うわけです。

 それと、ちょっと気になるのですが、高いレベルの神霊は、いわゆる心霊現象のようなことは、めったにしないという話を聞いたことがあります。低い霊ほど、そのようなことをよくするらしいのです。
 また、宗派を変えると先祖が怒って祟りがあるという話も(本当かどうかはわかりませんが)聞いたことがあります。たとえば今まで日蓮宗だったのに浄土宗に変えたら先祖が怒るらしいのです。その「怒り」が子孫の幸せを願う純粋な愛によるものなら、換言すれば、宗派を変えることで何らかの不幸が子孫に訪れるという理由でもあるなら、怒る理由もわからなくはありませんが、もし「自分たちが信じていた宗教を変えるとは何事だ!」といった、俗っぽい理由で怒るのだとしたら、あまり高い心境であるとは思えません。

 したがって、安易に断言はできず、慎重にならなければならないと思いますが、心霊現象を起こすワタナベさんの指導霊については、少し警戒した方がいいのではないかと思いました。高い次元の霊的存在がこんなことをするのかなという疑問が、正直なところ私の心に浮かんできます。
 しかし、真実はわかりません。これはあくまでも私の個人的な感想ですので、参考程度にしていただければと思います。

 私としては、あまり特定の宗教色が強い行事的なことは、日常的な修行としてはしておりません。つまり、キリスト教的な祈祷をしたり、仏教のお経や神道の祝詞を唱えるといったことはしていません。なるべく自然で普遍的な祈りの言葉を唱えています。その点では、ワタナベさんの言われる「流儀の統一」をしているのかもしれません。
 しかし、いろいろな宗教の行事を否定しているわけではありませんので、もしキリスト教の祈祷を捧げるような場所に行けばそうするでしょうし、お経や祝詞を唱えるような場所に行ったら、そうするでしょう。私にとって、そうしたことは、外国に行ったらその国の言葉を話すくらいの感覚でしかありません。表現が違うだけで本質は同じだからです。日本では「愛」と言い、アメリカへ行けば「ラブ」と言い、フランスへ行けば「アムール」と言うようなものです。愛を表現するのに、「愛」はいいが「ラブ」や「アムール」はダメだ、などといったら、それは言葉の意味がわかっていないナンセンスなことだと思うわけです。
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コメント

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2011-02-05 Sat 21:44 | | [ 編集 ]
回答ありがとうございました。あまり宗教色の強い環境を作るのも善し悪しあるのかもしれませんね。

しばらくCD類は封印しようかな、と思います。
2011-02-06 Sun 00:17 | URL | ワタナベ [ 編集 ]
このコメントは管理者の承認待ちです
2013-08-25 Sun 22:29 | | [ 編集 ]

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