心の治癒と魂の覚醒

        

 神の意思に従って生きている人は

 今回は、シルワーン長老という名で知られる、ロシアのキリスト教系神秘家シメオーン・アントーノフ(1866-1938)の言葉を紹介してみたいと思います。

「どうすれば、人が神の意志に従って生きているかどうかがわかるだろうか?
 ここにそのしるしがある。人が何かについて悲しんでいるのであれば、たとえ自分では神の意思に従っていると思っていても、まだ神の意志にすっかり身をゆだねているとはいえない。
 神の意志に従って生きている人は、何ごとにも悩まない。もし何かが彼にとって必要であれば、自分自身と自分に起こる出来事を神にゆだねる。そして、たとえ必要なものを受けとっていなくても、あたかも手にしているかのように、平安のうちにある。
 すっかり自分自身を神の意志にゆだねた魂は、何も恐れない。雷雨も強盗も他の何ものも。もし何かがその身に起っても、“神がこれをお望みになった”と言う。たとえ病気であっても、“病気は私にとって必要である。そうでなければ、神は私に病気をお送りにならないであろう”と考える。このようにして、彼の肉体も魂も平安に保たれる。
 自分自身について悩む人は、神の意志に身をゆだねることができない。謙虚な魂はおそれと愛のうちに、神のみ前に立つ。どのような形であれ神を失望させないようにとおそれ、主がどのようなやり方で私たちを愛して下さるかを知ることで愛するのである。
 最善のことは、神に身をゆだね、希望をもって悲しみに耐えることである。主は我々の悲しみをご覧になり、決してそれ以上付け加えることはない。悲しみに打ち負かされてしまうとすれば、それは神の意志に身をゆだねていないことによる。
(中略)
 すべての人が安らぎと喜びを求めているけれども、こうした恵みをどこで見い出すべきか、またそれらを獲得するためには何が必要か、知っている者はごくわずかである。
 三五年間、私は年老いてはいても、いつも陽気で、晴れやかな表情をした修道者を知っている。そのわけは、彼が従順を愛し、その魂が神の意志に従ってきたからである。
 彼は決して悩まない。彼の魂は神を愛し、神のことを観想する。その内部に少しでも恩恵を宿している人は、喜んですべての先達に服従する。彼は、神が天と地と地獄を支配しておられるのを知り、人間とその仕事、そして世界中の万物を支配しておられるのを知っている。
 それゆえ、そのような人はいつも安らいでいる。従順な人は神の意志に身をゆだね、死を恐れない。なぜなら、彼の魂は神とともに生きることに慣れ、また神を愛するからである。そのような人は、彼自身の我意を断ち切る。それゆえ、魂においても肉体においても、無法でわがままな者を悩ます苦しみを受けることがない」

『ロシアの神秘家たち』(あかし書房)より(訳語の文体は少し変えてあります)。

 この本の著者セルゲーイ・ボルシャコーフは、神秘家について次のように言っています。「神秘家とは、絶え間のない心の祈り、思惟の抑制、そして神の意志への全き服従を通して、神との一致に達した人である」
 まさに、これは覚醒の境地ですから、覚醒をめざしている私たちは「神秘家」と言っていいわけです。神との一致に達するには、上記の三つをクリアすることが最低条件のようです。なかでも重要で、難しいのは、最後の「神の意思への全き服従」ではないでしょうか。
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コメント

おはようございます、斉藤先生。今日は以前とりあげていただいたメールに書き忘れたことを書かせてください。

みなさんは水に溺れる虫をすくい上げたり、道路の真ん中にいる虫を車にひかれないように路脇の草むらに移動したりしますか?たとえ休憩時間を削ってでも。

周りの人たちが必要としていることを考えて、自然に体を動かしますか?

生きている者だけでなく、死した生物にも愛情があり、その土地一帯の霊を供養していますか?

コンビニや病院で募金箱を見かけたら普通に財布を開きますか?

このようなことは「当たり前」と思っていたので書き加えることを失念していました。何の意味があるのかとか、偽善ではないのかとか考えるまえに普通にやってしまっているのですが、これをやるかやらないかでは、「心構えの透明感」のようなものがちがいます。神社やお寺で願い事をしたり、神秘的な修業をする以前の問題であり、基本的なことだと思います。

どうでしょうか、みなさんにとっては普通ですか?

2011-02-18 Fri 03:17 | URL | ワタナベ [ 編集 ]
斉藤啓一です。コメント、ありがとうございました。
私なども、こうしたことは、まあまあ、している方だと思います。
そうすると、心が洗われる気がいたしますね。
ヨーガでいえば、カルマヨーガということになるのかもしれませんが、とにかく覚醒への道は心の浄化が非常に大切です。ワタナベさんもいわれるように、心の浄化なくして、いくらテクニック的な修行をしても無駄であるばかりか、邪道に陥ってしまうと思います。
こういう、日常のさりげない行為がとても大切だと思います。
2011-02-18 Fri 09:56 | URL | 斉藤啓一 [ 編集 ]

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