心の治癒と魂の覚醒

        

 死を覚悟すること

 原発の状況は、依然として危機的な状況が続いているようです。
 ネットなどを調べてみますと、東日本はすべて放射能で汚染され、今後、白血病で多くの人が死ぬといったことを言っている人もいるようですし、今回の大規模地震は今後、相模湾や東海地方の大地震にまで及び、原発は地震のために崩壊して、九州や沖縄くらいしか住むことはできなくなると言う人さえいます。
 私個人としては、そこまではならないだろうと思っていますが、残念ながら、完全には否定できないところが、私たちのおかれている危機的な状況であるわけです。
 九州や沖縄に避難を勧めている人もいるようですが、ほとんどの人はそのようなことはできないでしょう。つまり、ほとんどの人は、この事態を受け入れるしかないわけです。一応、最悪の事態も、覚悟しておいた方がいいのかもしれません。

 しかし、人間は、いつかは死ぬものです。
 白血病になって死ぬといっても、どのみち二人に一人は癌で死ぬ運命なのです。それがたまたま放射能が原因の白血病によるもので多少早く死ぬか、他の原因で死ぬかの違いだけです。まだ将来のある子供や若い人には気の毒ですが、しかし、子供や若い人だって病気や事故で死んでしまう人は死んでしまいます。家族がいる人は、家族のことを心配すると思いますが、何も打つ手がない以上、やはり覚悟するより仕方がないように思います。
 私は、癌患者のためのホスピスの心理カウンセラーをしていた経験から、「死の宣告」を受け、死を覚悟しなければならなくなった患者さんに、たくさん会ってきました。患者さんにとっては、原発で死のうと他の病気で死のうと変わらないといっていいでしょう。
 私たちも、同じではないでしょうか?
 原発で死のうと、それ以外の病気で死のうと、死ぬということに変わりはないわけです。私たちはいつか、「死の宣告」を受ける運命なのです(あるいは急に死んでしまうかです)。それが早く来るか遅れて来るかの違いだけです。
 ただ、できれば、死ぬにしても楽に死にたいものですが、原爆による白血病で死ぬのは、苦しいのでしょうか? 私にはわかりませんが、たぶん、自然に生じた癌の苦しみと、そう変わらないのではないかと思います。
 こう考えると、私たちは、ぽっくりと死んでしまう人を除けば、どのみちある程度苦しんで死ぬ運命から逃れることはできないのです。それが厳然たる事実です。
 もし原発が最悪の事態になったら、それは私たちの寿命が来たから死ぬ運命が訪れたと思うべきではないでしょうか。
 もちろん、逃げることができる人は、逃げた方がいいと思います。九州や沖縄に逃れて、日本の文化を後世に継承していってもらいたいと思います。ただ、九州や沖縄に逃れることができたとしても、その生活が幸せかどうかはわかりません。たとえ身内の家に逃れたとしても、時間が立ってくると、いろいろと肩身の狭い思いがしたり、争いが起きたり、慣れない土地で慣れない仕事をするというのは、決して楽ではないと思います。いっそのこと死んでしまった方が楽であると感じられるかもしれません。

 覚醒の修行とは、要するに自我(エゴ)を消滅させることです。自我を根底から支えているのは「恐怖」です。そのため、覚醒に近づいてくると、「自分が消滅してしまう恐怖」を覚えると言われています。もちろん、消滅するのは偽りの自己である自我にすぎず、本当の自分ではないのですが、自我を本当の自分だと思っている私たちには、自我の死は本当の自分の死と同じだと思って恐怖を覚えてしまうのです。そのために、多くの人が覚醒の一歩手前で躊躇してしまうようです。もちろん、それは生命の自己保存の本能から来るもので、無理はないのですが、しかし覚醒をめざすには、この恐怖心を何としても克服していかなければなりません。
 恐怖心は死の恐怖から来ていますので、死を覚悟することによって克服することができます。これより他にありません。
 その意味で、今の私たちは、死を覚悟するには、なんとすばらしい状況を与えられたことでしょうか。こんなすばらしい修行の機会は、もう二度と訪れないかもしれません。
 ですから、皆さん、死を覚悟しようではありませんか。
 それは簡単なことではないと思いますし、私も自信はないのですが、がんばりたいと思います。死を覚悟すれば、怖いものは何もありません。死を覚悟した人間は強いです。戦時中の若者は、特攻隊だとか、人間魚雷といったことで、帰りの燃料を積むことなく、つまりは、死ぬために戦場に出向いていったのです。彼らのたくましい精神を見習おうではありませんか。
 繰り返しますが、私たちはどのみちいつかは、死ぬ運命にあり、死を覚悟しなければならないときが来るのです。それが今やってきたと思えばいいのです。
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コメント

斉藤先生、こんばんは。
地震に津波に原発事故
この3つが起きるなんて
人類初めての体験ですね。

できるところまで、頑張ります。
2011-03-19 Sat 23:50 | URL | 両さん [ 編集 ]
 両さんも今は大変でしょうが頑張ってください。僕は新潟県の中越地震に被災した経験があるのでお気持ちは少しはわかります。犬は家族同然なんでしょうね。
 すごい内容がネットに流れているんですね。僕は以前放射線の勉強や仕事をしていいたことがあるので、その知識を参考に判断しています。確かに予断は許さない深刻な状況ですが、その手の不安を煽る情報は、不安をもとに浄水器を売るマルチ商法と似たレベルではないでしょうか。自分だけ助かればいいという心根も卑しい。神はそのような人間に好意を示されるでしょうか。そもそも神の視点からは日本に絶対安全な場所などないのでは。
 僕も長い人生を歩んできて経験から思うことは仕事上での重大な事故は、いつも「想定外」で「いくつもの不運が重なって」起きてきたことです。ですが不思議なことに絶対絶命と思っても最後にはうまく解決されたことが多かったです。皆が必死になって頑張ると神がかったことも起きたな気がします。
 長い自分の話で失礼しました。
2011-03-20 Sun 16:41 | URL | うの [ 編集 ]
うのさん、ありがとうございます。
テレビで報道のとおり、原発の風評で物資が入ってきません。
友人からメールがあって、米と梅干しかないそうです。
水とガスはあるそうなので、インスタントラーメンをあげたいですが
友人の家は遠く、クルマはないし、あってもガソリンがありません。

私も、できれば遠くに避難して、温泉につかって、美味しいものを食べられたら
という気持ちもあります。
一方で、肝心なときにあいつは逃げた、と後で言われるのも嫌です。
結局、自分のことしか考えていないですね。

テレビを見ていると、私よりもっと大変な人は大勢います。
現状を頑張ります。

2011-03-20 Sun 17:23 | URL | 両さん [ 編集 ]
斉藤啓一です。両さん、毎日緊張と不安の連続だと思いますが、負けずにがんばって下さい。

うのさん、すばらしいコメント、どうもありがとうございました。まったく同感です。神様は、私たちが助け合い、必死になって頑張ることを望んでおられるのだと思います。そのとき、絶体絶命と思っても、おそらくは神の加護もあり、不思議に何とかなるのではないでしょうか。まさに「天は自ら助くるものを助く」ということだと思います。
2011-03-20 Sun 20:35 | URL | 斉藤啓一 [ 編集 ]
福島原発は最悪の状態を切り抜けられたようですね。まだ安心しきる事ではないですが。

今朝のテレビで30km外のいわき市などの隣接市の放射能は0.73マイクロシーベルトで(いわき市)、それを1年間あび続けてもまったく問題ないと専門家が言っておられました。CTスキャンを1回受けるのが6900マイクロシーベルトなのでまったく大丈夫だという事です。
いわき市の市長がインタビューで言われてた事には風評被害が一番問題なのだとの事です。市民は自宅待機なので食料品は民間に頼らざるをえなのに。風評という人々の心理的なものはなかなか根強いんだ、と困っておられました。他局でも問題として取り上げられてくると思うので今すぐには無理でも、しばらく経過すれば何とかなっていくと思います。
両さん、これしか言えませんが、がんばってください。
2011-03-21 Mon 10:28 | URL | 紺色 [ 編集 ]
ただ外部被爆と内部被爆(体内被曝)はまた別です。私もまだよく分かっていませんけど。
2011-03-21 Mon 10:44 | URL | 紺色 [ 編集 ]
斉藤啓一です。風評被害は本当に問題です。
たとえば、福島県のほうれん草や牛乳が汚染されているとのことですが、仮に現在の汚染されたほうれん草を、人体に影響があるレベルまで食べるとすると、まず、洗わないで、毎日何十年も食べなければなりません。そうなると、癌になる可能性が出てきますが、それでも、癌になる可能性は0.5パーセントだそうです。
洗えば、放射線のレベルは10分の1になるようなので(洗わないでほうれん草を食べる人はいないでしょう)、要するに、まったく心配はいらないのです。
暴飲暴食をしたりジャンクフードを食べている方が、何百倍も危ないのです。
外部被曝と内部被曝ですが、これは蛍の光と蛍そのものにたとえるとわかりやすいでしょう。蛍の光は放射線のことで、離れれば大丈夫です。蛍とは放射線物質のことです。ですから、蛍の光を少し浴びても問題はありません。これが外部被曝です。しかし、蛍を飲み込んでしまうと、体のなかで蛍が光って(放射線を放って)、問題が深刻になります。これが内部被曝です。
ほうれん草を食べることは内部被曝のことを意味するかと思いますが、それでもこのレベルであれば大丈夫なのです。ただ、汚染された物質を食べ続けて成長した家畜の肉は、放射線物質が濃縮されている可能性がありますので、注意した方がいいかもしれません。もっとも、そんな食品が出回ることはないでしょうが。


まず、正確な情報と冷静な思考力が大切です。しかし人間は、恐怖心があると、まともな思考力や判断力が麻痺してしまいます。
私たちはいま、勇気を試されているのです。
2011-03-21 Mon 11:03 | URL | 斉藤啓一 [ 編集 ]
「地震に会うときには会うがよろしく候、死ぬときには死ぬのがよろしく候」と言ったのは良寛さんでした。確かに、人間は必ず死すべき存在です。そのことから目をそらして生きているのが私たち凡夫なのだと思います。このたびの天災は死を見つめ自らの死生観を深めるとても良い機会でした。ただ、地震や津波は天災ですが、狭い地震列島に50以上もの、危険な、人間のコントロールに余る原発を作ってきたのは人間に責任があることだと思えてならないのです。そして、最後の瞬間まで生きる意味があるといったフランクルの言葉を胸に、明日人類が滅ぶともそれでも私はリンゴの木を植えるという生き方をしたいものです
2011-03-21 Mon 23:19 | URL | 松井幸子 [ 編集 ]
今回の災害で、被災者のみなさまがどんなに苦しい日々を過ごされているのかと思うと、毎日泣いてばかりでした。わずかながらですが、救援物資をとまとめてみたりしてますが、友達からの話では、京都の料亭が大繁盛だそうです。
東京のお金持ちがみなさん関西に非難されているからだそうです。
人それぞれだとは思いますが、世界は二つに分かれているのでしょうか?
理不尽だと感じるためにそういう現実を聞く事になったのだと思いますが・・・
頭がおかしくなりそうです。
2011-03-22 Tue 14:48 | URL | Miki [ 編集 ]
斉藤啓一です。松井さん、Mikiさん、コメントありがとうございました。
確かに、今回のことで、私たちは死生観や今後の生き方について、深く考えさせられるきっかけを与えられたように思います。
また、原発についても、今後どうするか考え直すときだと思います。今回の災害は確かに「想定外」だったのでしょうが、世の中など、想定外なことはたくさんあります。想定外のことが起きたら破滅的な災害をもたらすようなものは、やはりやめた方がいいと思います。

京都の料亭は、お金持ちの方で繁盛されているのですか。
一方で命がけで最悪の事態を防ぐため不眠不休の努力をしている人がいるかと思えば、自分だけ逃げて、逃げるばかりか料亭でおいしいものを食べて遊んでいるわけですね。被災者の方は飢えと寒さで苦しんでいるというのに。
しかし、私はそういう人を、少しも羨ましいとは思いません。私がいま一番うらやましいと思う人は、被災地で一生懸命にボランティアをしている人たちです。私も事情がゆるせばしてみたかったです。





2011-03-22 Tue 16:32 | URL | 斉藤啓一 [ 編集 ]

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