合理的な希望を抱く2011-03-29 Tue 20:03
原発はあいかわらず危機的状況で、私たちを不安と緊張につなぎとめています。また、膨大な災害の他に、計画停電のせいで、ようやく上向きの兆しが出てきた日本経済も再び長期にわたって沈み込んでしまうという予測が為されています。右を見ても左を見ても、悲観的な思いにさせられるものばかりです。
私たちの未来は、暗く、絶望的なものになるのでしょうか? そうかもしれません。長い長い苦しみの日々が待っているかもしれません。 しかし、そうではないかもしれません。 現在の推測では、日本の未来は暗いものですが、実際にどうなるかは、誰にもわからないのです。 広島に原爆が落とされたとき、この土地は70年間は植物も生えないし人も住めないだろうといわれました。ところがどうでしょうか。じきに、何事もなかったかのようにたくさんの芽が出て植物が生えてきました(人々はそれに励まされて希望を持ち復興に力を入れました)。 東京は、戦争の空爆で一面焼け野原になりました。それがどうでしょうか。10年もしないうちに生活を取り戻し、そればかりか、ついにはGDPで世界二位にまでなったのです。現在、中国に二位の座を奪われましたが、それでもこんな小さな島国が、国土も国民の数も圧倒的に大きな大国と肩を並べているわけで、考えればこれはすごいことなのです。 このように、いかに悲観的な予測が為されたとしても、実際にはどうなるかはわからないのです。 ところが、人間というものは、物事をつい悲観的に考えてしまう根深い傾向があるようです。そして、何かを悲観的に考えると、想像も手伝って、その悲観的な考えを裏付けるような理屈ばかりが閃いてきて、悲観が悲観を呼ぶループにはまりこんでしまい、ついには絶望的な思いにかられ、自暴自棄や自殺、心中といった早まった行動に走ってしまうことがあるわけです。 しかし、今までの自分の人生を振り返ってみるとわかるかと思いますが、ほとんどの場合、悲観的な予測ははずれることが多いのです。、心配していたほどひどいということは、めったにありません。 といっても、これも絶対にそうなるというわけではありません。予測通り、あるいは予測よりも悪い事態が起こることも、ないとはいえないわけです。 いずれにしろ、確実に言えることは、「未来はどうなるかわからない」ということです。 そこで、どうなるかわからない未来を前にして、私たちはどのような姿勢で臨むのが適切か? ということを考えてみなければなりません。 悲観的になり、絶望的な気持ちで臨むべきでしょうか? こうした臨み方には、二つの問題があります。ひとつは、予測したような悪い事態が起こらなかったとき、悲観的になって苦悩しただけ損になります。そればかりか、悲観的になったあまり、新たに悪い事態を作り出してしまうことにもなりかねません。 もうひとつの問題は、たとえ実際に悪い事態が起こることになっているとしても、悲観的に臨んで何かいいことがあるかです。何もいいことはないはずです。むしろ、悲観や絶望にとらわれた気持ちでは、何をやってもまずうまくいかないことが多いのです。 したがって、たとえ未来がどうであろうと、悲観的な気持ちで臨んで得るものは、何もないという結論になります。それどころか事態を悪化させる可能性さえあるのです。 それでは、「必ずうまくいく」という希望と確信を持って臨んだらどうでしょうか? もしも悪い事態が起こらなければ、それはそれでけっこうなわけです。苦悩してストレスをためることもなく、何も損害はありません。 もし悪い事態が起こるとしても、希望と確信を持って臨んだときは、人間の能力はフルに発揮されます。それにより、悪い事態を解決させてしまうかもしれませんし、たとえ完全には解決できなくても、多少なりとも軽減させることは十分に可能でしょう。 したがって、未来がどうであっても、希望と確信で臨むことには、何のリスクも損害もないし、むしろ、いいことが起こる可能性の方が高いのです。 こう考えると、どちらの姿勢を取ればいいかは明白です。必ずうまくいくという希望と確信を持って、心穏やかに全力を尽くすことです。心配や不安や恐怖に苦悩しながら努力するのではなく、明るく穏やかな気持ちで努力するのです。これが、いかなる事態においても当てはまる最善の姿勢なのです。これは合理的な希望というべきものです。 もちろん、次から次へと辛いことが起こったり、辛い状況が長く続いたりすると、どうしても悲観的な気持ちに傾いて絶望的な気持ちになってしまうのは、無理ありません。それは人間の自然な感情ではないかと思います。 しかし、とはいえ、いつまでもそうした気持ちにとらわれていては、もしかしたらうまくいくべきことも、うまくいかなくなってしまう可能性があるわけです。ですから、そのような残念な事態を避けるためにも、希望と確信を持って困難に立ち向かっていかなければならないと思うのです。 もし、あなたを悲観的で絶望的にする想念や考えが湧いてきたら、それはあなたがそう思っているのではなく、いつのまにか頭の中に侵入してきた悪魔、悪いエイリアンが語りかけているのだと思って下さい。悪魔やエイリアンに負けてはいけません。断固として戦って下さい。 このことは、そのまま覚醒のための絶好の修行でもあります。 スポンサーサイト
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コメント
初めまして。一週間前からこのブログを読んでいます。
私は今まで悪口を言ったり、ネガティブに考えたりして暗い生活を過ごしてきました。 しかしある日、このブログを発見し毎日少しずつ過去の日記を読んでいき実践していきました。 そうしたらまだ時間は僅しか経っていないのですが、心に余裕ができてきて、今までの自分の心の器の小ささに気づきました。 本当に感謝しています。ありがとうございます。これからも毎日読んでいきたいと思います。 今は神道に興味を持ち、本屋で日本神話等を購入して勉強しております。今読んでいる本が、日月神示という本なのですが、皆さんは日月神示をどう捉えておられますでしょうか? この日記に関係のない質問をしてすみません。 まだまだ未熟者ですがよろしくお願いいたします。 2011-03-29 Tue 21:50 | URL | 19 [ 編集 ]
お早うございます、19さん、ウィキの方で確認したのですが、すごい書記ですね。高級心霊が書かせた自動書記ということなのでしょうね。
三千世界の大洗濯と大峠というキーワードには戦慄を覚えます。まさに危機的状態の日本を見ていると、公開されていない13巻の中にそれが予言されていたのでは?と考えたくもなります。ただし、それが起こる前には、空に幾つもの太陽が浮かぶという現象が確認されるそうなので、まだ世界は大丈夫そうです。 それよりも、私は「神的自分が本守護神であり、霊的自分が正守護神である~」というくだりが気にかかりました。以前、修行中に目にした守護霊とおぼしき存在の短気さ(怪異)をいぶかしく思い、斉藤先生のいうように、低級な霊が来てしまったのでは?と心配して書物をあさり、エノク魔術の本による聖守護天使の項目で、「聖守護天使(守護霊)とは、自分の霊的な自我あるいは守護霊に他ならない」と書かれているのを目にし、すこし納得しました。 つまり、守護霊とはアカの他人ではなく、自分の霊的自我の場合もあるということなのか、と。それならば、いろんな宗教のまぜこぜのような瞑想をしようとした自分に対して少なからず遺憾に思っていたのも確かなので、ああゆう(本の落下など)現象が起こったのであろうと。 日本の貴重な文献を紹介してくださり、感謝します。 2011-03-30 Wed 05:52 | URL | ワタナベ [ 編集 ]
斉藤啓一です。19さん、ワタナベさん、コメントありがとうございました。
日月神示は、詳しくは知らないのですが、日本の高級神霊からのメッセージだと思います。格調高い感じがしていいですね。 私も先日、日月神示ではありませんが、神道系の神示の本を少し読みましたが、今回の災害は「あがない」のようですね。しかし、このあがないが終われば、清められた日本はとてもすばらしくなるのではないかと思います。 自分の、いわゆるハイヤーセルフが守護神や守護霊として認識されるということはあるようですね。 おそらく、ハイヤーセルフと他の霊的存在とが一緒になって導いてくれているのではないかと思います。 2011-03-30 Wed 09:56 | URL | 斉藤啓一 [ 編集 ]
ワタナベさん、斉藤先生、それぞれの意見をコメントして頂きありがとうございます。
日月神示を読んで歓喜について、霊界について等少しずつわかってきました。 たくさんシリーズがあるのでこれからはもっと勉強していき、そしてこのブログで勉強した瞑想も少しずつでも続けていき、身魂を浄化していきたいと思います。 私も今の地震、津波、放射の洗濯で海外からの物質主義で眠っていた日本精神が甦ると思います。 日月神示の予言では世界のおよそ1/3しか残らないと記していました。 ヒトラーの予言、ケネディの問題から2039年が重要なキーワードだと思うのです。 まだまだ19歳で未熟者ですが、わからないことがあれば是非教えてください。 2011-03-30 Wed 18:41 | URL | 19 [ 編集 ]
斉藤啓一です。19さん、コメントありがとうございます。
ぜひ、瞑想を続けてみてください。そして、この場を通して、みんなで魂を成長させ合っていこうではありませんか。 19歳ということで、まだお若いですが、霊的な世界では肉体年齢はあまり関係ありませんよ。若くても歳を経た魂の持ち主もいますし、年寄りでも幼い魂の持ち主もいます。 私の感じですが、最近は、歳を経た魂が多く転生しているような気がしますね。だから、まだ若いのに、私が同じ年齢だったときと比べて、ぜんぜん立派な人がたくさんいます。19さんもそのような方のように思います。 なので、若いからといってへんな遠慮はいりません。みんなで磨き合っていきましょう。 よろしくお願い致します。 2011-03-30 Wed 21:31 | URL | 斉藤啓一 [ 編集 ]
斉藤先生コメントありがとうございます。
はい。私もこれから瞑想をしていきたいと思います。 斉藤先生からそのお言葉を受けてとても嬉しいです。 そして話しはズレますが斉藤先生のこのコメントからヒトラーの究極予言の謎が解け、日月神示の予言とヒトラーの予言がぴったり合いました。 今、動揺を隠せない状況です。 これからも身魂を磨いていきたいと思います。 こちらこそよろしくお願い致します。 2011-03-30 Wed 23:13 | URL | 19 [ 編集 ]
お早うございます。斉藤先生。そして19さん。今後の修業のために、少し聞いておいて頂きたい事がありましたので参考までにどうぞ。
日月神事はじつに格調高い高級心霊の関与があるとは思うのですが、少し気になる点もあります。それはカルマの法則と輪廻転生が意図的なのか、抜けていることです。それは次の例で感じました。 「右の頬をうたれたら左の頬を出せよ、それが無抵抗で平和の元ぢゃと申しているが、その心根をよく洗って見つめよ、それは無抵抗ではないぞ、打たれるようなものを心の中にもっているから打たれるのぞ。マコトに居れば相手が手をふり上げても打つことは出来ん、よくききわけてくだされよ。笑って来る赤子の無邪気は打たれんであろうが、これが無抵抗ぞ。世界一家天下太平ぢゃ、左の頬を出すおろかさをやめて下され」(極め之巻第十五帖) 国常立尊という高級心霊はおそらく、キリストが言う「右の頬を打たれる」原因をそもそも持つな、と言いたかったんだと思いますが、実際には虐待により殺される乳児もいますし、真理をうったえることで敵を作ってしまう人もいるでしょう。ここには、厳しい環境に生まれて修業を行うという輪廻転生の思想も、今世における罪はなくても、前世までに犯した罪をあがなうというカルマの法則もありません。 なぜでしょう?当時の日本に必要のない思想を広めることを控え、問題を起こさない正道を説くためでしょうか?第二次大戦中だったことも重要な点です。それを踏まえてみなさんの意見を聞かせてください。 2011-04-01 Fri 04:02 | URL | ワタナベ [ 編集 ]
ワタナベさん。コメントありがとうございます。
私もそのことについて考えていました。 日月神示のあの世のことを詳しく解説してある本を読み終えたのですが、輪廻転生やカルマの法則については触れていませんでした。 私はワタナベさんが言っておられる通り、"第二次世界対戦中"が問題であったと思っております。 私が思うには高級心霊は輪廻転生やカルマの法則もお伝えになられたと思っています。 私の読んでいる解説書には、輪廻転生やカルマの法則がきっかけで、とは書いていないのですが、あるお方が神書を著すが、不敬罪の疑いで捕らえられ毒殺されたと書かれていました。私はきっとこれに当てはまるかと思っています。 2011-04-01 Fri 17:49 | URL | 19 [ 編集 ]
斉藤啓一です。コメント、ありがとうございました。
日月神示は、輪廻転生やカルマについて論じていないようですが、否定もしていないようですので、その高級神霊は、いろいろと考慮して、もっともベストな形で教えを説かれたのではないでしょうか。立体的な事物を平面で描写するのには困難が伴うように、霊的な高次の教えを説くときにも、どうしても断片的になってしまうのかもしれません。 2011-04-01 Fri 18:04 | URL | 斉藤啓一 [ 編集 ]
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