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心の治癒と魂の覚醒

        

『生命の實相』 第7巻 生活篇

推薦図書『生命の實相』 第7巻 生活篇
  谷口雅春 著 日本教文社

 ご存じの方もおられると思いますが、本書は、「生長の家」という宗教団体の教祖である谷口雅春氏によって執筆されたものです。念のためお断りしておきますが、私は生長の家の信者ではありませんし、いかなる宗教団体の信者でもありません。このブログも、特定の宗教(団体)とはまったく関係ありません。
 しかし、著者が宗教の教祖であろうとなかろうと、すぐれた内容の本はこだわらずにご紹介していきたいと思っております。
 さて、この『生命の實相(じっそう)』は、谷口氏の思想を集大成したもので、全部で40巻にものぼります。今回ご紹介したのは、そのなかの第7巻で、谷口氏の教えを日常生活に応用した、とてもわかりやすく実践的な内容を持ったものです。
 谷口氏の教え(生長の家の教え)をひとことでいうと、人間の実相は神を源流とする生命であり、神想観と呼ばれる祈念法を実践し、また物事の明るい面を見つめ信念の力を発揮することで、内なる神性を目覚めさせていくというものです(と私は理解しています)。これはまさに、このブログで探求している覚醒と同じ方向であるといえると思います。
 宗教書ではありますが、自己啓発書としても読めるもので、いわゆる「宗教臭さ」といったものはあまりありません。どんな人にも当てはまる共通した教えが説かれています。とはいえ、宗教的な真理を土台にしているので、巷によくあるような自己啓発書とは一線を画しており、奥が深くて格調高いものです。
 初版が昭和37年ということもあり、文体は古風な感じがしますが、内容は少しも色あせておらず、むしろ今回の未曾有の危機的状況にある日本人にとって、希望と勇気を奮い立たせてくれるこの本は、今こそ求められるものではないかと思います。
 谷口氏の、天性の詩人ともいうべき文章表現の巧みさは、読む者の心を動かさずにはいられない説得力と魅力があり、私なども何回も繰り返して読んでおり、あちこちに赤線が引かれています。ぜひ一読をお勧めします。
 参考までに、もくじのタイトルを以下にご紹介しておきます。

1朝の時間を生かせ
2朗らかに笑って生きよ
3日時計主義の生活
4ひとの生命の実相を礼拝せよ
5神の子の自覚に超入せよ
6「今」を全力を尽くして戦いとれ
7背水の陣を布け
8深切の生活を生きよ
9常に心に善念を把持せよ
10わが心の王国を支配せよ
11取り越し苦労するなかれ
12生長と平和と幸福は愛より生ずる
13思いきりよく、押し強く、勇敢に断行せよ
14断じて失敗を予想せざる者はついに勝つ
15共通的生命の歓喜のために働け
16難難を光明化せよ
17天地の開ける音を聞け
18家庭生活を光明化せよ
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推薦図書(覚醒編) | コメント:11 | トラックバック:0 |
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コメント

谷口雅治先生の著書は ほかにも必読書が 山のようにあります。自分も数年間 睡眠薬なしでは眠ることができませんでした。先生の本を読んで睡眠薬を飲まなくても眠れるようになりました。さまざまな体験談の著書もあります。日本に生まれた偉大な神の使徒に 少しでも 追いつきたいです。
2011-04-08 Fri 18:30 | URL | リョウナンダ [ 編集 ]
斉藤啓一です。リョウナンダさん、コメントありがとうございました。
睡眠薬なしで眠れるようになられたとのこと、心の力は偉大ですね。
ところで、他にも数多くの必読書があるとのことですが、もしよろしければ、リョウナンダさんお勧めのものを紹介していただければ嬉しく思います。
2011-04-08 Fri 22:09 | URL | 斉藤啓一 [ 編集 ]
こんにちは。
関係のないコメントなんですが、最近疑問に思っていることがあります。このブログの過去の日記には人を恨まない、悪口を言わない、怒らない等で身魂を浄化していくと説明してありました。
自分もこれを実践したら本当に日頃の生活が変わり、心に余裕が持てました。
しかし日月神示を勉強して、ある書き込みに疑問が浮かびました。
『この道は、中行く道ぞ』
この世は善と悪で成り立っている。
そして、偏りすぎるのもよくないという。自分は善の行いをし、善に偏るのは偽善であり、それこそ悪。という解説がしてありました。善と悪を平衡に保つのが丁度良く、中庸が大切であるらしい。

ということは、悪口を言わないのも怒らないのも善の方に偏ることになるのでしょうか?
誰か一緒に考えて返答の方お願いしたいです。

あとワタナベさん言っておられたカルマの法則は日月神示にて説明してありました。日月神示もカルマがあると解説してありました。日月神示ではカルマではなくメグリ(悪業)というらしいです。
不幸とはメグリを解消する現象だそうです。
2011-04-10 Sun 20:15 | URL | 19 [ 編集 ]
斉藤啓一です。19さん、コメントありがとうございました。
なかなか奥の深い、いい質問だと思います。
私が思うには、あまり自分が「善いことをしている」と思ってしまうと、そこには傲慢さや自惚れが生じてしまうこと、また、自分は「善人」だから「悪人」を責めてもいいのだという冷たく不寛容な傾向が出てしまうからだと思います。善い行為は大切だと思います。しかし、それよりも大切なのは、愛だと思います。愛を忘れる善がいけないのだと思います。
2011-04-11 Mon 10:08 | URL | 斉藤啓一 [ 編集 ]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2011-04-11 Mon 17:16 | | [ 編集 ]
斉藤啓一です。このブログで学んでくださり、それを日常で実践し、出来なかった事は反省し、朝晩に祈っておられるという方からコメントをいただきました。
このような、真摯な姿勢で臨んでくださる方には本当にありがたい気持ちでいっぱいです。心より感謝いたします。
2011-04-11 Mon 20:29 | URL | 斉藤啓一 [ 編集 ]
こんばんは、日月神示についての解説ありがとうございます。たいへん考えさせられる内容ですね。

私の場合ですが、最近はあまり善悪という言葉で行動の区分をしておりません。悪と呼ばれる行為にせよ、偽善と呼ばれる行為にせよ、そこにあるのは利己主義だと思います。出発点がまず「自分のため」なんですよね。

覚醒に達した人はおそらく、こういったエゴからは解放されていると思います。個人の自我が判断する善悪には誤りが多く、危険であるため、安易に「これは善、これは悪」と考える風潮に陥るのを避けたのではないでしょうか?やはり戦中に書記されたものなので、「自分こそ正義」と思いがちな人間に配慮したと考えるのが妥当かと。

中庸の道を模索しておられるようですが、利己主義から出発してないのであれば、そう偏ることはないと思います。自分の心の奥に照らして判断してみてください。神を求める人が、神の創造物である人間を憎むことで神に近づけるのかどうかを。

あと、カルマに相応するものがあったのですね。ご指摘ありがとうございます。
2011-04-12 Tue 19:15 | URL | ワタナベ [ 編集 ]
こんばんは

はじめてコメントします。

自分は長い間、さとり、瞑想、座禅など

のスピチュアル的な生き方を実戦しながら生きて

きました。 この6年ほど前から ハトホルの書

を読み シュツムナ (バー) が感じるようになり

ました。

思いますと 愛こそがすべてではないかとおもいます

地球も愛で癒すこともできるし、地球からの愛も感じる

ことができます、うまく言えませんが、チャクラか

もエネルギーやパワーなどを感じますが、どうでしょう

か? みなさんは地球とつながっていることが

実感できますか?

ご指導よろしくお願いします。 メールアドレスは携帯

電話です。
2011-04-13 Wed 21:01 | URL | ef159 [ 編集 ]
斉藤啓一です。ef159さん、コメントありがとうございました。こちらこそ、よろしくお願い致します。
「愛」ということが、すべてを解く鍵かもしれませんね。覚醒とは、純粋に愛せるようになること、といえるのかもしれません。
2011-04-13 Wed 21:47 | URL | 斉藤啓一 [ 編集 ]
斉藤先生、ワタナベさんコメントありがとうございます。
斉藤先生が言っておられることと同じ感情で行動をしていました。
「私のやっていることは善だ」とか「今日はたくさん良いことして清々しい」とか、まさに高慢な感情で間違っていたのだと感じました。本当に愛がなかったのだと。
これからは区別や高慢にならないよう愛で生きていきます。

自我での善悪の判断は危険
私もそう思います。なので私も善悪の区別をつけずに日々愛を込めて行こうと思います。
それに町に平気でゴミを捨てる人を見るとどうしても自然にそうゆう目で見てしまうのですが、これも抱きまいらせて、調和するように努めることによって進歩、向上があると受け止めていきたいです。
神示によると、悪は私たちによって必要な存在であるから、滅びることはないようです。

私もつい最近まで戦時中だからという思いで勉強をしていましたが、メグリ(悪業)の説明が書かれてあるようにあまり戦時中に囚われていない神示かと思うんです。
中庸の良さは神示の他、ピタゴラス、アリストテレスもそう説いているようです。

あと最近気になったことが2つあります。
1つは神道の世界に入ってから昔から定期的によく遊んでいた友達との仲が離れたかのように思います。三人もです。これは霊的波長が合わなくなったからですか?

2つ目はバイトをしていた時なんですが、働いている人達二人が話し合いをしていたんです。パッとその人達を見たら、その話している2人の真ん中に大きな段ボール箱ぐらいの赤い炎が瞬間的に見えたんです。
2011-04-15 Fri 17:04 | URL | 19 [ 編集 ]
斉藤啓一です。19さん、コメント、ありがとうございました。
やはり、偏るというのは、どこか間違っていることが多いですね。中庸が大切です。お釈迦様も中道を説きました。
それと、心境が変化すると、人間関係も自然に変わっていくようです。それは仕方がないことですね。それでいいのだと思います。「来るものは拒まず、去る者は追わず」でいきましょう。
赤い炎ですが、何らかの霊的なエネルギーを視覚的にとらえたのかもしれませんが、あまりこういう現象には興味をもたない方がいいかもしれません。それより、もっと肝心な心身の浄化に力を向けましょう。



2011-04-15 Fri 19:56 | URL | 斉藤啓一 [ 編集 ]

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