心の治癒と魂の覚醒

        

性とスピリチュアリティ②

 
 突然の震災が起こって、書こうと思っていた「性とスピリチュアリティ」の問題が保留となり、少し横道にそれた記事が続いてしまいましたが、ここで軌道に戻ってこの問題を取り上げてみたいと思います。
 さて、私たちがセックスの問題を扱うとき、セックスは「罪であり、堕落であり、恥ずかしいものである」といった、どこか後ろめたい気持ちが伴います。
 性は実際に、罪や恥ずべきものなのでしょうか? であるとするなら、それはなぜなのでしょうか?
 退行催眠によって前世のことや、超意識(ハイヤーセルフ)の考えを解読する研究においてわかったことなのですが、それによると、何回かの人生で鬱々と暗い人生を送ってきたある男性の超意識は、進化のためには華やかなラブ・ロマンスに身を投じるのがいいと考え、来世では多情な女になる計画を立案していたといいます。つまり、魂の進化のためにセックスの経験を豊富にしようと、魂が計画したというのです。
 また、ある高校教師は、自分の心にある肉欲と霊的傾向との葛藤に悩んでいましたが、最近の10回の転生では、信心深い行為と放蕩の行為とが繰り返されていることが判明したといいます。彼はそんな状態を振り返りながら叫びました。
「わからない! 肉欲的な生活に何の意味があるんだろう」
 それに対して、超意識からの返事がかえってきました。それによれば、性愛は道徳心や人を助ける心、慈悲の心を培うものであり、人を結び付けて霊的な成長を助けるものであるというのです。その男性はいいました。
「私はセックスと霊的であることが、別物だと考えていました。しかし私がするべきことは、両者の統合にあったのです」
 スウェーデンボルグも同様のことをいっています。彼は生涯を独身で通しましたが、人生のある時期には愛人もいたようですし、“ある種の場所”にも通ったと告白しています。ところが、悪いことをすれば必ず警告を与えてくれた彼の守護神が、こうした行為に関しては何もいったことがないといいます。そして、神はセックスを悪だとはみなしていないようだと語っています。
 一方、自由に体外離脱ができるアメリカのエンジニア、ロバート・モンローもまた、「性的な体験をすることは、不完全ではあるが、全体の一部を真似たものである」といっています。
 つまり、肉体的に一体になりたいという欲望は、すべてがひとつの全体として融合されている超意識の、低い次元における表現であるというのです。したがって、セックスは愛をその根源とするものであり、愛のエネルギーの末端ということになります。
 モンローによれば、彼がいうところの「第2の身体」(霊体)でもセックスができるようです。霊体で行うセックスは、異性的な磁場の交流とでもいうべきもので、彼は自らの体験をこう語っています。
「第2の身体の二人は、ある限界を越えると一気に近づいて触れ合い、さらに、互いを包み込むような、あるいは互いに合体したような状態になる。このとき、魂を揺るがせるようなエクスタシーとともに、何かが全身に流れ込み、また流れ出る。それは、プラスに帯電した物体とマイナスに帯電した物体が、互いに引きつけ合い、合体して、電気が中和される過程にたとえることができるかもしれない。とにかく、ほんの短い間だが、それは完全な一体感と、心を震わせる何かの交流をともなって、耐え難いエクスタシーをもたらす。そして、ふたりは深い安らぎと生命感に満たされて、静かに離れるのである」(『体外への旅』 ロバート・A・モンロー著 山河宏訳 学習研究社)
 肉体をもたない第2の身体レベルで、こうしたセックス(といってよければ)が深い充足感をもたらすというのは、本当にわれわれが求めているのは、実は精神的な、あるいは霊的な何かであるのかもしれません。おそらく肉体的な結合は、そのための手段にすぎないといいますか、魂との融合をもっとも近い形で表現しているのがセックスであるために、私たちはセックスに対して強い願望を持つのかもしれません。
 すなわち、肉体のセックスとは、第2の身体によるセックスの模倣なのであり、そしておそらくは第2の身体もまた、より高次の融合形態の模倣であると考えられるのです。
 融合したい、ひとつになりたいという魂の願望が、高いレベルでは愛となり、低いレベルではセックスとなるのかもしれません。
 モンローの主催した体外離脱セミナーに参加したある女性は、気になっていた男性との超意識的な体験をこう語っています。
「全く一瞬にして私は“全智”を得たのです。私は彼の上を漂い、彼の振動は私の振動となりました。私は彼と融合し、彼の一部になりたい-ひとつになりたい-という圧倒的な欲望を感じました」(『魂の体外旅行』 ロバート・A・モンロー著 坂場順子訳 日本教文社)
超意識(魂)の価値基準は、すべての存在との融合にあるといってもよさそうです。それを人間的な感情レベルで表現すれば、「愛」ということになるのでしょう。超意識にとって、融合あるいは愛こそが究極の目標になっているように思われるのです。
 そのため、たとえ不完全であるとはいえ、セックスが愛に通じているがゆえに、超意識にとっては、セックスは汚らわしいものでも罪深いものでもなく、むしろ神聖でさえあるとして、評価されているのかもしれません。
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コメント

深い内容のエッセイありがとうございます。一日一生ということばを思いだしました。残された人生を深く味わいたいと思います。先生のお薦めの ホームページ、ブログがありましたら 是非 紹介してください。お願いいたします。
2011-05-01 Sun 15:42 | URL | リョウナンダ [ 編集 ]
斉藤啓一です。リョウナンダさん、コメントありがとうございます。ご感想は、ホームページの方のエッセイのことですね?
確かに、人間はいつ死んでしまうかわからないので、一日一日を大切に、深く味わいながら生きたいものです。
お勧めのホームページやブログ、今は思いつきませんが、見つかったらご紹介させていただきますね。
2011-05-01 Sun 19:35 | URL | 斉藤啓一 [ 編集 ]

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