心の治癒と魂の覚醒

        

 覚醒修行と清貧について

 宗教的な修行者のほとんどは、いわゆる清貧を勧めています。たとえばアッシジの聖フランチェスコなどは清貧の聖者としてよく知られており、もともと裕福な家柄出身だったようですが、すべての財産を寄付して、完全に無所有となりました。日本の禅僧などもホームレス同然の人たちがたくさんいます。また、マザーテレサの修道院なども清貧を重んじました。アメリカで活動するマザーテレサの修道院の支部は、もともと部屋に置かれていたソファーやふかふかの絨毯などいっさい売り払ってしまい、わざと質素なものにしました。
 このように、覚醒を得るためには、清貧の生活をしなければならないのでしょうか?
 確かに、贅沢な暮らしをしていたら、物質的な欲望ばかり煽られてしまい、覚醒修行に身を入れることは難しいのではないかと思います。おいしい物を食べ歩くとか、流行のクルマを次から次へと買い換えるとかしていたら、瞑想などをしていても、「今度は何を食べにいこうかな」とか「今度はどんなクルマを買おうかな」などといったことばかり考えてしまい、瞑想に集中できなくなるのではないかと思います。その意味では、清貧ということは大切なのかもしれません。

 しかしながら、だからといって、衣食住にも支障をきたすほど、ぎりぎりの貧しさにまで身を置く必然性は、あるのでしょうか? たとえば、食事は一日に一度か二度、それもお米とみそ汁と漬け物くらいだとか、着るものもほんの数着程度しか持っていないとか、住む場所も雨漏りがするような古くて狭いおんぼろアパートといった感じでなければ、覚醒はできないのでしょうか?

 インドなど、もともと精神的な事柄を重んじる国に行くと、どうも清貧であることが、ある種のステータスシンボルとなっているようなところがあります。つまり、インドの人々は「清貧の聖者は偉い」という価値観があるため、聖者として尊敬されるために、あえて貧しい生活をしている「聖者」が多くいるようなのです。
 しかしこれは、みかけは霊的に見えても、実際にはひとつの物欲が姿を変えただけにすぎません。清貧を名声欲のため利用しているだけなのです。
 ここまででなくても、精神的な道を歩む人は、自分が清く貧しいことに、秘かなプライドを持っている人がいるように思います。「私は清貧に生きている。それだけ私は立派なのだ」という思いが潜んでいる可能性があるわけです。これも考えれば、きわめて世俗的な考え方であり、真の意味で霊的であるとはいえません。
 要するに、清貧というものが、覚醒の妨げになっている自我(エゴ)を増強させているわけです。これでは本末転倒ということになります。

 ただし、マザーテレサの団体だとか、聖フランチェスコのような清貧さは、評価してもいいと思います。なぜなら、清貧の大切さを訴える人も世の中には必要だと思うからです。
 しかし、単なる自己満足のための清貧は、意味がありません。そのような人々は、なんだかんだいっても、結局はお金持ちからの援助や、一生懸命働いて生活している一般庶民の寄付に頼って生きているわけです。その点からいえば、決して清貧であることを誇れるような身ではないのです。
 もし、すべての人が清貧に生きたら、いったいどうなるでしょうか?
 経済活動が成り立たなくなりますから、仕事を失って生活に困る人が出てきます。そして、税金や寄付に頼っている社会的な弱者が犠牲になります。心身に支障があって働けない人やお年寄りなどは、生きていけません。
 したがって、あくまでもこの社会で生活しながら覚醒をめざしている私たちが清貧に生きることは、社会に迷惑をかけることになるのです。勧められるどころか、むしろ避けるべきではないかと思うのです。たとえ贅沢品であろうとも、それを避ける必要はないと思います。たとえば高級車のようなものですが、高級車を製造して生計を立てている人もいるわけです。このように、あらゆる人と支え合いながら社会は成り立っており、その社会のおかげで私たちは生きることができ、覚醒の修行もできるわけですから、その社会に対して恩を仇で返すようなことは、するべきではないと思うのです。
 ですから、清貧などにこだわらず、お金はどんどんと使うべきだと私は思っています。

 ただし、私たちがめざしているものは、あくまでも覚醒ですから、当然、覚醒の妨げになるような経済活動はすべきではありません。それが何であるかは個人によって異なりますから、一概にはいえないでしょう。たとえば、常識的に考えて毎日お酒ばかり飲み歩いたり、何時間もパチンコ屋で過ごしているのでは、修行をする時間などできないでしょう。そういう場合はほどほどにするべきだと思います。しかし、たまに気晴らしで楽しむのは問題ないと思いますし、そうやってお金を循環させることも大切だと思います。

 宗教の世界でしばしば起こることなのですが、目的と手段を混同してしまうことがあるのです。すなわち、清貧のための清貧なのか、覚醒のための清貧なのか、ということです。清貧のための清貧には何の意味もありません。覚醒のために清貧が必要ならそうすべきですが、必要でないなら、清貧に生きる必要はないわけです。むしろ、ある程度お金を使った方が、世のため人のためになり、善のカルマを積むことになりますから、その方が覚醒にとって効果的であるかもしれません。

 マザーテレサの団体は別として、私たちにとって、居間にソファーがあることが、ふかふかの絨毯があることが、覚醒の妨げになるでしょうか? その程度で覚醒が妨げられるほど軟弱であれば、もともと覚醒など無理のような気がします。貧しさを受け入れることもできるし、御殿に住んで黄金の浴槽につかることも平気でできるようになるべきだと思うわけです。ただし、あくまでも気持ち的には、です。もし黄金の浴槽を持っていたら、そんなものは売って、そのお金を困った人たちのために役立てるべきです。
「私は覚者だから、いくらお金やモノがあっても何の執着もない」といいながら、莫大な財産を所有し贅沢な暮らしをしていた「聖者」がいましたが、それは詭弁にすぎないと思います。人間は品性というものを失ってはいけません。世の中には食べる物もなくて死んでいく人がたくさんいるなかで、たとえ百歩ゆずって本当に物欲を超えていたとしても、持てる財産を困っている人に分け与えるのが、人としての品性であり、神の心にかなった生き方であると思うのです。飢えて死んでいく人たちが、自分の家族だったらどうでしょうか? 自分だけ贅沢して悦に入っていられるでしょうか? それとまったく同じことではないでしょうか。
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コメント

元気にしていますか? ファウスト博士によると覚醒への最高の導師は 苦しみ だそうです。毎日 苦しみの生活の連続でしょうが 魂の糧になるものをつかみとり 心の財産にしてください。
2011-05-17 Tue 21:18 | URL | リョウナンダ [ 編集 ]
斉藤啓一です。リョウナンダさん、コメントありがとうございました。
震災で辛い思いをしている両さんに対するこうした気遣い、すばらしいですね。感動しました。私も見習わなければなりません。

両さん、どの後、いかがですか?
いかなる苦しみも、そこには必ず宝物があると思います。長い道のりで疲れておられるかもしれませんが、なんとか耐えて乗り越えていってください。
2011-05-17 Tue 21:34 | URL | 斉藤啓一 [ 編集 ]
斎藤先生、リョウナンダさん、ありがとうございます。
特に苦しんでいる、という状況ではないです。
しかし、大地震がまた来るのでは、という恐怖があります。
外ればかりですが、緊急地震速報が時々鳴ります。
震災が3月11日で、1ヵ月後の4月11日、12日と震度6弱の余震がありました。
ですから、5月11日が怖かったです。
それも無事に過ぎ、瞑想を再開しました。
3分瞑想法から徐々に時間を伸ばし、震災前は30分瞑想でした。
10分で瞑想再開しましたが、10分がとても長く感じます。

それから、「死んで私が体験したこと」を古本で買いました。
死んでしまうと、この世に対しての未練はないのですね。
すると、私=この世への未練、なのではないか。
未練がなくなってしまえば、死んでしまうか覚醒なのかも知れない。
とにかく、与えられた今を生きます。
すでに神様の完璧な計画に乗っていることは、とてもうれしいことです。

2011-05-19 Thu 02:46 | URL | 両さん [ 編集 ]
便りのないのは よい知らせ だったのですね。最近コメントがなかったので どうしてるのかな?と思いコメントしました。お元気で なによりです。ただ 東北が完全に復興するまでは いろいろな面で生活に支障をきたすでしょう。両さんが 新生東北のために 力を発揮することを心より期待しています。
2011-05-19 Thu 20:09 | URL | リョウナンダ [ 編集 ]
斉藤啓一です。両さん、お元気そうで何よりです。
また、このような状況のなかで、いろいろと気づきもあるようで、よかったです。
瞑想は、たとえ10分でも、やるのとやらないのとでは、まったく違います。ぜひ、コツコツと実践してみてください。
そうして、与えられた今を精一杯生きてください。

リョウナンダさんも、コメント、ありがとうございました。
2011-05-19 Thu 20:14 | URL | 斉藤啓一 [ 編集 ]
いつも温かいお返事ありがとうございます。自分は 先生の教えをちょこっと実践したにすぎません。「ファウスト博士」に出逢って もう20年以上になりますが もし この本と出逢わなかったらと考えると 恐ろしくなります 。自分の中のバイブルです。覚醒チェックリストの 本を手に取っただけでその真実性がわかる 境地には達していませんが パラパラと読めば その真実性がわかるようにはなりました。嬉しいことに 先生の推薦図書で 読んでいないのは2冊だけでした。これからも 先生からは 学ぶことばかりです。今後もよろしくお願いいたします。
2011-05-19 Thu 20:58 | URL | リョウナンダ [ 編集 ]
斉藤啓一です。リョウナンダさん、私の方こそ励ましに満ちたコメント、心より感謝です。
そうですか。推薦図書で読んでいないのは2冊だけだったのですね。だとしたら、リョウナンダさんはとってもいい本を選択してきたことになります(笑)。
こちらこそ、これからもよろしくお願い致します。
2011-05-19 Thu 21:40 | URL | 斉藤啓一 [ 編集 ]

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