心の治癒と魂の覚醒

        

どのように神を愛すればいいのか?

 覚醒するには、神を熱烈に愛することが大切だといっても、目には見えないし、どんな存在なのかさえよくわからない相手を、どうすれば熱烈に愛することなどできるでしょうか?
 たとえば、恋人であれば、相手の容姿だとか性格だとか、フィーリングのようなものから好きになっていきます。ところが、神を愛するということは、いってみれば、お見合いで相手と会う前に、結婚相手として熱烈に愛しなさいといっているようなもので、それは不可能ではないでしょうか。
 あるいは、もし仮に、神を熱烈に愛しているという人がいたとしても、それは自分が勝手に都合よく想像した「神」を愛しているだけかもしれません。だとすると、それは単なる思いこみや誤解であり、妄想でしかないわけです。本当に神を愛しているとはいえません(相手が人間でも同じようなことはままあるのですが……)。
 そうではなく、覚醒のためには、本当に、ありのままの神を愛することが求められるのです。
 しかし、そんなことは、可能なのでしょうか?
 知りもしない相手を熱烈に愛することなど、できるのでしょうか?

 覚醒を成就した聖人などは、比較的若い頃から、とくに理由もなく神を愛する気持ちを強く持っていることが多いようです。彼らは、なぜ熱烈に愛するようになったのでしょうか?
 いろいろ理由はあると思いますが、愛、正義、美、平和、思いやり、誠実さ、謙虚さ、高潔さといった、いわゆる美徳を愛する人は、自然に神を愛するようになると思うのです。美徳を愛する心は、魂の自然な素質だと思うからです。
 神とは、そうした美徳の根源であり、美徳そのものの存在です(そうでなければ神とはいえないでしょう)。
 ならば、必然的に、人は神を愛するようになるのではないでしょうか。

 私たちの魂は、神という光のエネルギーの枝分かれしたものと考えられていますので、私たち(の魂)の本質は、神なのです。
 ということは、「神を熱烈に愛する」ということは、実は「自分を熱烈に愛する」ことと、同義語ではないでしょうか。世の中に、自分を愛さない人はいないでしょう。
 もちろん、ここでいう「自分」とは、エゴ(偽我)ではなく、本当の自分、すなわち、美徳を本性とする魂を意味していますが、これが自分の本質であり、同時に神の本質であるならば、自分を愛する人は必然的に神を愛すると思うのです。逆にいえば、神を愛していない人は、真の意味で自分を愛していないと思うのです。もちろん、人も愛してはいないでしょう。
 こう見てきますと、神を愛すること、美徳を愛すること、自分(魂)を愛すること、これらは同じことですし、また、同じでなければおかしいと思うのです。覚醒をめざす人が、美徳を愛さないということがあり得るでしょうか? 覚醒とは、換言すれば、魂の美徳を覚醒させるということです。美徳を愛さない人が覚醒をしたいというのであれば、それは何か誤解しているとしか思えません。愛を、正義を、美を、平和を、思いやりを、誠実さや謙虚さを、高潔さを愛さない覚者など、いるでしょうか?

 自戒を込めていわせていただくと、神を熱烈に愛することができないのは、こうした美徳を愛する気持ちが欠如しているからではないかと思うのです。
 もし、美徳が欠けているのに、「私は神を愛しています」という人がいたら、その人は本当に神を愛しているとはいえないと思うのです。もし本当に神を愛しているなら、美徳を愛するでしょうし、美徳を愛するのであれば、その美徳とひとつになりたい、すなわち、美徳を持った人間になるべく努力をするはずです。
 神を愛するとは、美徳を持った人間に成長していくことだと思います。なぜなら、人間が美徳を養い、魂を覚醒させて本当の幸福をつかんでもらうことが、神の望みであり喜びであると思うからです。愛する人を喜ばせたいという心こそが、愛の本質のはずです。したがって、美徳を養うことが、神を愛することであり、それこそが「神よ、あなたを愛しています」という愛の表明だと思うのです。
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コメント

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2010-06-21 Mon 12:52 | | [ 編集 ]
コメントとご質問、ありがとうございます。

「私は甘い物がやめられず過食気味です。後悔する毎日なのですが、このような依存症について、霊的な視点ではどのようにとらえて解決していけばいいでしょうか?」

このご質問については、読者のなかには同じような悩みを持っている人もいるかもしれませんし、心の治癒にも関係がありますので、ブログにて回答させていただければと思います。

よろしくお願い申し上げます。

斉藤啓一
2010-06-21 Mon 18:57 | URL | 斉藤啓一 [ 編集 ]
神はあなたをとても愛している!と人間が教えてくれて、で、聖書では"あなた"を求めているらしい。なら、一生懸命、苦しんでいて 神にすがりたいって祈っても、叶わなかったりしたら、ハンを押したように 祈り方が悪いだの、ご利益だの、神はいま、沈黙(笑)をされてるだの、まあいろいろ誤魔化されてきたわ。 いないんでしょ? はっきりいえばいいのに、いじらしぃ~。
2011-09-04 Sun 12:49 | URL | たくや [ 編集 ]
あ、斉藤さんのブログを拝見していて、疑問を書いてみました。決してここのブログに対しての文句とかではありません。ほんとのことは、なんとか どうしても神は自分を愛してくださっている!ってすごく確信を持ちたいがために投稿しています。だって 肝心の 神 が ずーっと 沈黙のまま または 開けてみたら神の中からっぽだったりして。 創造主と 個人担当はちがうと思います。 個人は 運 です。
2011-09-04 Sun 12:55 | URL | たくや [ 編集 ]
斉藤啓一です。たくやさん、コメントありがとうございます。
「開けてみたら神の中からっぽだったりして」
というのは、私もよく思うことです。また、思うようにいかないと「祈り方が悪いとか、信仰がないからだ」という人もいますが、私もそういう言い方はよろしくないと思います。
神の存在は、心霊的な現象などを通して、おそらく存在するとは思いますが、証明はできません。証明できたらそれは宗教や信仰ではなく、科学となるでしょう。
しかし、神はいないという証拠もありません。もし神はいないと決めつけて、死んでふたを開けてみたら、神がいたらどうでしょうか。私たちの気づかないような形で常に守護してくれていたとしたら。そうしたら、大きな失敗と神に対する申し訳なさの念に悩むでしょう。もしふたを開けて神がいなければ、がっかりはするでしょうが、失敗や申し訳なさを覚えることはないでしょう。
結局、神を信じるかどうかは、ある意味では大きな「賭け」なのではないでしょうか。
2011-09-04 Sun 18:27 | URL | [ 編集 ]

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