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心の治癒と魂の覚醒

        

 愛と執着


 覚醒(解脱)を求めて生きていると、人生というものは、その目的を達成させるような流れとなり、そのための「課題(修行)」が与えられるようになると、私は考えています。それは、さまざまな出来事や出会いといった運命的な現象という形で与えられます。
 その課題は神から与えられるのか、あるいは純粋に宇宙の摂理として与えられるのか、そのへんはわかりませんし、どうでもいいことだと思います。どちらでも、自分の好きなように解釈すればいいと思います。
 問題は、その課題をどのようにしてクリアするかです。
 ポイントは、2つあるのではないかと思います。ひとつは、その課題を愛することです。もうひとつは、その課題の執着を捨てることです。なぜなら、覚醒という意識の変容は、愛することと、執着を捨てることの二つが必要だと思うからです。

 一見すると、愛することと、執着を捨てることは、矛盾した正反対のような感じがします。もちろん、愛と執着は違うのでしょうが、私たちはどうしても、愛するものには執着してしまいます。また、執着を捨てようとすると、そのものに対する愛も失われてしまうような感じがします。
 しかし、それではいけないのです。覚醒というものは、この「愛すること」と「執着を捨てること」の、微妙な中間点、微妙なバランス感覚をつかむところにあるような気がするのです。キリスト教は愛することを強調し、仏教は執着しないことを強調したように思われますが、この二つを両立させることが大切なのです。
 ひらたくいえば、「執着なき愛」を実践するということでしょう。

 たとえば、覚醒を求めていて、好きな人ができて結婚したとしましょう。おそらく、そのような出会いが訪れて結婚することになったのも、それが何らかの形で覚醒するために貢献するからでしょう。
 しかし、ただ漠然と結婚生活をしているだけでは、修行にはなりません。課題とはならないわけです。そこで求められるのは、配偶者を愛することです。しかし同時に、配偶者への執着を捨てなければならないのです。
 愛することは何となくわかりますが、執着を捨てるというのは、具体的にはどのようなことなのでしょうか?
 いろいろ考えられると思いますが、まず何よりも「所有欲を捨てる」ということではないでしょうか。配偶者は自分の所有物ではないということです。配偶者と言えども、しょせんは他人です。だからといって、他人行儀になれという意味ではありませんが、配偶者は配偶者の独立した人格があり、魂があるわけです。たまたま縁があって配偶者になっただけです。
 子供ができたら、その子供を愛すると同時に、子供への執着を捨てていかなければならないのです。言い方を変えれば、子供があなたのもとにやってきたのは、ひとつは愛させるためであり、ひとつは、執着を捨てさせるためなのです。
 お金もそうです。お金が入ってきたのは、お金を愛するためであり、同時に、お金に対する執着を捨てるためです。

 苦しみも同じです。苦しみが訪れたのは、苦しみを愛するためであり、苦しみの執着を捨てるためです。
 苦しみを愛するというのは、苦しみを悪いもの、忌み嫌うべきものと考えず、覚醒のためにやってきてくれたのだと感謝し、そこからいろいろなことを学んでいこうという姿勢で臨むことです。
 苦しみの執着を捨てるというのは、いたずらに苦悩しないことです。世の中には、ささいなことを見つけてきては、いつも悩んでいる人がいます。まるで苦悩することが好きではないのかと思われたりもします。こういう人は、苦しみに執着しているのです。苦しみや悩みを手放し、捨てるようにするのです。悩んでも仕方がないことは、悩まないようにするのです。

 縁あるあらゆるものを愛し、同時に、あらゆるものへの執着を断ち切っていく、これが覚醒の修行ではないかと思います。実に難しく険しい道です。愛することも難しければ、執着を断ち切ることも、何と難しいことでしょうか。しかし、それをやっていかなければならないのです。いつか、すべての人が、この道を歩んでいくことになるのです。
 この地上人生は、いってみれば旅のようなものです。私たちは旅人なのです。ちょっとの間、滞在しているだけです。ここで手にするものはすべて「レンタル」です。一時的に借りているだけです。自分のものは何もありません。財産も、家族も、自分の肉体さえも。死ぬときは、すべてを返却してここから去っていかなければならないのです。
 だから、この世のどんなものにも執着してはならないのです。
 しかし、その旅路において愛する経験をしたならば、その想い出と実績だけは、決して消滅することのない「おみやげ」として、地上から持って帰ることができます。私たちに「所有財産」と呼べるようなものがあるとしたら、ただそれだけです。それだけで、十分なのです。

 
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修行の基本的な姿勢 | コメント:5 | トラックバック:0 |
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コメント

「ファウスト博士の超人覚醒法」当時からの読者です。よりグレードアップした「真実への旅」面白かったです。執着とエゴはやっかいですね。すべてがレンタルの感じ大切にしたいです。わたしも覚醒(解脱)を求めて今に至ってますが、スピリチュアルとは無縁な人が、あるきっかけだけで覚醒し、求めて続け修行を行っている者がかえって覚醒しない、ということが近年多くなっているように感じます。「覚醒するにはどうしたよいのか?」と自分に問うと「修行などしなくてもよい。方法や道などない。外に求めれば求める程遠のく、感じなさい考えるな。覚醒とはあなたが想像しているものとは違う」の答えが返ってきます。この言葉はどう思われますでしょうか?
2011-06-29 Wed 21:41 | URL | ワンネス [ 編集 ]
斉藤啓一です。ワンネスさん、コメントありがとうございました。また、本のご愛読、感謝申し上げます。
「修行などしなくてもよい。方法や道などない。外に求めれば求める程遠のく、感じなさい考えるな。覚醒とはあなたが想像しているものとは違う」
クリシュナムルティなどは、こんなことを説いていますね。しかし、私は若い頃、インドへ行ってクリシュナムルティの側近だった人に会ったことがありますが、その人によれば、晩年、クリシュナムルティは、「私の教えで覚醒した人はひとりもいない」と言っていたそうです。
スピリチュアルとは無縁の人が覚醒したと言いますが、本当に覚醒したのか、それとも、本人がそう勘違いしているだけなのか、その点をしっかりと見極める必要があると思います。本当に修行もせず何かのきっかけで覚醒したのだとしたら、過去生で修行していたのだと思います。修行が必要ないというのなら、仏教その他の教えを否定することになるでしょう。そのような虫のいい話はファンタジーであると私は思います。少なくても、万人に対する普遍性はありません。秀才が「勉強なんかしなくても一流大学に入るのなんか簡単だよ」と言っているようなものです。
ただ、「感じなさい、考えるな」という言葉は正しいと思います。修行をしてもうまくいかないのは、修行を手段としているからです。つまり、交換条件にしているのです。「修行をします。そのかわり覚醒をください」という交換条件です。交換条件はエゴによるものです。エゴがいくらがんばっても覚醒しません。
修行は手段ではなく、実は目的なのです。修行すること自体に価値があり、修行によって覚醒(という報酬)を得ようとしてはいけないのです。
では、修行とは何かというと、それは瞑想でもなければ呼吸法でもありません。修行とは、愛をもって美しく生きることです。瞑想や呼吸法というのは、それをうまく行うためにやるだけにすぎません。
以上が、私の考えです。あくまでも、私の考えですので、参考程度になさっていただければ幸いです。
2011-06-29 Wed 22:23 | URL | 斉藤啓一 [ 編集 ]
斉藤先生、大変貴重なご意見ありがとうございました。
「本当に覚醒したのかの見極め」「過去生で修行していたのでは?」「修行によって覚醒(という報酬)を得ようとしてはいけない」など全くそのとおりだと思います。
特に今はスピリチュアルエゴ(精神世界に根差していない人と比べ自分はすぐれているという優越感)を完全になくすことに注力していこうと思ってます。
2011-06-30 Thu 01:13 | URL | ワンネス [ 編集 ]
 初めてメールさせていただきます。

いつも考えさせられる内容で、う~んとうなりながら楽しく読ませていただいております。

魂の覚醒など私にとっては大それたテーマなのですが、それでも少しはましな人間になりたいと思っています。

愛と執着、相反するものをどう自分の中で納めていくのか、扱っていくのか、まだまだ課題です。

愛している、でも執着はしていない。

そんなスタンスは素敵です。

目指していきたいです。
2011-07-04 Mon 19:45 | URL | shigemi [ 編集 ]
斉藤啓一です。shigemiさん、コメントありがとうございました。
確かに、愛と執着の問題は、人間の一生の課題ではないでしょうか。けれど、この方向で努力していくとき、きっとその道の途上で、すばらしい副産物がたくさん得られるような気もするのです。
これからも、よろしくお願い致します。
2011-07-04 Mon 20:44 | URL | 斉藤啓一 [ 編集 ]

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