心の治癒と魂の覚醒

        

 意味ある生き方


 地上の人生というものは、すでにしばしば述べてきたように、成長して魂を磨くためにあるのです。魂を磨くというのは、魂の属性である愛や叡智を発揮することです。たとえ表面的には成長したように思えなくても、苦しみを受け入れてじっと耐えるだけで、潜在意識の業想念が浄化され、清廉な境地が開かれてきます。それもすばらしい成長です。また、苦しみをじっと耐えられることが、何よりも成長の証でもあるわけです。
 いずれにしろ、この地上で成長するためには、楽で幸せな経験よりも(そういう経験もそれなりに大切ではありますが)、むしろ、苦しみや悲しみを通して、より促進されていくようです。
 しかし、そのように苦しい地上の人生ですので、私たちはつい気持ちが萎えてしまいます。苦しみに耐えられず、自暴自棄になったり、落ちぶれたり、気持ちを歪ませてしまったり、ストレスから病気になったり、自殺してしまうこともあるわけです。
 そうなると、魂の意識では、「地上に成長するためにやってきたのだ」ということがわかっていますから、死んで肉体を脱ぎ捨て、霊界の入り口に来たときに、そのことを思い出して「しまった! 苦しみに耐えておけばよかった。せっかくの成長のチャンスを逃してしまった」と、後悔の念に襲われることになるといわれています。

 ただ、そのような人を、私は責める気持ちはまったくありません。逆に、尊敬の気持ちさえ抱くこともあります。たとえ、自殺してしまったとしてもです。
 なぜなら、私たちの魂は、めったに訪れない地上人生というチャンス(霊界での時間の感覚でいうと、何百年に一度とか、そのくらい稀なチャンスらしいです)を最大限に活かすため、自分に耐えられるぎりぎりの苦しみを、自ら計画していたと思われるからです。
 あまり向上心も意気地もない魂は、「のんびりやればいいや。このくらいの苦しみでやめておこう」といって、それほど激しい苦しみの運命を計画することはないようですが、この人たちは、まさに耐えられる限界ぎりぎりの苦しみを計画したからです。
 それは、かなりの冒険であり、ある種の賭けです。最後まで耐え抜くことができれば非常にすばらしい実りを手にすることができるのですが、一歩間違えれば、耐えきれずに落ちぶれたり、自殺してしまうこともあるわけです。しかし、向上心のある勇敢な魂は、そういうリスクをあえて覚悟して、限界ぎりぎりの辛い運命を計画して地上にやってくるのです。
 そうして実際、悲しいことに、耐えきれずに自殺してしまうことがあるのですが、しかしそういう運命を計画したのは強い向上心と勇気を持っていたからこそですから、その計画が失敗したとしても、何も恥ずかしいことではないわけです。失敗は誰にでもあります。むしろ、失敗を怖れるがゆえに中途半端な人生の計画を立て、生ぬるい人生を送っている方がよほど恥ずかしいという見解もあるのではないでしょうか(そういう人生を計画したことも意味や価値はあると思いますが)。
 ですから、あくまでも私の個人的な価値観からすれば、苦しみに負けて自殺をしてしまったとしても、そこまでぎりぎりの計画を立てたその向上心と勇敢さは、見上げたものだと思うのです。

 ただ、「残念だな」とは思います。なんとか耐え抜いていたら、魂の計画は見事に成就され、誇らしげに霊界に凱旋できたのになと。
 このように考えると、人生というものは、たとえ社会的な意味で何の業績を残すことができなかったとしても、(避けることのできない)苦しみを最後まで耐え抜いたというだけで、その人生は大成功であると思うのです。その人生には偉大な意味があったと思うのです。地上人生というものは、苦しみに耐え抜くことが目的だからです。
 だとすると、そこからもうひとつの偉大な意味ある生き方が浮き彫りになってくるのではないでしょうか。
 それは、この苦しみを最後まで耐え抜くための励ましや慰めを与えたり、支えてあげることです。苦しみを取り除いてあげられるなら、それが一番いいことかもしれませんが、取り除くことができない苦しみなら、この地上にやってきた魂どうしとして、何とか励まし合い、支え合って、「計画」をまっとうできるようにしてあげること、これが、もうひとつの意味ある生き方だと思うのです。
 苦しみに耐える力を人に与えるのは、何でしょうか? いろいろあるとは思いますが、もっとも大きなものは「優しさ」ではないかと思います。優しい言葉をかけてあげる、ちょっとした親切をしてあげるだけで、死ぬことを考えていた人が気持ちを変えることも少なくありません。そうして、ひとつの魂の天命を見事にまっとうさせてあげることもできるのです。
 苦しみをじっと耐え抜くこと、他者が苦しみを耐え抜けるように支援してあげること、この二つの生き方こそが、まさに意味ある生き方ではないかと思うのです。
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コメント

あえて告白しますと昔、自分は何度も自殺未遂を繰り返しました。大量に睡眠薬を飲んで目が覚めたら 精神病院の独房だったこともありました。苦しみの渦中にあるときは いかにして苦しみから 逃れられかしか頭に無く 自分が死んだら 親がどれだけ悲しむのかなど 一切 考えませんでした。自殺を考えている方には 残された家族等のことを思い出して 踏みとどまっていただきたいと切に願います。
試練は魂の筋肉(笑)を鍛えるために 神 が用意なさった負荷だと 今は 思えるようになりました。
2011-07-19 Tue 21:22 | URL | リョウナンダ [ 編集 ]
斉藤啓一です。リョウナンダさん、なかなか言いにくいのではないかと思われる告白をしていただき、ありがとうございました。自らのこうした辛い体験に基づくリョウナンダさんのご意見には、重みと説得力があります。励まされました。どうもありがとうございました。
2011-07-19 Tue 21:57 | URL | [ 編集 ]
 こんばんは、斉藤先生、リョウナンダさん。今の時代、自殺を考えたことのない人なんて、人に苦しみを与えて、すかっとして、快楽を得ている連中ぐらいなものですよ。暗い時代に、いたって普通の感性をしている証拠です。

 苦しみはハードルであり、ウィイト(負荷)であり、壁でもあります。乗り越え方がわからないうちはそれが大層大きく重く思えます。それが自分を鍛えるための試練という発想を多くの人に伝えたいですね。

 リョウさん、言いにくいことを言う勇気、見事でした。

 話は変わりますが、両さん、震災の最中大きな試練を経験し、感じたことをブログで書くとおっしゃられていましたが、その後どうですか?私のブログを訪れていただいて、ありがとうございます。
2011-07-20 Wed 00:12 | URL | ワタナベ [ 編集 ]
いつもありがとうございます。
ここまでくると、もはや絶望。苦しくて苦しくて、どう生きていっていいのかわからない。
そんな状態にありました。
自殺できれば楽になれるのか?
それとも、このまま苦しみを体験してみるのも『おもしろい』のか?なんて思っていた矢先の記事でした。
ここまで苦しい現実が待っているとは思ってなかったのですが、いずれ肉体の死を迎えるのでしょうから、しっかり苦しんで、しっかり泣いて、しっかり耐えて、それらをすべて体験しつくそうかとは・・・今日は思えました。
2011-07-20 Wed 00:25 | URL | Miki [ 編集 ]
 Mikiさん、どうやら苦しみの渦中にあるご様子ですね。禍を台風に例えると、その真ん中にどっぷり入ってしまうと逆に冷静になって、「観察する自己」が出てきます。“台風の目”ですね。そして抜け出すときにまた少し荒れることもあります。そのあとはカラッと晴れて以前より成長した自分を見つけ、「雨降って地固まる」わけです。
 人生その繰り返しですよ。重く考えることはありません。風(神)のまにまに、身を任せましょう。
2011-07-20 Wed 07:42 | URL | ワタナベ [ 編集 ]
はじめまして。まさに生き地獄ですよね。
ひとつ想像してみてください。Mikiさんに子供ができて その子供が自殺してしまったら と。耐えられますか?
自分も自殺を図ってから20年経ちました。あの時死んでいたら良かったと微塵も思いません。ゾンビがいうのだから間違いありません(笑)。美しい真珠 をつくるアコヤ貝は 砂にまみれ苦しみ抜いて 真珠を生み出すそうです。Mikiさんもアコヤ貝に負けないで 美しい人生 をつくり出してください。
笑顔の日々が戻る日を 心からお祈りいたします。
2011-07-20 Wed 13:40 | URL | リョウナンダ [ 編集 ]
斉藤啓一です。ワタナベさん、mikiさん、リョウナンダさん、コメント、ありがとうございました。
たまたまですが、ホームページの方のエッセイの方にも、(過去に書いたものですが)似たようなものを載せましたので、よろしければ読んでみて下さい。
mikiさん、大きな苦しみのなかにあるようですが、誰か身近に相談できる人がいますか?
もしいなければ、私にメール下さい。
rev-1@sun.interq.or.jp
私に相談しても解決できない問題かもしれませんが、多少なりとも、mikiさんの痛みを分かち合うことはできるかもしれません。
辛いと思いますが、どうか耐えて下さい。何とか希望を見つけて下さい。
2011-07-20 Wed 14:12 | URL | [ 編集 ]
みなさまありがとうございます。
死を選択することはないです。
今のところ、苦しみの体験も楽しみたいなと思っています。
それでもそんな体験に休憩を入れたくなったら、お言葉に甘えてメールをさせていただくかもしれません。
みなさま、ありがとうございます。
2011-07-20 Wed 18:04 | URL | Miki [ 編集 ]
こんばんは。
震災の体験については、ブログではなく
ホームページを1つ作る予定です。
のどもと過ぎれば熱さを忘れる・・・
で、怠けていますが、近日中になんとかします。
2011-07-20 Wed 20:31 | URL | 両さん [ 編集 ]
斉藤先生、オクです。こちらのブログに巡り合えたことをたいへん嬉しく思います。私の母親と義弟も若くに自殺してしまいました。47の兄も現在、廃人同様の生活をしております。求道者は誰しもその「過去」についての救済と癒しを必要としているように思います。
2011-07-24 Sun 20:05 | URL | oku [ 編集 ]
斉藤啓一です。オクさん、コメント、ありがとうございました。また、お久しぶりでございます。
そうでしたか。オクさんにも、そのような辛い過去があったのですね。
おっしゃるように、求道者は過去についての救済と癒しを必要としていると思います。また、だからこそ、求道者になった、いえ、求道者にならざるを得なかった、といえるのかもしれませんね。
2011-07-24 Sun 20:25 | URL | [ 編集 ]

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