心の治癒と魂の覚醒

        

どのような気持ちで仕事に取り組むべきか? ①

 
 最近、コメント欄で次のような質問を受けました。これは多くの人も抱いている問題であると思いましたので、それに対する返事をこの場でさせていただくことになりました。
 まず、質問は以下の通りです。
「最近、奉仕する事の重要性を感じています。奉仕を通じて、神様と繋がればいいかな、みたいな感じで時々、老人ホームでボランティアをしたりしています。しかし、何かの記事の中で、仕事を通じても、そこに愛を持ち込めば、それは神様への奉仕になる、みたいな事が書かれておりました。まあ、確かにそうかもしれません。自分は公務員の仕事をしていますが生産性もなく、クリエイティブな感じもなく、創造性を要求される訳でもなく、正直に申しますと、20年近く、同じ仕事を続けてきましたが、やりがいや、喜び、プライドすら感じたことがありません。仕事に対しての姿勢が、間違っていることに最近ようやく気が付きましたが、実際、どのような気持ちで取り組めば、神様への奉仕としての仕事に変わるものなのでしょうか?」

 霊的な観点から見て、「仕事」には、どのような意味があるのでしょうか?
 おそらく世の中の仕事の9割以上は、たいした生産性もなく、クリエイティブな要素も、創造性を要求されることもなく、単調で、しばしば苦痛を伴うものではないかと思います。それでも高収入が得られればいいですが、多くの人は月並みな給料で働いているわけです。なかにはワーキング・プワーと言われるような、長時間きつい労働をしているのに、生活保護を受けている人よりも低い収入で生活している人もいます。仕事を通して収入も生きがいも得られるというのは理想でしょうが、そういう人は少ないと思います。
 このように考えますと、神様が人間に仕事というものを与えた理由のひとつは、仕事そのものにある種の「苦行」のような意味を持たせたのではないかと、私は考えてしまうのです。
 普通の人は、苦行などしません。また苦行をしていたとしても、別に苦行などしなくても生きていけますから、本当に真剣な修行者は別として、どこかに甘さが生じてしまうと思います。たとえば、ときどき冬の早朝に起きて水をかぶるようなことをしている人がいます。それはそれで意義がないとは言いませんが、もしそれで「自分はすごい苦行をしているぞ」などと高慢な気持ちになったとしたら、笑われてしまうでしょう。零下何度という北の国で毎日暗いうちから新聞配達を続けている人の方が、その意味ではずっとすごい「苦行」をしていることになります。もし新聞配達をしなくても生活できるとしたら、そんな辛いことをする人はいないのではないかと思います。他にも、苦行といってもいいような過酷な仕事をしている人が、世の中にはたくさんいます。ほとんどの人は、そんな辛い仕事を、生きるために仕方がないから、やっているのです。

 人間というものは、このように、「生きるために仕方なく」というせっぱ詰まった事情でもないと、辛いことを毎日続けることはできないのではないかと思います。
 しかし、楽ばかりで辛いことがまったくないと、おそらく人間は霊的に成長することはできません。怠惰で腐っていくのではないかと思います。
 ですから、生きるために仕方なくしなければならない、「仕事という苦行」を、私たち人間は与えられたように思うのです。これは私の考えで本当かどうかはもちろんわかりません。
 いずれにしろ、楽ばかりで辛いことがまったくないと人間はダメになるというのは、事実だと思います。仮に、経済的に恵まれて働かなくてもいい状況にあったとしても、他の面で辛い経験が与えられる(あるいは魂が自ら辛い経験を与える)のではないかと思います。
 たとえば、一生を遊んで暮らせるくらい財を築いた、あるタレントがいました。その人は中年に芸能界をリタイアしてハワイに住み、毎日好きなゴルフばかりをする生活を始めました。そうしたらまもなく、目の難病にかかり辛い経験をするようになりました。
 また、宝くじに当たった人の体験談を読んだことがありますが、家族が精神病になったり不和になるなど、いろいろな悩みや苦しみが生じるようになったといいます。
 このように、何らかの辛い経験は、人間にはおそらく必要なのです。仕事には、そんな意味があるのだと思います。なかには、仕事で辛い経験をしているおかげで、深刻な病気にかからないですんでいたり、家族の深刻な問題が起こらないですんでいる、という人もいるかもしれません。
 実際、仕事をしていないとか、あまりにも楽な仕事をしている人よりも、多少辛い仕事をしている人の方が健康で、元気であるような気がいたします。とはいえ、これも限度の問題で、鬱病になったり過労死するほど辛い仕事というのは、あきらかに問題ですが。

 苦行というものは、それを行うこと自体に意義があるとされています。釈迦は苦行を否定したとされていますが、それは誤解で、心身を害するような意味のない苦行を否定したのであり、苦行は必ずしも否定はしませんでした。苦行をすることで、人は浄化され、忍耐力が養われ、魂の輝きが増してきます。
 仕事というものも、たとえそれに喜びも、創造性も、生きがいも感じられなかったとしても、少なくてもそこには「苦行」という意味があるのではないかと思うのです。修行者が苦行に価値を認め、わざわざ自ら求めていくように、私たちもそれと同じような気持ちで、もし仕事が辛かったら、それを神様から与えられたありがたい「苦行(修行)」であると受け止め、心静かに行じていく姿勢で臨むのがいいように思われるのです。そういう姿勢を、神様はたぶん、お喜びになると思います。
 ですから、どのような仕事であれ、そこには意味があるのです。問題は、それを単なるつまらない苦しみに過ぎないと見るか、自分を磨くためのチャンスと見るか、それだけではないでしょうか。

 こうした考え方は、霊的理想を求めているわけではない一般の人には通用しないでしょう。自分を磨き、魂を進化させていくことを目的にし、そのためには辛いことも厭わないという求道的な人にだけ、受け入れてもらえるだけでしょう。(続く)
スポンサーサイト

修行法 | コメント:3 | トラックバック:0 |
<< どのような気持ちで仕事に取り組むべきか? ② | ホーム |  脳の生理環境を整えて心を治癒する>>

コメント

オクです。斎藤先生ユニークで斬新な記事をありがとうございました。形式化された修行よりこの社会の中で透明な自我を確立することによってしか魂が磨かれることはないという宿命を背負ってこの世に生まれた魂もあると思います。自分もこの記事に救われます。
2011-08-26 Fri 22:36 | URL | oku [ 編集 ]
斉藤啓一です。okuさん、参考にしていただけたようでよかったです(まだ後半もありますよ)。
「形式化された修行よりこの社会の中で透明な自我を確立することによってしか魂が磨かれることはないという・・・」
この文はすばらしいですね。美しい表現で的確な霊的事実を語られており、思わず感銘を受けました。
2011-08-26 Fri 23:03 | URL | [ 編集 ]
オクです。斎藤先生お褒めいただきありがとうございます。褒められると恐縮します。。。後半も楽しみにしております。
2011-08-27 Sat 17:47 | URL | oku [ 編集 ]

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

| ホーム |