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心の治癒と魂の覚醒

        

 他人事のように自分を見る


 覚醒に至るには、感情や欲望にとらわれないことが必要不可欠のようです。怒りや嫉妬や悲しみといったネガティブな感情はもちろん、喜びと言えども、有頂天になるほどの過剰な感情も、覚醒を妨げるものと考えられています。
 しかし、出家して孤独な生活をしているならともかく、世俗に生活している私たちは、とにかくいつも感情を乱されるようなことばかりではないでしょうか。職場では不愉快な人間関係やきつい仕事に悩まされ、家に戻ればそこは必ずしも「憩いの場」とも限らず、さまざまな家族の悩みで感情が乱されます。街を歩いたりテレビを見たりすれば、物質的な欲望を刺激するものに溢れています。怒り、憤り、恨み、憎悪、不安、悲しみ、寂しさ、失望、妬み、欲望など、きりがありません。
 もっとも、ある意味では、そういう厳しい環境におかれていることは、ある種の「トレーニング・ジム」に行ったようなもので、心を制御する力を鍛えるには絶好の場であるといえなくもありません。ただ、それは相当にきついでしょう。
 感情を制御して静謐にさせることほど、世の中で難しいものはないように思えます。理不尽な扱いを受けて、腹の底から煮えくりかえるような怒りや憎悪が湧き上がっても、その燃えるような火を消して平和で静かな心にさせるというのは、何と至難の技であることか。たとえ、怒りという行動に出ることがなくても、その怒りを心の中で燃やしているのでは、単なる「我慢」に過ぎず、本当に心を制御していることにはなりません。我慢は抑圧を生み、やがて何らかの形で発散させなければならないか、あるいは鬱病にでもなってしまうかでしょう。我慢や抑圧ではなく、心のなかから完全に怒りの感情を消さなければならないのです。
 これは、相当難しいことではありますが、しかし、時間をかけて忍耐強く修行を続けていけば、少しずつ、達成されてくるように思います。
 私たちが感情に振り回されてしまう根源的な原因は、おそらく「私」という意識があるからだと思われます。「私」、「私のもの」という意識があるために、その「私」が何らかの形で否定されたとき、人は怒りを覚えたり、嫉妬を覚えたり、悲しみを覚えたりするわけです。
しかし、究極的な真理は、「私」というものは存在しません。「私」という意識は、幻想と言われています。存在するのは、「実在」、すなわち「神」であり「真我」だけです。「私」が存在しないのだから、「私のもの」も存在しません。ですから、何かに執着をしたり欲望を持つということも、それは実体のない幻想なのです。執着や欲望を持つ主体(つまり「私」)が存在しないのですから、どうして執着や欲望があるでしょうか。
 私たちは、なにかに執着している、なにかに欲望を抱いていると思っていますが、真実は「執着している錯覚」、「欲望を抱いている錯覚」をしているだけなのです。真実の私たちの姿は、なにものにも執着しておらず、欲望も抱いておりません。ただ単独で至福を味わっている存在です。喜びを味わうのに自分以外のものは必要ないわけです。それが神であり真我という存在です。
 もちろん、これは究極的な覚醒をした状態にして達成される境地なのですが、とりあえず私たちは、感情にとらわれないようにするために、「私」という意識を捨てるように努力していくことが大切だと思います。
 そのためには、自分自身を「他人事」のように見るようにするのも、ひとつの方法ではないでしょうか。私たちは、他人が腹立たしい目にあったり、悲しい目にあったりするのを見ても、(多少は同情したり共感したりしますが)自分のことのようには怒ったり、悲しんだりはしないでしょう。
 ですから、自分自身を「他人」のように考えるようにするのです。そうすれば、少しずつでも、感情へのとらわれから解放されてくるかもしれません。
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コメント

人間に内在する神性を実現した割合で、人類を分類することが可能です。これを神人度と言います。

釈尊やイエス・キリストを100とした場合、人類の平均値は30です。

平均未満の人間が人口の10パーセント、平均的人間が85パーセント、平均を超える人間が5パーセントいます。
2011-09-29 Thu 10:25 | URL | 世界平和 [ 編集 ]
幸福と平和への道は、みんなのしあわせ祈念瞑想です。
2011-10-03 Mon 03:29 | URL | 世界平和 [ 編集 ]
斉藤先生いつもお世話になっております。オクです。

今回もいい記事をありがとうございました。

自分の怒りや悲しみといった負の感情を他人事のように見るというのは、この世の中にありながら「覚醒の道を進む者」にとって必修科目のように思います。

自分も少しやってみます。いい記事をありがとうございました。

2011-10-20 Thu 19:44 | URL | oku [ 編集 ]
斉藤啓一です。オクさん、コメントありがとうございました。
「必修科目」という言葉、本当にそうですね。
なかなか難しいですが、お互いにがんばっていきましょう。
2011-10-20 Thu 22:05 | URL | [ 編集 ]

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