心の治癒と魂の覚醒

        

 すべてを捨てていく


 人生というものは、「苦あれば楽あり」といわれるように、楽しいこともあれば苦しいこともあるわけですが、ほとんどの人は、苦しいことがあっても、何らかの楽しいことで苦しみを慰めたり、未来に楽しいことが起こると期待してそれを支えにしながら、辛く苦しいことを我慢したり、ある意味では「ごまかしながら」生きているわけです。
 それに対して、覚醒の道(宗教の本質的な道といってもいいかと思いますが)は、苦しみというものを完全に消滅させ、根こそぎにすることをめざしています。苦しんだり楽しんだりといった「シーソーゲーム」に嫌気がさし、そういう不安定な循環のなかで生きることから解放され、解脱して、苦しみのない完全な幸福を求めているのです。
 しかしながら、苦しみと(この世的な)幸福というのは、コインの裏と表のようなものですから、苦しみを捨てるには、幸福も捨てなければなりません。この世的な喜びや楽しみの一切を捨てなければならないわけです。つまり、私たちが苦しんでいるのは、私たちが「幸せ」を求めているからだ、ということになります。この世界は無常であり、常住不変なものは何もなく、この世のいかなる幸せもいつかは崩壊し、それゆえに、幸福が失われるときに苦しみを味わうことになるからです。
 とはいえ、その(この世的な)幸福を捨てるというのが、容易なことではないわけです。もっとも、だからといって禁欲的になる必要はないと思います。要は、それが失われたときに苦しみを感じなければいいわけです。
 たとえば、私は普段はお酒はほとんど飲みませんが、ときどき何かの機会でお酒を飲むようなことがあると、「おいしいな」と感じたりします。しかし、もしこの世からお酒がなくなっても別に困りませんし、苦しみも感じません。ですから、私の場合は、苦しみから解脱するためにお酒を捨てる必要はないわけです。
 しかし、お酒がないと苦しみを感じる人であれば、いっぺんには無理でしょうから、覚醒するためには、少しずつお酒を飲まなくてもいいように自分を変革していき、お酒を捨てるようにしていく必要があると思います。
 人により、「これがなければ苦しみを感じる」というものは異なるでしょう。換言すれば、「依存するもの」というのは、人それぞれです。
 ですから、自分自身をよく振り返って、自分は何に依存しているのか、検討してみる必要があると思います。もちろん、それは膨大な数にのぼるでしょう。究極的には、私たちは「肉体」や「自我(私という意識)」に依存しています。ですから、究極的には肉体を捨てる(といっても自殺のことではありません)、自我を捨てる必要があるわけです。
 しかし、いきなりそれは無理だと思いますので、まずは、比較的簡単に捨てられるものからどんどん捨てていくのがいいと思います。捨ててもそれほど苦しみを感じないようなものから、どんどん捨てていくのです。たとえば、ときどき気晴らしでパチンコをしていたとすると、「パチンコをやめたら少し寂しい気もするが、やめられないことはない」というのであれば、やめることです。タバコなども、やめられるようならやめることです。漫画もゲームも、やめられるようならやめることです。
 このようにどんどんと、この世的な楽しみごとや喜びを捨てていくと、最初は何となく寂しい気がしたり、空しい気持ちになることがありますが、しばらくすると、解放感や自由な気持ち、爽やかな気持ちになるものです。実際、パチンコをしなければいられない、タバコを吸わないでいられない、漫画を読んだりゲームをしなければいられないという、この「いられない」という状態がなくなっていくということは、自由になることを意味しているのではないでしょうか。
 逆に考えるとわかりやすいかもしれません。読者のなかには、パチンコはしない、タバコも吸わない、漫画も読まず、ゲームもしないという人はたくさんいるかと思いますが、だからといって人生が空しいでしょうか? 楽しみがないでしょうか? 全然、そんなことはないはずです。逆に、パチンコをしなければいられなくなったり、タバコを吸わなければいられなくなったり、漫画やゲームをしなければいられなくなってしまったら、それはとんでもない不自由な制約となるでしょう。お金もかかりますし、タバコが無くなったら寒い夜でもコンビニに行かなければならなくなります。
 ところが、パチンコに熱狂している人、タバコの愛好家、漫画やゲームにはまっている人は、そうしたものがないと、人生が空しく、つまらない、辛いものになると感じているのです。それはまったくの誤解であり、ある種の妄想だといえるわけです。
 ですから、私たちは、まずは低俗なものから、少しずつ捨てるようにしていくべきだと思うのです。そうして、生活をなるべく簡素なものにしていくべきでしょう。
 ただし、覚醒に必要なこと、あるいは仕事に必要なことまで捨てるなど、極端に走らないように注意しなければなりません。食欲はダメだと否定して、あまりにも質素な食事をし、健康なからだを維持するための栄養がとれないようであれば覚醒の妨げになりますし、心を浄化し高めるような芸術に接することも大切でしょう。仕事上の交友を広めるためにパーティに出席するなども、必要でしょう。こういったことは捨てるべきではないと思います。
 捨てることは大切ですが、捨てることにこだわり過ぎるとしたら、そういうこだわりの思いを捨てることも、大切ではないかと思うわけです。
 いずれにしろ、このようにしだいにあらゆることを捨てていきながら、ついには「自分自身」さえも捨てて、それでもなお残るものがあるのです。
 すべてを捨ててもなお残るそれこそが、決して苦しみに変わることのない常住不変の幸福であるとされているわけです。
 それをつかみとろうとするのが、覚醒の道ということになるわけです。
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2011-10-12 Wed 09:31 | | [ 編集 ]

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