心の治癒と魂の覚醒

        

盲信からの解脱

 
 私は高校2年のとき突然、宗教やスピリチュアルな世界への関心が芽生えたのですが、それまでは、将来、科学者かロボット工学のエンジニアになろうと理数系の勉強ばかりしていました。そのためか、宗教やスピリチュアルに対するときには、今なお科学者的な姿勢になっていると思います。といっても、もちろん「物質だけがすべてだ」、「物質的な法則で解明できない現象はすべて存在しない」と決めつけるような、偏狭な姿勢ではありません。物質を超えた領域も視野に入れながら、しかし偏見や非合理的な思考を排除するという姿勢です。
 たとえば、私も少し関係しているホメオパシーという代替医療があります。ホメオパシーとは薬草などの原料をもとに、それをある方法によって水で希釈していき、ついには原物質がまったくなくなるまで希釈した、物質的には「ただの水」を砂糖粒に浸したものを服用するという療法です。世界中で行われており、フランスでは医師も処方していますし、イギリスでは王室が専属のホメオパシー処方家をもっているといいます。
 ところが、「物質がないのに効くわけがない、これはオカルトだ、インチキだ、暗示効果だ」という批判が後を絶ちません。確かに物質がないのに治癒の効果が出てくるのは不思議なのですが、私が慎重に調べた結果、ホメオパシーに治癒の力があることは間違いないのです。ホメオパシーを頭からインチキ呼ばわりする人は、よく調べもせずにそうしているのです。偏見なく調べれば、誰でもホメオパシーに効果があることはわかるからです。
 それなのに、なぜホメオパシーをインチキ呼ばわりする人やマスコミが後を絶たないのかというと、私たちは個人的な欲求不満や虚しさを抱えており、その不満や怒りを誰かに向けたいと思っているのが原因だと思っています。そうすることで「自己優越感」を満たそうとしているのかもしれません。その場合、誰かに怒りを向けたいといっても、誰でもいいわけではありません。世の中の大多数を味方にできるもので(自分が世の中から批判されないために)、そのために世の中から怪しいと思われているようなものを探すのです。ただし、それがあまりにもちっぽけだと、批判しても自己優越感を満たすことができないので、ある程度の大きなものをターゲットにするわけです。
 要するに、批判して相対的に自己優越感を満たしたり、鬱憤を晴らすのが、そもそもの目的になっているのです。ですから、よく調べもしないで批判するわけです。こういう人たちは、たとえばホメオパシーが世の中に認められ、ノーベル賞を受賞した学者が「ホメオパシーは効く」などといって多くの大学教授などが認めたりすれば、やはり自分で調べもしないでホメオパシーは効くと認めるのでしょうか?
 しかし、これは「権威主義」に対する盲従です。世の中の多くの人が怪しいと言っているから(これもある種の権威主義と言えるでしょう)、自分で確かめもせず「ホメオパシーはインチキだ」と批判するのも、大学教授など社会的に「偉い」と思われている人たちが「ホメオパシーは効く」と言っているから、自分で確かめもせずそれを受け入れるというのも、ともに権威主義に対する盲従にほかなりません。

 科学の世界にしても、宗教の世界にしても、権威主義ほど大きな害毒になるものはないと、私は考えています。
 宗教における権威主義の典型的な例は、地動説を唱えたガリレオを迫害したキリスト教会に見ることができます。動かし難いデータがあるのに、それを無視し、脅しをかけて無理矢理その事実を抹殺したのです。
 なぜそんなことをしたのか、その理由は2つあると思います。
 ひとつは、聖書や神学で言われていることがひとつでも間違っているとなると、他のことも間違っているのではないかという不安や恐怖心が湧き上がるためではないかと思われます。
 たとえば、キリスト教では、「イエスを信じる者だけが罪をゆるされて救われる」とされています。つまり、キリスト教以外では救われないと遠回しに言っているわけですが、そのキリスト教が天動説を唱えており、その天動説が間違っているとなると、「権威」が失墜し、「イエスを信じる者だけが罪をゆるされて救われる」という教えも間違えではないかという疑念が湧いてくるかもしれません。この教えはクリスチャンにとってもっとも重要な部分ですから、これが揺らいでしまうと、キリスト教への信仰そのものが揺らいでしまうことになります。その不安や恐怖を避けるために、聖書や神学は「すべてが絶対に正しくなければならない」と決めつけ、それを絶対服従の権威として信者に強要してきたわけです。
 それともうひとつは、キリスト教というより、キリスト教会の組織的な権威が失墜して信者が離れてしまうことへの恐怖があったと思います。信者が教会から離れれば、教会組織は成り立たなくなり、教会の権威は失墜します。教会組織で生計や権力や地位を得ている聖職者たちにとって、それは脅威となります。ですから、教会の権威を失墜させかねない地動説は、決して認めることはできなかったのです。

 しかし、地球が動こうと、天体が動こうと、そんなことが、どれほど重要だというのでしょうか? そんなことが宗教の本質と、どの程度、関係するというのでしょうか?
 信じられないかもしれませんが、キリスト教会(カトリック)が、ガリレオが唱えた地動説を正しいと正式に認めたのは、何と2008年のことなのです。それまで信者たちは、本気で天動説を信じていたのでしょうか?
 私が学生の頃(1980年代のことです)、熱心なクリスチャンの友達がいました。私は彼に「天動説を本当に信じているのか?」と尋ねたら、彼は顔を赤くして言葉につまっていました。
 こんなことで、宗教が科学を弾圧したり、信者を混乱させたり、他の宗教どうしで争いを招いたりすることは、ナンセンスとしかいいようがありません。このナンセンスなことが、2008年まで支持されてきたというのは、驚き以外の何ものでもありません。

 ところが、こうなってしまうのも、私たち人間がいかに「権威」に弱いかということを物語っているのだと思います。地球が動いているのか、天球が動いているかなど、アマチュアの天文学者でさえ、ちょっとデータを取ればすぐにわかることです。そのような厳然とした事実があるにもかかわらず、2008年になるまでキリスト教会が天動説を支持していたというのは、人間の愚かさを端的に物語っていると思うわけです。

 権威主義は宗教の大敵です。科学にしても宗教にしても、権威主義を持ち込んだら必ず腐敗すると思います。
 しかし、現実には、この権威主義は根深くはびこっています。宗教団体などは、教祖や組織の否定的な面を巧みに隠し、「教祖の言ったことはすべて正しい、組織の教えはすべて正しい」という前提に立っています。教祖の言ったことは本当にすべて正しいのでしょうか? まずその検証から始めるべきだと思いますが、そのようなことはしません。「教祖の教えはすべて正しい」というところからすべてが始まっており、それに意義を唱える信者は拒絶されたり、組織から追放されたりするわけです。
 また、イエス・キリストや仏陀が言ったことは、本当にすべて正しいでしょうか?
 もう少し正確に言えば、彼らは自ら本を書かず、その教えは弟子達によって伝聞されたものなので、「イエス・キリストや仏陀が言ったと伝えられている教えは、本当にすべて正しいのか?」と問うべきでしょう。
 私は、そのようなことはないと思っています。彼らが残したとされる教えのなかには、間違いや、どうでもいいことがかなりあると思っています。
 しかし、多くの人は、たとえうすうすそのことを感じていたとしても、口にしません。世界中の人が正しいと信じているイエスや仏陀に異論を唱えることなど、畏れ多くてできない、というわけです。しかし、これは「権威主義への盲信」に他なりません。
 もしも、イエスや仏陀の教えとされていたものが、歴史の研究が発展して、実はまったく別の、普通の人が言ったものだとわかったとしましょう(つまり権威がなくなったとします)。そうしたら、おそらく多くの人が、イエスや仏陀の教えに対して批判を口にするようになると思います。
 権威主義に追従することは、つまり宗教を「盲信」するということです。そして、心の底では本気でそう思っていないのに、自分をごまかして信じているフリをしている「信者」を増やすだけです。そのような「信仰」が、本当に私たちを救済してくれるとは思えません。
 私は、まず何よりも「自分に正直になる」ことが、宗教や覚醒の道を歩む上で大切だと思っています。偽善者になってはいけないのです。どんなに世界的に認められている宗教であろうと、どんなに偉大だと思われている聖者だろうと、間違っていると思ったら、その気持ちを否定せず大切にするべきだと思うのです。
 もちろん、実際に自分が間違っているかもしれません。ですから、「間違っている」と決めつけるべきではないでしょう。「間違っていると思う」と、あくまでも仮定として言うべきです。天動説のように、明らかに間違っている場合は別ですが、ほとんどの場合、宗教では本当にそれが正しいのか間違っているかは、容易にはわからないからです。

 ですから、私はこれから「盲信からの解脱」という新たなカテゴリーを設けて、宗教で当然のこととして言われてきた事柄に異論を唱え、権威主義に基づく盲信から私たちを解放し、真の救済に害悪になるようなこと、どうでもいいようなことにとらわれないようにしようと思っているのですが、それはあくまでも「私の考え」であり、あくまでも「仮定」に過ぎないことを、最初にお断りしておきたいと思います(もっとも、このブログで書いていることは、もともとそうなのですが)。
 私たちは、「裸の王様」に対して、「王様は裸だ!」と叫んだ子供の、その正直さ、純粋さを見習うべきだと思うのです。
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2011-10-17 Mon 16:29 | | [ 編集 ]
覚者のいう事は抽象的な事が多いので、必ずしも他者の「その時に必要としている具体的な事」そのものではないと思うのです。ズレが生じるというか。段階というか。教わる方も「権威づけ」や「上下意識」でズレに気づけない。自分で気づこうとしないまま妄信してしまうから曲がっていきます。

逆に「釈迦の方便」に限れば、教わる方の段階に合わせて説く説法を第三者が解釈してしまい更に歪んで広く妄信されていくという状態を招いた、ともいえるのでは。

自分の足元は自分で知る事が確実です。
2011-10-17 Mon 17:46 | URL | メン [ 編集 ]
メンさん初めまして、オクと申します。斎藤先生 横レスをお許しください。

欧米では仏教は宗教というよりも、むしろヨガ同様に生活様式(ライフスタイル)として、広く普及しているなどとも聞きます。

それに当然、キリスト教と比べれば仏教のほうが 個別の処方箋 (即ち方便)を出せるのだと思いますし、そこに僕はカウンセリング的なものと仏教との融合の可能性を、個人的には期待したいと思っております。




2011-10-17 Mon 21:30 | URL | oku [ 編集 ]
オクさん、はじめまして。
そんな風に欧米で浸透しているのですか。個人的にキリスト教より仏教が好きなので嬉しいです。

アマゾンのレヴューで見たのですが、ショーペンハウアー(有名なドイツの哲学者)が、原始仏教は魂の生理学、心理療法だと捉えているそうです。確かに頷けます。

私は「覚醒」というのは詰まる所、感情コントロールと集中力ではないかと思っています。もちろん本当の覚醒状態とは何かなってみないと分かるわけないですが、議論しても成さないので方向性としてはまず「感情」を制覇ですね。そして今日の記事のように、盲目では遠ざかるのです。
2011-10-17 Mon 22:21 | URL | メン [ 編集 ]
斉藤啓一です。メンさん、オクさん、コメントありがとうございました。
メンさんが、本質を突く鋭いコメントをくださり、とても意義のあるやりとりができそうでワクワクしております。
メンさんの言われるように、覚醒とは感情コントロールと集中だと私も思います。それが自力的な要素で、それに天からの恩恵(火花)が放たれて覚醒に至るのではないかと考えています。
そして、権威に盲従している状態というのは、感情コントロールができていない証拠だと思うのです。
ですから、その意味でも、権威に盲従しないようにする姿勢が大切だと思うのです。
2011-10-18 Tue 09:39 | URL | [ 編集 ]
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2011-10-18 Tue 14:11 | | [ 編集 ]
こんばんは。オクです。覚醒とは感情コントロールプラス天からの恩恵というのはいいですね。僕も少しだけワクワクします(笑) たしかブラフマチャリアというのもありましたよね(笑)
2011-10-18 Tue 18:53 | URL | oku [ 編集 ]
 たいへん為になります。私も「日月神示」の実践に打ち込みつつも、「疑問」はもっています。盲信はしないようにしています。

 疑問は、そもそもの自動書記現象の発現自体が、行った天明氏も感じていたように、低級霊の発現に近い、「強い」感応だったこと、
 神示も、かなり「不親切」で分かりにくい内容となっております。人間の世界だけに送られた通信ではないというものの、「救いたい」と思う気持ちがストレートに感じられないときがあります。

 ただ、この道にハマりこんでからというもの、「ええっっこれって偶然なのか?」というような「導き」が多々あり、神示そのものに方法論があるというより、読むものの成長を見守る存在があると確信する毎日です。

 「日月神示」について、正統派の神主さんのブログで聞いてみたことがありますが、煙たがられました。国家神道という「権威」からは「異端」でしかありません。が、私はこれからもここを基点に研究したいです。
2011-10-18 Tue 20:21 | URL | ワタナベ [ 編集 ]
斉藤啓一です。ワタナベさん、コメントありがとうございました。お久しぶりです。
やはり、極端はいけないと思うのです。つまり、正しいことが書いてあるからすべて正しいのだという極端と、間違ったことが書いてあるからすべて間違いなのだという極端です。
これは仮説ですが、ワタナベさんも言われるように、私たちを導く存在がいることが大切で、もしかしたら、あえてその存在が、間違った教えを私たちに与えることで、私たちを正しく導こうとする、ということも、あり得るのではないかと思っています。

2011-10-18 Tue 20:40 | URL | [ 編集 ]
斉藤先生が推薦文を書かれた、ホメオパシーの本を読みました。
自分で試してみます。
私は表面上穏やかですが、抑圧された怒りや憎しみがあるように思います。
別の本には「アロパシーは原因を自分以外に見いだそうとしますから、真実と向き合いたくない偽りの自己にとって、これほど都合のよい逃げ場はないでしょう。」
と書いてあり、痛いところを突かれました。
2011-10-19 Wed 00:18 | URL | 両さん [ 編集 ]
斉藤啓一です。両さん、コメントありがとうございました。
はい。ぜひホメオパシー、試してください。精神的な改善にも有効です。ホメオパシーのなかには、チャクラを覚醒させるものもあるようです。
アロパシー(現代医療)には確かに問題点があります。ただ、だからといって、現代医療すべてが悪だというわけではもちろんなく、ホメオパシーが万能だというわけでもありません。いつも同じことを言ってしまいますが、極端な考え方は正しくないと思うのです。
その点に留意しながら、ぜひホメオパシーを試してみてください。
2011-10-19 Wed 08:00 | URL | [ 編集 ]
きのう、注文したレメディーが来ました。
夕方、スタフィサグリア、30C1粒取りました。
口の中でレメディーがなくなると同時に
背中と肩がこってきました。
口の中も収縮してきました。
こんなに効くんだ、と驚きました。

筋肉は緊張とリラックスを繰り返します。
2時間くらい経って、頭の中に「格言」のような言葉が浮かんできます。

数時間後、もう1粒取りました。
やはり肩こりがします。
一晩寝ると、肩こりは消えました。

きょうも、先ほど1粒取りました。
精神が穏やかになって、首や肩がリラックスします。

スタフィサグリアの問題をクリアしたら、コーヒー依存をなんとかしたいと思います。
2011-10-20 Thu 23:01 | URL | 両さん [ 編集 ]
斉藤啓一です。両さん、ホメオパシー試してみたのですね。スタフィサグリアは抑圧された怒りなどを解放するレメディですが、その怒りがそのまま解消される場合と、いちど肩などの筋肉にその怒りを移動させて解消させる場合があるようです。
私も2年間治らなかった皮膚病が、ホメオパシーでわずか一ヶ月もかからないうちに治ってしまったことがあります。ホメオパシーは確かに効くのです。もちろん、効かない場合もありますが、それはふつうの薬でも同じです。ホメオパシーは薬害の心配なく、心と体の両方を癒してくれるすぐれたものです。
これからも、ぜひ、いろいろ試してみてください。
2011-10-21 Fri 11:51 | URL | [ 編集 ]

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