心の治癒と魂の覚醒

        

カルマの法則への疑問 ③

 再び、カルマの法則への疑問を取り上げたいと思います。
 今回は、記憶がない前世で犯した悪いカルマの報いを、現世で受けることになるという疑問です。言い方を変えると、現在の苦しみは前世で悪いことをした報いである、という考え方です。
 前世の記憶は、潜在意識の深い層にあるという説もありますが、たとえそうだとしても、通常思い出すことはありませんので、実質的に記憶がないと考えていいでしょう。そして、記憶がないということは、実質的に別の人間だと考えるべきではないでしょうか?
 ひとつ例をあげたいと思います。世の中には、多重人格(解離性同一性障害)の持ち主がいて、ひどい場合、別の人格がやったことはいっさい覚えていない状態になります。そこで、たとえば、自分の他にAという人格がいて、そのAが自分の知らないうちに人殺しをしたとします。自分はそのことはまったく覚えていないとします。
 この場合、その人は、悪いカルマを積んだことになるのでしょうか?
 もちろん、警官は、この人をつかまえて逮捕するでしょう。なぜなら、この人のからだが殺人を犯したからです。しかし、その人自身は、まったく身に覚えがないのです。主観的には、これはまったくの不当逮捕だと思うでしょう。
 同じことは、前世と現世の人間にも言えるのではないでしょうか?
 前世と現世では、確かに「意識する主体(物事を感じる主体)」は、同じ人物かもしれません。しかし、一切の記憶がなく、しかも、からださえもないというのなら、それは実質的に別の人間ではないのでしょうか。

 たとえば、もし私が悪いことをして不正な快楽を味わい、現世のうちに、その報いとして苦痛を味わったのなら、快楽と苦痛という、ある種の収支バランスがとれることになりますし、この苦しみは、悪いことをした報いだといって反省もできるでしょう。
 しかし、前世で悪いことをして快楽を味わったとしても、その記憶がまったくなければ、快楽を味わっていないのと同じです。たとえるなら、別の人格のAがチョコレートを盗んで美味しい思いをしたとしても、その記憶がない自分は、チョコレートを食べていないのと同じなわけです。にもかかわらず、チョコレートを盗んだとして、罰を受けなければならないとしたら、それは理不尽であると思うでしょう。しかも、Aが何をしたのかわからなければ、自分が罰を受けなければならない理由さえわからず、反省しようにも反省できないでしょう。

 カルマの法則というのは、ある種の勧善懲悪といいますか、教育的な意味合いがあるように思われます。つまり、「悪いことをするな。悪いことをすると苦しむぞ」というメッセージのような一面があると思うわけです。
 しかし、前世の記憶がなければ、現世で苦しみが訪れても、その原因がわからないわけですから、反省しようにもできません。むしろ、「なんで何も悪いことなどしていないのに、こんなに苦しまなければならないんだ」と思ってしまうのが自然でしょう。そうして、いじけてしまったり、根性が曲がったりして、ますます悪い行為に走ってしまうことの方が多いのではないかという気もします。
 つまり、カルマの法則は、一見すると、人間を悔い改めさせて立派にさせるかのような法則と考えられているふしがありますが、実際には、私たちが思っているほどには、人間を向上させていないような気がするわけです。むしろ、ますます理不尽で不条理な思いを湧き上がらせ、根性を悪くさせているのではないかとさえ思われるのです。
 もちろん、カルマの法則を信じていれば、「自分が苦しむのは前世で悪いことをしたからだろう」と納得して根性を曲げたりしないでしょうし、あるいは、「来世で苦しまないように、現世では悪いことはしないようにしよう」と考えて、悪に対する抑止力となるかもしれません。そういう利点があることは認めますが、ここで論じているのは、カルマの法則が本当に存在するかどうかであり、利点があるかどうかではありません。「利点があれば存在しなくても信じた方がいい」という考えは、今はしないことにします。

 世の中には、たくさんの悲惨な人、不幸な人がいます。カルマの法則が真実なら、そういう人たちは、過去生で、そうとう悪いことをしたことになります。しかしそのなかには、善良な人もいるわけです。善良になっているのに、過去生の悪いカルマの報いを受けなければならないとしたら、カルマの法則とは、単なる罰を与えるだけの法則であり、人間を向上させようという側面は、存在していないような気がします。たとえば、子供が何か悪いことをして、しかしそのことを反省し、すっかり善い子になって、もうしませんと泣きながら懇願しているのに、「悪いことは償わなければならない」といって、子供にムチを打つような親が、いるでしょうか? それに何の意味があるというのでしょう? それはあまりにも無慈悲ではないでしょうか?
 もし神が、キリスト教でいうような「愛」を持っているなら、カルマの法則のような無慈悲な法則を神が創造したというのは、考えにくいものがあります。
 もし、カルマの法則に、人間を向上させるという目的がないならば、この法則に意味があるとは思えないわけです。

 私たちが現世で苦しみ悩んでいるのは、本当に過去生で悪いことをした結果なのでしょうか?
 たとえば、釈迦は解脱したとされるわけですが、解脱したということは、過去のカルマのすべてを浄化したことになるはずです。そして、解脱した人は、もう二度と悪いカルマを積むこともしないでしょう(さもなければ、解脱の定義を見直さなければなりません)。
 しかし、釈迦はその後も、敵対勢力から妨害を受けたり、一説によるとそのために怪我をしたとか、そして晩年は、食中毒で(少なくても肉体的には)苦しみながら死んでいったわけです。
 これらは、もしカルマの法則が事実だとするなら、釈迦は解脱後も悪いカルマを積んだことになり、その報いを受けたことになります。つまり、もしもカルマの法則が事実なら、釈迦は解脱していなかったことになります。イエス・キリストなどはもっと悲惨で、十字架にはり付けにされたわけですから、カルマの法則が事実なら、イエスはそうとう過去生で悪いことをしたということになるでしょう。そんな悪い人が、果たしてあれほど偉大な聖者となるものなのでしょうか?
 このように考えると、私たちの苦しみや不幸というものは、必ずしもカルマの法則だけで説明がつくとは思えないのです。
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コメント

ごく一部の境地に達した聖者が、われわれ俗人のカルマを背負って(代替わりして)苦しむ可能性はありますか?
2011-11-12 Sat 17:38 | URL | ワタナベ [ 編集 ]
斉藤啓一です。ワタナベさん、コメントありがとうございました。
ご質問についてですが、他者のカルマを、肉体を通して(つまり病気になって)代替わりしたという話は聞いたことがあります。しかし、運命的な悲劇を通してというのは、聞いたことがありません。
仮に、他者のカルマを代替わりできるとなると、カルマの法則というのは、まさにお金のようなものに似ていますね。つまり、他の人の借金を肩代わりするように。
この質問は、カルマの法則に対する新たな事実解明に役立つかもしれませんね。
ありがとうございました。
2011-11-12 Sat 17:47 | URL | [ 編集 ]
斉藤さんがいいたいことはよく分かります。私も受けたカルマにより次のカルマを積んでしまった経験があります。
人の一生の内でカルマの収支バランスが見られれば誰もが納得がいきますし、そこでカルマの連鎖が止まるのです。しかしそうではない。神がいるならどうしてこのような理不尽な世界を創られたのか大いに疑問です。

神の意識からすると人の一生など瞬間です。神の意識は鉱物よりも遠大です。人が表したカルマが宇宙の摂理に則って表れるのに、次の・・世にまで時間がかかることはよくあるものでは?と考えます。

ならば個人のカルマ(の記憶)は子孫に残して引き継ぐものではないでしょうか?
「自分のカルマの記憶」は厳密に子孫が受け継ぐものです。親の育て方が自分の価値観の基準の一部になるのと同じように、先祖のカルマは私たちに見えない系譜として受け継がれているのかもしれません。

具体的に説明する能力はないのですが、カルマの収支バランスが人の一生で取れない理由は「自分ひとりきりの人生ではないからでもある」という気がします。それは自分ひとりきりで生きてはいないのと同じ、この世の・・連帯責任のような・・うまくいえませんが。

自分の失態を自分で被ることなく(子孫に)残して逝くのは、反対にいえば自分の夢や希望を次の世(や子孫)に残して繋げて行くことも同じように思うのです。その意味で人類は苦楽を共有しているのではないでしょうか?それが、この世に究極の神が求める、共有の創造世界ではないかと思います。神様も究極の宇宙の在り方を模索して実験中なのかもしれません。

その意味で、自分の分ではないかもしれない陰を陽に変えることも人間がこの世に生きる隠れた使命と解釈してもいいのでは?と思ったりします。
2011-11-12 Sat 18:35 | URL | メン [ 編集 ]
斉藤啓一です。メンさん、コメントありがとうございました。
新たな視点に基づく興味深いご意見だと思います。「連帯責任」という言葉、これは非常に面白いと思いました。カルマの法則の謎を解明する、重要なポイントになるかもしれませんね。
皆さん、とても貴重なご意見を出してくださり、私も勉強させていただいています。
これからも、よろしくお願い致します。
2011-11-12 Sat 19:29 | URL | [ 編集 ]

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