心の治癒と魂の覚醒

        

カルマの法則への疑問④


 今回もまた、カルマの法則への疑問について述べてみたいと思います。
 それは、動物の世界には、カルマの法則はあるのかどうか、という疑問です。
 その前に、動物というのは、果たして生まれ変わりがあるのかどうか、考えてみなければならないかもしれません。日本やインドなどでは、人間は動物に生まれ変わることがあると信じられているようですが、神智学などによりますと、人間は動物には生まれ変わらないと言われています。また、動物は「群魂」と言って、ひとつの個体にひとつの魂ではなく、ひとつの魂を複数の個体が共有しているとも言われています。
 しかし、そのへんの真偽はよくわからないので、とりあえず、動物もひとつの魂を持ち、同じ種類に生まれ変わると仮定して話を進めたいと思います。つまり、猫は生まれ変わっても猫、へびは生まれ変わってもへびだとします。

 さて、そこで、例として猫のことを考えてみます。
 世の中には、可愛がられて一生を送る猫もいれば、人間からひどい虐待を受けて殺されてしまう猫もいます。その場合、その猫は、過去生で悪いカルマを積んだから、その報いを受けたのでしょうか? もし動物の世界にもカルマの法則があるとしたら、そう解釈されるはずです。
 しかし、動物は基本的に本能のおもむくままに生きているわけですから、「悪い行為」とか「善い行為」というものを行うことが、果たしてできるのでしょうか? そのような倫理的な思考や判断力といったものが、あるのでしょうか?
 まったくないとは言えないかもしれませんが、ほとんどないと思うわけです。たとえば、猫が罪もない鳥などをつかまえて殺したりすることがありますが、これは猫にとって「悪のカルマ」ということになるのでしょうか?
 しかし、猫がねずみや鳥などを面白がって捕まえるのは、本能的な習性であり、生得的に持っているものですから、それを「悪のカルマだ」ということには、無理があると思います。つまり、動物というのは、人間のように自由意志によって、倫理的なことを考えたりする能力はないわけで、このことは、善を行ったり悪を行ったりする能力というものがないことを、意味しているのではないでしょうか。

 だとすると、虐待されて苦しんで死んでしまう猫は、なぜ、そのような境遇を受けることになったのでしょうか? それはまったくの偶然であり、因果関係のようなものは存在しないのでしょうか?
 しかし、猫だって、痛みや苦しみを感じると思います。まったくの偶然で、ある猫は平安に一生を終え、ある猫は苦しみ抜いて殺されるということが起こるのは、猫の立場からすると、まったくの不公平という感じがします。
 では、やはり、猫にもカルマの法則があるのでしょうか? だとしたら、そのような悲惨な苦しみに遭うのは、その猫が過去生で悪い行為をしたことが原因になるはずですが、すでに考察したように、猫は善も悪も行うことができない、ただ本能のままに生きているだけですから、過去生で悪い行為をした結果という解釈はできないことになります。
 こう考えると、動物の世界には、少なくても私たちが考えているようなカルマの法則は存在しない可能性が大きくなるわけです。虐待されて死ぬのも、大切に可愛がられるのも、それは偶然であり、因果関係のようなものは存在しないということになります。

 では、仮に、動物の世界にはカルマの法則は存在しないとしましょう。そして、人間の世界だけにカルマの法則が存在するとします。
 しかし、人間と動物とは、そんなにも違いがあるものでしょうか?
 確かに、人間には動物にはない倫理的な判断力というものがあります。それでも、人間と動物との間には、一方ではカルマの法則がない、一方はある、というほど大きな違いがあるとは、ちょっと思えないのです。動物の世界にカルマの法則が存在しないなら、人間の世界にも存在しないと考えた方が、何となく合理的な気もしてしまうわけです。逆に、人間の世界にカルマの法則が存在するなら、動物の世界にも存在すると思うわけです。
 しかし、どう考えても、動物の世界にカルマの法則があるとは思えません。虐待されて苦しみ抜いて死んでしまう猫がいたら、その猫は過去生でそうとう悪いカルマを積んだことになるわけです。たとえば、他の猫を虐待したあげく殺すといったようなことです。しかし、猫が猫を虐待して殺したなどという話は、聞いたことがありません。縄張り争いをして喧嘩をして傷つけるということはよくありますが、死ぬまで攻撃するということは、聞いたことがありません。つまり、虐待されたあげく殺されるほどの悪しきカルマを積むことは、猫にはできないと思うわけです。
 ならば、堂々巡りになってしまいますが、やはり動物の世界にはカルマの法則などはないのでしょうか?
 だとすると、案外、人間の世界にも、カルマの法則などはない、という可能性も否定できないように思えてくるのです。
 皆さんは、どのように思われますでしょうか?
 
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コメント

 こんばんは、斉藤先生。
動物にも、人間にも、そして世界にも(!)カルマがあるとしたら、種族としてのカルマ、一族(先祖からの)のカルマ、人間なら国家や所属する団体のカルマなどはどう影響すると思いますか?
2011-11-17 Thu 22:08 | URL | ワタナベ [ 編集 ]
斉藤啓一です。ワタナベさん、コメントありがとうございました。
ご質問の件ですが、正直、わかりません。たとえば、国家にカルマがあるとします。国家が悪いことをすればその国家に悪い報いが訪れることになるはずです。しかし、国家に悪い報い(たとえば震災など)が起こった場合、個人的には悪いことはしていない善人も、そのために苦しむことになるわけです。そうなると、どこか理不尽な気もするのです。あるいは、カルマの法則というものは、人間が理不尽に感じようと感じまいと、関係のないものなのかもしれませんが。
いずれにしろ、私にはよくわかりません。
他の皆さんは、どう考えておられるのでしょうね。
2011-11-17 Thu 22:15 | URL | [ 編集 ]
 なるほど、人間には神の視点はわからないから、その理屈もわかりませんよね。人間から見て理不尽でも、大きな意味がある場合もあります。あとから、「あの試練がなかったら、今の自分はなかった」と思うことは多々あります。災害の犠牲者たちも、魂の声を聴くことができないため、本当はどう感じているのかはわかりません。

 生きて存在している人間から答えを得る事はできないかもしれませんね。
2011-11-18 Fri 08:16 | URL | ワタナベ [ 編集 ]
久しぶりの書き込み、失礼します。
カルマの法則は、あると思った人だけに適用されるのではないでしょうか。
動物たちにはそのような概念がないため、適用外なのだと思います。
動物たちはどんな境遇でも一生懸命生きているだけで、
虐待されている自分が可哀そう、不公平といった概念もない可能性が高いです。
事実として虐待された、殺されたとあるだけです。
じゃあ、このカルマの法則に気付いた人は損をしているのかといえば、むしろ逆です。
霊性を格段に向上させるツールみたいなもので、修行よりもずっと効果が高いのだと思います。
私はこんな感じに思っていますが、何かの参考になればなによりです。
2011-11-18 Fri 10:07 | URL | さてん [ 編集 ]
 連続で失礼。
 「悪人」という映画を見ましたか?私の解釈では、さまざまな人の少しづつの「汚れ」を引き受ける形で妻夫木演じる青年が大きな犯罪を犯します。この青年の背負ったものはカルマの性質の一端ではなかろうか、と。「あの人はやはり悪人なんだ」という最後の女性のセリフがどうにも腑に落ちない思いでしたが、「悪人」という言葉を肯定的にとらえれば、彼のやったことはカルマをしょって立つということでは?

 一般にはカルマは個人個人のものと思いがちですが、どうしてそう言い切れるでしょう?
2011-11-18 Fri 13:03 | URL | ワタナベ [ 編集 ]
善や悪といったものは、各自が決めた価値観だと思います。
物事やカルマにも善悪が無く、善にも悪にも解釈できるとも言えます。
どうとも解釈しないのが、カルマの法則に乗らないことなのかもしれません。
このカルマですが、個人のものと思えば個人のものになりますし、
全体のカルマでも個人のものと思えば個人のものになるのだと思います。
あくまでも私の解釈なので、一意見として聞いていただければ幸いです。
2011-11-18 Fri 13:31 | URL | さてん [ 編集 ]
オクです。斉藤先生とみなさま、いつもたいへん有益な記事とコメントに感謝しております。

魂がこの世に生を受けるにあたり『自らの霊的成長に最適な子宮』を、その魂が自ら選んで、この世に生まれてくるなどとも聞きます。

個人的には自分の家などは決して霊的レベル(霊性)が高い家だとは思えませんし(笑) 歴史上の悟りを開いたとされる偉大な聖者でも家柄は皆ふつうの家のような気もするのです。

そのあたりでどのような引き寄せ合いが存在するのか非常に興味深いと思います。

アセンションとも関係してハイアラキーのグループソウルなどという考え方も聞くのですが、あまり信用できない感じがしますね。

すいません、私の場合にはまず輪廻転生が大前提になっています(笑)
2011-11-18 Fri 18:46 | URL | oku [ 編集 ]
皆さんのコメントで見えてきました。
動物に限っていえば、動物たちはこの世を去るとグループソウルとして一体化するので個(魂)としての責任を背負うことがないからカルマがない、という風に考えれば納得がいきますね。

ただ私はどちらかというと仏教派なので、人間に虐待される動物は元人間だったカルマを背負わされていると思います(これは個人的意見です)
2011-11-19 Sat 21:37 | URL | メン [ 編集 ]
あと、仏教的?にいえば、虐待と違って食べられる動物は人間への奉仕だと思います。
2011-11-19 Sat 21:45 | URL | メン [ 編集 ]
こんにちは。

ローキックです。

虐待され、殺された猫は(猫に限らず)、
この現実に特殊な怨念のようなものを
残していると僕は感じています。

この世は不思議なことに
マイナスの事をされると、逆に相手に
マイナスの攻撃を加えられるような
仕組みになっているように感じられます。
少なくとも僕は、そう思います。
2011-11-21 Mon 18:26 | URL | ローキック [ 編集 ]
虐待された動物はカルマだから当然、で終わらせてしまうと動物と人間のカルマの連鎖が続いてしまいます。
これは理想論ですが、その回りの人間がその後を助ける対処をするか個人的に動物供養などをするか、どちらにしろ社会的なケアは必要で、それが人の社会的な枠組みの精神的成長に繋がると思いたいです。

そのような人間社会に関わった動物は、野生動物と違って人間に近づいた分、魂の形成がなされつつある、とどこかで聞いたことがあります。
なので動物のグループソウルというのは野生動物が主なのかもしれません(一概にはいえない意味で)
2011-11-21 Mon 20:17 | URL | メン [ 編集 ]
斉藤啓一です。皆さん、コメント、ありがとうございました。
もちろん、私にも真相はわかりません。なので、こうして皆さんからコメントをいただき、私もとても参考になりました。
ところで、ひとつ面白いと思ったのは、コメントが多い割には、「拍手」の数が少ないことです。
多くの読者の方々は、どのように感じておられるのでしょう。
やはり、カルマの法則に疑問を呈する姿勢には、共感できないのでしょうか? つまり、カルマの法則というものが存在することに対しては、疑っていないということなのか?
その点について、今回、少し面白いと思いました。
とりあえず、カルマの法則に対する疑問は、ここでひとまず終えることにしたいと思います。また発見があったら取り上げたいと思います。


2011-11-21 Mon 20:21 | URL | [ 編集 ]
このコメントは管理者の承認待ちです
2015-05-19 Tue 17:03 | | [ 編集 ]

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