心の治癒と魂の覚醒

        

 忍耐の力


 先日テレビを見ていたら「現代型うつ病」というものが、若い人の間で増えているという番組が放映されていました。普通、うつ病というものは、何をするにしてもひどく落ち込んで意欲が減退して苦しむのですが、現代型うつ病というのは、自分が好きなことには元気になるのが特徴だそうです。そして、自分がうつ病になったのを人のせいにするのだそうです。
 ですから、たとえば会社で上司にちょっと注意された。それが原因でひどく落ち込んでうつ状態となり会社に行けなくなり、その原因を上司のせいにする。ところが友達から酒を飲みに行こうと誘われると元気になって出かけていき、居酒屋で明るくカラオケを歌っている……。といった感じです。以前であれば、これは完全に「怠け」や「わがまま」、仮病と思われていたことでしょう。しかし、実際に自分が気に入らないことをするときには、うつ病のような症状に見舞われるということで、一応、病気と考えられているのです。これは「非定型うつ病」というものと、基本的には同じであると思います。

 このようなうつ病が発症する原因ははっきりわかっていないのですが、子供時代の育ち方に問題があるのではないかといわれています。ひとことでいうと、何不自由なく育てられ、忍耐することを学ばなかったために、ちょっとしたことで傷ついて何もやる気が起きなくなるのが原因ではないかというのです。
 実際、世の中はなんでも便利になり、私たちは我慢するということをしなくていいようになっています。むかしは夏の暑さ、冬の寒さに耐えなければなりませんでした。ひとり寂しくても電話は一家に一台しかなく、長電話をすることもできませんでした。手紙などは書いてから投函して返事が来るまでに何日も待たなければなりませんでした。
 しかし今では、ほとんどの人が携帯電話をもっていて、いつでも好きなだけ人と話したり、メールを送ってすぐに返事をもらうこともできます。寂しさに耐えるということもなくなってきたのです。
 また、むかしは兄弟が多くいたのが普通なので、おやつにしてもおもちゃにしても、欲しくてもすぐに買ってもらえたわけではなく、じっと我慢しなければなりませんでした。しかし今は子供の数が少なく豊かになっているので、おやつは食べ放題、おもちゃもすぐに買ってもらえます。

 このように、子供の頃から欲しい物があるとすぐに手に入るのが当たり前のように感じると、世の中は自分の欲求を満たすのが当然であるという、幼児が抱く自己中心性から卒業できず、そのまま大人になってしまうのかもしれません。そうして、欲求不満の状態に耐えることができず、自分の欲求を満たさない他者や世の中が悪いと考えてしまうのです。その結果、短絡的にすぐに欲望を満たすような行為をしたり、「楽をして成功する」といった類の本に飛びついてしまうのでしょう。スピリチュアルな世界でも「楽をしてすぐに悟りが開ける、真我が開発される」などと宣伝してセミナーなどを開いているところもあるようですが、これなどは、耐えることができない幼児的な今の大人たちの心を巧みに利用した商売ではないかと思うわけです。

 しかし、インスタントに得られた喜びというのは、結局は浅いものであり、人間を真に豊かにし成長させてくれるものではないと思います。たとえば、ソファーに横になりながらスポーツ観戦をしていれば、あたかも実際に自分がスポーツをしているような感じになって楽しいかもしれません。楽をしてスポーツ選手になった気分を味わえるわけです。ところがスポーツ選手の方は、楽どころではありません。毎日毎日、辛く厳しい練習を忍耐強く続けているのです。しかし、そのような辛さに耐えてスポーツをするときの喜びは、ソファーに寝そべりながら観戦をしている人の喜びとは比較にはならないでしょう。
 世の中には、忍耐を通してしかつかむことのできない喜びというものがあるのです。いくらお金を積んでも、その喜びは買えません。実際に苦労して辛さに耐えなければ手に入らないのです。
 なんでも楽をして苦しみを避けて生きてきた人は、晩年、人生を振り返ったとき、果たして自分の人生に満足するでしょうか? 満足する人もいるかもしれませんが、もし苦労と忍耐の末に喜びをつかんだ経験がある人なら、楽ばかりの人生など空虚であり、本当に人生を生きたとは言えないと思うに違いありません。
 もちろん、だからといって、やたらに苦しめばいいと言いたいわけではありません。しかし、辛さに耐えることを学ばなかった人は、冒頭で紹介した現代型うつ病に苦しむことになるのです。世の中は自分の思うように生きることは不可能ですから、結局、苦しんで世の中を生きるしかなくなってしまうわけです。つまり、彼らは皮肉なことに、楽に生きることを追い求めた結果、楽に生きられないようになってしまったのです。

 この社会は、我慢や忍耐といった美徳を小馬鹿にしたり嘲笑するような風潮があります。そんなことを口にするのは古くさい道徳主義者だとか、我慢や忍耐はよくないことだという風潮まで感じられます。しかし最近、そうした考え方こそが問題であり、なんでも便利になってしまうこの文明のあり方を見直す必要があるという動きがあるのです。
 とりわけ震災以後、物質的な豊かさばかりを追い求めるのではなく、精神的な豊かさ、また人間性を磨き成長させていくことに価値を見いだすという流れが高まっているように思われます。
 このブログで扱っている「覚醒」は、まさにそういう流れの中心に位置すると言えるのではないでしょうか。インスタントにスピリチュアルなエゴを満たすのではなく、毎日毎日、コツコツと地道な修行を忍耐強く続けていくこと、しかもその修行は、なにか超人的な能力だとか霊的能力を身につけるとか、そういったものではなく、基本的な人間性を向上させていくことに重点が置かれていること、これこそが、本当に人生を生きるということであり、このような忍耐強い道の彼方に、人間としての本当の、また最高の喜びと幸せが待っているのではないかと思うのです。
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コメント

自称うつ病の人は多いです。
実は発達障害や人格障害のように思います。

一方で中高年のうつ病での自殺者がとても多いです。

ですから、自称うつ病の人が多いのは、一種の防衛のように思えます。

社会で迷惑がられても、死んでしまうよりいいのかもしれません。
2011-11-29 Tue 23:24 | URL | 両さん [ 編集 ]
両さん初めまして(笑)オクです。自分も両さんの意見に全く同感です。

自分も中高年(46)ですが、これまでの自分の人生は「魂の統合」のためだけに46年間生きてきたようなものです。

自分は鬱というより、例の(笑)心が固く凍りついたような状態なのですが、何とか活力であり生命力を取り戻したいところですね(笑)

2011-11-30 Wed 18:22 | URL | oku [ 編集 ]
斉藤啓一です。両さん、okuさん、コメントありがとうございます。
もしこの人生を、この社会を、精神的に立派になることを土台にしてまじめに真剣に生きようとしたら、次の二つのリスクは避けられないと思います。
ひとつ、精神病。
ふたつ、自殺。
運よく精神病にも自殺にもならなかった場合は、そのしわ寄せがからだにきて、平均寿命を迎える前に癌になって死ぬでしょう。
一生のうち、精神が病んだこともなく、自殺を考えたこともなく、癌にもならずに平均寿命を迎えたとしたら、その人はよほどの聖者か、さもなければろくでなしです。
以上は、あくまでも私の個人的な見解です。一応念のため。



2011-11-30 Wed 18:48 | URL | [ 編集 ]
オクです。斉藤先生お答えをありがとうございます。全ての人にその言葉があてはまるかどうかは別にして、私自身は斉藤先生の言葉に慰められます。どうもありがとうございました(笑)
2011-11-30 Wed 21:24 | URL | oku [ 編集 ]

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