心の治癒と魂の覚醒

        

 『地球卒業者「18人」の過去生』の研究 ①


 私のてもとに、1冊の本があります。『エドガーケイシー/地球卒業者「18人」の過去生』(バイオレット・シェリー著 林陽訳 中央アート出版社 1990年)です。
 エドガーケイシーについては、説明する必要はないでしょう。アメリカを代表する最大の霊能者(霊媒)です。彼の場合、眠っている間に彼の指導霊のような存在が質問に対してメッセージを与えるというスタイルでした。それは「リーディング」と呼ばれています。
 リーディングの内容のほとんどは、「どうすれば病気が治るか」という質問に対する答えで、ケイシー(のガイド)は、代替医療的な手法を中心とした膨大な量の治癒の方法を紹介しています。その他、生まれ変わりやカルマについてのリーディング、予言についてのリーディングなどがありますが、そのなかで、「あなたはもう地上(地球)に生まれ変わらなくてもいい」と告げられたケースが18例あるらしいのです。そして、その人たちの過去生や占星術的な影響について紹介したのが、本書です。
 つまり、彼らはこのブログでいう「ラストタイマー」であり、仏教でいう「不還(もうこの世に生まれ変わることがない境地)」を体得した人たちということになります。
 本書を読むと、もう地上に生まれ変わる必要がなくなるためには、ある種の「美徳」を養うことが必要であることがわかります。
 そこで、これから順次、彼らをひとりひとり取り上げ、地球卒業のためにはどのような美徳を養う必要があるのかについて学んでいきたいと思っています。そうして、地上における完全な覚醒をめざす前に、とりあえず「ラストタイマー」になることを、最初の目標にしてもいいと思うわけです。完全な覚醒はかなり難しいと思いますが、ラストタイマーになるのであれば、完全な覚醒よりは簡単だと思います。ラストタイマーになったというだけでも、大成功であると思うわけです。
 では、さっそく、最初の「ラストタイマー」について、見ていくことにいたしましょう。

1.巫女 (47歳女性:主婦)
「巫女」という名は、この本の著者がつけたものです。というのは、ケイシーのリーディングを受けた人は実名ではなく、リーディング番号によって記録されており、番号で人を呼ぶのはどうも……という理由から、シンボリックな名前をつけて、それを呼び名にしたのです(以後登場する人物名もすべて仮名)。
 この女性は、エジプト、旧約聖書時代の聖地、ペルシャ、ニューイングランドに生まれ変わり、伝道師や巫女、王女、宗教的な助言者や教師などをしてきました。こうして、宗教的な教育や伝道、指導の能力を養ってきたといいます。ひとつ前の過去生であるニューイングランドでは、牧師の妻をしていました。魔女狩りが行われていた時代と場所です。そのとき、今までの過去生の体験から、物質的苦しみへの恐怖、人々から非難されることに対する恐怖心があったとされます。これに対してケイシー(のリーディング)はこう述べています。
「人間の誰もが、魂の誰もが、試練や誘惑の中で、美しいものを発見できるのだ」
 そしてリーディングは、この女性は利己主義は問題になっていないが、「自分に対する忍耐」を養うべきだといっています。「積極的な力としての平安と忍耐が培われるようにせよ。人生の中での受け身な力としてではなく、積極的な力としての平安と忍耐である」
 また、魂ひとりひとりには独自の意見、独自の活動を持つ権利があるのだから、人々に対して積極的に寛容であるべきだと諭しています。
 そして、「忍耐を培ってゆくことを通して得られる、あの静まりこそが、たくさんの人を導くのに必要とされるあの光を差し出すことを、可能にさせてくれるのである」といっています。
 結局のところ、リーディングによれば、この女性は自分が培ってきた「創造的な力」を人々に分かち与えられるようになれたことが、地上卒業にまで至らしめた美徳だと解釈しているようです。

 さて、ここであらためて、私たちが学ぶべきエッセンスを整理してみたいと思います。 ケイシーによれば、私たちが何度もの生まれ変わりを通して培われた能力というものは、失われることはないといいます。この女性は、宗教的な人間として何度も生まれ変わった経験を通して、宗教的な知識を伝えたり指導したりする創造的な能力を養い、それを分かち合ってきたわけです。つまり、そのようにして人々に奉仕してきたわけです。
 このように、「創造的な力」を養い、それを使って他者に奉仕をしていくことが、地球卒業のためには重要になってくるようです。そして、そのために、試練や誘惑を通して美しいもの(すなわち美徳)を発見していき、忍耐強くあること、寛容であることが求められるのです。
 リーディングは最後に、こう告げています(一部抜粋)。
「あなたが慈しみの心を持とうとするなら、隣人に慈悲の心を示し、敵にも、あなたを軽蔑するような人にさえ慈悲の心を示さなくてはならない。キリストがそうであられたように、あなたも笑う者と共に笑い、泣く者と共に泣きなさい。道をまっすぐに保っていなさい。そうすれば、あなたは栄光を、自分自身に対する栄光を、そこに見るだろう」
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コメント

人々を導くのに必要な忍耐とは寛容であること、なんですね。
教える側というのは、教えなければならない者を
どうしても下に見る傾向もあると思います。それは見下したいからではなく、自分の方が分かっている偉いんだという、どこか慢心からくる思いだと思います。だから宗教関係や教師という職業などの前世を持っていると、この人たちは分かっていないから教えなければ的な、啓蒙というある種の職業病が残っているのではないかと思います(という見方をするのは私の前世のひとつの可能性でもあるかもしれません。汗)

そのように自分にも他人にも「早く気がつかなければいけない」という思いに、せっかちにならずに忍耐強く寛容であれ、というケイシーからのメッセージなんですね。
斉藤さん、ご紹介して頂いてありがとうございます。
2011-12-23 Fri 17:53 | URL | メン [ 編集 ]
もうひとついえることは、外の何者か教義などに自分よりも権威があると思い込んでいると、自分自身をないがしろにしてしまう傾向もあると思います。それが斉藤さんがおっしゃる教義への依存の本質なんですね。
私にも身に覚えがあるので実感しています。
権威にすがるよりも自分を認めることが何より大事なんだなぁと。
2011-12-23 Fri 18:19 | URL | メン [ 編集 ]
繰り返しすみません。

自分では自分の価値を認められないので、外の教義などの理解で誰かに認めてもらうことで、やっと自分の価値を確認できるのだと思います。
記事の巫女さんと私は違うと思いますが「受身である」という所はそういうことかなと思いました。
2011-12-23 Fri 18:49 | URL | メン [ 編集 ]
斉藤啓一です。メンさん、とても深い読みをされているコメント、ありがとうございました。私もなるほどと勉強させていただきました。
2011-12-23 Fri 21:47 | URL | [ 編集 ]
斉藤さん、とんでもないです!
ケイシーのいう「忍耐」の言い回しがよくわからなかったので色々自己分析していました。

私自身がかぶっている所があったもので何度も失礼しました。
2011-12-24 Sat 00:59 | URL | メン [ 編集 ]

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