心の治癒と魂の覚醒

        

 カルマの教えにとらわれない


 スピリチュアルな教説によりますと、霊的な世界での長い生活に比べると、地上の人生はほんの一瞬でしかないと言われています。たぶん、それは正しいと思います(ただ、こうして地上に生きている間は、実感としては理解し難いものはありますが)。
 ですから、地上ではなるべく苦労をして魂を浄化した方がいいとされています。そのぶん霊的な世界での生活が幸せなものになるからです。逆に、地上で楽をして魂を浄化しないと、そのほんの一瞬にすぎない地上生活は幸せでも、その何百倍も長いとされる霊的世界の生活がたいしたものではなくなってしまう、場合によっては非常に苦しいものになるのだそうです。
 そのため、魂は、我慢できる限界ぎりぎりまで、なるべく苦しみや辛さをこの地上で経験しようとするらしいのです。ほんのわずかな時間だけ我慢して自分を成長さぜれば、あとは非常に長い間、幸せを味わうことができるからです。
 苦しみや辛さを経験しようとするのは、苦しみや辛さを通して自分を進化向上させるためです。言い方を変えれば、人間は、苦しみや辛さを経験しないと、なかなか反省して改めたり、忍耐や優しさや誠実さや寛容さといった美徳を養い、人格を向上させようという気が起きないわけです。まれには、苦しみや辛さをあまり経験しなくても進化向上に努める立派な人もいますが、たとえそんな人でも、本当に力強い真の優しさや寛容さを養うには、やはりある程度の辛さを味わう必要があるのだと思います。

 そこで、私は思ったのですが、いわゆるカルマの法則が真実であるとしますと、善いことをすると善いことが起こる、つまり、この人生が楽しく愉快なものになるわけです。裕福になったり、愛する人と結婚して満たされた家庭生活をしたり、健康で美貌に恵まれたり、名声を得たりするわけです。
 しかし、そのような恵まれた状態では、最初に申し上げたように、魂を進化向上させることはできなくなります。となると、たとえそれで地上生活は幸せとなっても、地上生活よりはるかに長い霊的な生活が幸せではなくなってしまうのではないか?
 こんな疑問が生じたのです。
 だとしたら、「善いこと」をすることが、必ずしも「善い報い」になるとは限らないことになります。むしろ、「悪いこと」をして苦しみの報いを受けた方が、それにより進化向上して、長い霊的生活が幸せになるかもしれないわけです。
 つまり、カルマの法則によれば、人生で苦しみが訪れるのは、過去に悪い行いをしたからです。しかし、苦しみなくして魂が進化向上しないとしたら、その「苦しみ」を招いた過去の「悪業」は、必ずしも「悪業」とは言えない、ということにならないか? と思ったのです。
 とはいっても、悪業をするということは、まだ進歩していないということになりますから、悪業をよいと言っているわけではありません。
 ただ、人生で悪いことが起こると、「これは過去に悪いことをした報いなのだ」といったように、自分を責めたり、くよくよしたりといった、後ろ向きの解釈をすることは、必ずしも正しいことではないように思われるわけです。
 カルマの法則だとか生まれ変わりという現象は、このコーナーで今まで考察してきているように、私たちが考えているほど単純なものではないように思われます。もしかしたら、私たちにはとうてい認識不能のものなのかもしれません。人生に苦しみが訪れたとしても、それは必ずしも過去の悪業の結果ではないかもしれません。
 ですから、人生の不幸を、「カルマの報いだ」と決めつけて(盲信して)落ち込んでしまうのではなく、どのみち真実はわからないのですから、それよりはむしろ、「この不幸や苦しみは、自分を成長させ、本当の幸せに導くためにやってきてくれたのだ」と考え、そういう前向きな姿勢で不幸や苦しみに臨んでいく方がいいと思うのです。
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2013-10-24 Thu 16:01 | | [ 編集 ]

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