心の治癒と魂の覚醒

        

1.忍耐

「8つの美徳」の最初にあげられているのは、「忍耐の美徳」です。というのも、忍耐の美徳こそが、あらゆる美徳を養う土台になると思われるからです。
 忍耐とは、ある目的を成就するために、その目的からそらせる力に屈することなく、目的成就にむけて持続的な姿勢を維持することです。これは、修徳であれ何であれ、何かを達成しようとする際には必ず持ち合わせていなければならないものです。忍耐なくして偉大なことが成し遂げられることはほとんどありません。「忍耐の美徳」は、「意志の美徳」と言い換えることもできるでしょう。意志なくしては何も始まりません。
 覚醒、すなわち、高い霊的世界へ上昇していく道も、忍耐がなければ決して成就できないでしょう。物質的な執着をなくし、愛する力を鍛えることは、いわば人生最大の偉業とも言うべきものであり、かなりの忍耐が要求されます。
 ところが、多くの人がこの忍耐に欠けているのです。そのため、せっかく才能を持ち合わせていても、あともう少しというところで挫折してしまっているのです。エジソンは、「天才とは99パーセントの努力(発汗)と1パーセントの閃きである」と言いましたが、この「99パーセントの努力」を、「99パーセントの忍耐」と言い換えてもよいと思います。世の中の大半の人が凡人で終わるのは、才能の問題ではなく、持続的な努力ができるかどうか、すなわち「忍耐」という美徳があるかどうかで決まるのだと思います。

 魂は、このことをよく知っています。忍耐がなければ霊的に高い世界に上昇できないとわかっているのです。しかし、霊的世界では忍耐を鍛えることができないので、地上にやって来たのです。
 そうして、忍耐しなければならない、さまざまな辛い運命を自分に課しているわけです。人は苦しみから、さまざまな教訓を学ぶものですが、たとえ教訓を学ぶことができなくても、苦しみにじっと耐えるだけで「忍耐力の強化」という偉大な意義をつかむことができるのです。
 宗教的な行者の中には、いわゆる苦行をしている人がいますが、その目的のひとつは、忍耐を養うためであると考えられます。釈迦は苦行を否定したと言われていますが、それは間違いです。経典などを見ても苦行の意義を認めています。ただ、「行き過ぎた苦行」や「苦行だけで悟りを開くことができる」という見解を否定したのです。苦行によって忍耐を養ったり、煩悩を弱めるという意義は認めていたのです。
 人生で生じるさまざまな辛いことには、まさに「苦行」という役割があるのです。意味のない苦しみは避けるべきですが、避けられない苦しみが訪れたら、逃げることばかり考えるのではなく、忍耐の美徳を養うよいチャンスだと前向きにとらえることです。そうして、じっと堪え忍ぶことが、もっとも意義ある生き方であり、幸せに通じる生き方ではないかと思います。
 安易に手っ取り早く、楽をして何でも手に入れることをよしとするこの時代にあって、「忍耐」などという、敬遠したくなるような美徳の大切さを訴えても、あまり歓迎されないかもしれません。ベストセラーなどを見ても「すぐに簡単に成功できる」だとか「がんばらなくていい」といった類の本が売れている時代です。

 しかし、ここ最近、こうした風向きがやや変わりつつあります。それは、「現代型うつ病」という、従来とは異なった風変わりなうつ病が、若年層に急増して社会問題になりつつあるためです。
 一般的なうつ病は、何をするにも意欲が喪失し、気分が落ち込んで絶望的になり、自分を責める傾向があるのが特徴です。ところが現代型うつ病は、自分の好きなことをするときは元気になり、嫌なことをするときに落ち込むのです。しかも、そのように気分が落ち込んでしまったことを、人のせいにするのが大きな特徴です。
 たとえば、会社に出勤しようとするとうつ状態になって欠勤して自宅にこもってしまいます。ところが、そこに友人から電話がかかってきて「これから飲みに行こう」と誘われると、とたんに元気になり、居酒屋に行って友人と談笑したりカラオケを熱唱したりします(従来のうつ病であれば、好きなことさえもしたくなくなります)。そんな光景をたまたま上司に見られ、「ずる休みをしただろう」と会社で注意されると、また落ち込んでうつ状態となり、「私がこんな状態になったのは、上司のせいだ」などと人のせいにしたりするのです。
 一見すると、これはうつ病ではなく「仮病」を装っているように見えるのですが、落ち込んでいるときは確かにうつ病の特徴を示しているので、決して「仮病」というわけではないのです。
 なぜ、こうしたうつ病が急増したのか、その原因はまだはっきりわかっていませんが、ひとつの有力な説によれば、あまりにも「我慢しなくていい生活」を送ってきたために、嫌なことに対する「耐性」が弱体化し、ちょっとした嫌なことやストレスに耐えられなくなっていることにあるようです。
 今日の若い世代は、生まれたときから物質的に恵まれていました。おおむね経済的に豊かな家庭に育ち、欲しいものはすぐに買ってもらえました。暑ければエアコンのスイッチを入れればよく、寂しければ携帯電話で友達とすぐに話すことができました。親も子供を甘やかして、厳しく叱ることもしなくなりました(そのため仕事のことで叱責されるとショックを受け、すぐに会社を辞めてしまう人が増えているといいます)。
 むかしは暑さを我慢しなければなりませんでした。携帯などありませんでしたら、寂しくても我慢しなければなりませんでした。その他、いろいろと不便な生活を我慢する必要がありました。そうして辛さに対する「耐性」が養われていったのですが、今の若年層は、我慢する必要のない生活を送ってきたために、耐性、すなわち忍耐を鍛えるチャンスを奪われてしまったのです。いわば、無菌状態で育てられると免疫力が低くなるようなもので、精神的な負荷が少なかったために、免疫力のない精神が形成されてしまったと言えるかもしれません。そのため、ちょっとでも気に入らないことは耐えられない精神になってしまったのです。
 そのため、従来のうつ病は「がんばれ!」という叱咤激励の言葉は禁句とされてきましたが、現代型うつ病の場合は、必ずしも禁句ではなく、ときには叱咤激励して、ある種の「教育」をしていくことが大切であると言われています。
 こう見ると、単なる「我が儘」だと思われるかもしれませんが、すでに述べたように、確かにうつ病ではあり、本人も苦しんでいるのです。
 彼らは、「何でも欲しいものは手に入る我慢しなくていい便利で快適な生活」という、これまで私たちの社会が理想と考えてきた「すばらしい文明生活」の、ある意味では犠牲者だと言えるかもしれません。皮肉なことに、何の不便も苦痛もない、忍耐など必要のない生活そのものが、苦しみを生み出すもとになっているのです。そのことが、現代型うつ病によって、うすうすわかってきたのです。
 このように、忍耐する力が、人生のしかるべきときに養われないと、結局は、苦しみと不幸をもたらすことになってしまうわけです。嫌なことに直面するたびにうつ状態になり、ちょっと叱責されたら仕事を辞めてしまうような人生に、いったいどのような実りがもたらされるのでしょうか。それは不幸な人生ではないでしょうか。
 人生の本当の生きがいや充実した生活というものは、忍耐に支えられてつかみとっていくものなのです。たとえまったく才能がなかったとしても、忍耐強く努力を続けていけば、そこそこの成功を収めることは十分にできるでしょう。忍耐こそが、あらゆる可能性を切り開いてくれるのです。忍耐という苦い薬こそが、人生のあらゆる障害を癒してくれるのです。そしてこのことは、覚醒という霊的な修行についても当てはまるのです。そのために私たちは、まず何といっても忍耐の美徳を養うように努力していかなければならないのです。
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