心の治癒と魂の覚醒

        

3.平静


 平静とは、何があっても心を乱されることなく、常に安定した平安な心境でいられることです。怒り、悲しみ、嫉妬、不安、恐怖、その他、不愉快なことや、煩わしいことがあったりしても、動揺したり取り乱したりせず、波立つことのない湖面のように、心静かにいられることです。また、喜ばしいこと、愉快なことがあった場合でも、我を忘れるほど有頂天になることなく、冷静でいられることです。このように常に平静さを保つことで、人は高い次元の存在と結ばれ、守護と導きを受けやすくなるのです。
「自制の美徳」が欲望を支配する美徳であるとすると、この「平静の美徳」は、感情を支配する美徳ということになるでしょう。といっても、感情が動かないロボットのような人間になることを意味しているわけではありません。感情が暴走しないようにするということです。
 欲望に振り回されることで、人生の大きな失敗をすることがあると同様、感情に振り回されて大きな失敗をすることもよくあります。怒りなどの一時的な感情に駆られて人間関係をダメにしてしまったり、不安や恐怖のため必要以上に臆病になってチャンスを逃してしまうといったことがあるわけです。
 このように感情に振り回されてしまう理由は、地上的な事物への執着があるからです。執着も愛着もなければ、私たちは無関心なはずで、それがどうあろうと心が乱されることはないでしょう。たとえば、好きな人から冷たくされたら動揺するでしょうが、関心のない赤の他人から冷たくされてもそれほど動揺しないでしょう。愛するものを失えば悲しいでしょうが、愛していなければ、失っても悲しくはないでしょう。
 また、自我に執着がなければ、嫉妬したり、プライドが傷つけられたといって怒りや不満を覚えることもないはずです。
 ただ、感情のなかでも、不安や恐怖の感情は、なかなか消えないものです。なぜなら、それらは根源的には肉体に対する執着から来ているからです。いわゆる自己防衛本能に由来するためです。この本能があるからこそ、私たちは危険から身を遠ざけようとする(死を避けようとする)わけですが、同時にこれは不安や恐怖の感情を誘発させる原因ともなっているわけです。
 ですから、肉体に対する執着を捨てることができれば、不安や恐怖からも解放されることになるわけです。たとえ完全には難しいとしても、肉体に対する執着を捨てていくことで、不安や恐怖によって心を乱されることが少なくなってきます。肉体は地上的な事物に属するものですから、結局、地上的な事物への執着によって、感情が乱されてしまうのです。
 したがって、平静の美徳を養うとは、見方を変えれば、地上的な事物への執着を捨てていくことを意味しているわけです。
 また、平静でなければ、本当の愛が育ちません。「愛」というと情熱的なイメージがあるかもしれませんが、霊的な世界の愛は、地上的な興奮の要素は排除されていますから、静かで深いものであるように思われます。高い霊的世界の愛は「執着なき愛」であり、それは平静の美徳を養うことで発揮できるようになるのです。
 さて、このような平静の美徳を養うには、感情を乱すような環境に身を置いて負荷をかけていく必要があります。そのような環境でも平静でいられるようにすることで、魂は鍛えられていくのです。そのために私たちは、地上にやってきたのです。
 地上は、心を乱す要素に事欠きません。さまざまなことで、いつも私たちの心はかき乱されます。なかでも強烈なものが、無常、不公平、不条理です。この3つを体験することほど不愉快で煩わしいことはないでしょう。しかし、そのような中でさんざん揉まれることにより、魂の力が鍛えられ、平静の美徳が育っていくのです。
 ですから、いかなる状況や事態が訪れようと、覚醒をめざす私たちは、心を乱されないようにし、常に平静で落ち着いた態度を保つように努力していかなければなりません。そのために、平静の美徳が求められるのです。
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コメント

 おひさしぶりです、斉藤先生。大変興味あるテーマなので、考えていました。

 人生がうまくいっているとき、おちいる「天狗」は他者への思いやりと誠実さのネジを締めなおすということを4の「謙虚」で述べられておりましたが、
 人生がうまくいってないとき、おちいる「鬼」、つまり不条理に対する怒り・恐怖などのネガティブへの効果的な処方はなんなのでしょうか?
2012-05-12 Sat 10:15 | URL | ワタナベ [ 編集 ]
斉藤啓一です。ワタナベさん、コメントありがとうございました。
不条理に対する怒り・・・に関しては、これは大切な問題ですね。実は機会をもうけていずれ論じようと思っていたテーマでもあるのですが、とりあえず今の私の考えを申し上げますと、結局、地上人生というのは、本質的に不条理であり、私たちの魂は、自らを鍛えるために、わざとその不条理の環境を求めて地上に生まれてきたということを、深く納得して自覚することではないかと思います。
つまり、不条理があるからこそ私たちは進歩できるのだということを、心底確信することによって、ネガティブな考え方から解放されるのではないかと思っています。
2012-05-12 Sat 21:22 | URL | [ 編集 ]
ありがとうございました。やはりゆるぎない確信が必要なのですね。
2012-05-13 Sun 13:33 | URL | ワタナベ [ 編集 ]
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2012-05-17 Thu 22:56 | | [ 編集 ]

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