心の治癒と魂の覚醒

        

4.謙虚

 8つの美徳の4番目は、「謙虚」です。
 謙虚とは、自分は偉くて優秀であるなどと自惚れたり、人を見下して高慢になったりせず、常に相手を尊重する慎み深い柔和な姿勢のことです。このように謙虚であるということは、それだけエゴが少ないことを示しており、愛と霊性が育つ土壌が整備されていることを示しています。すなわち、謙虚の美徳ほど、人を進化させ向上させる資質はありません。謙虚の美徳は、とりわけキリスト教では非常に重んじられています。

 高い霊的な世界ほど、非利己的になり、「助け合い」の関係が強くなってきます。ですから、そこでは自分のことを考える必要がありません。自分のことは他者が考えてくれるからです。そうして、究極的には完全に他者のことだけを考える(思いやる)ようになります。それが魂の成長であり、つまりは覚醒に至る道ということになります。
 利己主義が優勢を占める地上世界では、他者が(無条件に)自分の利益を考えてくれることはほとんどないでしょう。それどころか、利益を搾取しようとたくらんでいる人さえ少なくありません。そのために、どうしても自分の利益を中心に考えなければやっていけなくなるのですが、これは物質的な利益に限らず、精神的な利益でも同じです。
 精神的な利益とは、自己優越感やプライド、虚栄といったものです。要するに自分を認めてもらいたいという欲求を叶えようとするわけです。これが過剰に発揮されたのが、いわゆる高慢や傲慢と言われるものです。裏を返せば、自分を認めてもらうために高慢になるわけで、それは自分に対する自信が欠如して虚しさを抱いているからです。ですから、自分に自信がある人ほど高慢になることはなく、謙虚なのです。
 謙虚であるということは、高い霊的世界の特徴である「助け合い」の関係性を築くためには、必要不可欠の要素です。謙虚さと霊的レベルの高さは比例していると言ってもよいでしょう。
 魂は、この謙虚の美徳を養うために、地上にやって来て、「負荷」をかける目的で、あえて自惚れや高慢の気持ちを起こさせる状況に身を置くのです。現象的には、いわゆる「成功」の体験です。物事がうまくいき、「そうなるのも自分がすぐれているからだ、偉いからだ」とつい思ってしまうような体験を計画するのです。
 しかしそれは、非常な危険を伴う計画です。一歩間違うと、高慢さを増強させてしまうかもしれないからです。そうなると魂は退歩し、高い霊的世界が遠のいてしまいます。
 辛い出来事に負けないのも難しいものですが、自惚れや高慢の誘惑に負けないのも、非常に難しいものです。人間はつい、物事がうまくいき、成功し、恵まれると、自惚れたり高慢になったり、他者の気持ちに鈍感になったり、不誠実になったりしてしまいます。かなり成長した魂だけが、そうした恵まれた環境にあっても謙虚であり続け、他者の気持ちに敏感で、思いやりと誠実さを貫くことができると言えるでしょう。
 謙虚のふりは比較的簡単にできますし、実際、謙虚のふりをしているのに自分は謙虚であると思い込んでしまうこともあるでしょう。言うまでもありませんが、本当に謙虚な人は「自分は謙虚だ」とは思っていません。
 あるいは、まったく反対のことを言うようですが、本当に謙虚な人は「自分(エゴ)」を離れていますから、自分自身を客観視することができ、その結果、自分は謙虚であると思うなら、「私は謙虚です」と正直に言うでしょう。そんなことを口にする人は、逆に高慢に感じられますが、必ずしもそうではないのです。このように、謙虚さというものは、つい錯覚を起こしやすいので注意深さが必要です。
 いずれにしろ、謙虚の美徳を養うにつれて、ますます神との距離が縮まってきます。その結果、自分の才覚といったものを超えた能力を発揮できるようになってきます。
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