心の治癒と魂の覚醒

        

5.寛容


 寛容とは、人の弱点やあやまちを厳しく責めたりしないこと、自分とは異なる意見を持っていても排除したりせず受け入れること、自分を傷つけたり不愉快にさせたことをゆるすことです。
 完全な存在と呼べるのは神だけであり、それ以外はすべて何らかの欠点や弱点を持っていると言ってもいいでしょう。いかに聖者や偉人、あるいは高い霊的存在(守護霊や守護神)であろうと完璧ではありません。どんな人も欠点や弱点を持っています。
 しかし、もしわずかでも欠点や弱点を持つがゆえに、その人を拒絶していたら、「愛」が生まれる余地はなくなってしまいます。高い霊的な階層ほど愛が支配されているとされますから、霊的に高い世界(境地)へ上昇するには、すなわち、覚醒するには、欠点や弱点は補い合い、長所を認め合っていかなければならないわけです。それが寛容の美徳の目的です。
 また、地上世界というトレーニングジムは、失敗やあやまちを経験することによって教訓を学び、鍛えられていく場所です。魂は、教訓を学ぶために、わざと失敗やあやまちを犯す計画を立てることもあるでしょう。したがって、失敗やあやまちを犯した人に対しては「教訓を学ぼうとしているのだな」というように考えて、その失敗やあやまちをおおめに見てあげる寛容の心が必要なのです。結局、それはお互い様だからです。自分も失敗やあやまちを犯して人に迷惑をかけながら、教訓を学んでいるわけです。そんな自分をゆるしてもらわなければなりません。ならば、人もゆるさなければならないのです。
 といっても、これも他の美徳と同様、実行するのは容易なことではありません。自分にひどいことをした相手を、そう簡単にゆるせるでしょうか?
 しかし私たちの魂は、しばしばそのような過酷で厳しい状況に身を置くことで、寛容の美徳を養おうとするのです。すなわち、ゆるしがたい相手と縁ができるということが生じるわけです。
 そういう状況でも、寛容の美徳を発揮して相手をゆるすことができたなら、魂は格段に成長するでしょう。なぜなら、寛容の美徳は、「愛」を支えるもっとも中心的な柱だからです。「8つの美徳」はどれも「愛」を支える柱ではあるのですが、寛容の美徳はそのなかで、おそらくもっとも重要です。寛容なき愛は存在しません。
 極論を言えば、他の美徳が思うように養えなかったとしても、寛容の美徳さえ養うことができたら、それだけでも地上世界にやって来た意義を十分に果たしたことになると言ってもよいかもしれません。
 魂はその重要性をよく理解しているので、地上にやってくるときには、「嫌な奴」、「憎い奴」と出会う運命を計画するのです。ですから、そうした人と出会ったときには、嫌ったり避けたりするのではなく、覚醒修行を志す者としては、寛容の美徳を養う有り難いチャンスなのだと考えるようにするべきではないかと思います。もちろん、そう考えること自体が、寛容であること以前に難しいのですが、修行というものは、もともと難しいことをしようとすることなのです。

スポンサーサイト

修徳の行 | コメント:0 | トラックバック:0 |
<<6.超然 | ホーム | 4.謙虚>>

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

| ホーム |