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心の治癒と魂の覚醒

        

 スピリチュアル・エゴ


 来月に行われるセミナー「霊性進化のポイントと落とし穴」で、どのような話をしようかと準備を進めている最中なのですが、結局、霊性進化の落とし穴というものは、いわゆる「スピリチュアル・エゴ」がその土台にあるような気がいたします。
 スピリチュアル・エゴとは、スピリチュアルな事柄を利用してエゴイズムを満たそうとすることです。典型的な例としては、霊的な知識を得たり、霊的な能力が多少芽生えたりすると、自分が偉くなったように錯覚し、霊的な知識や能力がない人を馬鹿にしたり、自分は人よりすぐれていると思ったり、「あなたの波動は低い」などと決めつけたりします。拙著『真実への旅』に登場するキャサリンという人物は、このスピリチュアル・エゴを描くために設定されたキャラクターです。スピリチュアル・エゴには病的な傲慢さが潜んでいるのです。
 他にも、スピリチュアルな事柄を金儲けの手段に利用することなども、スピリチュアル・エゴと言えるかもしれません。ただし、スピリチュアルな活動によってお金を得てはいけないなどと言うつもりはありません。私自身、セミナーを開いてそれなりのお金を得たり、スピリチュアルな本を書いて売っているわけですから、人のことは言えません。スピリチュアルな活動はボランティアで行い、生活のためのお金は他の仕事で稼ぐのが理想なのかもしれませんが、現実的には他の仕事をするとスピリチュアルな活動をするほどの時間的ゆとりがなくなり、結局スピリチュアルな貢献ができなくなりますから、世の中にマイナスになると思います。ですから、他の仕事をしなくてもすむように、スピリチュアルな活動でお金を得ることは、決して間違いではないと思います。
 しかしながら、それでも社会的な良識というものがあると思うのです。インターネットなどを見ますと、私からすれば法外とも言える高額なセミナーやセッション、物品販売が溢れかえっています。二日くらいのセミナーが30万円だとか、1時間にも満たないヒーリングセッションが5万円だとか、原価数千円と思われる「波動グッズ」みたいなものが数万円で売られていたりするわけです。
 もちろん、それだけの価値があればいくら高くても「高額」ではないのかもしれませんし、実際、そのようなものにお金を払って「よかった」と思っている人もいるでしょう。そういう人が宣伝のために体験談を載せていたりするわけですが、それを読むと誰もが満足するすばらしいものに思えます。しかし実際には、満足した人はほんのわずかで、大多数の人が不満であったりするかもしれません。
 ところが、内心は不満に思っても、それを訴えない人、それどころか、「よかった」などという人が少なくないのです。それはなぜかと言いますと、ここにも巧妙なエゴの働きが関係しているのですが、高額なお金を払って価値のないものを買ったということは、そんな自分は馬鹿だということになります。それではプライド(エゴ)が傷ついてしまいますので、それを避けるために、「買ってよかった」などと、無理に思い込もうとするのです。これはフロイト学説が言うところの「合理化」と呼ばれる自我の防衛機制です。
 いずれにしろ、「スピリチュアル」というのは、エゴ(利己主義)とは正反対の世界であると思います。無私、打算のない純粋さ、誠実、無条件の愛といったものが、「スピリチュアル」というものを構築している柱ではないでしょうか。エゴというのは、それと真っ向から反するものです。
 スピリチュアル・エゴのやっかいなところは、スピリチュアルとはまるで反対のエゴイズムに染まっていながら、それに気づきにくいということ、そして自分はスピリチュアル的に偉大であるなどと、誇大妄想や高慢さに侵されてしまい、一度そのようなものに取り憑かれると、そこから抜け出すのは容易ではないということです。
 ところが、巷には、人々をそのようなスピリチュアル・エゴという落とし穴にはめこもうとするものが、意図的かどうかはともかく、溢れかえっているように思います。ですから、本当に十分な注意が必要です。
 人々をそのようなスピリチュアル・エゴの落とし穴にはめこもうとするために用いられるのが、「言葉」です。言葉のトリックを用いるのです。悪徳商法などが、こうした言葉のトリックを用いてその気にさせ、だましているわけですが、スピリチュアルな世界でも似たようなことが行われているように思われます。とりわけスピリチュアルな世界はあいまいなことが多いので、いくらでもごまかしがきいてしまいます。その「言葉のトリック」に騙されないようにすることが大切であると思います。
 言葉のトリックにだまされないためには、日頃から第三者のように自分を見つめる習慣をつけておくことです。そうすれば、言葉のトリックにだまされるリスクを大きく減らすことができると思います。

 セミナーでは、むかし大きな社会問題となった悪徳商法「豊田商事」の説明会に出席し、どのように人をだましていたかを見た私の体験、また、「私は悟りを開いた覚者である」という人と出会い、すばらしい教えを説くのでだまされそうになったが、そこからどのように「正体」を暴いていったかなどの体験を紹介しながら、「落とし穴」にはまらないためのアドバイスをする予定でいます。興味のある方は、ぜひご参加いただければ幸いです。

特別講座
「霊性進化のポイントと落とし穴」
日時:
第1回 6月9日(土)  14:00~17:00
第2回 6月10日(日) 14:00~17:00
場所:東京渋谷

 お問い合わせ&お申し込み→アルカノンセミナーズ

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心の浄化 | コメント:3 | トラックバック:0 |
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コメント

こんばんは、斎藤先生。

>言葉のトリックにだまされないためには、日頃から第三者のように自分を見つめる習慣をつけておくことです
>「豊田商事」の説明会~~どのように「正体」を暴いていったか

「自己観察」は先生の説く最も重要な修行ですが、自分を第三者化すると、小ずるい世間的な知恵から縁遠くなっていく気がします。そういう方法は是非知りたいのですが、容易に書籍化するとセミナー参加者が減って先生の生活が成り立たなくなります。

>スピリチュアルな活動でお金を得ることは、決して間違いではないと思います。

ですよね。

自己観察が進むと他者観察がどのように容易になるか、というヒント的なブログ回を望みます。ぶしつけなお願いですが、お願いします。
2012-06-05 Tue 19:36 | URL | ワタナベ [ 編集 ]
斉藤啓一です。ワタナベさん、コメントありがとうございました。
自己観察をするとは、自分を他者のように観察し評価することです。それをひとことで表現すると、利己的な欲望や偏見、感情から離れたところで評価するということです。ですから、他者を観察していても、その他者がどのような彼自身の欲望や偏見や感情に染まってものを言ったり行動しているのか、感覚的にわかってくるようになるのです。
そのため、たとえばある人が人をだまそうとして表面的にはまともなことを話していても、その行間というのでしょうか、ある種の「臭み」のような感じで、人をだまそうとしているなとか、そういうことがわかってくるのです。
2012-06-05 Tue 20:46 | URL | [ 編集 ]
 なるほど、ということは逆に、悪人の振りをする人の本心とかもわかるのかもしれませんね。
2012-06-06 Wed 18:11 | URL | ワタナベ [ 編集 ]

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