心の治癒と魂の覚醒

        

 スピリチュアルな道を歩む上で大切なこと


 先日、スピリチュアルな立場から人生論や生き方について書かれた本をのぞいたところ、次のような一節がありました。
 会社がある商品を作ったとき、売れる商品というのは、その商品に携わった人全員が、喜びと感謝の心に満ちて作っている、ということがわかった。商品に関わっているときに、いやな思いをしている人がだれ一人としていない。みんなが、その仕事を喜んで楽しんで、心を込めてやっている。こうして作られた商品は間違いなく売れる……。
 と、こう断言しているのです。そして、
「この商品のために大変な思いをした」と感じている人たちの総合力として、その商品ができあがっているとすると、それはやっぱり売れない、と言っています。さらに、
 ものが売れるかどうかは技術の問題ではなく、作り手の感謝の思いと喜びが集積して出来た商品が売れるようだ
 と言うのです。
 スピリチュアルな世界に関心を持っている人は、何となくわかるような気がするかもしれません。私もこの意見には一理あると思っていますし、全面的に否定するつもりはありません。何となく理解できるものを感じます。
 しかし、「何となく理解できる」というだけで、それを事実であると鵜呑みにするのは危険だと思うのです。
 まず、この著者の文章を慎重に読んでみて下さい。
「その商品に携わった人全員が、喜びと感謝の心に満ちて作っている、ということがわかった」とありますが、どのようにしてわかったというのでしょうか?
 たとえばどのような商品でも、それを開発して販売するまでには、構想からデザイン、設計、組み立て、配送、販売に至るまで、数え切れないほどの人が関係しているはずです。この著者は、その人たちひとりひとりに、「喜びと感謝の心で作りましたか?」とインタビューやアンケートでもしたというのでしょうか? しかも、一つの商品ではなく、断言できるほど十分な数の商品について、それを確かめたのでしょうか?
 とても、そのようなことをしたとは思えません。にもかかわらず、「いやな思いをしている人がだれ一人としていない」と語り、「間違いなく売れる」と断言しているのです。
 もしかしたら、私のこうした指摘は「細かいことだ」と思われる人がいるかもしれませんが、こういう細かいところに、この著者のスピリチュアルな見解が信頼に値するかどうかを知るための手がかりがあるのではないでしょうか。
 もし「ものが売れるかどうかは技術の問題ではなく、作り手の感謝の思いと喜びが集積して出来た商品が売れる」という見解を鵜呑みにして、たとえば社長が技術部門の予算を削減して従業員の感謝や喜びを増やす方面に予算を配分したらどうなるでしょうか? もしかしたら、すぐに壊れてしまう欠陥商品が生まれるかもしれません。その可能性は十分にあるでしょう。ものが売れるかどうかは、作り手の意識も大切ではあるでしょうが、「技術の問題ではない」などと言い切れるものではないはずです。
 こうしたところに、スピリチュアル的な立場から人生論や生き方を説く人が陥りがちな安易さ、非現実性、独りよがりな見解といったものが見られるような気がするのです。
 この著者は「この商品のために大変な思いをした」と感じている人たちがいるとその商品は売れないと言っていますが、「大変な思いをして開発した商品」が大ヒットとなった例など、それこそたくさんあると思います。むしろ、その方が多いかもしれません。何となく自分がそう思うというだけで、それが現実なのだと決めつけているふしが感じられるのです。
 スピリチュアルな世界のことを学ぶ上で大切なことは、どこまでも現実的な視野から見ることを忘れないこと、そして、どのような見解も鵜呑みにせず、自分の頭でよく考えることではないでしょうか。さもなければ、それは単なる空想や夢想にしか過ぎなくなってしまいます。
 人生や世の中というものは、数学や物理の世界とは違い、「これはこうだ」と決めることはほとんどできないのです。たとえば、「Aのように生きなさい」という主張があり、その主張にはそれなりの説得力があり納得したりしますが、誰かが「Aのように生きてはいけない」と言って、その主張に耳を傾けると、それもまたそれなりの説得力があり納得できるものがあったりするわけです。
 少し前に「がんばって生きなさい」という主張と、「がんばって生きてはいけない」という主張のどちらが正しいかといったことが話題になったことがありましたが、どちらかに決めようとすること自体が間違っているのです。状況や個人により、がんばって生きた方がよい場合もあるでしょうし、がんばって生きない方がよい場合もあるでしょう。にもかかわらず、いつでもどのような状況でも通用するような絶対的な普遍的事実として「こうだ」と決めつけることはできないのです。
 とりわけ、スピリチュアルという、あいまいな世界ではなおさらです。あいまいなものは無理に断定せず、そのあいまいさを受け入れることが必要ではないでしょうか。
 こうした、どちらかに決められない、中途半端で灰色の状態に置かれることは、あまり愉快ではないかもしれません。「これはこうだ」と誰かに決めてもらった方がスッキリするかもしれません。しかし、それは逆にスピリチュアルというものを疎外することになるのです。なぜなら、スピリチュアルな世界は、この地上世界の対極的な要素が統合されている領域だからです。スピリチュアルな世界では「統合」ですが、地上は基本的に対極に分裂しているので、地上世界では、矛盾や混沌として現れることになります。つまり、灰色です。ですから、灰色こそが真実なのです(地上で真実を描く限界なのです)。
 たとえどんなに居心地が悪くても、スピリチュアルな道は、灰色を受け入れながら歩んでいくしかない、また、そうすべきであると思うのです。

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2012-06-18 Mon 07:17 | | [ 編集 ]

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