奉仕という覚醒修行2012-07-04 Wed 20:03
地上人生というものは、結局のところ、魂の修行場であり、トレーニングジムのような場所です。私たちは、楽をしたり、地上的な意味で「幸せ」になるために地上に生まれてきたのではなく、さまざまな経験、とりわけ苦しみや悲しみの経験を通して教訓を学び、魂を磨き、成長・進化するために、地上に生まれてきたのです。そうして地上を去り、本来の住処である霊的世界に帰還したとき、より高い階層に上昇できるようにするためです。あるいは、肉体をもったままで魂を大きく成長させ、地上にいながら高い霊的階層のエネルギーと合一するためです。 霊的世界では、より高い階層ほど、「助け合い」の精神で占められるようになります。すなわち、そうした高い階層世界に住んでいる魂は、利己的ではなく利他的であり、常に無私の奉仕に徹しているのです。 ですから、私たちが高い階層に上昇するためには、すなわち、覚醒するためには、助け合いの精神を持ち、無私の奉仕の生き方をすることが必要不可欠となります。そのような生き方こそが覚醒の道なのです。要するに、覚醒の道を歩むということは、人生のすべてを世のため人のために尽くすという「奉仕」を目的にしなければならないようなのです。 しかし、奉仕とひとことで言いますが、たいていの人は自分の仕事や生活で手一杯で、たとえばボランティア活動のようなことをして奉仕をするといったことは、たとえそうしたくても、できないのが実情ではないでしょうか。そうなると、覚醒の道というものは遠いところに行ってしまうような気がします。 けれども、奉仕の本質というのは、あくまでも動機だと思います。 たとえば、いくら人のために働いたり、あるいはお金を寄付したりといったことをしても、その動機が利己主義(エゴ)によるものなら、それは奉仕とは言えないでしょう。 しかし、どんなことであれ、世のため人のためにという動機で行えば、それは奉仕になるのだと思います。 たとえば、私たちは生活のために仕事をしなければなりません。仕事をしてお金を稼がなければなりません。しかし、仕事というのは、生活費を稼ぐという意味だけでなく、社会貢献という意味もあります。この社会には、いろいろな仕事をしてくれる人がいるから、私たちは助かっているわけです。 ですから、仕事そのものは、世のため人のための立派な「奉仕」になるのです。その動機が「自分だけの金儲け」ではなく、世のため人のためという動機で行われるのであれば。報酬はあくまでも結果であり副産物とみなし、お金を稼ぐためではなく、世のため人のために(あるいは神のために)という動機で行うのです。そうすれば、仕事そのものが立派な覚醒修行になるのではないかと思うのです。 学生でまだ仕事をしていないのであれば、世のため人のために奉仕ができる人間になるためにという動機で勉強するのです。そうすれば、勉強そのものが覚醒修行になります。病気などの理由で仕事も勉強もできない人は、世のため人のために奉仕ができる健康な体になろうという動機で療養生活を送るのです。そうすれば、療養生活そのものが覚醒修行になるはずです。 スポンサーサイト
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コメント
こんばんは。
いつも興味深く拝読しています。 斎藤さんは、MLM(マルチ商法)に 関わる方々をどうとらえて いらっしゃいますか? 彼らは、自己啓発セミナー等を受け、 商品を売ることに対し、 「良いことをしている」=「奉仕」 と思いこんでいます。 これは、MLMに対する私の偏見なのでしょうか? お時間がありましたら、 ご回答をお願いします。 2012-07-05 Thu 21:20 | URL | kilala [ 編集 ]
斉藤啓一です。kilalaさん、コメントありがとうございました。
なるほど、鋭いご質問ですね。彼らは動機としては奉仕で良いことをしていると思っているが、結果として悪いことをしている(としましょう)。その場合、それは本当の意味で「奉仕」となるのかどうか? このコメント欄は長文を書くとエラーになってしまうので、手短に考えを述べさせていただきますが、もし本当に良いことをしていると心底信じているなら、奉仕になるのではないかと思います。ただ、それが間違いであるといつか気づかなければならないと思います。にもかかわらずいつまでも気づきがなければ、その点については何らかの埋め合わせをしなければならなくなるのではないかと思います。 2012-07-05 Thu 21:32 | URL | [ 編集 ]
ご回答、ありがとうございました。
本当に深い問題だと思います。 これからも、勉強させて下さい。 2012-07-06 Fri 08:55 | URL | kilala [ 編集 ]
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