心の治癒と魂の覚醒

        

 心を乱す悪魔と闘う


「心を乱されない」というテーマで書いてきていますが、これは重要なことであり、心を乱されないようにしない限り、おそらく覚醒というものはできないでしょう。
 すでにお話したように、この地上世界は、もともと私たちの心を乱すような仕組みとなっており、あらゆる機会やスキを狙って、心を乱そうとしかけてくるのです。その点では、私たちは戦場にいるようなものです。常に自分の心を乱す敵と戦わなければなりません。ちょっとでも油断していると、すぐに心が乱されてしまいます。
 釈迦は、煩悩を悪魔にたとえましたが、心を乱すものを悪魔にたとえ、ある種の実体的な存在としてとらえて、心を乱されないようにすることは、有効かもしれません。 [
「悪魔」は狡猾です。まっこうから心を乱すことができないとわかると、巧妙な罠をしかけてくることもあります。一度気分をよくさせておいて、次の瞬間にはそれを見事に裏切るような不愉快な出来事を起こしたりするわけです。その落差が大きいために、心が激しく乱されてしまうのです。
 悪魔の最大の武器は「言葉」です。心を乱すような言葉を、まるで銃弾のように浴びせかけてくるのです。この「悪魔の銃弾」に心を撃たれたとき、人は傷つき、怒り、あるいは絶望し、悲しみに倒れてしまうのです。インターネットの掲示板などをのぞくと、悪魔の犠牲になった人たちをたくさん見ることができます。意地の悪い品性の欠けた言葉を吐き、怒りや不満をあらわにして醜い感情をぶつけ合ったりしています。顔と名前を正々堂々と出した上で批判したり論争するならまだしも、匿名でなければできないというのであれば、単なる臆病な卑怯者です(悪魔はこういう人間を好みます)。このような醜い論争や批判、悪口の言い合いなどをしていると、たとえもっともな理屈を言っていたとしても、しだいに人間性そのものがダメになっていく気がします。

 それはともかく、私たちは「悪魔の銃弾」から常に身を守らなければなりません。本物の銃弾から身を守るには、鎧や防弾チョッキをまとう必要があるでしょう。しかし悪魔の銃弾というのは、実際には実体はありません。たとえば、何をいっているかわからない外国語でいくら批判されたり、ののしられたりしても、まったく傷つきません。
 あるいは、優秀な学歴を持っている人に対して「バカ!」という言葉を投げかけても、相手は傷つかないでしょう。しかし、学歴や自分の能力に劣等感を抱いている人に「バカ!」と言ったら、おそらく傷つくでしょう。
 このように、心を乱す言葉とそうでない言葉の違いというのは、自分自身がそれをどうとらえるか、その解釈しだいなのです。自分の劣等感や、気にしていること、嫌だと思っていること、目を背けたいと思っていることを指摘されたときに傷つくわけです。言い換えれば「認めたくないが、認めざるを得ないこと」を言われたとき、心を乱されるのです。本当のこと(だと自分が思っていること)を言われたとき、心を乱されのです。
 このような悪魔の銃弾から心を守るには、言葉を投げかけられたとき、すぐに反応するのではなく、必ず1テンポおいて「悪魔の銃弾が放たれたな。このまま心を乱したら、悪魔の思う壺である。その手には乗らないぞ!」と、そのように思う習慣をつけることです。そうして、相手の言葉に対して、感情的に切り返すのではなく、冷静に論理的に、人ごとのような客観的な視点で反論するようにするのです。練習を積めばそうできるようになります。あるいはまったく無視をするというのもいいでしょう。
 子供の世界には「にらめっこ遊び」というものがあります。「にらめっこしましょ♪ 笑うと負けよ、あっぷっぷ♪」などと言って、おかしな顔をして相手を笑わせます。笑った方は負けです。
 この地上世界の「悪魔」たちも、この「にらめっこ遊び」を仕掛けてくるのです。ただし「笑わせる」のではありません。怒らせよう、悲しませよう、嫉妬させよう、傲慢にさせよう、絶望させよう……としているのです。「にらめっこしましょ♪ 怒ると負けよ、あっぷっぷ♪」と言っているわけです。それに私たちが耐え切れずに怒ってしまうと、悪魔は「やったあ、勝った!」と言って喜んでいるのです。悪魔が仕掛ける、そのようなくだらない遊びに、いちいち付き合わないようにしなければなりません。

 怒りに心を乱された人は、まずろくなことはありません。後で悔やまれるような、ときには一生を台無しにしてしまうようなことをしでかしたりします。大きなストレスの負担を心身に与えます。そのように人を不幸にして、悪魔は喜ぶのです。
 世の中には、人を不愉快にさせる言葉を平気で口にする人がいますが、そういう人は、悪魔が取り憑いているのだと考えればよいでしょう。言葉によって人を絶望に追い込んだり、深刻なストレス障害にさせたり、ひどい場合は自殺にまで追い込んでしまうこともあることを思うと、言葉というものは、単なる「空中に発した音声」という以上のものがあるのです。実際にナイフを持って相手の肉体を切りつける行為に相当するといっても過言ではありません。そのようなことは、カルマの法則により、いつか自分にめぐってきて、結局は自分自身を何らかの形で切り刻むことになるでしょう。言葉というものは、非常に怖いものなのだということに気づくべきです。
 ですから、言葉使いは慎重にしなければなりません。刃物を扱うかのような慎重さが必要です。私たちは口のなかに「凶器」を持っているのです。使い方をあやまると、自他を切りつけ不幸にして、取り返しのつかないことになってしまう危険があるのです。
 もっとも、その意図がなくてもつい相手を傷つける言葉を吐いてしまうことは、人間なら誰しもあるでしょう。それは仕方がないと思いますが、少なくとも意図的に傷つけるような言葉は、決して口にするべきではありません。難しいことですが、たとえ相手から傷つけられるようなことを言われたとしてもです。
 傷つけられるようなことを言われたのに、それに対して何も言わないでいるというのは、とても苦しいものですが、言い返したりしなければ、相手が放った「悪魔の銃弾」は、Uターンして自分のもとに戻っていきます。ブーメランのようなもので、こちらがブーメランをつかみさえしなければ、それは投げた人のもとに戻っていくのです。

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