心の治癒と魂の覚醒

        

 絶望したときにどう生きるか


 人間というものは、嘆き悲しむことによって奇妙な慰めを得られることは確かである。あきらかに絶望的な状況なのに、無理に希望を持つということは、空しく疲れて、馬鹿馬鹿しく、情けない思いがしてくるものだ。
 しかし、嘆き悲しんでも、何がどうなるわけでもなく、ますますその奇妙な慰めに足を取られ、たとえば酒や遊興に溺れるようになるだけだ。そんなことをしても心の底から楽しいわけでもなく、空しさから逃げているだけで、ますます自己嫌悪に悩まされ、ますます絶望的に、みじめになってくる。そして、それを忘れるために、さらに酒や遊興に溺れるようになってしまい、ついにはどうしようもない堕落と醜悪な状態に落ち込んでしまう。
 現状を打開するために、たとえば琵琶湖の水をおちょこでかき出すかのような手段しかないかもしれない。いくらそんなことをしたって、琵琶湖の水をすべてかき出すことなどできはしない。だが、人生においては、それくらい絶望的な状況に立たされることもある。
 たとえば、ビジネスで失敗して一億円の借金を抱えてしまうといったことがある。とくにこれといった資格もなく、何もかも失った男にできる仕事と言えば、時給数百円にすぎない仕事だけかもしれない。彼はその仕事をしながら、自らは極貧の生活を送りながら、ひたすら借金返済のために仕事をしなければならない。だが、そこまでしても、生きているうちに借金から解放される日がくることはない。その生活には希望がない。そのような生活をするくらいなら、牢獄に入れられた方がずっと楽かもしれない。
 しかし、このようなケースは珍しいというわけでもないのだ。このように「行くも地獄、残るも地獄」のような状況に立たされたとき、あなたならどうするだろうか?
 コツコツと仕事に取り組むだろうか? だが、そこには希望はないのである。にもかかわらず、情けなくみじめな仕事をひたすら続けていくことができるだろうか?
 それとも、仕事をする気力を失い、絶望のあまり酒に溺れるなどして、退廃的となり、廃人のようになっていくだろうか? 自ら生命を絶ってしまうだろうか?
 どちらにしても地獄であり、どちらにしても希望がないのである。
 だが、何かをしていれば、そこから別の希望というものが生まれてくることはしばしばある。何もしなければ、その確率はゼロであるが、何かをしていれば、少なくともゼロではない。
 たとえば、死んだ種に水をやり続けても芽が出ることはない。しかし、たまたま近くに生きた種が埋まっていて、水をやり続けたために、思いがけずその種が芽を出し、それがついには立派な花となり実となるといったことも、ありえないことではない。
 琵琶湖の水をおちょこでくみ出し続けていれば、そのひたむきな姿に感動して「もっといい方法がある」と、教えてくれる人が現れるかもしれない。ひたすら誠実に借金を返し続けていれば、ある程度、棒引きしてくれることがあるかもしれないし、その熱意を買われて高給の仕事を紹介してくれることもあるかもしれない。
 だが、絶望して退廃的になった人間に、よいアイデアが浮かぶことはないし、そんな人間に力を貸してあげようなどと思う人は誰もいない。
 だから、絶望を前にして努力を放棄して倒れてしまうより、いかに辛くみじめで希望がないように思えても、努力をした方がよい。何かよいことが生まれる可能性は十分にあるからだ。
 絶望的に思えた状況でも、思いがけない展開が生じて、実現できてしまうことも、決してないとはいえない。実際、過去の偉人たちの伝記を見るなら、まったくの絶望状態から立ち直った人は何人もいる。彼らに共通することは、決して努力を放棄しなかったことだ。一時的には投げやりになった時期があったとしても、そこから立ち直って地道な努力を続けたのである。
 光明が見えるまでには、長くて辛い忍耐の日々を歩み続けていかなければならないかもしれないが、努力と忍耐が持つ力というものは、私たちが想像する以上に偉大であり、強力である。いつかそれは、何らかの形で必ず報われるはずである。
 たとえ百歩譲って、何も報われることがなかったとしても、絶望に打ちひしがれることなく、まっとうに努力を続けてきたというだけで、人間として崇高であることが証明されている。外見的にはいかにみじめで情けない生活をしていたとしても、その生き方は、人を感動させる高い評価を受けるに値するものだ。
 いつか死を目前にするときがきたとき、そんな生き方をしてきた自分の人生を振り返るなら、そこには誇りと、深い安らぎを見出すに違いない。
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コメント

この『絶望した時にどう生きるか』を
読んでベートーヴェンのシンフォニーを
連想しました。

斉藤先生、私はもう30歳になりましたが、
中学時代から著作を通じて先生の
影響を受けています。

順風満帆の人生とは自分は今ほど遠いですが
先生のこのブログに常に励まされています。

本当にありがとうございます。
2012-08-17 Fri 22:19 | URL | kk [ 編集 ]
斉藤啓一です。kkさん、コメントありがとうございました。
もう長い間、私の著作に接してくださっていたのですね。

ありがたい評価をいただき、私の方こそ励まされます。
これからも、ともにがんばっていきましょう。
2012-08-18 Sat 09:32 | URL | [ 編集 ]
このコメントは管理者の承認待ちです
2013-12-30 Mon 20:28 | | [ 編集 ]

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