心の治癒と魂の覚醒

        

とにかく実践していくこと

 もしもこれまで、覚醒の修行などまるでしたことがないという人は、前回ご紹介したアジナー・チャクラの瞑想を、さっそく実践してみてください。
 まず、ひとりになれる場所や時間を見つけ、好きな座り方でいいので座り、心を静め、目を閉じてください。そして、アジナー・チャクラの場所(眉間から耳の所まで奥に入ったところ)に意識を集中し、その場所が光り輝いているのだとイメージし、その光を見つめてください。雑念が湧いても気にせず、さらりさらりと受け流してください。いつのまにか他のことを考えたりしてしまいますが、気にせずに瞑想を続けてください。難しく考える必要はありません。
 時間は、まずは3分間でけっこうです。、ただし、毎日欠かさずに行ってください。
 もちろん、これだけが、覚醒の修行のすべてではありません。他にもいろいろな行法がありますし、他にも学ぶべきことが山のように待っています。しかし、最初はこれでいいのです。もしかしたら、「こんなシンプルな行法を、一日たった3分間やるだけで覚醒なんてできるはずない」と思われたかもしれません。
 確かに、3分間瞑想したからといって、すぐに効果を期待することはできないでしょう。これから長い道のりが待っています。
 しかしそれでも、とにかく一歩を踏み出したのです。どうか、この偉大さを自覚してください。このことは、本当はものすごいことなのです。
 この「一歩」を踏み出す今日まで、あなたは過去に、どれほど輪廻転生を繰り返してきたかわからないのです。すべての人は、覚醒の道を歩むために生まれ変わっています。しかし、地上の生活に心が奪われ、覚醒などということはまるで考えず、興味もなく、ただ物質的な価値だけを追い求め、そのために苦しみ、苦しんでもなお(苦しみの原因となる)欲望を追いかけ、そうしてまた苦しみ、それでもまだ懲りずに欲望を追いかけるといった人生を、これまで何百回、何千回と繰り返してきたわけです。そのたびにあなたの魂は「今度こそ、覚醒の道を歩もう」と願うのですが、うまくいかなかったのです。すでにあなたの魂は、その苦い失望を、何百回、何千回と味わってきたわけです。
 ところが今日、たとえ3分であったとしても、アジナー・チャクラの瞑想をしたあなたは、ついに、覚醒への道を踏み出したのです! 世の中の大部分の人が、これから先、何百生、何千生と生まれ変わりを繰り返した果てに、ようやく第一歩を踏み出すことになるだろうというのに、あなたは今、その輝かしい一歩を踏み出したのです。霊的に見たら、あなたはエリートのなかのエリートだといってもいいのです。
 どうか、その重み、そのすばらしさを、わかってください。あなたの魂、そして霊界であなたを見守ってきた霊たちは、「ついにやったぞ! めでたい! めでたい!」と叫びながら、今頃は酒でも飲みながら踊りまくって狂喜しているに違いないのです(冗談です。しかし、そのくらい喜んでいることは間違いありません)。

 この最高の一歩を無駄にしないために、どうかこれから、毎日修行を続けていってください。思い出したように修行しても効果は期待できません。修行は趣味ではないのです。人生のすべてをかけて挑んでいくものです。せっかく修行の道を歩み始めたのに、途中でやめて、あなたの魂や霊界の導き手をがっかりさせないでください。
 もちろん、忙しい生活をしていることはわかっています。しかし、3分でいいのです。たとえ3分でも、実行するのとしないのとでは、まるで違うのです。毎日、3分の時間が取れない人はいるでしょうか? おそらく、アメリカ大統領といえども、3分の時間が取れないほど多忙ではないはずです。病気で意識が朦朧としているのでない限り、どんな人も毎日必ず3分の修行はできるはずです。
 ということは、「忙しくて修行ができない」という言い訳は、できないことになります。毎日3分の修行ができないということは、要するに覚醒しようという気持ちがないということです。もし、「毎日3分間修行を続ければ一億円あげる」といわれたら、きっと誰もが必ず毎日修行を続けるでしょう。結局は、本気であるかどうか、ということなのです。
 覚醒から得られる恩恵は、一億円などよりもはるかにすばらしい価値を持っているのです。そのことをよく理解し、本気で修行を続けていってください。
 大切なことは、あくまでも実践です。知識を学んだだけでは、「絵に描いた餅」でしかありません。以前、自己実現の本を読んでいたら、「この本を読んで実行する人は、5%くらいだろう」と書いてありました。たくさんの人が成功哲学の本や自己実現の本を読みますが、そのなかで実行する人は、たった5%だというのです。
 実行するのが5%、しかし成功するまで実行し続ける人となると、さらに少なくなるに違いありません。これでは、料理の本ばかり読むが、一度も料理を作ろうとしない人のようなものです。本を読んで「食べたつもり」になっただけで満足しているのです。こんなことはナンセンスです。
 こうして、このブログを読んでくださっている皆さんには、こんな空しいことはして欲しくありません。ぜひ、実践してください。最初は完璧でなくてもいいのです。実践しながら完璧をめざしていくのです。
 とりあえず、3分間の修行が毎日欠かさず行えるほど習慣となったら、時間を少しずつ増やしていってください。最初から長い時間修行しようとすると、どうしても挫折してしまいがちです。最初は3分でいいのです。
 私たちの覚醒を導いてくれる神は、まず私たちの真剣さを試すはずです。せっかく導いてあげようとしているのに、本人にやる気がなければ、導いてあげようとは思わないでしょう。神も同じです。神は、本当に毎日、たとえ3分間といえども真剣に修行を続けていくかどうか、その真面目さと熱意と忍耐を見ています。その間は、何の効果もないかもしれません。しかし、ついに神が、私たちの真剣さと熱意を認めてくれたときには、いきなり修行が進んだりするのです。その期間は、数週間かもしれませんし、数年かもしれませんが、ひたすら続けていく限り、いつか必ず神が認めてくれるでしょう。
 イエスがいったように、天国の扉が閉まっていたら、ひたすら叩き続けるのです。開くまで叩き続けるのです。覚醒に関しては、絶対にあきらめてはいけません。そうすれば、いつか必ずその門は開かれます。「求めよ、さらば与えられん!」です。お金や名誉を神に求めても、それが覚醒にとって障害になると神が判断されれば、その願いは聞き遂げられないでしょう。しかし、覚醒の願いは必ず聞き遂げられるのです。なぜなら、それこそが神の、そして人間の、唯一にして究極の目的だからです。

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コメント

瞑想について、よく紹介されている「静かにリラックスし目を閉じて座る」スタイルはどうしても寝てしまいます。ぼーっとして朦朧としてしまうのです。それで、ある本に「瞑想には決まった形はなく、例えば散歩や入浴中、文章を書いているときなどそれぞれのやり方があってよい」とあるのを読んで、私は歩きながら、樹木を眺めながら、入浴中、トイレ(失礼)時に答えがほしいことや祈りたいことを唱えるとふっと言葉が頭に浮かんだり、何日かしてきっかけをもらったりするような気がします。これは瞑想とは違うのかもしれません。今は、斉藤先生がおっしゃるように、「真に意識を変革し、美徳を日常生活で無理なく表現し拡げることができるように」力を注ぎたいと思っています。
2010-06-22 Tue 10:33 | URL | WakayamaKajimoto [ 編集 ]
斉藤啓一です。コメント、ありがとうございました。
瞑想には二つのアプローチがあると思います。
ひとつは、おっしゃるように、日常の生活をしながら瞑想すること(日常の生活を瞑想にすること)です。これには高次の事柄を地上の人生に反映させるという意味があります。
しかし、日常の生活をしながらの瞑想では、どうしても深く高次の領域に入っていくことは無理です。
そこで、もうひとつの瞑想は、ひとり座って、地上と肉体の意識から解放され、完全に高次の世界の認識に没入するのです。
覚醒するには、この二つの瞑想が必要不可欠であると思います。
2010-06-22 Tue 15:10 | URL | 斉藤啓一 [ 編集 ]
お返事ありがとうございました。斉藤先生の「肉体の細胞にも意識がある」の言葉に驚きました。肉体にも意識を配り、日常から離れた状態での瞑想も実践していきたいと思います。
2010-06-22 Tue 23:38 | URL | WakayamaKajimoto [ 編集 ]

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