心の治癒と魂の覚醒

        

 傲慢さと感謝の心


 前回は、傲慢な人は誠実さに欠けるという話をさせていただきましたが、誠実さと同じくらい、傲慢な人に欠けているものが、もうひとつあるような気がします。
 それは、感謝の心です。
 傲慢な人は、とかく自分の要求を強く表明し、人がその要求を満たすのが当然であるかのように思っているふしがあります。人から何かしてもらっても、有難いという気持ちがあまり湧いてきません。
 傲慢さは心の穢れであり、もっとも醜いものではないかと思いますが、それとは反対に、感謝の心は、清らかであり、もっとも美しいものではないかと思います。誠実さが傲慢さのワクチンであるとしたら、感謝の心は、傲慢さの解毒剤です。
 また、感謝の心と、宗教やスピリチュアルな心というものは、切っても切れないものがあると思います。すなわち、真の宗教やスピリチュアルな道を歩んでいる人は、必ず感謝の心があると思うのです。謙虚であること、誠実であること、そして感謝の心に満ちていること、この3つが、その人の霊格の高さを決めるのではないでしょうか。
 相当深くスピリチュアルな知識があるような人でも、ときどき感謝の心が欠けているように思われるときがあります。いくらスピリチュアルな知識が豊富であっても、感謝の心がなければ、本当にスピリチュアルが何であるかわかっているとは思えません。
 逆に、知識としてはスピリチュアルなことなど何も知らなくても、謙虚で、誠実で、感謝の心に満ちていれば、その人はスピリチュアルな人であると思うのです。
 感謝の気持ちを示す「ありがとう」という言葉は「有難い」から来ているのではないかと思いますが、文字通り「有難い」とは、「めったにない」ということでしょう。人から親切にされたり、助けられたりするというのは、めったにないことであり、にもかかわらず、そうした好意を自分が与えられて当然だと思う心は傲慢なわけです。「自分には、親切にしてもらったり、助けてもらうほどの価値はないのだ」と、(やや大げさですが)感じていれば、ちょっとでも親切にされたり、助けてもらったりしたときなどは、まさに「有難い」という気持ちが湧いてきて、自然と感謝の念があふれてくるはずです。
 自分に無いものに対して不平や不満ばかり口にするのも傲慢なのかもしれません。「自分は恵まれて当然だ」という傲慢な思いがあるから、不平や不満が出るのだと思うからです。自分には無いものに気持ちを向けるのではなく、自分が持っているものに意識を向け、そのことに感謝の気持ちを向けるべきでしょう。多少の難点があったとしても人並みの生活ができるほど五体満足であり、多少貧しくても衣食住に困るほどではないならば、不平や不満よりも感謝の方が先に立つべきです。もし不平不満が先に立つようであれば、その人はたぶん、傲慢なのかもしれません。「こんな自分でも、こんな素敵なものが与えられている、こんな自分でも、一緒に暮らしてくれる人がいる、友達になってくれる人がいる、メールをくれる人がいる……」と思うと、感謝する素材はたくさんあるはずです。
 自戒を込めて申し上げておりますが、私たちは全般的に感謝の心が足りないと思います。それだけ傲慢さを潜ませているのだと思います。もっと感謝しようではありませんか。家族に、友人に、職場の同僚や上司や部下に、ペットに、毎日お世話になっている駅員さんに、レストランのウエイトレスに、縁のあるすべての人に。

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