心の治癒と魂の覚醒

        

苦しみという名のグル(導師)


 おそらく、人生においてもっとも最高の生き方というものは、苦しい状況を経験しながらも人間として立派に生き、他者に奉仕するために真剣に生きることではないかと思います。これまで繰り返し述べているように、地上人生はトレーニングジムです。つまり、負荷をかけることによって魂の力を強化していく場所です。負荷というのは、具体的には2つの種類に分かれます。それは、苦難と誘惑です。
 人は苦難のなかにあると、つい心がいじけてしまい、不条理を感じて正直に生きるのが馬鹿馬鹿しくなってきたりします。人を信じられなくなったり、絶望で立ち上がれなくなったりします。あるいは、ずるく生きたり、悪いことをしてまで、その苦難から抜け出そうとあがくこともあるでしょう。しかし、こういう状況にあってもなお、人間として正しい生き方を貫くとき、私たちの霊性は進化して覚醒に近づいていくのです。
 また、誘惑も負荷です。世間的に成功したり、物事がうまくいくようになると、つい傲慢になったり、他者に対する思いやりを失ったり、成長がとまって腐ってしまうといったことになりやすいからです。世間的には、そういう安楽な人生は「幸せでよいこと」と見なされますが、霊的にはまったく反対で「不幸で悪いこと」とされるのです。今はいいかもしれませんが、ともすると地獄に通じる道になりやすいからです。
 しかし、このような誘惑の状況におかれても、それに負けることなく、人間として正しい生き方を貫くことにより、私たちの霊性は進化して覚醒に近づいていくのです。ただ、誘惑に打ち勝つというのは、苦難に打ち勝つのと同じくらい難しいものだということは、肝に銘じておいた方がよろしいかと思います。
 そして、さらに、こうした苦難あるいは誘惑のなかにあっても、他者に奉仕するという非利己的な努力をすることで、霊的覚醒への道は飛躍的に伸びていくのです。いかなる人に対しても無条件に親切を行い、しかしいかなる報酬も求めず、いかなる結果になろうとも頓着しないという姿勢、これがまさに覚醒の道です。
 私たちは、このようにして、地上人生という道場(トレーニングジム)において、修業をさせられているわけです。けれども、ほとんどの人は、人生が修行であるという自覚がありませんから、試練があれば不運だといって嘆き、誘惑があればそれに流されて腐ってしまうことが多いのです。そのため、なかなか霊性が進歩しません。これでは何十回生まれ変わってきても、微々たる進歩しかできないでしょう。
 何事もそうですが、与えられた物事に対して、どのような姿勢で向き合うかということが大切です。苦しみを「嫌なもの、悪いもの、排除すべきもの」と考えるのではなく、苦しみとは、「グル(導師)」だと思うことです。実際、そう思って臨んでいくならば、私たちは苦しみから実に貴重な多くのことを学ぶことができます。まさにそれはグルとなるでしょう。苦しみは有難いのです。辛いかもしれませんが、有難いものなのです。
 皮肉なことに、そのように思って苦しみを受け入れる道が、実はもっとも早く苦しみから解放される道なのです。なぜなら、苦しみは私たちに何らかの教訓を学ばせるために訪れたのですから、教訓を学んでしまったら「用済み」になるからです。苦しみは逃げれば逃げるほど追いかけてきます。もちろん、意味のない苦しみは避けるべきですが、避けられない苦しみ、避けたら人間としての尊厳に傷がつくような苦しみは、覚悟を決めて受け入れるべきなのです。
 結局、そのように生きることが、本当に人生を真剣に生きる、ということだと思います。多くの人は、本当に人生を生きていません。人生を真剣に生きていません。しかし、人生を真剣に生きていなければ、必ずいつか後悔することになるでしょう。なぜなら、人生を真剣に生きていなければ、人はそこから何も学べないし、成長もしないからです。苦しみというグルは、私たちに、人生を真剣に生きることを教えてくれるのです。だから、それは有難いものなのです。

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