心の治癒と魂の覚醒

        

 思考の観察


 強迫神経症(強迫性障害)という心の問題があります。典型的な症状としては、いつも手を洗わずにはいられないとか、出かけるとき鍵をかけたか何度も確認しないではいられないとか、クルマを運転して誰かを轢いてしまったのではないかと不安になり、来た道を引き返して確認するとか、その他、さまざまな症状に見舞われます。
 一方、うつ病の人は、とにかく物事を悲観的に考える傾向があります。たとえば、上司からちょっとした注意を受けただけなのに、「上司は自分のことを憎んでいるんだ」という思いが浮かんできたりします。すると今度は「上司は自分をクビにしようとしている」という考えが浮かび、次には「私はクビになるのだ」と考え、「クビになったらホームレスになるだろう」、「ホームレスになったら家族に迷惑がかかるだろう」、「家族に迷惑をかけるような自分は生きる価値がない」といったように、どんどん悲観的な思考がエスカレートしていき、ついには「生きる価値がない自分は死んだ方がいい」といって、自殺を考えたりするわけです。
 健康な人から見ますと、強迫神経症の人も、うつ病の人も、非現実的で根拠のない、馬鹿馬鹿しい考えに取り憑かれているように見えるのですが、本人にとっては非常にリアルで説得力を持っているように感じられるわけです。ここが病気の病気たるゆえんともいえるわけですが、本人の主観的な思いとしては、そのように考えて当然、そのように考えざるを得ないような状況に追い込まれてしまうのです。
 しかしながら、こうした問題は、いわゆる「健常」と「異常」とを明確に線引きすることはできません。いわば、程度の問題です。実際、どんな人も、強迫神経症やうつ病の人が抱くような考えに、多少は取り憑かれることがあるでしょう。ただその程度がひどくならないというだけです。
 しかし、程度がひどくならないといっても、「非現実的であやまった思考の連鎖」を野放しにするなら、妄想に発展しないとも限りません。知らないうちに頭が妄想で支配されてしまう危険があるわけです。精神医学的に病気と診断されるほどではないかもしれませんが、日常生活や対人関係における微妙な点で、さまざまな問題を起こすようになります。
 たとえば卑近な例をあげれば、夫の帰宅が遅いというだけで「浮気をしているのではないか」と考える妻などです。最初は「浮気をしているのではないか?」という疑惑なのですが、疑惑の目で物事を見ると、その疑惑が正しいかのような偏見を抱いてしまいがちです。夫の表情が嬉しそうに見えたりするわけです。すると、「やはりそうだ。浮気をしていることは間違いない!」と決め付けるようになってきます。最初は疑惑だったのが、ついには事実であると決め付けてしまうわけです。こうして妄想に陥っていくのです。
 当然のことながら、このような妄想を抱いている限り、覚醒はできません。覚醒というものは、あらゆる妄想から解放された意識状態だといえるからです。
 では、どうしたらいいのでしょうか?
 妄想は、一度堅固なものになってしまうと、なかなかそこから抜け出す(目覚める)ことが難しくなります。早いうちに、妄想の芽を摘んでおくことが大切です。
 そのためには、常に自分の思考を観察(モニター)して、あいまいな根拠で何かを決め付けようとしていないかどうか、チェックする習慣をつけることです。
 たとえば、友人にメールをしたが一日たっても返事がないといった場合、その理由について、いろいろな思いが浮かんでくるでしょう。「忙しいのかもしれない」、「自分のことが嫌いなのかもしれない」、「なめられているのかもしれない」、「死んだのかもしれない」などです。こうした思いは、どれもその可能性があることは否定できませんが、そうだと決め付ける根拠もありません。
 したがって、いろいろな思い(思考)が浮かんできても、決して決め付けないで、はっきりとした根拠が得られるまでは、距離をおいて静観している姿勢を保つことが大切なのです。根拠もないのに決め付けてしまうと、ドミノのように次から次へとあらぬ方向に思考が展開してしまい、ついには妄想へと入り込んでいってしまうからです。
 ひらたくいえば、いろいろな思いが浮かんできても、「ちょっと待てよ! 本当にそうなのか?」と慎重に留保できるようにすることです。このような姿勢が、妄想に至らないようにするために、そして、覚醒するために、とても大切なことなのです。
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