心の治癒と魂の覚醒

        

 苦しみは愛をもって受け入れる


「苦しみは愛をもって受け入れる」という、ユダヤの賢者の言葉があります。さまざまな苦しみに見舞われながら生きた賢者のもとに青年が訪れ、「どのように苦しみを乗り越えてきたのか、その方法を教えてください」と尋ねたところ、「わしは苦しみなど経験していないよ」と答えました。しかしその青年は、この賢者の生き様から、「苦しみは愛をもって受け入れる」ということを学んだというのです。
 これは、人生に対する最も深い奥義ではないかと思います。
 最初、この言葉を聞いたとき、その意味がわかりませんでした。正直なところ、今でもよくわかりません。しかし、少しだけわかったような気もします。ただ、それをうまく説明できるかどうかはわかりません。それでもとにかく、説明してみましょう。
 苦しみというものは、肉体的な苦痛は別とすれば、実体というものはありません。「自分がそれを苦しいと思うか思わないか」によって、ある事柄が苦しみともなれば、苦しみではなくなるのです。
 たとえば、マージャンが好きな人は、徹夜でマージャンをして楽しんでいます。しかし、マージャンが嫌いな人が徹夜でマージャンをさせられたら、苦しみ以外のなにものでもないでしょう。このように、どうとらえるかで、苦しみになったり、苦しみではなくなったりするのです。
 しかしながら、大多数の人が「苦しみ」を感じる出来事というものはあります。たとえば、愛する人や財産や健康を失うといったことです。マージャンとは違い、このようなことを経験したら、ほとんどすべての人は悲しみや苦しみを感じることでしょう。
 このような人生の苦しみに対して、愛をもって受け入れていくとは、どういうことなのでしょうか?

「苦しみは愛をもって受け入れるというのは、実は苦しみだけではなく、「すべてを愛をもって受け入れる」ということなのです。苦しみを生きてきた賢者を訪ねた青年は、その賢者が苦しみを受け入れてきたことしか見なかったのです。しかし賢者は、苦しみだけでなく、すべてを、愛をもって受け入れる生き方を送ってきたのです。
 すなわち、人生というものを、これはよいことだ、これは悪いことだ、これは喜ばしいことだ、これは不幸なことだなどと分類や取捨選択することなく、すべてを無条件に受け入れて生きてきたのです。
 たとえるなら、子沢山の慈愛深き母親のようなものかもしれません。子供が大勢いれば、なかには出来のいい子もいれば、出来の悪い子も出てきます。素直で可愛らしい子もいれば、ひねくれて小憎らしい子もいるでしょう。あるいは、障害をもった子もいるかもしれません。
 しかし、すべては自分が産んだ愛すべき子供たちです。母親は、どんな子であろうと、自分の懐に飛び込んできたならば、差別することなく、大いなる慈愛をもって受け入れ、抱きしめることでしょう。愛は、いかなる欠点さえも包み込んでしまうのです。
 条件づけられた愛は、本当の愛ではありません。「親のいうことをきくから愛する、さもなければ愛さない」という「愛」は、単なる取引であって、本当の愛ではありません。
 人生には、喜びもあれば苦しみもあるのです。それが人生というものです。喜びも人生の要素であり、悲しみや苦しみも、人生の要素なのです。
 ですから、真の愛の持ち主であるならば、人生で生じるすべてのことを愛するはずです。喜びも悲しみも、根源的には自分から生まれたものなのです。それは自分の「子供」なのです。
 しかし、愛することの究極の姿とは、愛する対象とひとつになることですから、自分は悲しみそのものとなり、苦しみそのものとなるわけです。
 すると、最初に述べたように、それをどうとらえるかによって、苦しみになったり、そうではなくなったりするわけですから、とらえる対象である「それ」とひとつになったなら、実質的に「それ」という対象は存在しなくなり、「それ」をとらえることができなくなります。つまり、「それは苦しみである、苦しみではない」という評価ができなくなります。そのため、苦しみが消滅するのです。

 表現を変えれば、私たちが人生のさまざまなことで苦しんだり悩んだりするのは、結局のところ、真実の愛がないからです。
 だから、苦しみは愛をもって受け入れなければならないのです。人生で生じるいかなることも、自分が作り出した愛すべき子供であるがゆえに、どんな「子供」でも、無条件に愛をもって受け入れることが、人間の正しい生き方なのです。
 子供のために食事を作ったり、オムツを交換することは、なかなか大変な苦労だと思いますが、それを「苦しみ」だと思う母親はいるでしょうか? むしろ、喜びであると感じられるのではないでしょうか。それは子供を真に愛しているからです。子供のためなら命を捨てても惜しくはないと思っているからです。「自分」というものがそこにないからです。
 人生で訪れるすべてのことは、自分の子供なのです。それゆえに、無条件の愛をもって受け入れるべきあり、また、自然とそのようになるのが、人間の本当の姿なのです。
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