心の治癒と魂の覚醒

        

 何があっても動じない


 何があっても決してあせらず、常に冷静でいられるということが、覚醒の道を歩む修行者に求められる大切な資質のひとつです。いわゆる「肚が座っている」といった状態を常に維持するわけです。以前にお話した「平静の美徳」です。
 もちろん、これは容易なことではありません。人生というものは、いつどこで、予想もつかないような事態が起こるかわかりません。ふいをつかれるといったこともあるでしょう。そのときは、ついあわててしまい、パニックになってしまうこともあるかと思います。動揺し、不安や恐怖に襲われたり、イライラしたり、怒ったり、心を乱したりしてしまったりします。
 しかし、そのようなときでも、落ち着き払い、心静かに悠々としていられるようでなければいけません(自戒を込めて言っております)。その意味では、心を乱す出来事が多いこの地上世界は、何があっても動じない不動心や平常心を養うには何と絶好の場所なのかと思います。
 ただ、ここでひとつ注意が必要です。不動心や平常心は、単に「心が鈍い」とは違うということです。たいていのことは、人間は繰り返せば慣れてきてしまい、心が動じなくなるものです。それはそれで自然なことであり、別に悪くはないのですが、その結果、心が鈍くなっていないかどうか、しっかりとチェックする必要はあると思います。
 たとえば、あまりよい例ではありませんが、最初に万引きをするときというのは、かなりドキドキするそうです。「見つかったらどうしよう」という怖れや、良心の呵責があるからです。ところが、2回、3回と繰り返していくうちに、平気になってくるそうなのです。ドキドキせず平然と万引きができるようになるらしいのです。しかし、この場合、あきらかに良心を鈍くさせてしまっています。「人に迷惑をかけている」という気持ちが麻痺してしまっています。これでは、本当の意味での不動心でも平常心でもありません。慣れによって感性が鈍磨してしまっただけです。
 本当の不動心や平常心といったものは、単なる「慣れ」の結果として得られるのではなく、もともとは人格的に備わっている資質ではないかと思います。ある種の覚悟といいますか、強い信念のようなものが意識の深い層に存在しているのでしょう。だから、いついかなることが生じても、たとえそれが初めて遭遇する経験であっても(つまり慣れていないことであっても)、動じないで平静に対処できるのではないかと思うのです。
 そのような不動心や平常心を持てるようになるには、どうしたらよいのでしょうか?
 それには、武士の生き方が参考になるかもしれません。武士はまさにそのような不動心や平常心を持っていました。なぜそのような心境を得ていたかというと、おそらく、常に死を覚悟していたからなのかもしれません。人間は死ぬより恐ろしいことはそうないと思いますが、主君のためにはいつでも命を捨てるという覚悟をしていたからこそ、多少のことでは動じない不動心や平常心を持てたのかもしれません。
 私たちは時代が違うので、武士のような意味で死を覚悟して生きることはできませんが、しかし、どのみちいつか死ぬことは間違いありません。その意味では、私たちも、いつ死んでもいいように常に死を意識しながら、覚悟を決めて生きていくというのも、ひとつの方法かもしれません。そうすれば、多少のことでは動じなくなるかもしれません。

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修行の基本的な姿勢 | コメント:1 | トラックバック:0 |
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コメント

深い闇の中でも一筋の光を見つけそれを見失しなわない事が大切なのでしょう
2013-02-18 Mon 11:39 | URL | ラガン [ 編集 ]

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